自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

コロナ効果  2  多摩川台公園の歴史

2020-04-30 05:43:12 | 健康法


一人で歩いていると、興味の赴くまま、道草できます。
今朝は古い石碑や説明文に目がいき、読んでみました。



「海南亭」「下村宏」、、、
ふむ。昔、職場に似た名前の人がいたけど、まさかね・・・・と思いつつ眺めると、
「明治・大正・昭和の官僚、新聞経営者、政治家、歌人。号は海南。」
「多摩川台公園の生みの親」だそうです。

恥ずかしながら、近代史の有名人は殆ど知りません。
なので、新しい場所に行くと、色々発見があって楽しいです。

妄想を楽しむのは自由なので、つい考えてしまいます。
  レベルは全然違うけど、私も「歌人」の端くれだぜ! 違うか・・・・
  一般的に「歌人」は和歌とか短歌を書く人らしいけれど、
  ミュージカル曲の作詞だって「歌」なのでは?

最近、シュトラウスのオペレッタに詩をつけるのが楽しいと感じる、
無名の作詞家の私。号はKoMariaです。
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コロナ効果  新しい出逢い

2020-04-29 06:01:29 | 健康法


コロナ騒ぎに「効果」があるなんて言葉は顰蹙かもしれませんが、
「普段と違う生活」に、新発見があることは確かです。

ラジオ体操仲間の一人が「つい、三密になっちゃうので、自粛する」というので、
私も「確かになぁ~」と思って、別の公園で一人で体操することを決意。
場所は多摩川駅の向こう側。多摩川台公園です。
洗足池の3倍近くありそうな小高い河岸段丘で、我が家からの距離は全く同じ。

そこの鬱蒼とした木々の下に咲いていたのが上の写真の「金蘭」です。
初めて見た珍しい花。近くを通りかかった女性に聞いたら、
色々教えてくださり、「銀蘭もあるのよ。自生のエビネも!」

という感じで、あっという間に親密になり、植物談義。
楽しい、ワクワクする朝でした。
下の写真が銀蘭です。(金蘭よりずっと小振り)

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芋カボ豆

2020-04-28 08:40:40 | 健康料理


「芋カボ豆」という豆は有りません。
最近、マイブームになっている食材です。

昨年まで、サツマイモ、カボチャ、人参などは5~6ミリにスライスして、
多めのオリーブオイルで「蒸し炒め」にしていました。
フライパンを使い、片面4分の2倍+器具を洗う+レンジ周りを拭くと10分。

でも最近、夫が発見した電子レンジを使う方法だと、
スライスした野菜を濡らしたキッチンペーパーで包み、
ビニール袋に入れて4~5分チン!するだけ。

大した時間の差はないのですが、、、
が、「より、美味しく出来上がる!」のは魅力的。

退職してから行った料理教室では「レンチン料理」はご法度でした。
つい最近でも、「レンチンでは分子の配列に影響があるから良くない」
という記事があるくらいなので、私は結構アンチ・レンチンでした。
でも、「美味しさ」には勝てません。

で、最近の夕食後デザートには「芋カボ豆パフェ」が頻出しています。
豆は、9種類の乾燥豆を水で戻して、IH圧力鍋で1時間で蒸し、冷凍してあります。

この凍ったままの豆と、蒸した芋カボ、自家製ヨーグルトを少し混ぜ、
アーモンドや7割カカオ・チョコチップ、文旦の「ほろ苦マーマレード」など、
適宜トッピングして、パフェの出来上がり。

この程度のデザートで「お姫様になったような幸福感」を味わえる私って、、、
自分で言うのも口幅ったいですが、いじらしい・・・・
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夫の後始末 7 愛すべき性格

2020-04-27 08:22:10 | 図書メモ


p.234 三浦朱門という人は、思い出すだけでおかしく明るい人だった。
   これはほんとうに、誰にとっても幸せなことだ。

本当に、周囲に「おかしく明るい人」が居ることは幸せです。
駄洒落・ユーモアがすぐに出てくる人は、頭の回転が速いようです。
著者夫婦は超インテリ作家夫婦だから、日常的に毒舌が飛び交い、
それが的を得ていて、さぞかし楽しい会話だったのでしょう。

ラジオ体操仲間にも自力整体や社交ダンス仲間にも
そういう人がたくさん居るので、私はラッキーな方です。
歳をとり、身体が動かなくなっていっても、頭が良く回り、
楽しい言葉がたくさん繰り出せるためには、それなりの努力が必要そう。

ここで突然、杉田敏先生のテキストに出てきた言葉を思い出しました。
"A man only learns in two ways, one by reading and
    the other by association with smarter people."
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夫の後始末 6  作家の「立ち書き」

2020-04-26 06:03:48 | 図書メモ


(著者は)歩く度に左脚に激痛が走る原因が、(p.134 )
脊椎に損傷があるせいだと分かったが、「加齢のせい」で片づけられ、
特に治療は受けられなかったようです。

   酒飲みには「立ち飲み」という姿勢があるが、
   書くという作業に「立ち書き」はない。

という記述が同ページにあります。
しかし、、、現代は「立ち書き」の時代です。
私はキーボード入力も、ペンで封筒に宛名を書くときも、
カウンターの前で立って作業しています。

「座らない」という本を読んで以来、立っている時間が激増。
姿勢が良ければ、足腰が痛んだり疲れを感じることはありません。
「書く作業は、座るのが当たり前」という思い込みがなくなったのは、
とても良い時代が来たものだと喜んでいます。

でも、、、世の中は、
まだまだ「え~~っ! 立ち続けていたら疲れちゃう!!」
という人の方が大多数。この辺の意識改革を促すのもナビゲーターの仕事?
<嫌われないように言う>工夫と知恵が要求され、やりがいがあります。
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夫の後始末 5  奉仕とは排泄物の世話

2020-04-25 07:44:39 | 介護


P.124 奉仕を意味する「ディアコニア」というギリシャ語の原語は、
   厳密な意味を持つ。
   「ディア」は英語でいうと「through」(=・・・を通して)、
   「コニア」は「塵、あくた」である。「汚いものを通して」
   ということは、「人間の排泄物」を通して、ということだ。

   奉仕とは、うんことおしっこの世話をすることなのだ。
   それ以外は、人に仕えることではない、と知人の神父は言った。

   奉仕というのは他人に対する行為だが、
   家族に関して言えば、「看病」つまり看取りだ。
   その看取りの基本は、排泄物の世話なのである。

p.126 現実的に、真の「ディアコニア」を継続できるのは、
   職業的看護師か介護士と、家族なのである。

著者はシェーグレン症候群や作家業の結果の体の凝りや痛みからくる
激痛と闘いながら「完璧を期さない介護」を続けたそうです。
これでは「共倒れ」? 看取り後の自分の生活は? と、心配になります。

デンマークでは、家族はおろか、プロの介護士でも30kg以上の人を
持ち上げたり、無理な姿勢で介護をすることは禁じられているのだと、
現地で説明を受けた記憶があります。
85歳の妻が痛みに耐えながら90歳の夫を支えるなんて、考えられません。

でも、日本は未だ未だ、北欧の介護に追いつけそうにありません。
だから、私たち団塊世代が80~90代になったら、どうなることやら??
絶対に「寝たきり」にならないよう、自力整体をしっかり続けようと思います。
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夫の後始末 4  「心の貧しい者」

2020-04-24 06:05:51 | 図書メモ


子どもの頃、日曜学校に通っていて、解せなかった言葉が、
「心の貧しい人々は幸いである」(マタイ5:1~12)

「なぁ~によ、これ!」と思い、何となく教会をやめてしまうきっかけに。
この10歳頃の疑問が、曽野さんの説明で、71歳になってやっと氷解しました。

P.120 「心の貧しい者」という悪訳は、
   聖書の原本に忠実なのかもしれないが、
   日本人が言う物質的で人情に賭けた人のことではない。

   この言葉はヘブライ語の「アナウィム」という語から出たものだというが、
   それは虐げられている者、苦しむ者、哀れな者、貧しい者、
   柔和な者、謙遜な者、弱い者、などの意である。

P.121 つまりアナウィムたちは、国家、富、健康、身分などの
   誇りをすべてはぎ取られ、その恩恵を受けず、
   神だけしか頼るもののなくなった人たちを意味する。
   そのような人だけが天国を見るというのだ。


   これは凄まじい逆説だ。

   国家の庇護も、個人的な富も未来の展望も、当人に備わった健康も才能も、
   すべて「ない」人などという存在は、今の社会では
   ポリティカル・コレクトネスの観念に反するから、使われなくなっている。
   しかし聖書は、そう言うのである。

著者はクリスチャンで、日本財団会長を務め、国際協力・福祉事業に携わり、
飢餓の年のエチオピアなどで凄まじい貧しさを見て来た人だから、
言葉の重み・説得力があります。

でも、、、、、
失うものが何もない(今のアフリカ難民キャンプのような)生活が「幸い」??
やっぱり何処かおかしい。承服しがたい私が居ます。


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夫の後始末 3  「備える」

2020-04-23 12:36:55 | いまどきの世情


P.78 私(著者)は「備える」といおうことの好きな性格なのであった。

私も同じタイプ(性格)です。
が、世の中には「未だ平気なうちから備えるなんて、不吉。無駄。
「困る事態が起き始めたら考えればイイのに!!」という人も沢山居ます。
私の母も「まだ、それほど困っていない!」が口癖で、
介護が必要になってから「色々準備してくれていて助かった」が口癖に。

でも今、「備える」べきこと(モノ)は減っています。
介護保険のお陰で、身体が動かせなくなった時に使う入浴介助品、
ポータブルトイレ、電動ベッドなどは安くレンタル可能になったのです。

では、何を「備える」のか? 著者の答えは、
P.223 誰でも命を育てることが基本的には好きなのだ。
   ことに家族の誰かが亡くなったような場合、残された家族は、
   必死で生に向かう行動を取るのである。(中略)
   
   今後自分はどのように人のためになる暮らしができるかを
   考えるきっかけにもなるのだろう。


両親が亡くなったとき(同時にではないけれど)、ただ悲しくて、
自分を育ててくれた愛情への感謝と、不満の残る看取りへの悔悟で、
とめどなく涙が出たけれど、上記のような考えには至りませんでした。

なるほどなぁ~と思いながら、
次に来る何かに「備えつつある」自分を感じています。

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夫の後始末  2  リンパマッサージ

2020-04-21 08:51:28 | 図書メモ


何で「夫の介護」にリンパマッサージ??と思いますが、
面白い情報です。

P.43 北イタリアの温泉療養所の美顔術で
   顔全体の皮が剥けて世にも悲惨な結果になった
おぉ~~、そんなことがあるのですね!!

その後、著者は美容術は敬遠して、マッサージにお金をかけ、
P.44 マッサージのお陰で体の凝りがとれ、
   体温が35.2℃から36.5℃まで上がった

実は「自力整体」はセルフ・マッサージです。
自分で全身のリンパを刺激し、流れを促し、凝りを取り、
筋肉も強化します。そして「高体温を推奨」しています。

が、実は私、過去の著者なみに低体温です。
毎日の自力整体やラジオ体操の他に、月に一回マッサージを受け、
暑さ・寒さにも強く、日常生活には何の不便も無いのですが、
世の中あげて
「体温を上げよ~う」の大合唱なので、ちょいと気が引けています。

健康法といえば、昔は「早寝早起き、快食・快便・快眠」ぐらいでしたが、
現代の流行は、
「リンパ、筋膜、マインドフルネス」でしょうか。

マナビバでヨガに触れて以来、
自力整体とヨガの関係も分かってきて、
現在流行っている健康法は全て東洋医学に繋がっていることを実感。

体のこと、ケア法は知れば知るほど面白いです。


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夫の後始末  曽野綾子・著  2017/10

2020-04-20 08:25:00 | 図書メモ


人生100年時代。医療技術は進歩し、看取り方法にも多様性が。
介護保険のお陰で「住み慣れた家での最期」も視野に入ってきました。
が、どんな苦労があるのか、それを凌ぐ知恵は?と思うと、
先達の体験を参考にするのが一番です。

そういう意味で、著者が作家家業を続けながら、
夫の両親・自分の母親・夫を家で介護し、看取りを続けてこられた様子は
とても参考になります。

以下、気になった言葉をメモしていきます。
P.35 (著者は)信仰から離れたことはないので、すべてのことは
   神に命じられた道なのだと思うことができる。
   (中略)人間から見ると理不尽な要素があってこそ、
   人生は編まれていくという感じがする。

この文章で思い浮かぶのは、先日見た「レ・ミゼラブル」の主人公。
お腹をすかした妹の子どものためにパンを1個盗んだだけで、
執拗にいじめられ、凄惨な日々を送るジャン・バルジャン。
それよりもっと悲惨な人生を送ったファンテーヌ。

「理不尽そのものの人生に光明を見いだせ」というのは、承服しかねます。
小説だから、、、ジャン・バルジャンは富を得て、市長になったりしたけれど、
そういう一人の陰に何千人ものファンテーヌや奴隷のまま死んでいった市民が
居たはずです。
そういう民衆が立ち上がり、フランス革命が起こったのだから、
苦しみしか知らずに人生を終わった人々にも生きた価値があるのか??

ジャン・バルジャンの話で介護からそれたように見えますが、
「辛い介護」「貧困」「家庭内暴力」など、私にとっては、
理不尽であればあるほど、必死に頭を使って、政治を動かし、
世の中を変えていくために、
抗わねばならないのが人生」だと思うのです。






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