自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

母からの贈り物 ⑦ 友の会--4

2012-04-30 05:53:02 | 生き方
どの家事にどれだけの時間がかかるか?を把握することは
夫婦間の家事分担の話し合いで威力を発揮します。

我が家はフルタイムの共働きでしたし、
三人の息子を保育園に預けて、保護者会や行事、
バザーや学童保育の活動など、大変な毎日でした。

夫は一般的日本人男性よりは家事能力があり、
結構「やっている」かに見えました。
が、総家事時間を積算すると、私の半分にもなりません。

本人は「一般人の数倍やっている」という自負。
私からは「ダメな一般人と比べて何になるの??
妻と比べて、少なすぎるのは問題じゃないの??」と責めまくったから
いっときは「イバラの絨毯に北風が吹きすさぶ」という家庭でした。


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母からの贈り物 ⑦ 友の会--3

2012-04-29 06:00:54 | 生き方
友の会の基本的な教えの一つは、
計画性を持つ<時間を無駄にしない>・・・・だと思います。

掃除、料理、裁縫など、家庭を維持管理する上で
最低必要な時間を割り出し、計画的に済ませることで
浮いた時間を自分の勉強や楽しみ、ボランティアにまわせます。

全ての家事に、名前があり、所要時間を計算しておけば、
時間に追われることなく、自分のペースで追いかけられます。
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母からの贈り物 ⑦ 友の会--2

2012-04-28 05:27:50 | 生き方
支出を費目別に記帳し、
月ごと、または年ごとの食費、住居費、被服費、教育費などを
しっかり把握するという「婦人之友式考え方」は
今の私にしっかり根付いています。

実際、結婚して20年くらいは、きっちりつけ通し、
夜遅くまで、1円の狂いもないよう、計算機と戦っていました。
そのうち、パソコンという便利物が登場し、
エクセルで表を作っておけば、
記帳するだけで、縦横の収支が自動的に計算される!という時代に。

母は記帳するだけで、長期計画を考えていた形跡はありません。
でも、「毎年家計簿を購入し、記帳する」という後姿は
娘の私にしっかりと焼きついたのでした。
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母からの贈り物 ⑦ 友の会--1

2012-04-26 10:31:51 | 生き方
朝のNHK・奥様番組に「スーパー主婦」として良く登場するのが
「友の会」のメンバーの方々です。

私の母は「友の会」メンバーではなかったのですが、
月刊誌「婦人之友」を定期購読し、主婦日記と婦人之友の家計簿は
毎年買っていました。
(理由は多分、父方の兄弟姉妹が全員、熱烈な会員だったからだと
 思います。)

その割には、片付けも料理も掃除も家計管理も
「全てダメな主婦」のように、私には見えていました。
この辺から、母が反面教師であった所以に入っていきます。



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母からの贈り物⑥ スケート

2012-04-25 04:51:45 | 生き方
母は女学校時代、ハルピンに疎開していたので、
体育の時間にフィギア・スケートをやったそうです。
今の選手がやるようなジャンプなどはしませんが、
片脚で8の字を書いて滑る基礎練習を教えてくれました。

私の小・中学校時代は兵庫県の芦屋に住んでいたので
隣町・神戸市・深谷のスケート場には良く連れていってくれました。
おかげで私も滑る喜びを知り、
重心の移動だけで、走るより早く移動できる楽しさにひたりました。

当時、何故か<スケート場は不良の溜まり場>といわれ、
一人でスケートに行くことは、学校で禁止されていました。
でも、私は母親同伴ですから、大威張り。
こんな機会を与えてくれたことに、今でも感謝しています。
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母からの贈り物 ⑤ 水泳

2012-04-24 05:20:04 | 生き方
母はどちらかというとスポーツ系は苦手で
球技はやったことがないから、ボールが飛んできても
手も足も出ません。

でも女学校時代は室内プールがあったので、水泳は得意でした。
桜上水に住んでいたとき、近くにゴミ焼却場のプールがあり、
父の介護の時代も含めて何十年も、週に1~2回は泳いでいました。

当然、娘の私にも泳ぐことを奨励したので、私も水泳は好きです。
小学校時代は、大阪湾に面した芦屋浜の水練学校に通い、
波打ち際で陸に向かって砂地に手をついて、蛙足を練習しました。

スイミングスクールなんて無い時代だし、
スピードを追求する泳ぎではありませんが、
泳ぐ楽しみ、歓びを教えてくれたのは、<母の水泳好き>でした。
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母からの贈り物 ④ ピアノ--2

2012-04-23 11:24:00 | 生き方
結局ピアノを習ったのは小学校2年~5年の3年間だけです。
先生は指使いの間違いばかり指摘して、
音楽の楽しさを教えてくれなかったような気がします。

ところが、先生につくのを止め、自分が好きな曲だけを
指使いも何も目茶目茶に弾き始めると、これが楽しくて
結構のめりこんでいきました。

でも、ハノンとか指使いの基礎を無視したままなので
早い曲は弾けません。ペダルを使い、メロウなメロディーを
和音の美しさだけで楽しむ中高時代でした。

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母からの贈り物 ③ ピアノ--1

2012-04-22 05:57:50 | 生き方
とまあ、偉そうに「反面教師」などという言葉を使いましたが、
感謝すべき贈り物もたくさん受け取ってきました。
その最大のもの(こと)は、

ピアノの基礎を習わせてくれたこと、です。

何故「基礎」か、というと、
私が我が儘で、バイエルとツェルニーが終ったところで
止めてしまったからです。

母は「女性の職業として一番手っ取り早いのは<教員>だ。
その資格をとる時、ピアノで苦労しないよう、バイエルだけは
習わせておこう。」と思っていたそうです。

ところが我が家にはピアノが無くて、オルガンで練習していたせいか、
私はバイエル教則本の味気ない練習が気にいらず、
サボってばかりの最悪生徒でした。
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母からの贈り物 ②

2012-04-21 05:52:30 | 生き方
戦前世代の母は、私からみて、歯がゆいほど
「悪い意味で、日本的」な女性です。
常に男性(夫)を立て、自分の意見は言わず(無くて?)、

<女性の役割は家事と子育て>と割り切っていた(多分)ようです。

じゃあ、結婚しなかったらどうなるの?
結婚しても、夫に先立たれたら??
障害者になってしまったら???
離婚したら????

物心ついた頃から私の胸の内は、母の生き方への
疑問符だらけでした。
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母からの贈り物 ①

2012-04-20 18:36:45 | 生き方
母が5月に米寿を迎えます。丁度二周り違うネズミ年で、
どちらも独楽鼠のように働き者か?と思うとまるっきり逆。
巷では、ウシ年の人はスローモーで、○○は△△で・・・・
などと言いますが、そんな大雑把な括りは嘘っぱちです。
同い年の人が全部同じ性格のはずがありません。

長い間、私は母を反面教師として、眺めながら、
人生設計を考えてきました。それはとっても上手くいったように
見えていましたが、夫に言わせれば、現在の私の行動や思考回路は

「お母さんにそっくり。全く同じことをしてるじゃないか!」とのこと。


丁度良い区切りなので、ここらで母の人生を眺め返し
私が受け継いだものを考えてみることにします。

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