昨日会った大学の後輩との会話の中で、彼は「今回の出張では不思議な引き合わせがあったんです」と言い始めました。
「へえ、どういうこと?」
「実は島牧村へ出張に行く直前に、大学時代に一緒にサッカーをした友達と会ったんです。そこで彼と話しているうちに、彼のお爺さんの出身が北海道だと知りました。『あ、そう、出身はどこなの?』『小樽のずっと西の、岩内町のもう少し西』『どこさ』『知らないだろ、島牧村というところさ』『ええ?今度そこへ出張に行くんだよ!』 そういう会話があったんです」
「なんとまあ偶然だね」
「はい。そして、その彼のお爺さんというのが、島牧村ではその昔漁業振興をするうえで地域にとても貢献した方で、ずっと慕われている有名人だったんです」
「なるほど」
「今回の出張では村長さんたちともお話をさせていただきましたが、『私の友人の祖父がこの町出身だそうでして…』と話すと、地元の方は皆すぐに『その名前じゃあ、あの方のご子孫ですね』と分かってくださいました。その話題で最初に盛り上がったので、その後の会話が実にスムースに進みました。本当に久しぶりに会った大学の友人だったので、なぜ今この時に会う事ができて、しかも話題の中に今度行く島牧村が登場することになったのか、不思議でたまりませんでした」
縁というのは不思議なものですが、これなどは、もう何か見えない力が働いて引き合わせてくれたのだろう、としか思えません。
でも人生を長くやっていると、ときどきそういう不思議に出会うことが増えてきます。世の中は、そういうことなのです。
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ただし、一生懸命に良く生きようとしていなければそういう出会いにも導かれないような気がします。
手元にある、「人生手帖」(安岡正篤著 致知出版社)のなかに、「縁尋機妙 多逢聖因(えんじんきみょう たほうしょういん)」という言葉がありました。
「縁尋機妙」の意味は、良い縁が良い縁につながって発展してゆく様子のことで、「多逢聖因」は、良い人に交わっていると良い結果につながる、ということだそう。
人は良い場所で良い人に会う事が大切で、しかもその出会いをお互いに良いこととする努力が欠かせません。
目には見えないけれど、自分を超越した力を感じるセンスを磨いておくことは大切だと思います。
それに助けられたと感じたときに、その直感はさらに磨かれることでしょう。
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