万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

「留学生三十万人計画」も同じ道?

2008年05月16日 13時46分20秒 | 日本政治
goo注目ワード ピックアップ・・・高学歴ワーキングプア(goo注目ワード) - goo ニュース
 
 我が国の政治が未だに官僚主導型であるためにか、政府は、”数値目標”や”計画”が大好きなようです。しかしながら、将来的な経済や社会の変化を無視した政策は、必ず失敗の憂き目にあうというのは、社会・共産主義体制崩壊の教訓です。文部省の大学院重点化政策が、高学歴ワーキングプアを生み出したように、「留学生三十万人計画」もまた、大量の就職浪人を生み出しそうなのです。

 しかも、この「留学生三十万人計画」にあっては、留学生のみならず、日本人学生にまで就職浪人の波が押し寄せる可能性もあるのです。何故ならば、日本国政府は、その半数を日本で就業させることを、数値目標として設定しようとしているからです(教育再生懇談会)。政府は、この数値目標を達成するために、どのような手段をとるというのでしょうか。もしかしますと、各企業に”留学生枠”を設ける法案を通し、法的な強制力をもって実現しようとするかもしれません(政府による市場への介入・・・)。そうなりますと、今度は、日本人学生が、就業の機会からはじき出されてしまうことになります。特に景気が後退しますと、失業問題は大きな政治・社会問題になるのですから、国内の社会不安が増幅されることは必至です。

 市場のニーズや社会の変化を考慮せず、しかも、日本国民の雇用も考えずに、政府が、こうした無謀な政策を推進するとなりますと、もはや、日本国政府は、日本国民のための政府とは言えなくなりそうです。現実離れした官僚の計画主義と統制主義は、やがて、国を滅ぼすかもしれないと思うのです。 

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同盟政策は国家百年の計

2008年05月15日 16時38分25秒 | 日本政治
憲法第9条で日本を守れるか(ニュース畑) - goo ニュース

 憲法第9条の改正に関する賛成論と反対論を見てみますと、両者とも、国防の権利は認め、侵略戦争は行わない、という点においては、一致しているようです。そうなりますと、主たる問題点は、集団的自衛権の行使に絞られてくるのではないか、と思うのです。この議論については、以下の諸説が挙げられそうです。

1.集団的自衛権は、自国が他国から攻撃された時のみ行使できる。
 この説ですと、内閣法制局の政府見解を変更するのみで、現在の日米同盟の枠組みで対応できます。

2.集団的自衛権は、自国が他国から攻撃された時と、同盟国が直接攻撃を受けた時のみ行使できる。
 この場合には、「日米相互協力及び安全保障条約」を改正し、双務的な内容に書き換えなくてはなりません。また、仮に、日本国が将来的に、日米同盟を拡大させる形でNATOといった軍事機構に加盟する場合や、日本国をメンバーとする別の軍事機構が構築された場合にも適用されることになります。

3.集団的自衛権は、2説の条件の他、国連決議が成立した時にのみ行使できる。

4.集団的自衛権は、3説の条件の他に、同盟国、あるいは、軍事機構が、人道的介入、国際犯罪に対する制裁戦争、テロ組織との戦闘といった合法的な戦争を行う場合にも行使できる。
 この説もまた、条約の改正は2及び3説と同様ですが、防衛の目的以外でも、自国の軍隊を派遣できることになります。

5.集団的自衛権については、憲法上に条件を付さず、敢えて、あらゆる状況に対応できるように、フリーハンドの状況に置いておく。

 以上に述べてきましたように、集団的自衛権の行使条件如何によって、日本国政府の安全保障政策の自由度は大きく違ってきます。現在は、日米同盟が機能すれば、防衛目的を達成できそうですが、将来的には、よりグローバルな地政学的な視点から見た多国間の安全保障体制を構築する必要に迫られるかもしれません。また、人道的介入やテロ及び国際犯罪への対応も、責任ある国際社会の一員として考慮しなくてはならないでしょう。このように考えますと、長期的には、政府の手足を縛ることは賢明とは言えず、同盟政策は、国家百年の計として、将来を見据えた真摯な議論をなすべきではないか、と思うのです。

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消費者庁は市場の支配者?警察官?

2008年05月14日 17時30分42秒 | 日本政治
【明解要解】抵抗へ首相の指導力カギ「消費者庁」構想(産経新聞) - goo ニュース

 消費者保護政策の目的とは、言わずもがな、消費者の安全を守ることにあります。この目的のために、現在でも、数多くの企業向けの法令が制定され、これらの法令に基づいて、各省庁は、違反企業に対して行政指導や行政処分などを行っています。いわば、消費者保護を行う政府機関は、市場の警察官とみなすことができます。

 ところで、この目的と役割から考えますと、消費者保護に、”政治的な指導力”が必要なのかどうかは、怪しいところです。中国の毒入り餃子事件では、首相の指導力は、日本国の消費者保護ではなく、逆方向に発揮されました。また、政治家が、市場の警察権を一手に握るとなりますと、市場で活動する企業にとっては、時の政権による政治介入を受けることになりかねません。もしかしますと、消費者保護のための権限が政治的な利権と化し、企業に対して不公平な扱いをするかもしれないのです。例えば、政権与党への献金の多い企業は、お目こぼしを受けられるとか・・・。

 近年、表面的な目的の陰に隠れたて、別の狙いがある法律が制定される例が多く(個人情報保護法・・・)、この消費者庁の設置も、消費者の安全を守るためだけに提案されているとも思えません。裏口から経済への統制が強まるかもしれませんし、あるいは、政治が市場を支配する格好の手段となるかもしれません。消費者保護を強化するためには、民事訴訟への道を広く開くという方法もあり、行政権の強化には、十分な注意が必要であると思うのです。

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官僚腐敗は人災を招く

2008年05月13日 17時23分36秒 | 社会
公共施設の手抜き「おから工事」横行、被害拡大の一因に(読売新聞) - goo ニュース

 官職が個人的な利権と結びつき、汚職事件を多発させる中国の体質は、何も今に始まったことではなく、科挙制以来の中国官僚制の伝統とも言えます。この悪しき慣習は、大地震という天災に、さらに官僚腐敗による人災という追い討ちをかけたようなのです。

 現代国家にあっては、公務員とは公僕であって、国民を守り、福利を増進させために存在しています。一方、中国の官僚とは、長らく恐ろしく難関な科挙制度があったように、極めて少数の特権階級でした。官僚特有の特権意識は、共産主義体制になってさらに助長され、今日では、共産党幹部が、権力を独占し、新たな特権階級となっているのです。このため、権力を自らの利益のために利用することに対して、何らの罪の意識をも抱いていませんし、むしろ、権力の濫用は、エリートとしての当然の権利と見なしているのです。

 中国官僚には公私の区別はなく、公共事業に際しても、建設費からマージンを取ったり、事業者に賄賂を要求することも稀ではありません。そうして、この腐敗体質こそが、大地震といった天災に際して、安普請の建造物の倒壊を招き、被害を甚大な規模に拡大させているのです。新たな情報が伝わるたびに、死傷者の数が増え続け、最終的な被害者数や損害は想像もできません。中国官僚の腐敗と人命軽視もまた、中国を蝕む救いがたい災いなのです。 

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救助怠慢は未必の故意のジェノサイド

2008年05月12日 17時55分18秒 | アジア
国連機関、死者・不明32万人と推計 サイクロン被害(朝日新聞) - goo ニュース

 32万人もの不明者を出しながら、それを放置し、海外からの援助を妨害するのみならず、支援物資を接収するとは、政府の悪しきも、これここに極まれりの感があります。

 もし、普通の国でこうした大災害が発生したならば、政府は即座に自国の軍隊を派遣して、夜を徹して被害者救援に当たらせるでしょうし、できるだけ多くの人々に救援物資が届くように最大限の配慮をすることでしょう。自国の力で不十分ならば、海外に支援を求めるかもしれません。何故ならば、そうすることが、政府の義務であり、為すべき当然の仕事であるからです。

 もし、政府が大規模な救助活動に乗り出しませんと、30万人以上にものぼる行方不明者の方々の命が失われるとしますと、これはもう、政府による未必の故意によるジェノサイドに近くなります。ビルマ軍政は、まさに、救助怠慢によって、国民の命を奪おうとしているのです。

 本来、正当な政府として国際社会から認められるためには、政府としての基本的な役割を果たしていなければならないのではないでしょうか。国民の生命、身体、財産を保護しないような失格政府に対して、国際社会は、どのように対処すべきか、真剣に検討する時期にきていると思うのです。

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モラルの欠如が中国を滅ぼす

2008年05月11日 18時27分37秒 | アジア
中国の聖火リレーでゴミの山、マナーまでは統制できず(読売新聞) - goo ニュース

 江戸時代を通して長い鎖国政策が続いたにも拘わらず、明治維新による開国以来、日本国は、鎖国時代の遅れを取り戻すかの如く、あらゆる領域において長足の進歩を遂げました。また、第二次世界大戦における敗戦にも拘わらず、高度成長時代を達成し、70年代には経済大国の地位にまで上り詰めました。北京オリンピックを8月に控える中国も、日本国と同じような道を歩むものと予測されているようですが、果たして、この予測は当たるのでしょうか?

 経済発展の要因を挙げてみますと、市場規模(人口)、資源へのアクセス、技術力、良質な労働力、市場の法整備、安定した金融システム・・・などがあります。中国の場合、市場規模という要件だけは、文句なく満たしているようですが、他の要件については、必ずしも充分ではありません。そうして、決定的に欠けている要件とは、市場の健全な秩序を支えるべき国民のモラルではないか、と思うのです。封建制からの解放を旗印に過去の慣習や思想を破壊して成立した共産主義中国は、人間社会の経験知として伝えられてきた道徳律さえも破壊の対象としました。古来より、商取引においては、ローマ法に既に見られるように、自由意思、信義誠実の原則、契約の遵守など、信用や信頼に関わる原則が尊重されてたものです。しかしながら、即席で市場経済を取り入れた中国には、この市場に不可欠なモラルが欠けているのです。

 たとえ発展に必要な物質的な要件を揃えたとしても、このモラルの欠如が、中国の躓きの石になるように思うのです。中国共産主義が追及する科学の及ばぬことろに、実は、発展の鍵が隠されているのかもしれないのですから。

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冷たい雨の降りそそぐ法隆寺

2008年05月10日 14時08分49秒 | アジア
胡錦濤国家主席、中国ゆかりの法隆寺や唐招提寺を訪問(読売新聞) - goo ニュース
 
 もし、現在に聖徳太子が生きておられたとしたら、太子は、仏教弾圧者であり民族虐殺に手を染めた人を法隆寺学問寺に快く迎え入れたでしょうか。あるいは、徳を積んだ太子のことですから、遠方はるばるやって来た”日の没することろの天子”に仏の教えを説き、上手に改心させることができたかもしれません。しかしながら、胡主席の法隆寺訪問の報に接し、日中友好ばかりが強調されたとしますと、これは、太子の御心に沿うものであったかどうか、疑問なところです。そうして、聖徳太子が示した日本国の外交路線に思い至るとき、この疑問はさらに強くなるのです。

 摂政の位にあって、聖徳太子が日本国の歴史に残した足跡は、対中外交における日本国の独自路線を打ち出したことにあります。歴代中華王朝は、冊封体制や朝貢制度をもって、近隣諸国を自らの勢力範囲に絡め取ろうとしました。隋の煬帝もまた同様であり、日本国をも従属させようと虎視眈々と狙っていたのです。しかしながら、聖徳太子は、隋の煬帝に親書を送ることによって、華夷秩序への編入を拒否します。ここに、東アジアにおいて、大陸の大国と、島国ながら自立路線をゆく国とが並列する体制が生まれるのです。聖徳太子が築いた独自路線は、今日に至るまで、日本国の基本路線となってきました。それにも拘わらず、胡主席訪日に際して、我が国の政府が示した態度は、先人たちの苦労を全く顧みていないように思えるのです。

 今日の奈良は、朝から冷たい雨が降っていたと言います。静かに法隆寺に降りそそぐ雨の滴が、聖徳太子の涙に思えてしまうのは、それが、我が国の不幸を暗示しているからなのかもしれません。

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チベットは同盟政策を目指しては

2008年05月09日 14時05分07秒 | 国際政治
ダライ・ラマ特使会見「よい方向に」 強硬派、対話に疑問(産経新聞) - goo ニュース

 非暴力主義という言葉の響きは耳に心地よい、そうして、友好という言葉も。しかしながら、これらの言葉の裏側で、刻一刻と虐待と民族抹殺という恐ろしい蛮行が進行していたとしたら・・・。

 相手が紳士的で善良であれば、話し合いによる解決ほど望まし方法はありませんし、また、その道も開かれていることでしょう。その一方で、半世紀以上にわたって、相手側に騙され、裏切られ続けてきた経験を持つ人々に対して、この対話路線が最善の手段であることを納得させることは困難なことです。アメリカを始め、植民地独立運動の多くが自由のための戦いであったように、独立を闘いによって勝ち取るということも、一つの正当な手段なのです。日々命の危険に直面しているチベットの強硬派の人々は、対話路線への懐疑から、より強硬な路線を選択しようとしていると思われるのです。

 こうしたチベットによる自由のための戦い路線は、独立戦争の正当な主張として認めなくてはならないのですが、陸続きである上に、中国との軍事力の差は歴然としています。このため、チベット軍を編成したとしても厳しい戦いになりそうです(無差別テロを行いますと、国際世論を味方にできなくなりますので、要注意!)。国連が動くことは期待できませんので、もし、軍備を整え、正規の軍事行動に備えるためには、他国との間に政治、あるいは、軍事同盟を結ぶしかないのではないか、と思うのです。

 同盟が成立すれば、少なくとも、中国政府は、チベットに対してジェノサイドを行った場合、軍事介入を受ける可能性が生じますので、中国政府に対する強力な抑止力にもなるはずです。つまり、チベット亡命政府は、硬軟両面を使い分け、中国政府との対話を継続する一方で、同盟を模索するべきではないか、と思うのです。極めて過激な意見なようですが、どこかで攻撃力(チベットにとっては防衛力)や抑止力を準備しておきませんと、チベットの人々は、力のみを信じる国によって、地球上から抹殺されそうなのです。

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どこか怪しい日中ガス田共同開発

2008年05月08日 13時51分50秒 | 国際政治
日中首脳会談 「進展」見えぬ中身 官房長官「完全な合意まだ」(産経新聞) - goo ニュース

 昨日の共同記者会見において、日中首脳が、高らかに東シナ海の共同開発問題について、「大きな進展があり、解決のめどが立った」と宣言しても、なぜにか、不安感を与えるのは、それが、何かを隠しているニュアンスとして受け取られたからでありましょう。何かが、言いようもなく怪しいのです。

 はたして、この違和感は、どこから来るのでしょうか。それには、いくつかの理由がありそうです。
 第一に、実際に、どの程度の天然ガスが、どの海域に埋蔵されているのか、国民が知らないことです(70年代に、尖閣諸島周辺に油田あることが国連の調査結果として公表されましたが、この件についても詳細な報告がありません)。東シナ海において、わが国が試掘を行おうとすると、中国側が艦船派遣の脅しをかけるのですから、ガス田に関する正確な情報やデータがあるのかさえ、怪しいところです。

 第二に、草案によりますと、双方の海域で一つづつ共同開発を行い、出資比率に比例して利益を分けるそうでが、この出資比率も知らされていません。しかも、この出資比率は、両国間で任意に動かせそうですので、政治的力学が働けば、日本国が、正当な権利として利益を得ることができるかも、怪しいところです。

 第三に、現在、稼働している中国側のガス採掘が、今後、どうなるかわからないことも、怪しさの一つです。たとえ共同ガス田を設けたとしても、中国側の他のガス田がそのままであれば、問題解決とは言えないはずです。

 怪しさの上に怪しさが重なり、どうやら、この問題は、暗雲立ちこめ、視界不良と言うしかなさそうです。結局のところ、中国は、既存の自国ガス田+共同ガス田を保有し、日本側は、共同ガス田でしか採掘できない、という不平等で不公平な状況に陥る可能性さえあります。問題点をひとつひとつクリアーにしてゆきませんと、解決どころか、国家的な大損失となるのではないか、と思うのです。

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日中関係―自由なき相互理解は論理破綻

2008年05月07日 13時49分20秒 | アジア
共同文書、戦略的互恵関係の推進うたう 日中首脳会談(朝日新聞) - goo ニュース

 本日正午過ぎに開かれた日中首脳による共同記者会見において、福田首相は、日中間の政治家ならびに国民相互の信頼醸成と相互理解の必要性を力説していたようです。しかしながら、そもそも、中国が、思想の独占を意味する共産主義体制にあるというのに、どうして”相互性”が成り立つというのでしょうか。

 日本国の側から見ますと、中国が信奉する共産主義思想は、数ある思想の中の一つに過ぎません。現に、全国どこの書店でも、マルクス主義の書物が販売されており、日本国民は、この思想に自由に接することができます。思想や言論の自由は、日本国内では、当たり前のことなのですが、その逆はあり得ません。中国においては、国民が、自由に、自由主義や民主主義に関する書物を手にし、読むことはできないのです。もし、こうした書物を所持していれば、公安当局から反体制分子と認定され、国家に対する”犯罪者”として刑に処せられることになりましょう。

 相互理解という場合、双方が、等しくお互いの思想や体制を知る自由や権利が保障されていなければ意味がありません。この条件の相互性なくして、相互理解などあり得ないのです。福田首相は、青少年の交流の拡大を掲げていますが、はたして、中国政府は、日本国の青少年が、中国国内にあってかの国の青少年に、自由と民主主義を語る自由を許すのでしょうか。日本国に滞在している中国人留学生が、長野の聖火リレーに際して動員されたことを考えますと、この相互理解論は、論理破綻しているように思うのです。

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反日カードを失った今がチャンスの対中日本外交

2008年05月06日 15時55分11秒 | 日本政治
胡主席が6日に来日 中国元首10年ぶり(共同通信) - goo ニュース

 江沢民時代以来、中国の徹底的な反日教育の柱には、第二次世界大戦における日本国の戦争犯罪と戦争責任を、永遠に使える反日ガードとして温存することがありました。これは、内外に向って展開された南京大虐殺の大プロパガンダや首相の靖国神社参拝に反対する反日運動に如実に表れており、事あるごとに、真偽の検証や国際法上の合法性の議論を脇に置いて、このカードを切り続けてきたのです。

 しかしながら、チベット侵略とその後の過酷な弾圧が明らかになるにつれ、中国政府は、もはや、このオールマイティーであった反日カードを切れなくなってきたようです。それは、自らが寄って立つ道徳的根拠を、自らもまた破っていたことが、周知の事実となったからです。このブーメラン現象のために、たとえ胡主席が来日しても、中国政府は、日本国に対して威圧的な要求を行うことができなくなったのです。しかも、日本国への非難の根拠としている行為は、有事の際の過去の出来事ですが、中国の弾圧行為は、平時であって、しかも現在進行中なのです。

 今となっては、中国政府は、日本国に対して高飛車な態度では臨めないはずなのですが、何故にか、福田政権は、弱腰の外交姿勢のままです。今回の訪日ほど、日本国政府が、毒入り餃子事件、東シナ海のガス田問題、そうして、チベット問題について、中国の不当性を説くチャンスはありません。日本国政府は、この機会を、最大限に生かしていただきたいと思うのです。

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侍が武士道に至った理由

2008年05月05日 18時30分59秒 | 社会
デキルヤツノ条件 9:サムライとだけは言われたくない (日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

 本記事は、一刀両断に”侍”を切り捨てているのですが、この切り方が、お侍さんよりも余程情け容赦がないように思えましたので、ここでは、お侍さんの擁護をしてみようと思います。

 第一に、お侍さんは、もとより自ら望んで人の命を奪うことに躍起になっていたわけではありませんでした。古今東西を問わず、現代国家のような軍隊や警察組織がない場合には、人々は、自衛せざるを得ません。日本国の武士の台頭も、平安後期に至り、朝廷の治安維持機能が低下し、窃盗や暴力集団が横行し、領地さえ守れなくなったためと説明されています。戦国期には乱世となって、天下争いに発展しましたが、これとて、民主的制度によって選挙による政権交代がない時代にあっては、戦いをもってしか他に手段がなかったのです。

 第二に、現在の政界や官界に見られる世襲制や役得などを批判するために、侍を持ち出すことにも無理があると思うのです。江戸時代のお侍さんのほとんどは、貧乏状態で、町人や農民の方がはるかに生活には困らなかったはずです。”武士は食わねど高楊枝”ということわざも、日々の暮らしに困っていても、卑屈になってはならない、という精神性の表れとも取れます。むしろ、現代の政官界の人々にも、この清貧さは見習っていただきたいと思うぐらいです。

 第三に、お侍さんは、人の命を殺めることに対する罪の意識を抱いていたことです。もし、人殺しが平気ならば、武士道と言うものは生まれてこなかったことでしょう。戦いとなった以上は、相手の命をとらなければならない、あるいは、戦いに自らの命を落とすかもしれない、それが宿命ならば、死というものを、できる限り尊厳あるものにしようとする意識が、武士道には働いているのです。もちろん、これを死の美化として退けることは容易ですが、彼等は、野蛮であるはずの命のやり取りを、極限の精神美学にまで高めることによって、死を受け入れる覚悟と作法を編み出していったのです。そこには、誰もが恐れる死と真正面から取り組もうとする壮絶な気迫さえが伺えます。

 如何なる仕事にも、それに相応しい道があるものです。日本人は、何事をも”道”にしてしまう、と評されますが、商人にも石門心学があるように、お侍さんとて、自らの仕事に武士道という道を見出したのです。むしろ、現在という時代において、”政治道”や”官僚道”がないことを、いたく寂しく思うのです。

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明日の都内警備は長野より悪い

2008年05月05日 15時03分51秒 | 日本政治
まるで赤い嵐…聖火リレーに憤る長野市民 綿密に組織化?威圧感(産経新聞) - goo ニュース

 大変残念なことに、先月26日に行われた長野の聖火リレーでは、日本国の警察が、自国民を守らなかったということは、事実であったようです。これは、いわば、公務員としての職務怠慢であり、こちらの方が、よほど警察法に反する行為と思われるのですが、明日の胡主席訪日の都内の警備は、これに輪をかけて違法性が高いと思われるのです。

 その理由は、都内の警備に当たっては、警察幹部の方が、”窓越しや徒歩移動中に、見聞きしたことで主席に不安や不快感を抱かせること自体、外交問題化する可能性がある”として、沿道などにおける日本国民の抗議活動を封じる構えであるからです(本日付産経新聞朝刊)。自由な言論の弾圧を明言している点において、長野よりも踏み込んでさえいます。

 はたして、警察が、国民の自由な意思表示を封殺する法的な根拠はあるのでしょうか。警察法第2条は、以下のように綴られています。

1.警察は、個人の生命、身体及び財産の保護を任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取り締まりその他の公共の安全と秩序の維持に当たることをもってその責務とする。

2.警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるものであって、その責務の遂行に当たっては、不偏不党且公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法に保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を乱用することがあってはならない。

 中国への抗議活動は犯罪ではありませんので、もし、警察が、国民の自由な意見表明に干渉するとしますと、これは、第二項で述べている権力濫用となりましょう。今回は、長野とは違って”聖火への妨害”が行われるわけではありませんので、胡主席の個人的な感情を害するだけでは、取り締まりの理由とはならないはずです。諸外国では、他国の首脳の訪問に際しては、ごく普通のこととして、反対運動などが起きるものです。

 今回の一連の事件をきっかけとして、日本国民の多くは、日本国政府が、中国を後ろ盾として、全体主義への道を歩み始めていることに気付き始めています。日本国民が、自らの意思で自由と民主主義を守りませんと、なし崩しに崩壊してしまうのではないでしょうか。

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人の心まで支配しようとする中国

2008年05月04日 13時38分19秒 | 国際政治
無差別発砲に友人倒れた 騒乱ラサ、自由求め脱出(朝日新聞) - goo ニュース

 かつて、毛沢東は、北京に招待したダライ・ラマ14世に対して、こう語った伝えられています。「・・・宗教は毒だ。宗教は二つの欠点を持っている。第一に宗教は民族を衰えさせる。第二、国家の進歩を妨げる」と。

 はたして、この共産主義の宗教に関する見解は正しいのでしょうか。少なくとも歴史は、毛沢東の言葉が事実ではないことを証明しています。宗教を弾圧し、抹殺した民族が発展を遂げるわけではありませんし、国家を退行させたわけでもないからです。むしろ、「・・・共産主義は毒だ。共産主義は二つの欠点を持っている。第一に共産主義は民族を衰えさせる。第二に、国家の進歩を妨げる」と言った方が、皮肉なことに、よほど、現実と一致しているのです。

 宗教であれ、イデオロギーであれ、人の心までをも縛り、支配しようとした国は、国民の思考停止状態を招き、伸びやかには発展できないものです。むしろ、宗教に寛容であり、人々の心の自由を守る国こそが、真に強く、また、可能性を秘めた国なのではないでしょうか。チベットの人々に自由がもたらされ、国家による心の支配という牢獄から解放される日が、一日も早く訪れることを、心から願っています。

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中国の招待状作戦にNOを

2008年05月03日 16時30分53秒 | 国際政治
石原都知事、北京五輪開会式に出席の意向…台湾も訪問(読売新聞) - goo ニュース

 中国の歴代王朝の政治史を眺めて見ますと、権謀術数の限りを尽くして、自己に有利な方向に事態を誘導することは、為政者の習いのようです。世界各地で中国政府に対する抗議の声が強まる中、中国は、日本国に対しては、招待状作戦という巧妙な戦法を見つけ出したようなのです。招待状作戦の狙いは、以下のように憶測することができます。

 第一の狙いは、西欧諸国と日本国との分断です。欧州各国の首脳が北京オリンピックの開会式参加に難色を示す中、中国政府は、日本国に対しては、福田首相、阿倍前首相、森元首相に加えて、石原都知事にまで招待状を送りました。この招待状の数は、おそらく、他の諸国に抜きんでていることでしょう。敢えて、日本国優遇を示すことによって、自陣営への取り込みを図ろうとしているとも見えます。

 第二の狙いとは、日本国内の分裂です。歴代の首相に名を連ねる阿倍氏と森氏に招待状を送りながら、同様の立場にある小泉氏には招待状は届かなかったようです。これは、中国政府が、反中派を意図的に外すことの意思表示と見られ、日本国内の新中派政治家に対して優遇策を打ち出したことになります。

 第三に、個人宛てに招待状を送ることにより、日本国の世論を切り離し、かつ、招待者に対して個別に踏み絵を踏ませているとも言えます。

 いわば、一種の陽動作戦であり、国際社会、ならびに、日本国が、一致団結してチベット弾圧を行った中国に対して非難することを阻止しようとしていると推測できるのです。これは、中国による北京オリンピックの政治利用に他なりません。

 招待状を受け取った政治家の方々は、この策略に気付き、招待の辞退を考えるべきと思うのです。もし、快諾するとなりますと、人権弾圧に反対する諸国と良心ある人々の失望という大きな代償を払うことになるのですから。

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