自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

老衰死ができないわけ  その3

2010-10-20 12:28:11 | Weblog

ブログ読者で、看取りの大先輩の方からご質問がありました。
以下、10/16「老衰死ができないわけ」その1の最後の部分です。

************************************
少しでも「痛みが少なく、快適に、美味しいものを欲しいだけ口にして、
安らかな雰囲気で眠る」状態に近づけてあげたいと思うと、かなりの
愛情と体力が必要です。身体介護を含めて考えると、体力的に無理な
場合さえありそうです。
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彼女曰く<看取りだけなら体力は要らないのでは?>というご指摘です。
ん? だって現に私の父を見送ったとき、自宅で介護をしていた母は
くたびれきって、「1時間でいいから、何もかも忘れてグッスリ眠りたい」
「次のショートステイ予定日まで、体がもちそうにない」ということで、
何度か一泊2万円以上の介護付宿泊施設を利用しました。

父はパーキンソン病で、10年くらいかけて徐々に動きが緩慢になりました
が、意識ははっきりしていたし、自分でトイレに行く意思もありました。
が、とにかく動きが遅くて、介助は時間がかかります。
母は一日中父の要求に振り回されて気の休まる時間がありませんでした。

その時のトラウマ?かもしれませんが、
あの時の苦労がずっと続くと思うと、「自宅での看取りは大変そう!」
と思ってしまったわけです。

でも、良く考えてみると、苦労したのは確かですが、
それは<介護に関して>でした。
看取りの定義もちゃんと抜書きしたのに、勘違いしてしまうほど、
介護と看取りとは違うものなのでした!

ということで、私の思い込みが激しすぎたことを反省しています。
ただ、多くの人が介護で疲れ、悩み続けていることは確かですし、
何とか解決していかねばならない問題であることも確かです。

著者の田中奈保美さんには、看取りだけでなく、介護についての本も
是非とも書いていただきたいものです。
全ての高齢者と国民が不要な苦しみを味わうことなく、
爽やかな看取りで旅立てるよう、政治もしっかりして欲しいです。

そのためにも、高齢者医療の現場や専門家の皆さんからの声が
たくさんあがってくることを望みます。

(写真は紅葉の那須岳第3弾)

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枯れるように死にたい --「老衰死」ができないわけ--   その2

2010-10-16 05:51:42 | Weblog
(前項より続き)
 昭和36年に国民健康保険が誕生するまでは、一部のお金持ち以外(特に
高齢者は)、大病しても自宅で開業医の往診を受けるのがせいぜいでした。
しかし国民皆保険制度のおかげ(?)で「お年寄りが自宅で家族に見守ら
れながら亡くなる在宅死は消滅の一途」をたどりました。こうしてお年寄りが
死にそうになると、病院へ送られ、医師と看護士が終末期の面倒を
みて、最期を看取るという形が人々の常識となった。」(49頁)

 その結果、病院での死亡が増え、<身近で自然な死>に立ち会う機会が
激減しました。・・・・・・特養や老健施設スタッフでさえ、「見取りとは、病院で
いろいろな管に繋がれて亡くなっていくことだ」と考える人が増え、
「看取りはしない」と決めている施設も多いようです。著者の夫君はそう
いった施設の長に再就職して、「施設での看取り宣言」をするのですが、
病院や老人福祉に携わる医療関係者に広がっている<高齢者の自然死への
無理解>の壁にぶち当たります。

さらに問題を深刻化させているのが<胃瘻(いろう)>技術の進歩です。
簡単な局所麻酔・内視鏡だけで行える手術のおかげで、「人は食べられなく
なったら、枯れ木のように痩せていって、息絶える」という常識が覆り
ました。食べられなくてもチューブで鼻や胃から栄養を送り込めるのです。
ヨーロッパでは<老衰で食べられなくなった人にこのような処置をする
ことはない>そうですが・・・。

ところが日本の医療制度は「患者への治療」主体で、医療報酬が処置に
対する点数制度であるため(?)、病院経営が大変な時代ゆえ、大掛かりな
延命措置患者を入院させ続けることは、大きな収入の確保に繋がっている
ようです。

 このように人々の意識や制度の問題が複雑に絡み合っているので、
親どころか自分自身の理想の終末さえ、ままならない時代のようです。
私たちは「そんなこととは知らなかった!」「悔しい!」と言わないで
すむように、良い情報や書籍に接して、医療制度を良い方向に推し進めて
いく裾野になりたいと思います。
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推薦図書  枯れるように死にたい --「老衰死」ができないわけ--

2010-10-16 05:38:28 | 推薦図書
              田中奈保美・著 2010/8   新潮社    
 知っているようで、知らなかった色々な事実に愕然としました。

その1
 私の母を含め、多くの人が「無駄な延命治療はいらない。
自然に死なせて欲しい。」と言っています。
にもかかわらず、願いが叶う人は多くない。その理由は、

担当医師が「人の心臓が動いているうちは、外部から強制的に栄養や
酸素を送って、生きる手助けをするべきである。」と考えている場合が
多いから。

担当医師が著者の夫君のように<「終末期」の定義をきちんと押さえ、
理想的最期へのビジョンを持っている>場合は、本人や家族の納得が
いく看取りができそうです。

<終末期>の定義:<著者の夫君で高齢者医療の専門家。>p.207
  「熱や痛みのような症状や訴えがなく、血液や尿などの検査が
   ほぼ正常範囲であれば、食欲が徐々に落ちてまったく食べなく
   なったときには医学的には終末としている。つまり、これ以上は
   延命処置以外は考えられる医療的手当てがない」という状態。

「病気で食欲がなくなって食べられない」場合、「熱が出るとか痛みを
訴えるとか、あるいは昨日までふつうに食事をしていたのに急に食欲が
なくなったとかの症状がある」そうな。(こういう場合は、治療をするのが
当然です。)

「・・・・・・・ただ、医療ではやるべきことがもうなくなったとしても、
家族としてはやれることがまだ残っている。お年寄りが食べものを受け
付けなくなったとき、食事の内容を変える工夫をし、家族が親身になって
たべさせる努力をしたとき食欲が復活した例は、たくさんある」そうです。

具体的には、高齢の家族が寝付いたとき、細かな変化を見極めながら
適切な処置とアドバイスをお願いできる訪問家庭医が居てくれなければ
困ります。そして一番大切なのは、看取る側の家族の熱意です。
(同居している身近な家族だけでなく、遠方にいる兄弟姉妹、口うるさい
親族などへの対処も大変そうです。)

少しでも「痛みが少なく、快適に、美味しいものを欲しいだけ口にして、
安らかな雰囲気で眠る」状態に近づけてあげたいと思うと、かなりの
愛情と体力が必要です。身体介護を含めて考えると、体力的に無理な
場合さえありそうです。
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那須登山 その2

2010-10-13 10:39:57 | 登山&Trekking
駐車場から上がってすぐに見え始める、笹と錦の組み合わせ。
強風と霧で太陽が見え隠れする度に輝き方が変わります。

この後、峰の茶屋付近では立っているのも難しいほどの強風で
写真どころではありません。背中を地面に近づけて風をよけながら
朝日岳方面に向かいます。
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那須岳の紅葉

2010-10-12 05:52:13 | 登山&Trekking
恒例の那須登山、やっぱり凄い!
早朝の朝日岳コースの強風も相変わらず!
コメント (1)
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