自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

健康いろはガルタ  《の》

2008-02-28 15:03:42 | Weblog
   《の》  能力を引き出す能力を覗き見る

 モーリス・ベジャールという偉大な踊り手&振付家が亡くなったのを知ったのは2月半ば、
たまたまチャコット(バレエ用品専門店)の書籍売り場に立ち寄った時です。
追悼集が発刊されて、多くの踊り手や芸術家が彼への感謝や愛に満ちた言葉を
贈っています。

 一貫して感じるのは、ベジャールが様々な踊り手と出会った時、即座にその能力・
才能を見抜き、それらをさらに伸ばせるようなアドバイスが出来る人であったこと。
さらに素晴らしいのは、欠点も見抜き、それを個性に変えて長所に導ける洞察力を持っていた
ことです。型にはまった指導でなく、個々人に合わせた育ちあいは、ナビゲーターそのもの
です。世界中の名だたるダンサーのみならず、我が日本の玉三郎氏も追悼の言葉を寄せられ、
彼らの真摯な言葉が胸を打ちます。

 一昨日ご紹介した「古武術あそび」の岡田慎一郎さんや、その師である「武術研究者」の
甲野善紀氏も素晴らしい教育者であり、ナビゲーターだと思います。自力整体の創始者、
矢上裕先生と共通するところは、「固定化されない技と発想」(古武術あそび100頁)
=<自分が伝えたことをそのまんま体得するのでなく、個々人でいろいろ工夫して自由に
どんどん展開していきなさい。>というスタンスです。

 長くなりますが、以下にお二人の会話部分をそのままご紹介します。
甲野「・・・・・私自身がそうやってきましたから。昨日言ったことを今日変えるかもしれない
わけだし。例えば、今日、岡田さんと一緒に久しぶりに「小手返し」という技をやってみると、
その場でいろいろ思いつくことがあって、これはこの感覚でやるんだということが、
改めてわかったりするわけですから。

 私が「段」とか、昔で言うと「切り紙」とか「目録」とか、そういうものを出さないのは、
自分自身がこれでいいとまったく思っていないからです。段級制というのは、これでいいと
思っている基準があって、そこから見てこの人はどの段階かということになるわけでしょう。
しかし、私の場合は、私自身がこれでいいと思っていない状態が続いているので、
昨日より今日が少しましかな、くらいの感じの連続ですから、とても人を評価できません。
ですから、私の技に触れたそれぞれの人が気づいて、その気づいたことをきっかけに
どんどん展開させて下さい、ということですね。」

 このような甲野師範の下で学んだ岡田氏は介護の場で使える技を開発し、
介護者仲間に伝授する講演会を開催されていますが、実際に身体介護を
受けている方々も学びに来るそうです。

甲野「そういう場でどんどん具体的にやっていけば、ほかの介護技術との違いがわかるし、
この技術は介護する人ばかりが楽なだけではなく、介護を受けるほうも楽だということも
わかってくるわけで、そうなればもっと楽になるために自分も協力していこう、自らの
身体を通して自分もそうした研究に参加しようということになってくるでしょう。」

岡田「先日、脳性小児マヒの女性の方とお会いしたのですが、その方が<今までは、
介護する人にいかに負担をかけないかという協力の仕方しか考えてこなかったけれど、
古武術介護の技に出会ってから、自分たち障害者自身も身体の使い方の見直しが出来る
のではないか、もっと自分たちの感覚を引き出していけば、今までにない動きも出来る
のではないかという可能性を感じるようになった>ということをおっしゃっていましたね。」

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 さて、偉大な教育者や指導者・技の開発者の後に私が登場するのは、かなり気が
引けるのですが、あえて飛び出してしまいましょう!

 私もナビゲーターの一員です。
上記3人のような偉大な技はまだありませんが、伝えたいことがあって、日々実践し、
研究を続けています。そして私の母を含む、私の教室メンバーの方々にも、
「どんなに初心者でも、一日先にやれば一日分の理解があるのだから、
ミニ・ナビゲーターとして誰かに伝える努力をしてみて!」とお願いしています。

 大々的な教室を開かなくても、自分の親や周囲の人で、冷えや肩凝りで苦しんでいる
人がいれば、自分でやってみて良かったことを伝えるだけで良いのです。以前にアップした
「昨日教わったことを明日教える」という言葉に通じることですが、
自分のためにもなるのです。

 昨日は、ここデンマークの統合ケアセンターと高齢者アクティビティーセンターを訪問し、
ボランティアで自力整体を紹介する機会をいただきました。ほんの5分でしたが、
孝子さんの魅力的な通訳のおかげもあり、好評でした。何人かからは質問もいただき、
身体にとって気持ちの良い動きは、共通するものがあることを確認しました。

 そういえば、昔(私の子供時代)は幼稚園から小学校高学年くらいまでの近所の
友達グループが年齢差を越えて楽しく遊んでいました。大きい子はボランティアで
小さい子のケアをしながら、自分の体力や知恵を認識し、教えることも楽しんで
いたのだなぁと思います。誰もが年少者や後発組に愛を持って接することで、
自分の技自身も磨いていた時代を取り戻したいものです。

付録:甲野善紀氏の面白語録

 「子供というのは、特に12歳ぐらいまでは、心臓の発達を促すために、時にドキドキ
することが必要で、だから好き好んで塀の上を歩くみたいな危ないことをしたがるんだ
という説があります。そういうドキドキするということが身体に非常にためになるそうです。
子供が危ないことをしたがるというのは身体を育てるための本能だと思うんですよ。」

 「今、私(甲野善紀)が子供たちの親に一番注文したいことは子供たちが生きていく
これからの時代を、本質的なところから真剣に考えてほしいということです。
いい大学に入って云々なんてことよりも、これからの国際問題や環境問題の難しさから
言えば、今の社会や価値観が全部崩壊した時でも生きていける、ただ丈夫なだけでなくて、
いろいろなことが出来る身体と身体を通した知恵が必要ではないかということです。
サッカーが上手であることよりも、モノを持てたりロープがしっかり結べたり、
薪を割ったり出来ることのほうが、これからの時代、大事だと思うんです。」
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デンマーク報告①

2008-02-28 01:33:03 | Weblog
     デンマークで探る 幸齢化への道

 25日昼過ぎ、成田を発って約11時間後、デンマークのコペンハーゲンに到着。
メンバーは、団塊世代の料理教室仲間3人に次男の嫁が加わり、総勢4人です。
26日早朝の電車でゲントフテに向かい、コーディネーターの孝子さん宅へ。

 さすが北欧!という素晴らしいインテリアと、軽井沢か八ヶ岳の林の中のような
緑の溢れる景色に、しばし言葉を失うほど。午前中は早速、孝子さんのレクチャーで、
デンマークに関する基礎知識の勉強です。ガイドブックには載っていない、興味深い
情報です。

 午後はオレコレという、高齢者専用共同住宅へ。60~87歳の方々がそれぞれの素敵な
部屋で個性的な生活を楽しみ、「何かの時はお互いに助け合う」という体制だそうです。
孝子さんの通訳で4人の女性のお話を伺い、質問をし、お宅を見せていただきました。
聞きしに勝る広さと美しさで、住生活の質の高さと意識の持ち方に学ばされます。

 孝子さんのご主人カーステンさんの手料理で幸せなディナータイムの後は、ご近所の
魅力的なご夫妻のお宅訪問です。元弁護士で今は画家として活躍中のご主人は78歳。
奥さんは病院の事務室秘書を長くされていた方で68歳。お互いに再婚で、熱々の様子。
お二人でコーラスやミュージカル、旅行、それぞれの孫たちと遊んだり、本当に楽しそう。

 今日だけで5軒のお宅を見せて頂いたのですが、どの家も個性的なインテリアで、
共通しているのは1.たくさんのキャンドルが美しく輝いていて、心が和む。
2.フロアスタンドや照明器具が美しく、光の演出が素晴らしい。
3.美しくて必要なものだけが置いてある部屋の心地よさを実感できる。
あ~、我が家もなんとかしなくちゃ!

 孝子さんの4冊の著書を読み、デンマークの長い歴史の中で培われてきた教育哲学や
政治への参加意識をすぐに真似できるはずはないけれど、出来ることから始めなくては
何も進まないんだ!と実感の第一日でした。


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健康いろはガルタ  《や》

2008-02-27 01:55:12 | Weblog
  《や》   やってみて初めて繋がる身体系と思考系

 孫たちが学齢に近づいて、「マーちゃん、遊ぼう!」というお誘いが恐怖に繋がり始め
ました。ちょっと前まではクチュクチュとマッサージしてあげたり、ブランブラン程度で
大喜びだったのに、今では身体はずっしり重く、対等に遊ぶ技術的には今いちという段階
だからです。
その上、カルタでも球技でもある程度勝たせてやらないと脹れっ面なので面倒なこと!

 どうせ遊ぶなら、お互いにフラストレーションにならずWin-Winになりたいので、
こちらもネタ仕入れに大忙しです。で、探し当てた本が「親子で身体いきいき 古武術
あそび」(岡田慎一郎・著、2007/11 NHK出版)です。パラッと見て、幼児と大人が
楽しそうに身体を使って遊んでいるイラストが可愛く、分かりやすい印象です。

 ところが前書きを読んで吃驚。一部、紹介しましょう。
「介護福祉士として現場の重労働で身体を痛めない介護技術を模索していた私は、
甲野(善紀)師範の、筋力に頼らず身体に負担をかけない武術の技の数々を体験。
実際の介護技術への活用を研究、実践するようになりました。その中で、身体の使い方を
変えることで、小さな力で大きな力が出せ、無理なく素早く動けるようになり、
しかも疲れにくくなるということを実感し始めました。」

 私自身は、「中高年層が自力整体で自身をケアすることで、登山でもダンスでも
好きなことを楽しみながら、大往生の日まで寝付かない・寝付かせない」道を模索
しています。そんなこと、今更言わなくても、殆どの方が、そうなりたいと思われて
いる筈です。が、方法が分からなくて右往左往。健康食品・サプリ・筋トレ・山登り・
脳トレーニングの電子ゲームまで大人気のようです。ところが自力整体のように、
派手さがなく即効性がなさそうに見えるケアにはなかなか目を向けてくれません。

 何か違うんじゃないかなぁと普段から思っているので、我が意を得たり!という心境です。
「小さな力で大きな力が出せ、疲れにくくなる」なら山での行動範囲が広がるし、
危険防止にも繋がるので大歓迎です。

 では、どうやって「身体の使い方」を変えたら良いのでしょうか?
もちろん、毎日自力整体で前後左右のアンバランスを整え、滞りやすいツボを刺激して
巡りの良い身体にすることは必要です。その他に何でもイイですから、
この「古武術あそび」のように、全身を楽しく使って、身体の中心から湧き上がる力を
体験することが重要です。テニスでもダンスでも何でも良いのですが、相手がいた方が、
ゲーム性があって楽しめるし、効果を確認しやすいようです。

 一般的に子供は大人に、女性は男性に、腕力や筋力的には勝てません。
ところが小さな子供でも身体の一部の筋肉でなく、全身の力を総動員して使うと
思いがけない力が出て、タイミングによっては大人を負かすことが可能になります。

 この本にはこんな遊びが満載で、しかも場所や器具も殆どいらず、無料ですから
良いことづくめです。問題は、相手を探して、やってみる気が起きるかどうかです。
「そうか、身体の中心を使って全身を総動員するのだな!」と頭で理解しても、実際に
身体を動かしてみなければ効果は分かりません。実際の登山や仕事に生かすまでになりません。

 昔、特に農村部では手早く効率的に作業しなければ陽のあるうちに仕事を終えられ
ませんから、身体の使い方が理にかなって上手だったそうです。信じ難い重さのものを
持ち運びすることも可能だったようです。生活に結びついているからです。
こういう仕事がなくなった現代は、教育の場で、意識的かつ積極的に
「遊びながら身につく身体使い」取り入れて欲しいものです。
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健康「いろはガルタ」  《ん》

2008-02-24 22:59:32 | Weblog
    《ん》  んだば、 どんな方法が??

 明日からの北欧研修旅行に向けて3冊目の本「つらい介護から やさしい介護へ」を読了。
先の2冊「モア---ある高齢者の生き方」と「福祉の国は教育大国-デンマークに学ぶ生涯教育」
の時と同様、いえ、さらに深いため息と焦燥感に襲われました。

 先の2冊では、モアやデンマークの他の高齢者たちの「自分の人生や老後は自分で決めて
頑張るという哲学・人生観は、それを培う教育があってのこと」だと理解できました。
初等教育から高齢者の学校運営まで、多額の税金が使われるのですから、無駄がないように
徹底的な議論がつくされ、国民全てが関心を持って監視しているようです。現場の教師や
行政サイドからはもちろん、生徒からも常にフィードバックがあり、改善が続けられています。

 介護に関しても同じです。介護される人のQOLと介護労働者の健康管理や質の向上・
教育体制が常に見直され、より高い方向を目指す体質・理念が分かります。何故、このような
高い理念が国民に浸透しているのか?これが私の最大の関心事でしたが、その答えを 
「福祉の国からのメッセージ」(小島ブンゴード孝子&澤渡夏代 共著・丸善ブックス)
の中に見つけたような気がします。抜粋(P.8~)すると、

 「・・・・グルンドヴィ(偉大な牧師・詩人・教育者・思想家)は、当時(19世紀半ば)
デンマークの主要産業であった農業に携わる若い農民達に、農業技術だけではなく、
デンマーク人としての自覚を高める教育(歴史・言語・文学など)や神と人間の関係を説くこと
を唱えました。・・・・・自分の国に対する認識を高め、歴史の過去からアイデンティティーを
見出し、それにより個人が自立する。そして自立した個人が、共同社会の中で、個人の責任を
果たす。
 これが彼の基本的な考え方です。これはキルケゴールの考え方とかなり似たものですが、
共同社会の存在を認め、個人と社会は相互に影響しあうという点が、キルケゴールとは違う
ところでしょう。」

 「現在のデンマークの社会福祉制度の基本的な考え方は、<社会が個人に代わって、
弱者を助ける>ことにあります。つまり個人が義務を果たす(例えば税金を収める)ことに
対して、社会が責任を持つ(例えば福祉行政を行う)訳で、個人の上に社会が存在しています。

 これは社会主義というか社会民主主義的な考え方とも言えるでしょう。ただ社会福祉制度が
進むと、国民が個人の義務や責任を忘れ、自分の権利ばかり主張するという状態に陥る
危険性が出てきます。」

 不思議なことに私個人の感覚としては、グルンドヴィが説いたのと同じものが昔の日本にも
あったような気がします。それはお天道様に恥じない行動規範と生活様式で、哲学とは
言い難いかもしれませんが、結構、文化として根付いていたのではないでしょうか。

 それが、戦後何故かスッポリと抜け落ちて、教育現場どころか、一番ひどいのが行政と
政治家のような気がするのです。もちろん偉大な理念を持って取り組まれている方も
あったのでしょうが、国全体のレベルを押し上げるには全く力不足であったということでは
ないでしょうか?


 4冊の本を通して感じることは、デンマークでは「行政が人間性・個々の尊厳を重んじて、
支える」ということです。それに比べると、日本の福祉行政のおそまつなこと!

 まず、介護の現場の問題で、「辛くても時間がかかっても、残存能力を生かして、
自分で出来ることに挑む」という自由は、日本にはないようです。効率を重んじるせいか?
親切が過ぎるのか?という以前に、どこまでどうすればお互い(介護される人:する人:
社会で支える側と行政)がWin-Winになれるのか?という議論が抜け落ちていて、
税金が垂れ流し状態のような気がしてなりません。

 もっと憤りを覚えるのは、介護労働者が効率を求められるあまり機器の使用に消極的
(安全に装着・操作するためには時間がかかるから)なため、自分の力で被介護者を
持ち上げてしまいがちだという現実です。

 「・・・その持ち上げ行為で自分の身体に損傷が生じたならば、介護労働者はその仕事を
一時的あるいは半永久的に継続できなくなります。正すところ、日々の作業における数秒・
数分の時間差と、介護労働者の健康と、どちらを重視するかということになるでしょう。
デンマークでは、後者を選択したのです。」(85p.)

 「日本国内に若い介護労働者が相当数いるが、これらの人たちが過酷な労働に耐えられ
ずに数年で離職していくケースが少なくない。これは悪循環で、労働力の無駄遣い。
現在ある労働力をいかに確保し続けることができるか、そのための働き甲斐のある職場、
安全で健康な職場をどうやって作っていくことができるか、その対策なしの介護サービスは、
どうしても片手落ちに思えてなりません。つまるところは、介護労働者の安全・健康の確保なく
して、どうやって利用者の安全・健康の確保を保障できるかということであると思います。」
(139p.)


(あるセミナーでの会話から)「(介護の現場に)アームレストをはずせる車椅子が一台も
ない。リフトもない。どうすればよいか??」という発想は、諦めから出発した発想のように
思えてなりません。あきらめから出発してよい解決方法が見つかるでしょうか?
ここでは発想を少し変えて、多少価格が高くなっても、この機能を備えた車椅子が1台でも
あれば、いかに介助が利用者・介助者双方にとり楽になるかを上司に説明し、
試しに購入してもらうよう努力して・・・・」「ほんの少しのアイデアでも、使えるものは
使ってみる。ほんの少しの投資でも、できるところから始めてみる。
本書が、日本の介護現場にそのような気運が生まれるきっかけになれば・・・・」

 今日はもう、殆ど小島ブンゴード孝子さんの著書の丸写しになってしまいましたが、
それだけ物凄い重みがある、ということです。

 ないないづくしの現場でも、自分や相手(介護の場合は利用者)の双方への愛
(大事に思う気持ち)と、試してみる勇気があれば、何かを思いつくはず。どんなケースでも
諦めないで、常に「どんな方法があるだろう?」と前進していきたいものです。

 *今日のタイトル「んだば・・・」は盛岡弁で、「そのような条件ならば」と現況を
  把握・理解した上で、前向きに対処しようとるす言葉と捉えて使いました。

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健康「いろはガルタ」  《り》

2008-02-21 23:47:32 | Weblog
   《り》  臨機応変はリスク管理にリンク 

 いつ何が起こるか分からない時代です。
臨機応変に立ち向かうために、皆さんはどんなリスク管理をしていますか?
先日、北欧研修旅行に向けてメンバー4人が集まった時、私のリュックの中身を披露しました。

トラブル対処に役立ちそうな私流の備え方を紹介するためです。
全員が「とても真似できん!」という顔つきでしたが、
広い世の中、誰かしらんにはお役に立つかと思い、アップしてみます。

 まずは、衣食住の「衣」です。
 寒いのは嫌いですから薄めのカーデガン(UniQloで1000円)。
雨で濡れるのも嫌なので、歩行時用折り畳み傘。自転車の時用レインハット(どちらも105円)。
冬は手袋の上に薄いビニール手袋(Hena染料の付録)をかぶせて濡れ対策。100円ショップの
レーヨンスカーフ。これは防寒になるのはもちろん、骨折や怪我の時の包帯や三角巾、
ねじればちょっとしたロープにもなるし、自力整体の骨盤調整指導時のタオル代わりにも。

 「食」は・・・・あんまり必要ないのですが、喉飴少し、ファイバー○○とかいう粉末飲料
(水に溶いて飲むものなので、当然プラスチックのコップも)一袋が非常食です。

 「住」・・・・生存空間というよりは恐怖や退屈で死なないための精神活動手段として、
手帳、電子辞書(英語・仏語・独語・英英・広辞苑・カタカナ語などが入っています)、
筆記用具、Memory Stick、読みかけの本、いくつかのフォルダー(仕事用、
住所録用、コーラス楽譜用、自力整体指導用、旅行関係など)、ポーチ(切手各種、印鑑、
ハンカチ&ティッシュの予備、裁縫セット)、ビニール袋各種(スーパーで買い物用サイズ、
リュックが楽々入るサイズ、濡れた傘用のサイズ、携帯トイレ、ゴミ入れなど)

 旅行時はノートパソコン&デジカメが加わり、行き先によってはヴォイスレコーダー、
トレーニングウエア、靴、ラケットなどが加わるので、リュックの重さは数キロ~10キロの時も。
メリー・ポピンズのように、リュックから長~~いステッキとか重たい家具を取り出せれば
さらに面白いのですが、魔法使いではないのが残念!

 雨具や防寒着は季節や天気に関係なく365日、持ち歩いています。
だっていつ天変地異があるか分かりませんし、重さはトレーニングと思えば気になりません。
仕上げはオーバースカートの右ポケットにハンカチ、左ポケットに携帯電話、
肩掛けポシェットに財布とパスモ&回数券というのが私の定番です。

  *リュックが入るサイズの大袋は、大雨の時に使います。リュック本体は1200円、
  中身も半分以上が100円ショップの世界ですが、電子辞書・ノーパソ・書籍は雨が大敵。
  しっかりガードします。色々サイズの袋を持っていると、思いがけない頂き物をした時の
  運搬にも役立ちます。あ~何てシアワセ!

 おっと、うっかり一番大切なリスク管理を忘れていました。
便利グッズが一杯のリュックも、財布の入ったポシェットも、なくしたり盗まれる可能性が。
料理中に鍋を落として材料が飛び散る、布巾や油に火がついて燃え上がる、交通事故等々。
全ての事態に慌てず、映画を観ているように、一瞬客観的に状況を捉えたいものです。
普段から時々、鳥になって上空に行き(?)、自分を眺めてみる習慣をお薦めします。

 さらに救援が来るまで2~3日は食べないでも平気な身体(ラッキー、断食に挑戦!と笑顔)、
暑さ寒さも乾布摩擦で鍛えておけば結構平気です。こういう時こそ普段できないことに挑戦を。
静的動作の自力整体術、呼吸法やダンス・歌などで時間を有効に楽しく使う術も、人助けかも。

結論: 色々経験し、モノじゃなく技を身につけておくことが、堅実なリスク管理だと思います。
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我が家のオキザリス

2008-02-20 23:37:33 | Weblog
   今日のオキザリス  Lemony または ルテオラ

 オキザリスには冬咲き、夏咲き、四季咲きがあり、花の形や色、葉の形態も色々です。
暑さ・寒さにも比較的強く、お値段も手頃(すごく安い方!)、病気も少なく、可愛い!
陽が照っている時しか花が見られないのが特徴で、欠点という人もいますが、
いつでも綺麗綺麗のタイプより私は好きです。

より詳しく知りたい方は
http://onjun.fc2web.com/oxalis.html<オキザリスの部屋>などをご覧ください。
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健康「いろはガルタ」  《れ》

2008-02-19 00:34:00 | Weblog
  《れ》 連結力は蓮根のごとくレゴに通じる

 自他共に認める"荒唐無稽の女王"(なんて自慢している場合ではないのですが)の私でも、
このタイトルではカルタにもならなそう・・・・と心配しつつ、一応論理的になるよう、
目標を定めて始めます。

 ジグソーパズルのピースを思い浮かべてください。
人生は「私カラーのピース」をキャンバスに並べていく作業かもしれません。
個々のピースはその時その時の熱中度×時間で大きさが決まります。

連結力は、バラバラなピースを上手く繋げて、私らしい仕事に仕上げて行くためのフック?
糊?こじつけ力とでも言いましょうか・・・・

例えば私のピースの一部をご紹介すると、
1.六甲山を駆け巡り、大阪湾で泳いで育った小学校時代。
  体力お化けの素地はここで培われたようす。

2.ギターを片手に唄い続けた高校時代。音楽の先生の美声に感動。
  クラシックへの憧れも芽生える。

3.英語を使う仕事または通訳に憧れ、英語とスペイン語の勉強開始
4.語学だけでは足りなそうなので、華道・エレクトーンの道も模索
5.いろいろ手を出しすぎて全て挫折

6.紆余曲折を経て宇宙研に勤め始め、コーラス結婚ののち、
   和製Sound of Musicの世界を目指すが挫折

7.趣味ではテニスも卓球も挫折、バタフライに挑戦した時期もあるけれど挫折、
   コマネチごっこも挫折

8.子育てと仕事に追われて、ストレス発散はミュージカルシナリオを書き、
  言いたい放題からやりたい放題へ発展 <もちろん、フィクションなのですが!>

9.当然の結果として夫婦の危機に陥るが、二人で百名山病に突入して上手く回避
10.百名山半ばで膝痛になり自力整体・東洋医学全般の道へ
11.発展途上国や難民キャンプ、地震などの災害地で役立つ自力整体や指圧を目指して
  外国での普及も模索

12.同時進行で母の介護も模索するうち、北欧に縁がつき、
  本当の幸齢化の意味を探る旅が始まる

 ナ・ン・ト!荒唐無稽を通り越して支離滅裂という感がなきにしもあらずですが、
これが私の人生です。いえ、まだまだ先は分かりませんから、
全く別の新しいピースを作り始めるか、また挫折するか?

では何故蓮根が登場し、レゴに通じるのか?
1.蓮根は変幻自在で、煮てよし・炒めてよし・擂り下ろして団子にするもよし・
  蒲焼にするもよし。思いがけない発想で異質の素材を結びつける名人です。
  なので、脈絡がないように見えるピースの数々をうまくめとめてくれるような存在
  なのだと・・・思いたいです。

2.レゴはデンマーク発の、良く遊び良く考えるためのおもちゃです。
  その連結力は大きな建物にさえなるほどです。

3.昔、言葉遊びというゲームがありましたよね?
    「れ」のつく言葉を集めましょう!とか・・・・

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健康「いろはガルタ」  《つ》

2008-02-17 17:53:28 | Weblog
今日のオキザリス Variabilis Light Pink

《つ》 翼をゲットする方法!仙骨を立てて肩甲骨を広げる。

 えっ? そんなものが付いていたらヒトと違いすぎて困る?温泉にもプールにも行けない?
確かに手(腕)が翼状態のヒトも、背中に翼が付いているヒトも、服を脱いだ状態を想像すると
少し気持ち悪いかも。
私の意味する翼は、重力に逆らって頭骨や胸郭を吊り上げる「浮力」のことを言っています。

 既に何度もお伝えしている「良い姿勢」は臍・肛門が大事なのでしたね。
これを伝えるための言葉はたくさん有ります。例えばバレリーナは
「頭頂部の髪の毛3本で吊り下げられている感じ」で立つそうです。
仙骨姿勢講座の吉田始史氏は「うんこ我慢姿勢」と表現されています。
「言い得て妙」ですが、妙齢の女性が頻繁に使うにはちょっと・・・・。

 要は、臍・肛門を意識すると仙骨(骨盤全体)が立って、「頭骨・胸郭・骨盤・足裏が
正しい位置に繋がるので疲れにくくなるし、美しい姿勢になる」という訳です。
しかし頭では分かっても、実現に繋げるのはコツが必要です。
健康いろはガルタでも、あの手この手で表現していくつもりです。

 とにかく臍・肛門で正しく立ちましょう。すると骨盤が中央に向かって万力のように
締まっていきます。背骨は骨盤という万力に締め上げられてスルスルと伸び、
正しいS字カーブを描き、インナーマスルも活性化します。
この状態から腹式呼吸で息をいっぱい吸い込むと、横隔膜が前後左右に広がり、
連動して肩甲骨も広がります。
何センチも広がるわけではありませんが、背骨をはさんで1cm近くは動きます。

 肩甲骨のこの状態が天使(空に浮かんでいる子供っぽい天使のこと。
決して精霊ガブリエルを想像しないでください。)の羽根のような浮力で
内臓下垂や骨盤の傾きを引き止めてくれると思うのです。もう一つのご利益は、
自分が天使になったような気がして、ニンマリと笑顔になれることです。

 すると、どうなるんでしたっけ?気持ちが温まって、巡りが良くなり、体温が上がり、
インナーマスルへの血流量も増すのです。
皆さん、一生懸命可愛い天使になってくださいね。


以下、余談です。
 天使の翼は何のためにあるのかなぁ????と考え始めて浮かんだ支離滅裂な幻想

1.飛ぶためじゃなさそう。だって、彼らは自由に移動が出来るはず。
2.じゃあ、この世のヒトと区別するため? 
 確かに精霊ガブリエルが翼のない普通の人だったら、受胎告知なんて誰も信じないでしょう。

3.日本の幽霊が額に白い三角巾(天冠というそうです)をつけているのと同じ?
4.そういえば日本の幽霊には足がなくて、外国の幽霊には足があるのは何故?
  翼まであるのに??

5.「翼をください」という歌の意味は?
  思い立ってGoogleで検索したら、面白いコト!
ある質問者の言葉:
  この歌の歌詞で、「悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい」
  という部分がありますが、あまりにも鳥の生き様を楽観視しすぎではないでしょうか?
  鷹などに襲われて命を失う事のみならず、人間に撃たれて死ぬ場合もあります。
 空を飛べるからと言っても人間よりも遥かにシビアな自然界を生きてるのが鳥なのですから。

 この方の前世は、きっと鳥だったんだろうなぁと思ってから、いや、
実は本物の鳥さんからの投稿か??とも・・・・
そしてこの方への回答がまた面白いので、本題からはずれますが、ちょいとご紹介。

回答例1:あくまで、「鳥のよう」な翼が欲しいのでしょ?鳥になりたいとはいってないので、
     鳥の生き方を楽観した歌ではないと思うけど??
     ただの「現実逃避」の歌と認識してますが・・・。

回答例2:人間が思う空への、自由と言う理想なだけですよ。現実的に考えたら、
     どこに行っても自由なんかありませんよ。

悲観的な皆さんですねぇ。以下は私の解釈です。
 高齢になったり、病気がちになると、自由に色々な場所に出かけられなくなります。
昨今研究が進んでいる「筋肉サポートロボット」の助けがあれば、だいぶ助かりますが。
その最たるものが鳥のような翼です。還暦の私でさえ、翼をゲットして高山植物のお花畑や
野生動物の営巣地へ自由に飛んで行きたいです。

 でもこれは夢であり、動植物たちのためにも、夢のままにしておいた方が良さそうです。
とにかく私たちは自分自身の身体のケアを怠らず、死ぬその日まで近所を散歩する脚力と、
トイレに行く移動力くらいはキープいたしましょう!
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北欧研修旅行のこと

2008-02-16 13:46:30 | Weblog
今日のオキザリス 桃の輝き(和名しかない・・・ということは日本人の作?)

 2月10日にデンマーク行きのいきさつを書きました。
準備として、研修先の小島ブンゴード孝子さんの著書を4冊入手し、読み進めています。
著書は新しい順に、
1.つらい介護からやさしい介護へ  ’06 ワールドプランニング
2.福祉の国は教育大国-デンマークに学ぶ生涯教育 ’04 丸善ブックス
3.モア-あるデンマーク高齢者の生き方 ’02 ワールドプランニング
4.福祉の国からのメッセージ  1996/8 丸善ブックス
        (この本のみ澤渡夏代ブラント氏と共著)

 まずはパッと見て一番読み易そうな「モア」から始め、臨場感溢れる平易な文章に
彼女の姑さんや一般的な高齢者の考え方や生活が随分理解できた感じになりました。

 次に「教育大国・・・」を読んで、この高齢者が育つ土壌(教育や哲学)が分かり、
日本の現状を思ったとき、ガックリと、無力感に襲われました。

 ま、そう言って諦めてしまってはお終いなので、4の「・・・メッセージ」を読み始めたら、
1の「・・・やさしい介護」が届きました。日本の介護者が改善を望んでいる色々な問題が、
かの地ではずっと昔に解決され、効果が確かめられているソフトやハードがあるのに、
日本の現場では活かされていないという後書きだけ先に読み、怒りを覚えています。
もちろん日本の厚生労働省とか、福祉政策担当者、政府への怒りです。

 まったく、年金問題もそうですが、高齢化とか少子化なんて何十年も前から分かっていて、
先進国のお手本までちゃんとあったのに、その場しのぎの対応しかしてきていないのですから
まったく情けない!の一言です。

 これらの本は、すべて読み応えがあり、参考になりますから、
自分の老後をなるべく快適にしたいとお考えの方には、是非、お薦めしたいと思います。

 折も折、昔の友人で、デンマーク人と結婚して向こうで出産、4年半住んで、現在は転勤中
という日本人Yさんとメールが通じました。驚いたことに彼女の感想や、ご主人の意見は
孝子さんの著書のようにバラ色オンリーではなく、少し冷めたものでした。

 何処の、どんな国に住んでも、長年たてば長所は当たり前の権利となり、
無いもの(低い税率と競争原理など??)ねだりの不満に陥るのは人間の常です。
世代間の価値観の相違も大ですから、臨終の床でしか分からないことも多いはず。
今回の旅は、これらの見聞を、自分の目で確かめ、肌で感じ取るための研修旅行です。

 帰国後のレポートに請う、ご期待!



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健康「いろはガルタ」  《し》

2008-02-16 00:43:13 | Weblog
   Oxalis cernua   セルヌアの季節 到来!


   《し》 シンクロナイズド 心と身体

 気持ちと動作、息と声、球技において相手からの打球に対する意識と実際の返球、
優雅に踊りたいのに実際はガチガチの身体、我を捨てたい気持ちに反する自意識過剰・・・・
人は日常生活を自分の意のままに暮らしていると思い勝ちですが、どっこいなかなかです。

 たかだか趣味の卓球くらいでも、「ボールが一番高い点まで上がってから打つのよ!」と
言われても言われても待てなくて、焦ってラケットを早く振ってしまい、ボールはネットイン!
「ラケットは寝かせ過ぎないで!肩の力を抜いて!」の声に必死に集中し、
1~2回は出来ても、すぐに集中が途切れ、力んでしまい、本能のままに動いてしまい、失敗。

 合気道のようにゆっくり技を体験し、手取足取り教えられても、気ばかり焦って、
意識と手足の動きが連動しません。もっとひどいのは、ヴォイトレのレッスンで、
声を発するための横隔膜の動きが実際の発声と連動せず、息漏れや腑抜けの声になって
しまうことです。

 まぁ、60の手習いですから「怪我をしないように楽しめば良い」と割り切れば良いのですが、
どうせするなら、気持ちと動作はシンクロさせて行いたいものです。

 しかし、「怪我をしなければ良い」などと笑ってすませられない場合もあります。
先日友人宅のビデオで見た、高齢になって感情のコントロールが出来なくなった人の話です。
「子供の頃から、思いっきり笑ったり泣いたり怒ったりしたことが無いんだよネ」って!!!
解説者によると、肉体的にも極限まで頑張って走ったり跳んだり遊んだりしていない人たちは
感情の抑制が難しくなるそうです。

 キレる子供、キレる大人、そしてキレる高齢者!と、こんなにもおかしな人が増えたのは、
どうしてなのでしょう?私の子供時代は電子ゲームなどなかったので、女の子も外で元気に
飛び回って遊んでいました。たまには木から滑り落ちたり、溺れかけたり、喧嘩してべそを
かいたり、いじめられたり・・・。そのため、泣いたり笑ったりは日常茶飯のことでした。
祖父母の死に立ち会ったり、ペットの最期を看取った時の涙の感触は今でも覚えています。

 「今は時代が違う」ことは確かです。
だからこそ昔と違う方法で、誰もが社会の健全さを模索することが必要です。
幸い私は「自力整体」という健康法にめぐり合い、
「これをやれば、身体が心地よい状態になる」という技を伝えることができます。
他の人もそれぞれ何かはある筈です。それらを実行することで、自分も社会も幸せになる・・・
こんなシンクロナイズド・ボディワーキングを目指しています。

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