自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

胸キュン その3 Fields of St. Etienne

2013-01-10 17:35:39 | 唄と踊り


私にとってMary Hopkinといえば、超有名なThose were the daysよりも

   Fields of St. Etienne です。

絵画的な草原で美しいカップルが平和を享受していたのに、
突然の戦争で、青年は勇んで戦地に行進していく。
Waving proudly, singing loudly
Being young and foolish  <若くて、無知だから>
He was going never knowing
He would not return <復路のない行進だということも知らないで>

あまりにもリアルなこの描写に胸が痛むのは最近の方が多いです。

ISASでのMusical,コマリア版West side Storyでは第6作Darknessの中で
「残されたマリアの哀しみの歌」として私が歌いました。
Mary Hopkin版ではコーラス部分を彼女の夫がハモっています。
さすがプロ!Paul MaCartneyプロデュースの名盤なので、Youtubeでどうぞ。

Through the fields of St Etienne
Amidst the corn I wander
In my hand an ear of corn
The morning dew has kissed

Here beneath these skies
I lay with my lover
While the summer winds gathered clouds of war

Au revoir my love
Though the reasons pass me
Why we can't remain in the fields of St. Etienne


Waving proudly, singing loudly
Being young and foolish

He was going never knowing
He would not return
Singing songs of war
Filled with God and country
Marching down the road with the boys that day

Au revoir my love
Though the reasons pass me
Why we can't remain in the fields of St. Etienne

<Au revoirとはフランス語で、「さようなら」の意味です>
コメント (3)
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胸キュン その2

2013-01-08 09:40:12 | 唄と踊り





Mary Hopkinの歌、2番では若者は生活に追われるようになり、
夢に満ちた青春から輝きが失われていきます。
私の子育て時代も苦悩に満ちた大変な時代でした。

何しろ、週休二日どころか、産前産後の休暇が各6週間の時代です。
職場の組合が保育園を作ってくれたから仕事を続けられましたが、
汚れた衣類や布おむつを持ち帰り、その日のうちに洗濯し、
翌日保育園に預ける衣類を用意するだけで、疲労困憊の毎日でした。

Then the busy years went rushing by us
We lost our starry notions on the way
If by chance I'd see you in the tavern
We'd smile at one another and we'd say
   
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way.
  La la la la...

3番では変わり果てた<昔若者>の歌い手が、自分の姿に愕然とします。

Just tonight I stood before the tavern
Nothing seemed the way it used to be
In the glass I saw a strange reflection
Was that lonely woman really me
   
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way.
  La la la la...
(Those were the days, oh yes those were the days)

けれど4番になって、サロンのドアが開き、昔懐かしい声が彼女を温かく迎えます。
   
Through the door there came familiar laughter
I saw your face and heard you call my name
Oh my friend we're older but no wiser
For in our hearts the dreams are still the same

いつの時代も、若者たちは夢を追い、挫折を経験し、傷つきながら、
癒しあう友や伴侶を得て、人生を紡ぎ続けるのが仕事のようです。

今、年齢は若くても、上記のような「若者としての仕事」を放棄し、
保身または病身をかこって老境に逃げ込んでいる人が増えている感じがします。

  若者よ、夢を見続けよう! ……って月並みな言葉かもしれませんが、

私は私自信へのエールとして叫び続けるつもりです。





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胸キュン その1

2013-01-07 05:34:01 | 生き方







最近、早朝散歩の折に口をついて出てくるフレーズがあります。

Once upon a time there was a tavern
Where we used to raise a glass or two
Remember how we laughed away the hours
And dreamed of all the great things we would do

言葉は覚えていなくても、後半のメロディーを聴けば誰でもすぐに思い当たる、
一世を風靡した歌です。(1968年 歌い手はMary Hopkin、youtubeで聴けます。)
   
Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way.
  La la la la...

高度経済成長の真っ只中、努力すれば何でもできるような、明るさに満ちた
良き時代(Those were the days!)……だったと思います。
Folk少女だった私は、ギターを抱え、何時間も同じ曲を歌っていました。

その頃から45年が過ぎ、
私は夜明け前の暗がりを歩きながら、最初の一行のtavernを salonに置き換えています。
今、人生の終盤にさしかかり、グラスを手に語り合う場所は友人宅の英語サロンです。

これからやろうとするGreat thingsは多くはないし、時間は限られてきました。
それでも私たちは若かりし頃のように、くったくなく話し、笑っていると思います。
しかも、楽しいだけの笑いではなく、英字新聞の社説や記事を読んで訳しながら、
世界の動きを知り、感想を言い合い、より良き未来へ繋げようと、もがきながらです。

あと20年もしたら、84才になった私は64才の2012~2013年を思い出して
Those were the days!と歌っているのかしら?と思うと、胸がキュンと疼きます。



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癌かも?というとき、どうすれば良いのか

2013-01-06 05:43:55 | 健康法


近藤医師も東大の先生たちも、著書や発言を見ていると、
もちろん、検診は受けないし、抗がん剤も拒否されることは推察できます。

近藤医師は Watch and Wait という言葉を使われ、
困った症状が出るまでは、何もしないそうです。

私自身は……、もちろん積極的な予防を行い、病気を寄せ付けない努力を続けます。
それが「遺伝子を傷つけない・突然変異を招かない食・心・体の使い方」
つまり、自力整体・整心・整食法なのです。

さらに、もう一つの拠りどころとして「自然療法」の教えがあります。
「何かの病気に見舞われる」ということは、そのような暮らし方・考え方の結果の表れ
なのだから、「病気治し」ではなく、「生活や根性の立て直し」をすることが先決だ、
という東城百合子先生の教えです。

私は未病なので手当て法(枇杷葉温灸や生姜湿布)はあまりしていませんが、
癌を克服した料理教室の先輩たちは、穀物菜食を徹底し、一口300回噛むようにし、
食の手抜きをせず、全て手作りの本物の食品を少量いただくこと、
先祖に感謝し、お天道様に沿った生き方を実践することなどを徹底しています。

人は誰も、自分が信じていることに拘って、戦い、疲れ、いつしか違う方向に
からみとられていくようです。私だって平素、生意気なことを懸命に書いていますが、
どんな最期になるかは分かりません。ただ、自分が後悔しないようにしたいだけです。









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「抗がん剤は効かない」  近藤 誠医師の理論 その5

2013-01-05 14:27:31 | 推薦図書
数回に亘って私の心に強く残った部分を長々と引用してきましたが、
ものすごく判りやすいHPを見つけました。
日本の非常事態が良く理解できますので、是非ご覧ください。

近藤がん理論」はどこまで正しいか?
がん治療第一線の東大外科医師グループの三氏と、
手術・抗がん剤・検診・患者へのメッセージを徹底討論する
「ガン専門医よ真実を語れ」 文藝春秋 より

http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/gan050.htm

下記は癌の二つの種類(本物か、もどきか)の説明ですが、なんと可愛い表現でしょう!

  川端 小さながんは、大きくなれないがん、大きいがんはスピードの速いがんを表して
    いるかもしれないということですよね。たとえば、シェトランドシープドックという
    コリーに似た犬がいますが、その犬が大きくなってもコリーにはならないのと同じ理論です。
    なかにはコリーの子犬も混じっていて、放っておくとコリーになるのもいるんですが、
    基本的に小さいがんは大きながんの子どもというわけでは必ずしもないのです。


下記は、可愛いなんて言っていられない、由々しき現実です。

  馬場 日本の医者の思考法レベルはかなり後進性が著しいんじゃないかと思いますが。

  近藤 非常に遅れていますよね。

  川端 世界の標準に照らし合わせることなく、日本独自の思い込みで治療をしてしまいます。

  馬場 この状況は、太平洋戦争のようなものだと思うんですよ。国民は、アメリカやヨーロッパ、
     そして世界の国がどんなに強いかを知らされないで、日本独自の大和魂で戦争に勝てると思い、
     結局、玉砕してしまった。

  近藤 確かに似ていますね。だけど玉砕するのは国民で……
     ああ、その状況も、患者が玉砕するのに似ているなあ
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「抗がん剤は効かない」  近藤 誠・著 その4

2013-01-04 05:56:38 | 推薦図書
P.80
「効く」とは何か

 抗がん剤について人々が誤解し混乱するのは、何をもって「抗がん剤が効く」というのか、
 発言者により聞く者により、言葉の意味が違うことが最大の原因でしょう。

  たとえばある医者は、がんが縮小することがあるから「効く」と言ったのに、
 聞いた患者・家族は、がんが治ると受け取ってしまう。あるいは、治らないまでも
 延命は可能と思い込む。こうした誤解が、患者・家族の行動に影響を与えるのは必定です。

 さらに問題なのは、抗がん剤治療に従事する医者たちが、患者・家族や社会を
 誤解させようとするかのように発言することです。

(中略)P.81
 腫瘤縮小を有効の指標とすると、いろいろ問題が生じます。
 問題点の第一は、抗がん剤は「殺細胞毒」なので、毒性による「縮命効果」や、
 「QPL:生活の質」の低下が見られることです。

 そのため、腫瘤が小さくなって「有効」と判断されても、QOLが低下し、毒性のために
 命を落とすことがしばしばです。また、すぐ死ななくても、寿命を縮めている可能性が高い。

P.84
 現実には、いかに臨床試験を繰り返しても、延命効果を示せない。それゆえの
 苦し紛れの説得方法が、腫瘤縮小ケースの提示なのです。これは
 「部分を強調して、全体をごまかす」手法といえるでしょう。

*****************************************

P.88
 腫瘤縮小には問題が多いので、抗がん剤ワールドには、③症状の緩和効果を
 指標としようとする動きがあります。
  (中略)
 近時、抗がん剤治療をすると調子がよい、という患者さんの声をしばしば聞くように
 なりました。が、そのほとんどは、抗がん剤ではなく、同時に投与される別の薬が
 作用してのことで、薬というのは「ステロイド」(副腎皮質ホルモン)です。

 (ステロイドの同時処方により、「食欲が出て太っちゃった」という声の引用後)
 ……これは能天気すぎる。ステロイドを侮ってはいけない。弱いステロイドとはいえ、
 気分が高揚して太るほど使ったら、どうなるか。(後略)

 結局ステロイドも、抗がん剤と同じく、かならず副作用や毒性がある。仮に健康人に
 使った場合、ステロイドが寿命を延ばすことは考えられず、縮命効果しかない。
 従って、縮命効果がある抗がん剤と当然のように併用されている現状は極めて危険です。

*****************************************

以下、近藤医師の主張が、わかりやすい部分を抜粋します。(患者代表・立花隆氏との対談)
P.70
 たしかに検査でがんが見つかって、それを手術して、それで長生きしているという人は
 たくさんいます。ただ問題は、データを解析すると、検査で見つけないで、手術も
 しないでいても、やっぱりそういう人たちは長生きしただろう、という推定ができる
 のです。つまり、発見と手術というのは寿命の上では影響をもたらさなかったということが、
 データ的には妥当な考え方なんです。
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「抗がん剤は効かない」  近藤 誠・著 その3

2013-01-03 06:06:55 | 推薦図書
癌は大別して2つに分けられるそうです。

1.本物:身体のどこかに臓器転移がある場合。

2.がんもどき:どこにも臓器転移がない場合。

ということは、
P.221
  ある特定の患者の癌が「本物」であるか、「もどき」であるかは、
 手術をしても判明しないのですが、どちらか一方ではあるわけです。

 そうすると、かりに本物であれば、潜んでいる病巣が微小であっても数千、数万の
 がん細胞が含まれているので、抗がん剤を投与してもなおらない


 他方、その癌が「もどき」であれば、原発病巣は(手術や放射線で)治療しているので、
 抗がん剤は(叩く対象である転移が存在せず)無意味です。というよりも、がん細胞が
 存在しない人は健康人と同じなので、抗がん剤は(毒性で)命を縮める効果しかない。

P.222
 このように、何人の癌も「本物」と「もどき」のいずれかであることを知れば、
 治療法判断は(従来よりも)ずっと容易になるはずです。

 ところで「がんもどき理論」の中核は、「もどき」は(原発病巣をも)

 治療しないで放っておいても臓器移転が生じない


 とするところにあります。これは、がんは放っておいたら転移するという社会通念に
 真っ向から反するので、反発される方(特に医者)が多いようです。

(中略)

P.230
 なぜ早期発見理論は破綻しているのか。一番の理由は、現代医学の水準では、
 「本物」と「もどき」という性質の異なるものが、同じ「癌」の範疇に含まれてしまうから。

 というのもこの理論の前提として、①すべての癌は、増大すると転移するという性質を
 有している、②早期がんも進行がんも、原発病巣の大きさが異なるだけで、本質は
 同一である、と考えます。したがって、③転移が生じていないはずの、原発病巣が
 小さいうちに発見するとよい、となるわけです。

 とすれば、②の癌の本質や性質が共通という命題が否定されれば、理論全体が覆ります。
(中略)
P.233
 原発病巣と転移が同時に発見されるのは、仮に原発病巣を早期に発見しても転移を
 防げなかった証拠なのですが、一般の方々は、早期発見理論の根拠と勘違いしてしまう。
 そして、その勘違いを正すことなく、
 検診業の繁栄を維持しようとする医者たちがいることが問題です。


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百人一首

2013-01-02 20:51:53 | 健康いろはカルタ




昨日は楽しい新年会でした。長男の嫁の実家で本格的なおせち料理をいただき、
豪徳寺に初詣散歩。そして恒例のカルタ遊び(百人一首)です。
こんなお正月が長男が結婚した翌年から続いています。

始めのうち、私はこの百人一首が苦痛でした。
もともと暗記する・考える・勉強するのが苦手で、
考える前に走り、動き、<暫くたってから反省または感動するを旨とする>私ですから。

上の句を聞いても、下の句が分るはずもなく、手も足も出ない……
ところが良くしたもので、何年か経てみると、少しはコツが分ってきました。
相変わらず歌は覚えていないのですが、自分の前にある札だけは見当がついて、
数枚は取れるようになったのです。夫も似たようなものです。

すると、孫には負けても、夫には勝ちたいとか、変な対抗意識がわいたり、
古の詠み人の気持ちに同調したり、怪しからん!と思ったりする余裕も出てきました。

孫たちの運動神経の発達が分かるのも嬉しい瞬間です。
私が自信を持って当たり札に手を置いた、その下に小さな手がしっかり入り込んでいて
完璧に勝負がついているのが分かるのが、このゲームの良さでしょうか。

幼児でも楽しめる「坊主めくり」から始まって、伝統の歌に触れ、意味を知り、
古人の気分を楽しめる、こんな遊びが日本から消えないで欲しいと思います。


















でも、初めてこの純和風の遊びに触れたとき、
「なんと辛い時間であることよ」と感じたものです。

だって
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年賀状

2013-01-01 09:03:33 | 生き方
年の初めに大志を抱き、公言することは、
「今年の自分に責任を課す」という意味があると思います。
皆さんは何に挑戦しますか? 



でも、言いっ放しでは効果は半減。
昨年の目標と成果を「見比べて、検証する」ことは、
健康法の<実践・継続・検証>と同じことです。

皆様、<検証>をお忘れなく!
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