万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

侍が武士道に至った理由

2008年05月05日 18時30分59秒 | 社会
デキルヤツノ条件 9:サムライとだけは言われたくない (日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

 本記事は、一刀両断に”侍”を切り捨てているのですが、この切り方が、お侍さんよりも余程情け容赦がないように思えましたので、ここでは、お侍さんの擁護をしてみようと思います。

 第一に、お侍さんは、もとより自ら望んで人の命を奪うことに躍起になっていたわけではありませんでした。古今東西を問わず、現代国家のような軍隊や警察組織がない場合には、人々は、自衛せざるを得ません。日本国の武士の台頭も、平安後期に至り、朝廷の治安維持機能が低下し、窃盗や暴力集団が横行し、領地さえ守れなくなったためと説明されています。戦国期には乱世となって、天下争いに発展しましたが、これとて、民主的制度によって選挙による政権交代がない時代にあっては、戦いをもってしか他に手段がなかったのです。

 第二に、現在の政界や官界に見られる世襲制や役得などを批判するために、侍を持ち出すことにも無理があると思うのです。江戸時代のお侍さんのほとんどは、貧乏状態で、町人や農民の方がはるかに生活には困らなかったはずです。”武士は食わねど高楊枝”ということわざも、日々の暮らしに困っていても、卑屈になってはならない、という精神性の表れとも取れます。むしろ、現代の政官界の人々にも、この清貧さは見習っていただきたいと思うぐらいです。

 第三に、お侍さんは、人の命を殺めることに対する罪の意識を抱いていたことです。もし、人殺しが平気ならば、武士道と言うものは生まれてこなかったことでしょう。戦いとなった以上は、相手の命をとらなければならない、あるいは、戦いに自らの命を落とすかもしれない、それが宿命ならば、死というものを、できる限り尊厳あるものにしようとする意識が、武士道には働いているのです。もちろん、これを死の美化として退けることは容易ですが、彼等は、野蛮であるはずの命のやり取りを、極限の精神美学にまで高めることによって、死を受け入れる覚悟と作法を編み出していったのです。そこには、誰もが恐れる死と真正面から取り組もうとする壮絶な気迫さえが伺えます。

 如何なる仕事にも、それに相応しい道があるものです。日本人は、何事をも”道”にしてしまう、と評されますが、商人にも石門心学があるように、お侍さんとて、自らの仕事に武士道という道を見出したのです。むしろ、現在という時代において、”政治道”や”官僚道”がないことを、いたく寂しく思うのです。

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明日の都内警備は長野より悪い

2008年05月05日 15時03分51秒 | 日本政治
まるで赤い嵐…聖火リレーに憤る長野市民 綿密に組織化?威圧感(産経新聞) - goo ニュース

 大変残念なことに、先月26日に行われた長野の聖火リレーでは、日本国の警察が、自国民を守らなかったということは、事実であったようです。これは、いわば、公務員としての職務怠慢であり、こちらの方が、よほど警察法に反する行為と思われるのですが、明日の胡主席訪日の都内の警備は、これに輪をかけて違法性が高いと思われるのです。

 その理由は、都内の警備に当たっては、警察幹部の方が、”窓越しや徒歩移動中に、見聞きしたことで主席に不安や不快感を抱かせること自体、外交問題化する可能性がある”として、沿道などにおける日本国民の抗議活動を封じる構えであるからです(本日付産経新聞朝刊)。自由な言論の弾圧を明言している点において、長野よりも踏み込んでさえいます。

 はたして、警察が、国民の自由な意思表示を封殺する法的な根拠はあるのでしょうか。警察法第2条は、以下のように綴られています。

1.警察は、個人の生命、身体及び財産の保護を任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取り締まりその他の公共の安全と秩序の維持に当たることをもってその責務とする。

2.警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるものであって、その責務の遂行に当たっては、不偏不党且公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法に保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を乱用することがあってはならない。

 中国への抗議活動は犯罪ではありませんので、もし、警察が、国民の自由な意見表明に干渉するとしますと、これは、第二項で述べている権力濫用となりましょう。今回は、長野とは違って”聖火への妨害”が行われるわけではありませんので、胡主席の個人的な感情を害するだけでは、取り締まりの理由とはならないはずです。諸外国では、他国の首脳の訪問に際しては、ごく普通のこととして、反対運動などが起きるものです。

 今回の一連の事件をきっかけとして、日本国民の多くは、日本国政府が、中国を後ろ盾として、全体主義への道を歩み始めていることに気付き始めています。日本国民が、自らの意思で自由と民主主義を守りませんと、なし崩しに崩壊してしまうのではないでしょうか。

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コメント (4)
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