WALKER’S 

歩く男の日日

5月27日

2010-05-28 | 10年日帰り遍路

 9:53
高速舞子8時10分発のバスに乗ると徳島駅に9時28分に着くことになっている。鍛冶屋原行きのバスは9時30分発、そのあとは10時00分発になっている。ぼくは10時のバスに乗るつもりだけれど、運が良ければ30分早いバスに乗れると思っていた。でも、高速バスは高速を下りてからは順調には行かず、徳島駅に到着したのは9時31分だった。通勤時間ではなかったけれど市内に向かう車は多かった。当初の予定通り30分近く駅前のバス停で待つことになった。
 鍛冶屋原行きの3番のベンチには若い女性のお遍路さんが休んでいた。金剛杖は新しいけれど先は磨り減っているし、へんろ地図は使い込んで半ばぼろぼろになりかけている。四国を一巡してきたのか、薬王寺あたりまで行って戻ってきたのかよく分からない。感じとしては後者、金剛杖やシューズの汚れ具合は一国打ちの感じ。そのシューズは、ぼくがHPなどで推奨している、ミズノのフリーウォークOD100GTXだった。四国でこの靴を見るのは3度目だ。


 10:58
板野駅南の二つ先のバス停で一人降りて、あとはずっと車内の乗客はぼく一人だった。2週間前通ったなじみのある風景を楽しみながら、前回の終点、鍛冶屋原に到着、予定時刻より4分ほどの遅れだった。バス停で白衣を着ける。手甲は車内で着けていた。


 10:59
左に折れるとへんろ道が始まる、ここから50m先までは2週間前に歩いたけれど、その先はもちろん1年ぶりになる。


 11:05
県道の交差点までやってきた。横断すると6番札所はもう目の前、といっても500mはあるけど。


 11:07
橋は二またに分かれている。左の細い橋が本来のへんろ道。


 11:10
バス停からの1.2kmを11分で到着、なかなかのスピードだ。安楽寺の納経所は本堂の中にあるので撮影はできず、代わりに大師堂の杖立を撮影。左側の方にも山頭火の句が刻まれていて、そちらは「もりもり もりあがる 雲へあゆむ」とあった。


 11:24
安楽寺には車遍路の二組4人がいるだけで、とても静か。この時間だと5番門前の宿を出た人でももっと先(8番あたり)に行っているので歩きの人に追いつくのはずっと先になる。山門を出て県道の前へ出てくる。

県道に面して近代的な安楽寺の宿坊が建ち並ぶ。この左端にはやや古い建物も見える。余程の健脚でない限りこのあたりに宿をとって藤井寺まで行き、翌日の焼山寺越えに備える、というのが一般的な歩き遍路の計画になる。二日先、三日先のことを考えず行き当たりばったりで宿を決めていると、思わぬ痛い目に遭うことがある。


 11:25
県道を右へ折れて旧いへんろ道に入る。前はこんなにたくさん遍路シールが貼っていなくて真っ直ぐ行ってしまう人も多かった。事実、この道へ入れなかった二人連れに道案内したことがある。ぼくはその時88番から戻って来るときで、7番札所に立ち寄る必要がなかったのでこの県道を向こうから歩いていた。


 11:29
1.1kmと刻まれているけれど、実際のところは600mくらいしかない。


 11:31
熊野神社の前で左手に大きく視界が広がった。あの山並みを越えたはるか向こうに、次回お参りする焼山寺が待っている。


 11:35
6番からの1.2kmを12分で7番十楽寺に到着、まずまずのスピード。この区間を11分で歩けたのは2回だけだから、十分満足できる。こちらも境内の人影はまばら、いずれも車遍路だ。山門の横には白いキャンピングカーも停まっていた。


 11:47
12分で滞りなくお参りを済ませ山門を出る。今回もほとんど休憩する余裕はない。


 11:49
熊谷寺は右、の大きな標識があるけれど、これは車遍路のための標識で、歩きは左斜め前へ進まなくてはならない。最初の時これを信用して右の方へ進んでしまった。大して遠回りではないけれど、登りのきついところがある。


 11:50
新しくできた遍路宿の案内板があった。もし通しで108ヶ所巡りをする機会があったら、初日はこの宿に泊まろうと決めている。素泊まり4000円で、越久田屋より500円安い。

交差点にさしかかると電柱に左矢印。最初来たときは、このシールもなかったし、まともな地図も持たずに歩いていた。


 11:51
県道を横切ると、右矢印の看板。歩き道と書いてあるけれど、もちろん歩いていけるけれど、旧来のへんろ道ではない。遍路接待所を運営している越久田屋さんがこの看板を作ったようだ。越久田屋に行くにもこの矢印に従って進む。ぼくは昨年越久田屋に泊まったので6年ぶりにこちらの道を歩いた。

すぐ横には反対向きの矢印がある。初めて来た人はどちらの矢印に従うのだろう。へんろみち保存協力会の地図にはこちらにしか赤線が引いていないから、こちらを選ぶ人が多いとは思うけれど。ちなみに、四元さんは右矢印の道を行って接待所に立ち寄っていた。

旧来のへんろ道に入る。車はほとんど通らずいい感じ。


 12:00
宮川内谷川を渡る。向こうに見えている橋を渡って200mくらい先に越久田屋がある。


 12:03
御所小学校の側にある道しるべに赤矢印が貼ってある。矢印の下は指が反対方向を指しているのだ。この道しるべを信用して多くの人が右側へ入っていったことだろう。ここを入るとはっきり遠回りになるし、ちょっとした山越えもある。


 12:10
国道318号の交差点にやってきた。ここにも熊谷寺は右の矢印がある。これも車のための標識。


 12:21
右に折れると熊谷寺、遍路シールはあるけれど、肝心の熊谷寺の文字が色あせてほとんど判らなくなっているのが残念なところ。


 12:22
徳島自動車道の下から熊谷寺の山門がのぞいている。山門の前に着いたのはこの2分後、十楽寺からの3.8kmを37分かかった。ベストより3分遅いけれど、時速6kmを確保できたので満足。


 12:24
山門を入って数メートル前にこの道標がある。熊谷寺はものすごく奥行きがあって、しかも本堂まで緩やかな登りになっているので普通の札所の倍近い時間を要する。一番早くて20分かかっている。


 12:26
これも熊谷寺の特徴、同じように禁煙の注意書きがあるのは、27番神峯寺と66番雲辺寺、でも両札所とも納経所の前に喫煙所はある。


 12:38
大師堂は本堂よりさらに高いところにある。石段を登る。お参りを終えて、石段を下りようとしたら下界の風景を望むことができた。こうしてみると思ったより高いところまで登ってきたことが判る。


 12:40
納経所の前を通って山門に向かう。昨年88ヶ所すべての納経所を巡ったけれど、この納経所は忘れられない。若い坊さんとモーニングコーヒーとモーツァルト。昨年のブログではピアノ協奏曲22番と書いたけれど、23番の誤りだった。
 山門を出たのは12時43分、19分でお参りを済ませることができた。25分と見ていたからかなり時間を稼ぐことができた。


 12:46
土成町役場前の広い交差点にやってきた。最初来たときこの道は車がすれ違うのがやっとという感じの農道だった。雰囲気のあるへんろ道だった。


 12:50
最初来たときこの道標が目に入らなかった。いい加減な地図しか持たず、それを信用しすぎていたせいもあるけれど、何も見えていなかった。歩いていたのではなく、彷徨っていただけだった、以降ちゃんと歩きたいと思うようになった。ここに来るたび7年前の自分をまざまざと思い出す。


 12:56
この少し手前の所で、今日初めて歩きへんろの人に出会う。男性1人、女性3人が連なって歩いている。初めから4人連れなのか、途中で知り合って一緒に歩いているのかよく分からない、今日は5番門前の宿から出たに違いない、時速は3km前後だから鴨島まで行くのは難しいかもしれない。鴨島の手前となると旅館八幡しかないけれど、そこから焼山寺を越えるのは相当無理があるように思えた。追い抜きざま一人一人に遍路宿情報を手渡した。


 13:01
9番法輪寺に到着。前に歩きの人がいると、追い抜いた後でも自然と足が速くなる。写真の枚数が少ないこともあって、ベストタイムと同じ2.0kmを18分で到着した。境内は自転車遍路の二人組とあと数名の車遍路だけでとても静か。13時50分までに10番札所に着きたいので、慌ただしくお参りを済ませる、ほめられたことではないけれど、致し方ない。


 13:13
山門を出ると、先に追い抜いた4人連れが到着するところ、ちょうど時速3kmくらいだ。遅いと1日に歩ける距離も短くて、日数も費用もかさむけれど、その分豊かなお遍路ができることは間違いない。ぼくはとにかく早いけれど、良いことは費用がかからないだけで、うらやましがられることは何もないし、豊かでないことは自覚しながら歩いていた。
 この標識のある交差点を右に折れると、前に二人連れの歩きの人が見えた。二人ともやや足を引きづり加減で、辛そうな歩きだ。追い抜くときに遍路宿情報を手渡す。あの足では明日の焼山寺は相当きつそうだ。


 13:20
番外霊場、小豆洗大師の前にやってきた。小さな祠があるだけだけれど、番外とはいえ霊場なのできっちりお参りしていくお遍路さんもいる。ぼくはとてもそこまでの余裕は持てない貧しいへんろ旅。


 13:23
四国のみちは必ずしもへんろ道と一致しない。だから四国のみちの道標や矢印を100%信用してはいけない。この矢印がよい例、誤解しないように三つも赤矢印が貼ってある。


 13:25
県道に合流したところに接待所がある。9番から10番までは3.7kmほどしかないので、今まで一度も休んだことはない。もちろん今回もスルー。
 この少し先で夫婦遍路に追いついた。男性が奥さんのリュックを左手に提げている。そんなに大きなリュックではないけれど、それすらも負担に感じて普通に歩けなくなっているようだ。右手には金剛杖を持って手がふさがっているので遍路宿情報を渡すのは控えた。時速3kmも出ていない、この調子では焼山寺を越えるのは無理だろう。


 13:27
URLが、
http://www.omotenashi88.net となっている。これはNPO法人遍路とおもてなしのネットワークのもの。2000年頃から香川県を中心に活動を始めた。この遍路人形のシールも5年くらい前までは香川県でしか見かけなかった。同じデザインの遍路大使のバッジもこの団体が制作しておへんろ交流サロンで配っている。


 13:39
県道を右に折れて参道にはいる。山門まであと500m。

参道に入ってすぐの民宿坂本屋、入り口に休業中の張り紙がある。2年前四元さんがこの前に来たとき、女将さんが出てきて、体調が優れないのでお休みしているのだといっていた。まだ再開のめどはたたないようだ。
 この先の徳島自動車道の下で男の人が立ち止まって地図を広げている。遍路宿情報を手渡すと、この先どう行けばいいのかと訊かれた。県道に出たら横断してそのまま真っ直ぐですと教えてあげる。たしかに、地図には右折れの方にも赤線が引いてあってややこしくなっている。右折れの赤線は88番から戻ってくるときの道。そして地図はそのあとすぐ切れて11番札所とのつながりが分かり難くはなっている。1度来ていれば何ていうことのない道だけど、初めてだと地図を持っていてもこういう風に迷うことがある。


 13:44
10番切幡寺に到着、山門までの3.5kmを34分かかった。ベストタイムと同じだ。写真も撮ったから一番速いかもしれない。やはり前に歩きの人がいるとスピードの乗りが全然違ってくる。


 13:45
山門を抜けるとすぐこの道標が待っている、熊谷寺より少し短いけれど、実質はそうではない。

犬を連れて歩いているお遍路さんを見たことがある。犬は1日に20km以上毎日のように歩かされて嬉しいのだろうか、辛いのだろうかと首をひねったことがある。


 13:46
ここからが本当の切幡寺、ちょっとした修行の参道になる。1番から10番まででこういうところは初めてになる。でも普段歩いていない人にとっては平地でも20kmを超えれば充分な修行にはなっていることだろう、実際そういう人を目にしてきたばかりだ。ぼくも山道や長い石段は本当に久しぶりなので、男厄坂の途中では相当息が上がった。でも立ち止まって息を整えることは一度もなく、何とか快調に登りきることができた。水屋で息を整え本堂へ行くと、丁度二人の男性がお参りをしていた。大師堂へも二人に続き、二人が納経を終えるのを待って、遍路宿情報を手渡す。少し余裕ができたので、納経所の横のベンチで軽食を摂る。あとは鴨島駅までの8kmを歩くだけ、予定通りの電車に乗れそうだ。


 14:15
山門手前の駐車場には十楽寺の山門横で見かけたキャンピングカーが停まっていた。熊谷寺、法輪寺でも見かけた自転車遍路の二人組もいる。このあたりは札所の間隔が短いので歩いていてもいい勝負ができる。山門を14時10分に発つ。20分に発てば間に合うと見ていたけれど、さらに10分の余裕ができた。ここから藤井寺までは絶対迷いようがないくらい、道標や遍路シールがいっぱい出てくる。


 14:21
このシール(ステッカーと言うべきか)は初めて見る。そういえば、どういう事情か知らないけれど、昨年は3人の外人サイクリストに会ったし、今年もすでに一人と会っている。20日で一巡ということは1日60km、無理のないところだろうけれど、ぼくは自分では絶対自転車は無理だと思っている。坂道、山道が多いし、歴史的なへんろ道(山道)は通れないところも多いし、国道やそのトンネルでは危険がいっぱいだし、へんろの味わい、豊かさといったら、歩きに比べればそれは貧しいものにならざるを得ない。


 14:22
振り返ると切幡寺の大塔が見える。あの中腹の標高は150m。


 14:25
県道12号の交差点、この大きな道標は無駄なようにも思えて、案外初めての人には安心感を与えているかもしれない。

道標の上には地図も用意されている。至れり尽くせりのへんろ道。


 14:26
交差点から右に旅館八幡が見える。ここから藤井寺まで8kmあるので、この宿に泊まって焼山寺を越えるのは健脚でないと難しい。


 14:31
八幡郵便局の手前に遍路シールと五鈷杵のマーク。左に折れる。


 14:33
切幡寺から吉野川までで曲がるのは、さっきの郵便局の前とこの角の2回だけ、これだけ大きな標識があるのはそのまま直進してしまう人が多かったからだろう。


 14:36
矢印が直進と左折れの二つある。直進するのが本来のへんろ道、左折れは鴨島駅への近道、ただしこちらから藤井寺に向かうと遠回りになる。主に鴨島駅の近くの宿に泊まる人がこの道を行く。ぼくは過去3度直進し、3度左折した。最初の時は誰もが行かないようなおかしな道を行った、何しろ彷徨っていたから。今回は終点が鴨島駅なので、左折する。


 14:38
左折すると水路沿いの道を行く。


 14:45
右側の吉野川の土手が近づいてくる。


 14:48
突き当たりの吉野川の土手を上る。登り口にはちゃんと遍路シールが貼ってある。


 14:49
土手に上がるとこういう感じ、目の前の流れは吉野川の本流ではない。


 14:55
ほとんど読みとれないほど色あせた赤矢印、へんろみち保存協力会のシールはこのように色あせたものが目立つ、それだけ古くから活動しているということではあるけれど、


 14:57
渡るべき橋が近づいてくる。遠く眉山もはっきり姿を現した。


 15:04
この少し手前に、吉野川河口より26km、の標識があった。それで尚これだけの川幅を有している。淀川の河口あたりと同じくらいかもしれない。


 15:05
こちらの矢印は何とか読みとれる。橋には両側に歩道がある。


 15:08
ぼくのカメラではこの広大な川を捉えきれない。


 15:12
3分の2くらいの所で吉野川市に入る。ぼくが最初来たときは鴨島町だった。6年前、鴨島町、山川町、川島町、美郷村が合併してできた。


 15:14
8分07秒かかって阿波中央橋を渡りきる。帰って距離を調べると815mだった。丁度時速6kmで歩いたことになる。

橋を渡ったところにきっちり遍路シールがある。こちらも薄い。


 15:18
わざわざペンキ塗りたてを撮影した理由はいかに、


 15:19
この形のポストはぼくの街でも何ヵ所か見られるけれど、本当に希少な存在になってしまった。このポストはこれだけきれいにして貰ったのだから、あと10年は頑張ってくれるだろう。


 15:24
JR徳島線の踏切を渡り、すぐ前の辻を左折して線路沿いの道を行く。


 15:29
6年前、2回目の時にお世話になった尾池旅館、新しくて広くて気持ちの良い宿だけれど、素泊まり5500円で遍路宿としてはちょっと高い。

その隣にあるのがしげる旅館、こちらは4年前4回目の時にお世話になった。素泊まり3500円で部屋もきれいで女将さんも愛想が良く、もう一度泊まりたい宿。でも以降はルートがちょっと違ってしまったので鴨島駅の近くに泊まることがなくなってしまった。


 15:30
本日のゴール鴨島駅に到着、切幡寺山門からの7.7kmを80分かかった。撮影の時間を差し引けば何とか時速6kmは出ていただろう。前回のような違和感や痛みも全く感じることはなかった。完璧にはほど遠いけれど、前回よりはいくぶんいい歩きができたと思う。

 今回もやっぱり慌ただしかった、バスと電車に合わせないといけないからこれはどうしようもない。法輪寺では水屋に寄るのも忘れたりしたけれど、撮影は比較的思い通り落ち着いてできたのは良かった。昨年はこの区間雨が降っていたので極端に写真が少なかった。
 歩きの人には12人に会って、9人に遍路宿情報を渡せた。これは予想外、この時期から歩き始める人は少ないと思っていたので、切幡寺までにこんなに追いつけるとは思わなかった。会ってもほとんどお話はしないけれど、歩いている人を見かけるのと、全く一人で歩いているのとでは大分気分が違ってくる。その点でも満足感はあったし、嬉しかった。
 足の調子は明らかに前回より落ち着いていた、最終盤でも疲労というほどのものは感じなかった。高速バスを降りるときにはさすがにおかしな具合ではあったけれど、前回ほどひどくはなくて、翌日の後遺症も大したものではなかった。手すりなしで階段を軽快に下りる回数も増えて、また何%か良くなったという自覚もある。
 次回焼山寺越えは来週の金曜かその次の月曜くらいに予定しているけれど、足の具合も大分良くなったのであまり不安はない。ただ、山の中の写真は伝わりにくいので、その点がちょっと不安。