万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

君主制が危機に直面する時

2008年05月29日 17時33分21秒 | 国際政治
ネパール制憲議会で王制廃止決定、240年の歴史に幕(読売新聞) - goo ニュース

 人類史を振り返りますと、アテネ等の古代ギリシャの事例を除けば、君主制が、最も一般的な形態であったようです。おそらくそれは、君主が、国民を纏め、率いていくに最も適した存在であったからでありましょう。しかしながら、18世紀至り、アメリカの建国やフランス革命により共和制が打ち立てられるようになると、多くの国々で、君主制が姿を消していったのです。それでは、どのような場合に、君主制は廃止されてしまうのでしょうか。これには、幾つかの原因がありそうです。

 第一に、君主が、国民からの信頼を失うことにより、統合力を喪失した場合です。例えば、フランス革命におけるルイ16世夫妻は、その治世にあって国民と苦しみを分かとうとせず、しかも、革命に際して国外逃亡を企てたことから、国民から決定的に見放されることになりました(最初の案は、立憲君主制でした)。

 第二に、君主が、神聖性によって支えられている場合には、その神秘性を失うことによって、君主制が大きく揺らぐことがあります。フランス革命の遠因には、啓蒙思想に感化されたルイ15世が、国王に備わる神聖な力とされてきた病気を治す能力を、自ら否定したことがあります。

 第三に、君主自身が、国内の政治的な対立に巻き込まれることにより、反対派によって王位を廃されてしまうこともあります。このパターンとしては、イギリスの清教徒革命を挙げることができます。君主が、自ら政治的な実権を掌握し、恣意的に権力を行使しますと、内乱や分裂を招き、自らの地位さえも危うくするのです。

 第四に、第三と同様に、政治的な立場が原因となるのは、君主が戦争における敗戦の責任を問われた場合です。このケースは、第一次世界大戦で敗北したドイツやオーストリアの皇帝に当てはまります。

 もう一つ、政治的な理由を述べれば、第五に、君主が、国民を裏切り、敵国と結ぶ場合にも、君主制は重大な危機に陥ります。フランス革命に際しては、王妃のマリーアントワネットが、実家のオーストリアに助けを求めたことも、革命が過激化した原因となりました。

 第六に、国民の多数、あるいは、先鋭的な一団が革命思想に染まり、それを現実の行動に移した場合です。この場合には、たとえ、君主が善良であり、何らの落ち度がなくても、君主制は廃止されてしまいます。

 第七に、民主主義思想が、そのまま君主制の廃止に繋がるケースを挙げることができます。これも思想に起因しますが、植民地の独立や新国家が建設される場合には、アフガニスタンのように、王政復古ではなく、共和制が選択される場合があるのです。

 君主制には、世襲制に伴う問題点もありますので、上記の理由のみではないかもしれません。しかしながら、ネパールの王制廃止を見てみますと、少なくとも、1、3、6の条件は、揃ってしまったようなのです。現代では、君主といえども国民多数の支持がなくては存立が難しく、ネパール王制の顛末は、君主制の難しさを示すと共に、逆の視点から見ますと、現代国家における君主制の存立条件をも示しているように思うのです。

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コメント (4)
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