WALKER’S 

歩く男の日日

20日目 ときわ旅館(大洲市)~八丁坂(久万高原町)

2017-07-17 | 17年四国の旅


 ときわ旅館の朝食は6時から、10分前に声がかかりました。朝から電車に乗るので、この5分10分もありがたい、
 2年前室戸の宿で同宿になった阿佐美さんや昨年民宿岡田で同宿になった公認先達山口さんも今年も来られたとご主人から伺いました、山口さんはこの春で20回目、ぼくが出会ったお遍路さんで一番巡っておられるとこの時は思っていましたが、八十窪の大女将はもっと巡っているようです、3年前の記念スタンプが押せる納経帳(ぼくのと同じ)も見せて貰いました。


 ときわ旅館の玄関にポスターがありました、最初四国に来たときこんな所に帝京高校があることにびっくりしたけれど、今回が甲子園初出場ではなかったことにもっとびっくりしました。
 ご主人に見送ってもらい、来年は逆打ちで4月の中頃に来ますと約束、約束してしまうともう絶対来ないといけないから、何が何でも来られるように努力する、


 6時27分、伊予大洲駅到着、6時49分の電車に乗るので宿を出たのはぼくが一番早かった、昨年もここから喜多山まで乗ったけれど、今年は内子まで。昨年は畑峠遍路道を歩いて砥部町の宿までだったけれど、今回は内子からバスで突合までさらに飛んで、45番を打ち戻って八丁坂までの41kmです。ちょっと飛びすぎですが、明日番外の香積寺に行くことと、泊まりたい宿のかねあいもありました。久万高原では笛ヶ滝がなくなって八丁坂以外の宿には泊まる気がなくなったし、長珍屋もできれば避けて道後の宿まで行きたかった。


 電車は定刻に到着、内子までは予定通りだったのですが、
 バスは祝日で(今日はこどもの日)全便運休で少々うろたえました。ネットで調べると土曜は2便。日曜は全便運休とは書いていたのですが何度調べてもそこに祝日の文字はなかった、全くネット情報というのはさほどにいい加減で軽いものです、バス停には日祝全便運休とありました、なぜネットでも同じように書けない、祝の一文字を入れるのにどれだけの手間がかかるのだと、見えぬ相手に文句を言ってもしょうがないので、とりあえず歩くしかないので、久万に向かって歩き出します。
 今日は45番まで行かず、その往復の12kmを削れば内子から突合まで歩いてもトータルではあまり変わりません。ただそうすると、明日の番外を止めても宿までの距離はかなり長くなるし、明日は札所の数が7つにもなるからさらにきつくはなります、でもやってやれないことはない、ほかに選択肢はないから機嫌良く歩くしかありません。

 今日は昨日と違って初めて歩く道がないのでほとんど写真は撮りませんでした、昨年畑峠(はたのとう)遍路道を歩いて内子町久万高原町の赤線の道は全て歩いたといい気になっていたのですが、まだまだ遍路道はありました。
 昨年足を痛めたときに内子からバスに乗るので時間がずいぶん余って、今まで一度も見学していなかった八日市の古い街並みを見たとき、意外なものを発見、そこには旧街道へんろみちと書かれていました、現在の遍路道とは明後日の方向のこの道がへんろみちだとはにわかに信じられない思いでした。帰ってからしばらくして英語の地図を見てその意味が分かりました。英語の地図には水戸森峠という緑の線の古い遍路道がありました、道の駅からりの3.4km先で国道に合流する山越えの道です、枯雑草さんはすでに歩かれていて写真も多数投稿、もう一人歩いたという人のブログも発見しました、もちろん今回歩きたかったのですが香積寺と宿のことがあってなくなく2年後まで待つことにしました。
 内子駅を7時03分に出発、松乃屋旅館を過ぎてしばらくの所で右折して国道に出ます、昼食を買えるところがここしかないのでコンビニに立ち寄ります、チョコとかりんと、今日は曇りなので大丈夫でしょう、
 内子から大瀬まではベストより4分遅れの92分でした、調子としては十分だったのですが、あまり狙う気もなく時速は6.3kmほどでした。歩く距離が1km短くなって歩き始める時間も1時間早くなってかなり余裕もあります。
 大瀬のバス停で休憩、昨年ここで向かいの家のおばちゃんからビン牛乳をお接待してもらった、先達竹下さんはお接待してもらった場所のことなど忘れられないでしょ、と言います、ぼくは最初の頃は白衣も着けていなかったからお接待の回数は人よりかなり少なかったこともあって、本当に何処で何をいただいたか、覚えているし、そこを歩くたびに思い出すようにもしているようです。
 大瀬で18分の休憩、8寺52分に発ちます。


 昨年工事中だった大瀬小学校の校舎が完成していました、確か前の校舎は今風の普通の鉄筋コンクリートだったはず。
 大瀬から突合の1km先のバス停まで68分、ベストより2分遅れ、時速は大瀬までと同じで6.28km。ベストよりちょっとだけゆったり目のこのスピードが一番気持ちよい歩きなのかもしれません。
 バス停では休まず、10時03分に出発。バス停を出て1kmほどの所で異常事態、長身の男性がぼくを追い抜いていきます、こういうことは今まで一度もなかったので本当にびっくりしました。1日に歩く距離がぼくより長い人や短い日数で一巡する人は何人か知っていますし、実際に会ったこともありますが、ぼくより速いスピードで歩く人はちょっと思い出せない。8年前須崎から足摺までいっしょだった山口県は仙崎(金子みすゞのふるさと)から来た橋本さんは全くぼくと同じスピードで霊山寺から延光寺まで14日で歩く人でしたが。
 それまで楽なペースで歩いていたのが離される一方では具合が悪いというのでギアを一段入れ直して必死に追いすがります、50mほど離されてそれからは何とか少しずつ縮めていきました、こんなに力を入れて歩いたのは、ベストを狙うときでもここまではしない、というくらいです。薬師堂のトイレで彼は休まずそのまま先に行ってくれて助かりました、ぼくはここで休憩することは決めていました。バス停からここまではもちろんベスト以上のタイムで時速は6.5km、やっぱり6.3で余裕を持ちながら歩く方がいい。
 
薬師堂のバス停では13分ほど休んで、10時50分に出発、ここから宿まで4時間ほどなのであとはゆったり行きます。
 落合トンネルを抜けて4km、三嶋神社のすぐ先で地元の人たちが大きな釜でうどんのお接待、ぼくを追い抜いていった若者もいました、ぼくのすぐ後には自転車の女性二人連れ、もう一人白衣を着ていない歩きの男性もいました。そこで足の速い若者に少し話を聞きます、ああいうスピードは午前中だけで午後からは少し押さえるということでした、40km歩く日もあるけれど、ずっとそうではなくてもっと短い日の方が多いとか、宿案内を渡すと、これを持っている人に見せて貰ったことがあると言っていました、地元の人にもっと食べていけと勧められるままに30分ほどゆっくり休んでしまいました、
 歩きの男性二人が先に出て、少し遅れて出たので全然追いつきません、食べてからは動きもやや鈍くて下坂場峠まではベストより6分遅れの、時速5.6kmでした、
 下坂場峠からはさらに調子は落ちて、普通は休まない鴇田峠の手前の別荘地のあたりで休みを入れてしまいました、身体も動かないし眠気にもおそわれます。鴇田峠は玉ヶ峠の次ぎに苦手な登り道で、峠の手前の山道ではなく、山道に入る手前の別荘地を抜けるところあたりでいつも足が止まる印象があります。前回2年前もそうだったし、今年は今までで最悪です。
 峠のすぐ手前からいくらか調子を取り戻し、下りになると大分楽になりました。国道まで降りてくるのに80分、ベストより8分遅れ、時速は4.9kmでした。


 14時50分、44番札所大宝寺に到着です、予期せぬ休みが2回あったものの、まだ宿には16時までには着ける時間です。
 境内にはお接待所で一緒だった二人の男性がちょうどお参りを終えたところ、ぼくがお参りを終えたところで足の速い男性から次々と宿のことについて質問を受けます。彼はここまで同宿になった人たちからいろいろと情報を仕入れていて、大体のあたりは付けているようでした。道後では石手寺の通夜堂に泊まる、そのあとは大西まで、ますやはどうかと訊かれて、ますやは多少問題あるのでつよしにした方がいいと教えます、その次は小松、その次は伊予西条まで歩いて電車で戻って連泊したらいいとアドバイスします。小松は連泊だと焼き肉になると聞いていたようですが、本当はすき焼き、アドバイスは時に微妙に違ったものになる。それやこれやで次々話が延びて30分以上も話し込んでしまいました、二人は一里木までなのであと15分ですが、ぼくはもう一山越えなくてはならない。15時41分、ようやく宿に向かいます。


 大宝寺で50分も滞在してしまったので、最後はしっかり気合いを入れました、ベストに近いタイムで、16時23分、八丁坂に到着です。


 八丁坂は昨年に続いて2回目の投宿、昨年は和室だったのですが今回は洋室ベッド、洋室は好きではないのですが、和室以上に居心地のいい空間でした、ダブルベッドでそれがほとんど和室と変わらない感じでいられます。
 お風呂に行くと男性が先にいて話を聞くと、今日は石鎚からきた、石鎚からこちらへ来るルートがあることは知っていたけれど、実際に来る人に初めて会いました、お遍路だけではなくいろんな観光をしながらの旅のようです。
 同宿はお風呂で会った男性とその奥さん、お遍路ではないようなもう一組のご夫婦、女性一人、男性一人、の6人と、時間遅れの観光の二人連れ、ラグビー部の高校生たち。高校生の食事は食堂で、ぼくたちは別の和室に通されました。夕食の時にはお遍路メインの人が少なかったせいかほとんど話することはありませんでした。