WALKER’S 

歩く男の日日

出会いの旅 2

2018-05-20 | 日記

 四国から帰ってきて17日、道中で声をかけて立ち話した人を数えてみると、すぐ思い出せる人だけでも100人を超えていました。そんなにしたかなと今更ながら不思議な感じもします。宇和島までの最初の2週間は宿案内のコピーをしていなかったからあまり無理に声をかけることもできなかった、後半の2週間でその数は元々意図したものでもなかったから、自分が自分でなくなったような気もして、本当に良かったのかと、反省すべきことなのかもとも思ったりします。結局の処はお節介だし、歩くペースを乱すことにもなるし、迷惑にならないとも限りません。
 一言二言で分かれることも多いのですがみっちり10分、15分話すこともありました。初対面の人と何をそんなにと思われるでしょう、清滝寺の山門を抜けて少し下りてきたところですれ違った男性は、挨拶をしてそのまま行こうとしたのですが、山谷袋にヒーさんの缶バッジが見えたので、思わず「ヒーさんのバッジ」と叫んで立ち話となってしまいました。もちろんのことヒーさんの知り合いの方で、ヒーさんが書いたお遍路の本に尺八を吹いている写真も載っている、例の騒動の時は、彼の目の前で号泣したそうです。ぼくも昨年お遍路ハウス横屋で聞いたヒーさんの近況を話しました。そして最後にお札を交換、赤札でした、聞くとぼくと同じ12回目、今回は奥さんに尻を叩かれて出てきたのだとか、そうやって無理して出てきても、歩き始めると元気になってくるから四国はありがたいと。こういう出会いもあるので、ちょっと無理しても声をかけるのがいいのかなと、こういういい出会いは滅多にありませんが。
 宿の情報を聞かせて貰うことも少なくありません。28番大日寺の近くに新しくできた水仙の里に泊まったという人に2人会ったし、昨年秋に経営者が変わった遊庵に泊まったという人も二人、ビッグマリーンは夕食付きで3650円だったという人、恩山寺の近くの民宿ちばはとても良かったという人、三原村の宿でひどい目にあったと言うニューヨークから来た人、昨日は鶴林寺の登り口の宿でがっくりしていた男性は宿案内を渡すと本当に嬉しそうでした。ニューヨークから来た人と話しているときに後から来た男性は清滝寺の通夜堂が使えなくなったといっていましたが、塚地峠で話した男性は展望台から降りてきた外国の女性が清滝寺の通夜堂に泊まっていたと言ったので、たぶん使えると思います。高知屋が満室で英光民宿に泊まった人、土佐久礼のどちらかの宿は素泊まりしかしていないと二人の人に聞かされたし、岩本寺の宿坊も食事はないと二人の人が言っていました。塚地峠の手前で会った人は雲辺寺の手前の岡田がとれるか心配、白地荘に送迎して貰えばと言うと、それは絶対嫌だという、全歩きが途切れるわけではないのに、こだわりがあるようです、それなら椿堂の近くに毛利荘ができたと教えると、ずいぶん安心された様子でした。柳水庵の手前では今日は焼山寺の宿坊に泊まるというカップルに出会いました、土佐市の白石旅館が廃業になったのでビジネスイン土佐に泊まるという人には何人も出会いました。徳増の大女将は90才を超えていると教えてくれた人もいました。ぼくが10年ほど前に泊まったときはとても80才だとは思えなかった。