自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

グッバイ、グッピー

2024-09-02 05:44:39 | 生き方

夫が逝って約1年が経過。

草花を育て、柿や枇杷、蔓植物の管理をしてくれ、

毎日の買い物や夕食作りまでしてくれていた働き者でした。

 

残された私は自分が育ててきた多肉植物と、猫の世話だけで

すぐにお手上げ状態に。特に水替えが必要なグッピーの世話は

「この夏で終わりにしよう!」と即決。

 

幸い、去年からオスメスを別々の水槽に分けて管理してきたので、

子供はいなくて、全員が2歳以上。グッピーの寿命は1.5~2.5年。

ということはこの秋ぐらいで多分、全員が大往生?と予測し、

最後のメス1匹とオス2匹を庭の池に放しました。

 

加温が必要な熱帯魚ですが、この夏の猛暑は彼らには適温。

秋の寒さが来る頃に大往生してね、という願いを込めて

毎朝、生存を確かめ、餌をあげています。

 

ひどぉ~! それって確信犯じゃん!! と言われそうですが、

私自身も、高齢だし(?)一人で二人分の家事は出来ません。

猫のトニーは、平均寿命まで生きるとして後5~6年?

こちらはちゃんと最期まで面倒をみるつもりです。

 

「私自身の面倒は、誰が見てくれるのかなぁ~」という考えも

ふっと浮かんだりしますが、今は76歳だから、それは20年後?

丈夫なら100歳くらいまで生きる時代ですからね。

 

理想は、5人家族で暮らしてきた現在の住居を維持し、

ミュージカル仲間や、ラジオ体操仲間が遊びに来てくれる生活。

でも、私より年上の人たちは無理よね~・・・・・と、ため息。

 

今年からミュー研に来てくれている留学生のお嬢ちゃんたちは

母国に帰っちゃっているかもしれないし・・・・・と、また溜息。

 

確実に言えるのは、「マメで綺麗好きな家族」が居なくなると、

家は荒れ放題になる!ということ。けれど、、、

マメで気の良い、若い友人」を持っていれば、

SOSを出せば、助けに来てくれること。

 

そんな見返りを期待して活動しているわけではないけれど、

「お互いの役に立ち会い、教え合い、一緒に色々楽しめる」

そんな友人関係を、普段から育てていく努力は必要です。

 

そういう意味で、ミュージカル、ラジオ体操、シェア奥沢での活動、

英語の勉強会など、予習に苦しみながらも続けてきて良かった!

実感しています。ブログ読者の皆様も、あらゆる機会を利用して、

素敵な友人を増やしてくださいね。

 

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大川翔平氏と面談

2024-08-28 05:21:30 | 生き方

8/9にご紹介した体操教師・大川翔平氏と、昨日お話ししてきました。

私が立川の体操教室まで出向き、お互いの夢を語り合う対談形式。

動画記録も何もありませんが、

いつか日本が変わり始めた時、懐かしく思い出せそうなひと時でした。

 

3番目の男の子が生まれたばかりだそうで、本当に嬉しそうな笑顔。

奥さんのことが自慢で、リスペクトしていることを全身で表現。

そして自分の子どもだけじゃなく、全ての子供が好きなんだそうな。

 

私が提案したかったのは、「大川体操教室」のスペースが午前中空いて

いるなら、「高齢者の体操教室」も併設されたら如何?という案。

でも残念ながら答えは、「僕は子供たちと関わっていきたいんです。」

 

ということで、見事にすれ違いでした。

そりゃ、子供は「関わり方次第で大きく劇的に変われる存在」ですから、

自分の努力の手応えも素早く、喜びも大きいことでしょう。

 

引き換え、私のターゲットの高齢者は、一生懸命に

「身体の使い方や食べ方」をお伝えしても、反応は今ひとつ。

「そうかもしれないね~」とか「そうは言われてもね~」などが多く、

「大山鳴動して鼠一匹」という例えとはニュアンスが違いますが、

とにかく反応が鈍いんです。

 

でも、私自身も高齢者なので、その気持ちも痛いほど分かります。

そしてフレイル予防の体操の必要性も切実に感じています。

だから、今のところは、「別々にそれぞれのターゲットの方々に働きかけ、

日本国民全体の健康度を上げていき、医療費に費やされる税金を減らす。」

こんな感じで励まし合いました。

 

大川氏は9/6(金)には民放のチャレンジ番組に出演されるそうです。

あらゆる機会を利用して、体操の楽しさを知らしめ、活躍されるよう

陰ながら応援していくつもりです。

 

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「浮気」を「不倫」と呼ぶな  川村二郎&竹内久美子 共著  2018/11

2024-08-27 05:49:28 | 生き方

今日のブログタイトルが、この本の書名であり、

副題が「動物行動学で見る『日本型リベラル』考」です。

 

なんのこっちゃ?というタイトルですが、本文を見ると、

p.78 竹内>私は「不倫」という言葉が嫌いなんです。

   単なる「」浮気に「倫理に反する」という価値観を

   導入しているのは人間だけですから。

 

つまり、京都大学理学部同大学大学院博士課程中退で

動物行動学研究家と称される竹内氏の説によれば、

p.124 浮気は男の繁殖戦略

   竹内>男と女の決定的な違いは、繁殖にあります。

   女は一旦身籠ると、出産・授乳という過程を経るので

   次の繁殖は何年か先になります。

   一方で、男は一度射精したら、極端に言えばすぐに次の

   チャンスが訪れる。だから女は慎重に相手を選ぶし

   男にしょっちゅう声をかけたりしません。

 

   男はダメもとでどんどん声をかけていく。だからすぐに女に

   ちょっかいを出す。そういう根本的な違いがあるのに、

   男の繁殖戦略についていろいろ文句や批判をするのはどうでしょうか

 

なるほど。研究家といわれるだけに、よく勉強されていて説得力あり。

私自身も、この点に関しては同感です。

 

   川村>男女の”道ならぬ関係”に変な道徳観念を持ち込んではいけない

   竹内>浮気が良いか悪いかという価値観を導入するのは変でしょう。

p.79 浮気は動物学では「ペア外交尾」と表現されます。ペア内の交尾

   その外での交尾を区別することがある。

 

つまり、動物のオスは、自分の遺伝子をあまねく出来る限りたくさん

残したいから、積極的に浮気する。

動物のメスは、優秀な遺伝子を持つオスと交わりたいから、

やっぱり浮気する。

ので、、、「ペア外交尾を非難するのは、間違いである」

ということらしいです。

   竹内>人間以外の哺乳類は、夫婦になったらずっと一緒に

   行動します。なぜなら、そうしなければ、メスがほかのオスと

   交尾をする恐れがあるからです。だからオスは必死になって

   ガードしている。

 

   そういう自然界の常識とは裏腹に、人間はなぜか別行動をとります。

   そうなると浮気が発生するのは、当たり前でしょう。だから浮気は

   いけない、倫理に反するというのは、

   言葉によって他者をコントロール出来るようになった

   人間に特有の価値観であり、

   単に浮気に成功できない冴えない男たちのプロパガンダ

   ではないかと思うのです。

 

私はポリアモリーの概念を知ってから、結婚制度に反感を持っていますから

動物行動学ないし、本能に従って考える手法は好きです。

ただし、社会生活を営む人間でもあるので、全員がWin-winでなければ

ダメなんじゃないの~?と強く思います。

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日本型リベラルとは

2024-08-26 05:14:17 | 生き方

これ昨日までの2日間は、団塊世代への苦言(?)として捉えてきましたが、

今日は、いよいよ表紙にもある「日本型リベラル」について考えてみます。

 

その前に、私はこの言葉を知らなかったので、ググってみると、

色々あって、まぁ納得できたのは下記のサイトぐらいです。

面白そうなので「ザ・激論」という本を読んでみることにしました。

https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/C_00017.htmlhttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA274SD0X21C23A1000000/

   かつての戦後日本政治は、「保守対革新」という対抗軸で性格

   づけられてきたが、共産主義・社会主義陣営の自壊により冷戦が

   終焉した後、社会主義的志向と結合していた「革新」という語が

   使われなくなった。

 

   そのため、世紀の変わり目あたりから、歴代自民党政権を支持してきた

   保守勢力と対抗する立場が「リベラル」の名で呼ばれるようになり、

   「保守対革新」に代えて、「保守対リベラル」という対抗軸が語られる

   ようになった。

 

   しかし、党派政治の文脈を越えた思想的な意味で、保守とは何か、

   リベラルとは何か、両者の根本的な対立はどこにあるのかは、

   明らかではない。思想の曖昧さが諸政党の対抗図式の混乱も生んでいる。

 


 
   本書は、思想漫画という独自のジャンルを開拓し

   「真の保守主義者」を自任する小林よしのり氏と、

   リベラルに「成り済ました」革新の欺瞞を批判し、

 

   正義理念を基軸にしてリベラリズムの哲学的再編に努めてきた私とが、

   天皇制と民主主義の関係、戦争責任と歴史認識、憲法九条問題と

   戦後思想の貧困という、戦後日本の三大テーマについて討議する

   ことにより、保守とリベラルの思想的核心、両者の対立点と

   共通点とを解明する試みである。


 
   日本の自称保守・自称右翼は、平成天皇の意向を無視して

   皇室典範改正に反対し、対米追従姿勢を強める安倍政権を

   支持しているが、小林氏は彼らを「逆賊」や「バカ保守」と呼んで

   厳しく批判する。

 

   日本の自称リベラルは護憲派を名乗るが、私は彼らが政治的

   御都合主義で憲法を捻じ曲げ立憲民主主義を蹂躙している

   贋リベラルであることを厳しく批判している。

 

   小林氏も私も、左右の党派集団・運動団体がそれぞれの蛸壺に閉じ

   こもり自勢力の固守拡大にのみ汲々としている日本の現状を批判し、

   一人一党の立場から自由かつ自立的に現代日本社会の問題と向き合い、

   対立者との対話を通じて思想的な自省を深めるという姿勢を共有している。

 

   小林よしのりVS井上達夫の対談は多くの人々にとって想定外だった

   かもしれないが、我々が共有している思想的姿勢から見るなら、

   自然の成り行きだったとも言える。
 
   論点となった三大テーマについては、憲法九条問題で護憲派の欺瞞を

   批判し、安全保障における安倍政権の対米従属強化を日本の政治的

   主体性の放棄として批判する点、さらに権力を批判する思想言論の

   自由を徹底的に擁護しようとする点で、小林氏と私は一致している。

 

   天皇制については存続論の小林氏と廃止論の私は対立し、戦争責任

   問題についても、欧米列強の帝国主義的圧迫からのアジア解放

   という日本のアジア主義者の意図を重視して、日本の戦争責任を

   否定ないし限定しようとする小林氏と、欧米の戦争責任を追及する

   倫理的資格を日本がもつためにも、

   日本の戦争責任 (昭和天皇の戦争責任も含めて) の率直な承認が必要

   だとする私とは対立している。しかし、対立する論点についても、

   共通点が伏在している。

 

   小林氏が天皇制を擁護するのは、民主主義が多数の専制へと

   暴走するのを抑止することが必要だという私も共有する視点から

   である。

   違いは民主主義の暴走への抑止力を小林氏が天皇に求めるのに対し、

   私は立憲主義的人権保障にそれを求める点である。天皇・皇室の

   人権を侵害する現状を批判する点でも我々は一致している。

   戦争責任問題でも、自らの戦争責任を棚上げする欧米列強の欺瞞を

   批判する視点は共有している。

   
    本書を読んだ小林ファンの読者から

   「リベラルにも井上達夫のようなまともな奴がいるのは発見だ」

   という感想が寄せられ、リベラル派の読者からは

   「小林よしのりは右翼だと思っていたけれど、意外にリベラルな

   面がある」という感想が寄せられたと聞いている。

 

   立場を異にする著者二人が真摯な対話を通じて保守とリベラルの

   相互理解を深化させるという本書の狙いは、ある程度成功したよう

   である。なお、憲法九条問題については、

   「九条を削除し戦力統制規範を憲法に組み込む」というのが私の持論だが、

   本書ではこの持論をはじめて具体的な憲法改正案文の形で提示して展開

   していることを参考までに付記したい。
    (紹介文執筆者: 法学政治学研究科・法学部 教授 井上 達夫 / 2017)

 

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現代日本の状況と 団塊世代

2024-08-25 05:48:29 | 生き方

もう少し、竹内さんの主張を見てみましょう。

p.171 日本は今、江戸末期の幕末のような状況だと言われることがあります。

   中国などいくつかの国が日本を乗っ取ろうとしている。もうだいぶ入り

   込まれていますが。でも幕末と今では決定的に違うところがあります。

 

p.172 幕末の頃は、国を思い、責任感を持って行動した「志士」たちが存在

   していました。はじめはなかなか足並みが揃わなかったものの、

   最終的には彼らが結束して、日本が植民地化されるのを防ぐことができた。

   ところが、今はそういう結束力を生み出すことができるのでしょうか。

 

   しかも、現代は、大衆がいろいろな意見を言える場がたくさん増えて

   しまったから、その声に引きずられて変な方向に舵が向いてしまう

 

以下は対談相手の川村二郎氏の発言

   団塊の世代のすべてがそうではないですが、彼等には「自分たちこそが

   戦勝国にいいように教育され、操られて行動した人生だった」

   ということに気づいてもらいたいですね。衆愚政治ではありませんが、

   非常な危機に見舞われていますよね。

 

   トランプが登場したとき、私は彼こそ「黒船」じゃないかと思ったんです。

   近い将来、彼が米軍を日本から撤退させるというんじゃないか。

   そうすれば、日本だって目覚めるしかないでしょう。

 

p.173 (再び竹内氏の発言)駅前で憲法改正反対のビラを熱心に配っている

   団塊世代の姿を見ると、呆れるどころか、怒りの感情すら湧いてきます。

   今からでも遅くはないから、目覚めずに死ぬのはやめてほしい。

 

はて?

現在、絶好調の朝ドラ主人公のような疑問符がいっぱい湧いてきます。

憲法9条は自衛権を認めていますし、自衛隊もあります。

それが強力な侵略者に立ち向かうだけの力があるかどうかは別ですが、

「無知・愚か」呼ばわりされるのは心外です。

 

冒頭の竹内氏の発言

現代は、大衆がいろいろな意見を言える場がたくさん増えて

   しまったから、その声に引きずられて変な方向に舵が向いてしまう

という説には、大きな違和感があります。

 

第二次世界大戦、大衆が色々な意見を言えなかった結果、

強硬な軍部の意見に引きずられて、沖縄県民は自決を促され、

ゼロ戦や人間魚雷など、命が粗末に扱われる作戦が蔓延したのでは?

 

 

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団塊世代への挑戦状?を読んで

2024-08-24 05:42:01 | 生き方

同級生からメールが来て、

「私たち団塊世代を、こういう目で見ている人がいるみたいよ」と。

で、彼女が教えてくれたのが、上の写真の本です。

 

著者の一人、竹内久美子氏(動物行動学研究家・随筆家)の巻末言によると、

p.197 特に強調したいのは、現在の日本国が直面している、

   幕末にもたとえられる一大危機についてである。この件について

   強い危機感を抱いている人は残念なことに少数派であり、特に団塊と

   言われる世代は大多数が無知といってよい。

 

   団塊世代は、戦後のベビーブームの頃に生まれ、多くの場合、

   GHQがやっつけ仕事で作り押し付けた日本国憲法を有り難がる。

   「これで日本が本当の民主主義国家になった」などと喜ぶ。

 

   特に九条が素晴らしい、九条があるから日本は平和が保たれている、

   それどころか九条を世界遺産に登録しようなどと、

   とんでもなく愚かな考えを示す人々も中にはいる。

 

p.198 また、戦後の自虐史観教育により、日本は先の戦争で悪いことをした、

   ほかの国に謝り続けなくてはならないと、本気で思い込んでいる。

   彼らはGHQが要所、要所に仕掛けた日本弱体化、日本人を腑抜けにする

   為の罠にものの見事にはまっている。

 

   (中略)団塊世代はこれまで家族や仕事など、各人各様に恵まれた人生を

   送ってきたことだろう。では、日本人としてどう生きてきたのか。

   日本人の誇りを胸に持ち、生きたとどれほどの人が言えるだろうか。

   今からでも遅くはない。いや、目覚めなくてどうする?

 

   子や孫たちの未来が他国によって蹂躙されてもいいと言うのだろうか!

   現状の憲法では、日本はいつ滅んでもおかしくはない状態にある。

   (中略)団塊世代は今こそ目覚め、(憲法改正を目指している)安倍政権の

   足を引っ張らぬことである。何よりも子や孫の世代の未来のために。

 

いくつかの論点が混在しているので、一言では反論できませんが、私の中に

確かに「自虐史観」はあります。誰に教えられたわけでもありませんが、

物心ついてからの読書などにより(特に松本清張など)、

①ドイツはアウシュビッツなどでの非道な行いを認め、ユダヤ人に謝罪した。

②日本は731部隊や南京虐殺事件などに対し、「証拠がない」と主張し、謝らない。

主にこの2件だけで、十分に「日本国は怪しからん」と思ってきました。

 

私以外の団塊世代のことは分からないし、「九条を守る会」には

私が尊敬している方がたくさんいらっしゃいます。

ロシアのウクライナ侵攻、中国や北朝鮮の野望をみるにつけ、

個人的には「九条で大丈夫?」と、心配になってもいます。

しかしながら「団塊世代は!」と決めつけられるのは心外です。

 

 

 

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ポリアモリー その6 タントラとヨガ

2024-08-21 05:37:06 | 生き方

p.155 ダントラとは「己に目覚めるための現実的な方法」であり体系である。

   ダントラの特徴の一つは、「頭で理解するのではなく、実行せよ」というように

   実践に重きを置く点である。

   タントラでは理性に基づいた倫理的な思考には限界があり、自分の体を

p.156 使って得られる理解の仕方があると考える。

 

   そこで実践するのがヨガである。すなわちタントラでは瞑想によって

   本源的な自己の探求を目指す。ポリアモリストの中に、嫉妬が生じた時に

   ヨガを実践する人々がいるのはこのためである。自分の体を使って、

   「今ここ」で起こっていることを感じ、理解し受け入れるための実践。

 

   タントラではそういったヨガ実践こそが、客観的に物事を見極めていく

   方法に繋がると考える。(中略)

 

   ここでいう「真の愛」は様々に解釈することができるが、その一つとして

   「自己への執着」を放棄したところにある「愛」が考えられる。

   タントラにおいて「自己への執着」は「他者への執着」でもある。

   なぜなら「他者への執着」-----あの人を所有したい、自分だけの存在で

   あってほしいという欲望----は自分を中心として世界を見るときに生じるからだ。

p.157 (中略)タントラの目的は己を中心に世界が展開していると考える

   自己中心的な視点を破棄し、宇宙中心の視点に転換することである。

 

自力整体の創始者・矢上 裕先生は「ヨガと自力整体は全然違うもの」と説明され、

私も長年、そのような解釈を伝えてきました。が、私の中では「根っこは同じ」。

ツボを刺激しながら極限まで伸ばしたり刺激することで、

①自力整体では自分の身体と対話し、不調の原因を探り、刺激します。

②ヨガでは、(多分)同じように自分の身体と対話しながら、一旦、自己を忘れ、

   「広い宇宙の中で生かされている自分を発見し、味わう」

ということなら、この二つは限りなく近い存在だと思うのです。

 

私はヨガを本格的に習ったわけではなく、書物やジムなどで触れただけなので、

上記②は、あくまでも個人的見解です。

 

 

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ポリアモリー その5  タントラ・・・・・道を拡広げる方法

2024-08-20 05:38:03 | 生き方

.全てのポリアモリストが「タントラ」を重視しているかどうかは不明ですが、
私にとっては「非常に効果的な精神安定法」のように見えるので、詳しく
書き写します。
 
その前に「タントラ」をググってみると、
   タントラ(tantra)はサンスクリット語で「縦糸」「はた織機」を意味し、
   そこから「枠組み」「教義」「あらゆる種類の作品」「教義書」などを指す
   言葉として使われるようになりました
 
本文中の以下の説明も非常に抽象的で分かり難いけれど、
上記AIの説明よりは、分かりやすいかも、です。
 
p.133 タントラは、簡単に言えば道を広げる方法。
   人はそれぞれエネルギーを持っている。
   ただ自分が不安だったり安定していないと、
   他人を支配することで人のエネルギーを奪う。
 
   タントラは自分でエネルギーを作り出す方法を教えるもの。
   そして、エネルギーを互いに奪い合うのではなく、
   交換することに意味を見出す
   
 
p.134には「素敵な瞬間を体に刻む方法」も紹介されています。
   自分が幸せだと強く感じた瞬間。美しい景色を見た瞬間でも、
   人の優しさに触れた瞬間でも、どんな瞬間でもいい。
   目を閉じて幸福に満ちた感覚を全身で感じる
 
   そして、その感覚を体に閉じ込め、自分の一部にする。
   感謝の気持ちを込めて。はじめのうちは、
   忘れませんように、って唱えたほうが効果的かも知れない。
   そうすると、時が経っても、その感覚を思い出せる。
 
   変化を楽しむ。そして過去に縛られるのではなく、
   未来のことばかりを心配するのでもなく、
   今この瞬間を大切に生きる。もし元気が無いときは、
   過去に得た素敵な感覚を利用して現在のエネルギーにする。
 

今、注目を浴びている「マインドフルネス」に通じるものだと感じます。

私は「タントラ」という言葉の存在は知らなかったのですが、上記の感じ方や

考え方は常に自分自身の中にあって、感謝の念で暮らしてきたような気がします。

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ポリアモリー その4  哲学の大切さ

2024-08-17 05:29:51 | 生き方

上の図は国際バカロレアの説明に登場する10個の資質です。

https://www.edubal.net/ibdiploma/

 

ポリアモリーの議論(まとめ)からは少し外れてしまいますが、

「生き方の多様性を認め、正直に議論し、向き合う」という点では同じ。

ところが多くの日本人は、競争を生き抜く知恵と金儲けの教育は受けても、

生き方・人生哲学を深く学んできていないような気がします。

 

それらは「各自でたくさんの本を読んでゲットするものだ」と言われていますが、

欧米のように、大学入学資格試験に全人的な教養が含まれていれば、

もう少し違ってくるのではないか?と、私は思っています。

 

しかも、日本では大学進学先を決める際、「私立か国立か」を選ぶだけで、

勉強する範囲がさらに大きく減ってしまいます。例えば国公立受験の場合は

共通テストで、国語、地理歴史、公民、数学、理科、外国語の6教科、

多くの大学が5教科以上を課しているそうです。

 

ところが私立大の一般選抜は、3教科が基本

文系学部では英語、国語のほか地歴・公民や数学から1科目選択、

理系学部では英語、数学、理科というパターンが一般的。

だそうです。

 

当然のことながら(?)多くの高校生が「教科数の少ない私学」を選び

自分が受験しない科目は見事に切り捨ててしまうようです。

(少なくとも私の時代は、そうでした。)

で、人間の資質として重要な、哲学や芸術に親しむ機会を失ってしまう・・・・・

ま、受験勉強と「親しむレベル」には隔たりがあるかもしれませんが、

少なくとも、若い時期に、その概要に触れる体験はするわけです。

 

良いモノに接すれば、より深く知りたくなって本を読んだり、

体験しに行ったりすることでしょう。だから、教科は多いほど良い?

ポリアモリーに戻って考えると、

多くの人と接し、学び合い、色々な愛し方を経験することは

人間の成長にとって素晴らしいことなので、積極的に取り組みたいものです。

 

 

 

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ポリアモリー その3 米国の「性を直視する伝統」

2024-08-16 05:30:48 | 生き方

昨日ご紹介した「アメリカの性の抑圧時代」の後、アメリカでは

「性革命」と呼ばれる運動が始まり、性をポジティブに捉える風潮が

登場したそうです。

p.46 性革命が生じた背景には学生運動やフェミニズム、市民権運動の台頭や

   ベトナム戦争などさまざまな社会的要因がある。また、経口避妊薬の

   発明と普及も性革命の原動力となった。(中略)

 

   また、性は夫婦間に閉じられるべきもの、というこれまでの性規範では

   考えられないような現象もあらわれた。例えば婚姻関係のない恋人同士

   が共に暮らす「同棲」、夫婦が合意の上でお互いに恋人を持つ

   「オープンマリッジ」、夫婦や恋人がパートナーを交換する

   「スワッピング」などである。

p.47 また既存の性規範に囚われないヒッピー・コミューンが次々と

   形成されノン・モノガミー実践者に対するサポートを目的とした

   支援機関も創立されている。

   

   性革命はアメリカの性の歴史に多大なインパクトを与えた。しかし

   短命だった。80年代に入ると性の探求者たちは表舞台から徐々に姿を

   消し、家庭崩壊を恐れた人々は性道徳の再建を望み始める。さらに

   伝統的な性道徳を守ろうとする保守派から性解放派に対する本格的な

   反撃が始まっていく。

   1980年代初頭に発見された「エイズ」も、こうしたバックラッシュに

   拍車をかけた要因となった。60年代から70年代にかけて興隆した

   性革命は後退し、人々は保守的な性モラルを解くレーガン大統領とともに

   性的秩序の回復に向かっていったのである。

 

   (中略)亀井俊介は一見すると相反するこの二つの側面に

   ある一貫した精神が流れていることを指摘している。

p.48 それは「性の現実と真っ向から取り組む精神」、すなわち

   「性を直視する伝統」である。つまり、

   厳格な性規範を支持する人にも、性の解放を希望する人にも、

   性の問題をうやむやにせず、きちんと向き合おうという姿勢が

   見られる。こうした性を直視する伝統のあるアメリカにおいて、

   ポリアモリー・ムーブメントが現れたことは、不思議なことでは

   ないのである。

*****************

「直視する伝統」「うやむやにせず、きちんと向き合うと姿勢」

あ~、何と心地よい響きでしょう!

もちろん、どこかの大統領のように「本音と建て前」が違う人もたくさん

いることでしょう。でも、国民として自分たちの代表(大統領)を選ぶ際、

その人の「人間としての資質」を眺め、隣人同士で議論し合える風土は

羨ましい限りです。

 

翻って、日本の現状を見ると、日本国の代表(内閣総理大臣)は

「与党の総裁」であって、全国民の代表ではありません。

国民が、どんなに「この賢そう(?)な人に総理になって欲しい」と

切望しても、何の応援もできない、蚊帳の外です。

 

よく「団塊世代の自虐史観」などと揶揄・非難されますが、

私個人の中では、日本のこういう現状が変わらない限り、

「欧米人の方が賢いわね~」という考えは続くと思っています。

 

 

 

 

 

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