岩本寺の朝の勤行は6時から、団体の人たちはスケジュールの都合でかなり早い旅立ちで姿は見えません。いっしょに夕食を摂った男性3人と、七子峠で会った香港の女性も参加していました。宿坊は当日予約はできないと聞いていましたが、素泊まりであれば問題ないみたいです。プリントが配られてお経も全部書かれているので、住職について唱和していきます。法話も長すぎることなく、しっかりまとまったお勤めができたという印象です。30分ほどで終了して、すぐ朝食が始まります。
岩本寺の評価は分かれるようですが、ぼくとしては不足なところはほとんど感じなくてかなり満足です、点数でいうと80点くらい、テレビのない部屋もあるみたいだし、大部屋で相部屋になることも、そうなると評価が下がることもあるでしょう、同宿の3人の方がいずれも感じよくて、風呂でも夕食の時も朝食の時も話がたっぷりできたので、その点でも今回は大正解の宿になりました。
食卓の横にはコーヒーのセットも用意されていて、今日は時間の余裕があるのでゆっくり2杯いただきました、
身支度を整えて宿坊を出たのは7時25分、境内には雪蹊寺で会った外国人二人連れがお参りを終えたところでした、言っていたとおり昨日は須崎あたりから電車に乗ってここまで飛んできたようです、年配の方に今日の宿は何処ですかと問えば、金剛福寺宿坊、やはり電車バスで一足飛びのようです。ぼくは30km先の宿だから50km先を行かれてしまい、この後出会うことはありませんでした。
同宿の人たちは皆ぼくより先に発たれ、ぼくがしんがり、追いかける形です。先ず追い抜いたのは同宿の人ではなく昨日境内で会った女性、その後東京板橋の人、その先、脇道に入る手前で埼玉鴻巣のSさんを追い抜きます、
お大師さんの石像のところで国道を離れて左折するようSさんにアドバイスして先に進みました、矢印はいっぱいあるけど、下を向いて歩いていたりしたら結構はずすことも多い、ぼくも3回ほどはずしたし。
西尾自動車の休憩所でSさんを待ち受けます。いつもはもう少し先の坂道を上りきったところのヘンロ小屋がタイムチェックポイントでそこで休むのですが、今回は国道を離れて四国のみちを行くので、そこは通らない。
少し遅れてSさんが到着、すこし休んでいっしょに発ちます、西尾自動車からの国道の左の四国のみちは前に一度歩いたことがあるので、そちらは入らず国道を行きます。その道が国道を横断して右に入るところから国道を離れます、この右側の四国のみちはこの手前を歩いたときに続けて歩いたのか、あるいはここからそのまま国道を歩いたのか、全く記憶にありません。なにしろもう12年ほど前のことなので記憶を頭の中で作っている可能性もあるので確かなことはいえません、歩いていたとしても、途中で止めて国道に入ったような感じが何となく残っています。この写真の入り口ですでにSさんの30mほど前を歩いていて後ろをふり返りながらSさんがこの道に入るのを確かめてから歩を進めます。
四国のみちの道しるべ、
国道に比べて何と気持のよいこと、この時点で今まで歩かなかったことを後悔しています。でも日本語のへんろ地図にはずっと赤線はなかった。英語の地図には伊与喜駅まで緑の線がしっかりあります。
これぞという道が続きます、人も車も全く通らない。
右折れの箇所にはちゃんと道しるべがあります。
たしかに国道よりは少し遠回りになりますが、トータルで1kmも長いとは思えない、それだけの理由で情緒のない危険なうるさい国道に赤線があるのは、何としてもおかしい。ぼくは来年は逆打ちでより多くの歩き遍路さんに出会うのが第一の目的なので国道を歩かざるを得ない、そのことを考えるだけですこし暗くなります。
向こうの橋を渡る、
道しるべはいずれも相当古くなっています。へんろ地図が普及する以前のお遍路さんはこちらの道を歩いたのだろうかと思ったり、
集落の中もそれなりの味わい、
橋の向こうには神社、
四国のみちは遍路道とは違うのだ、だから惑わされないように気をつけるように。そんなことも聞いたことがあるけれど、この四国のみちの道しるべはただただありがたい。
川に沿って歩くもまた良し、
まだ国道には合流しません、
まだまだたっぷり歩けるみたいです、四国のみちに入ってここで28分。
文字はほとんど読めなくなっても存在意義は十分、
国道とは別世界、すぐそばを走っているけれど、
ちょっと右へ、荷稲駅の近く
ここまで歩いてきたところは全く記憶に残っていません、おそらく歩かなかったのかも、でもこの分岐から国道へ入っていったような記憶だけはぼんやり残ってはいます。いずれにせよ、ここから先は歩いていないことは確かです。
久々に矢印、
楽しみます、
ここは左、
道しるべもあります。
高知の田植えは早い、
この矢印も、
ず~っとお遍路らしい道、埋もれた遍路道を復元整備するのもいいけれど、こういう歩きやすい道を全てのお遍路さんが歩くように地図の赤線を書き換える方が先決ではないかと、そんな気もします。
ちょっと古いタイプの矢印、
まだもう少し楽しめます、
土佐くろしお鉄道、
四国のみちに入ってちょうど1時間、10時38分、いつものペースとは全然違うけれど、今日は歩く距離がかなり短いのでまだまだ余裕はあります。例年だと中村まで行く日だけど、今回はその10km手前までだから、もっとゆったりしてもいいくらい。
懐かしい。(トトロ)2017-07-05 19:57:22
逆打ちで歩いた道です。荷稲駅 拳の里 カワウソがいたという川など懐かしい
以前歩いているお遍路さんを見かけて居たので、探検好きな私は伊与喜あたりから
その道に入りました。ぜぜぜ絶対お勧めですよね☝️️
線路の下を抜ける、
伊与喜川の蛇行に合わせて大きくうねっているところ、
西尾自動車の休憩所を出て1時間45分、伊与喜駅までまだ少しありそうなので道ばたに腰をおろして休憩します。しばらくするとSさんが追いついてきて、ここからはいっしょに歩きます。
矢印があったので橋を渡って国道に合流します、でも英語の地図の緑の線はこの先もう少し続いていて伊与喜駅の近くで合流することになっています、ただその部分はふくらんでいて目立って遠回りになるのであえてここに矢印ということなのでしょう。
橋の上から合流ポイントを望む、
国道に合流して9分で伊与喜駅に到着、
熊井トンネルを抜けたところ、大好きな道ですが、焦って手ぶれ。
11時53分、再び国道に合流、ローソンで二人並んで昼食です。
2年前には出発時間も早かったのでここには10時半には着いていました。
ローソンの軒にツバメの巣、
ローソンではアイスと芋けんぴ、天気がよくなってくるとチョコも買いにくい、
30分ほど休んで、12時15分に出発、ここからは先に行かせてもらいました。今日の終点、道の駅ビオスおおがたまで14kmほどなのでまだまだ余裕はありますが。
4kmほど進んだ土佐白浜の少し手前で前を行く男性二人に追いつきました、一人は同宿だった青森のKさん、もう一人は初めて出会う人でした、挨拶だけして先に進みます。
3kmほど先のトンネルの手前の休憩所で二人を待ち受けます。ここはローソンと道の駅のちょうど中間地点で初めから休む予定でした。
10分ほど遅れて二人が到着、初めて会う人の金剛杖に2年前の日付があったので2巡目ですかと訊くと、3巡目だということでした、働いているのでずっと区切りでつないでいる、今回もゴールデンウィークの間だけで大洲あたりまで行ければということでした、それではと宿案内を取り出して渡そうとすると、同じのを持ってますよ、と取り出したのはずいぶん前のもの、それは何処でと訊くと、徳島のヘンロ小屋に置いてあったのをもらってお遍路の度に持って歩いているという、いつのことですかと訊くと、少し考えて、2010年、間違いないです、ぼくが小柿のヘンロ小屋に置いたのは確かに歩けなくなった2010年のこと、それから丸々7年もの間使い続けられるなんて、感動と言うほかありません。納札を頂くと大阪は熊取の方で現在は兵庫県上郡に単身赴任中だということでした。昔の宿案内は今となっては不備なところが多く、かなり駄目な宿もおすすめに入っていたりして、今日Mさんが泊まる宿がまさにその宿で申し訳ない思いでいっぱい、昔は評判のいい宿だったけれど代替わりして駄目になったと言い訳をさせてもらって覚悟してくださいとお願いもしました。Kさんの宿はその隣の宿でその宿は問題ありません。
そういうことで話が弾んで45分も休んでしまいました、出発したのは14時10分、道の駅まで7kmほどなのでまだまだ余裕はありますが、岬巡りの緑の道は今回は諦めることにしました。時間が余ることは分かっていたのでトンネルを行かず岬をぐるりと歩く予定にしていましたが、ゆったりのんびりしたのでそこまでの余裕はなくなりました。
入野の浜を撮影していたら、この少し前で追い越したSさんが追いついてきました。トンネルの手前で休んでいるときに先に追い越されていたのを再び追い越していたのでした、Sさんも今日の宿はユートピアなので道の駅までいっしょに歩きました。
道の駅では香港の女性も同宿で3人まとめて迎えの車に乗り込みました。
土佐ユートピアカントリークラブは初めての投宿、2食付き5400円、大浴場は温泉、というのがなんといっても大きな魅力です、連休前の金曜日でゴルフ客は結構うるさかったですが、部屋に入ればほとんど気になりません、洗濯も無料で、うたんぐら以来2回目の洗濯をしました。料理も十分すぎるくらいだし、龍馬パスポートでソフトドリンクのサービスもあります。この宿も絶対はずせなくなってしまいました。
3枚目の写真(トトロ)2017-07-05 20:08:06
軽トラ脇の壁面は薄っすらと一面の苔に外国人か?キッチリとデフォルメなしの
英語が書いてあった。なんて書いてあったか思い出せない。
ユートピアのロビーになつかしい南海ホークスのサインが飾ってありました。なつかしい名前がいっぱいあるはずですが全然読めないので、帰ってからウィキで調べました。
79年の開幕オーダーは
1番 藤原満 背番号 7
2番 河埜敬幸 背番号 8
3番 片平晋作 背番号25
4番 メイ 背番号17
5番 王天上 背番号42(フランク・オイテンジョー)
6番 新井宏昌 背番号 6
7番 高柳秀樹 背番号23
8番 定岡智秋 背番号 3
9番 黒田正宏 背番号39
投手 藤田学 背番号26
監督 広瀬叔功 背番号12
野村監督が退いて2年目のシーズン。前年最下位、この年は5位、彼等の活躍はテレビよりも「あぶさん」で見ることが多かったかもしれません。