WALKER’S 

歩く男の日日

出会いの旅 3

2018-05-22 | 日記

 野宿の人には宿案内を渡さないから声をかける必要もないのですが、何の意識もなく声をかけてしまうこともしばしば、神峯寺で会った男性は向こうから声をかけてきてくれました、今日は夜須駅の近くで野宿、道の駅ですかと問えば、道の駅は禁止だからビーチで泊まる、道の駅はできるところとできないところがあるから初めての人は戸惑うでしょうね、明日は高知市内のビジネスホテル、明後日は仁淀川大橋の下、種間寺にも清滝寺にも通夜堂はあるけれど、通夜堂は嫌いなのだそうです。土佐清水市、民宿旅路の近くで会った青年は全部野宿で通し、野宿で区切りの人は少ない。先ず訊くのは萩森リストは持っていますか、彼は持っているといったので特にアドバイスもありません、今日は金平善根宿まで、あと9kmですと助言、野宿は寒いですかと問えば、すかさず寒いですと返答、半分まで来たのだから問題ないでしょう。松山市粟井駅の近くで一緒にお接待をして貰ったフランスの青年は、最初は野宿でまわったけれど荷物が重くて思うように歩けなくて楽しめなかった、なので今回は全部宿に泊まることにしたと、彼は日本語ができるので予約も普通にできる。それが本当だとぼくはずっと思っています。野宿なんてするもんじゃない。外国の人はサンティアゴデコンポステーラの経験者が多いから寝袋を持って歩くのが普通だと思っているようですが。サンティアゴの簡易宿(アルベルゲ)はベッドだけなので全員が寝袋持参です。
 室戸市佐喜浜を過ぎたところで会った青年は4日に一度くらいは宿に泊まりますと言ったので宿案内を渡すと、助かりますとにっこり、そう言ってもらえるとこちらも嬉しい。大根峠を下りてきたところのヘンロ小屋にいた夫婦は昨日は水井橋近くの元小学校に泊まった、そこには8人くらい泊まっていたそうです、設備もしっかりしているみたいで地元の人も認めているようです。その8人の中に入っていたと思われる青年二人連れとは平等寺のすぐ手前で会いました。野宿だとは分かっていたけど声をかけやすそうだったので自然に立ち話、彼等は萩森リストは持っていないけれど、その存在は知っていて西分で貰うつもりだった、では西分までの通夜堂を教えましょうということになったけれど、最後にネットでも見られることを思いだして、遍路、萩森リスト、で出てくるはずですと言ってお別れ、今日は田井ノ浜で泊まる、ここまで8日間、ぼくはあと4日、山も多くて荷物も多いと距離はどうしても出ない。
 うらしまで同宿だった人はカート遍路で携帯電話を持っていない。全部飛び込み、断られたときは野宿をする、70代半ばで無謀な感じもしたけど、本人はいたって気楽そう、明日はバスにも乗ると言っていました。その人に助けられたのが向かいに座った人。由岐駅で財布の入ったポーチを忘れて身動きとれなくなってオロオロしていたところ、その人に1万円札を渡されてタクシーで戻れと、そうしたら無事回収できた。その人とはそこで別れててそのまま、そうしたらこの宿の前で偶然再会できた、何度も何度もそのいきさつを話してくれました。彼にとって目の前の人がお大師さんだった。貴重品は絶対服のポケット、お遍路はザックに山谷袋、菅笠に金剛杖、荷物を増やせば増やすほどどれかをすぐに忘れてしまう。どこの札所でも置き去りにされた金剛杖が寂しそう。 ぼくはどこの札所でもザックと傘(杖代わり)は身につけたままお参りします、おろすのは納経所と休憩するときだけ、それでも今回タオルハンカチをなくしてしまいました。3巡目か4巡目のとき59番国分寺の前のタオル屋さんでお接待で頂いたものだけに、ものすごく残念です。