駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『元禄港歌』

2016年01月12日 | 観劇記/タイトルか行
 シアターコクーン、2016年1月8日ソワレ。

 元禄のころ。播州のある富裕な港町では、陸へ上がった船乗りたちが宿や遊び場を求めて陽気に行き交っている。いつも町の若者を引き連れて羽振りを利かせている万次郎(高橋一生)は廻船問屋の大店・筑前屋の次男坊。今日も些細なことから揉み合いが始まり、五年ぶりに江戸の出店から戻った長男の信助(段田安則)が居合わせて弟を諌める。兄弟の母親である筑前屋の女将・お浜(新橋耐子)が現われて信助を出迎えるが、態度はどこかよそよそしい。そこへ、手引きの歌春(鈴木杏)を先頭に、座元の糸栄(市川猿之助)、初音(宮沢りえ)といった瞽女の一団が三味線の音とともに現われる。旅から旅に明け暮れながら、年に一度この地を訪れるのだったが…
 作/秋元松代、演出/蜷川幸雄、音楽/猪俣公章、劇中歌/美空ひばり、衣裳/辻村寿三郎。1972年にNHKで放送された秋元脚本のドラマ『北越誌』を、元禄の播州に移して舞台化。1980年初演。全2幕。

 メロドラマというよりは浪花節? ド演歌?? の世界でした。
 冒頭、大人数のモブをわあわあと出してこの舞台の世界観を作り上げ、お浜がこっくりゆったり台詞を話し出して、ハイこういう世界での物語なんですね、と定めてしまうのが、舞台ではあたりまえのことなのかもしれませんがいかにも見事でした。
 男女の話でもあり親子の話でもあるのかもしれませんが、私はやはりその裏というか底にある差別の視点、社会の話なんだな、ということにすごく圧倒されました。
 確かに信助はずっとなさぬ仲の母親の冷たい態度に耐えてきて、期待を押しつけるばかりの荒々しい父親の態度にも耐えてきて、久しぶりに帰郷してもすぐ「江戸に去ぬる」ばっかり言っていて、ずっとここではないどこかへ逃げ出したいと思っていた、気弱で優しい男なのでしょう。だから初音と知り合い愛し合い、万次郎に間違われる形で襲われて失明して、跡取り息子でなくなれて産みの親とも名乗り合えて彼女たちの一座に加われて、ハッピーエンドなのでしょう。
 でもその落差が、というか急激な転落ぶりが私には怖かった。だってこれは転落ですよね? 五体満足でなかったら一般社会の住民ではない、と自他みんなが認めていて平然としているその空気が、怖かった。今の自分が、まがりなりにも五体満足で、仕事もあるし住むところもあるし、社会の中でどちらかというと恵まれているのであろう場所にいると思えるだけに、その紙一枚感が恐ろしかったです。そうでないと幸せになれない信助が哀れだったし、そういうものを全部捨てても惜しくないと思える愛に出会えた信助をよかったねとも思うのですが…怖くて震えました。
 だって私は、私だったら万次郎の嫁になって筑前屋を盛り立てたい、一度は断られたその見合いの相手になりたい、とか都合のいい夢想に浸っちゃう人間なんですもん…
 夫がよそに産ませた子供を引き取って育て、自分がおなかを痛めて産んだ次男坊を猫かわいがりし、夫にチクチク嫌みを言い続けてきたお浜が、敵とも言える糸栄の手を取って信助の手を取らせるくだりには爆泣きしました。
 宮沢りえがしっとりはんなりいい感じ。鈴木杏がおきゃんでちょっとこまっしゃくれていていい感じ。大好き高橋一生のバカ坊ぶりが素敵でたまらん。
 しかしやはり女形が糸栄をやる意義と迫力、迫真ぶりに圧倒されました。
 濃い外部舞台始めになりました…


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宝塚歌劇星組『LOVE&DREAM』

2016年01月08日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 東京国際フォーラム、2016年1月7日ソワレ。

 愛と夢を全世界に贈り届けてきたディズニーの楽曲を披露する第Ⅰ部、宝塚歌劇で歌い継がれてきた名曲で綴る第Ⅱ部の「北翔海莉Dramatic Revue」。構成・演出/齋藤吉正。

 ディズニーにあまりくわしくないワタクシ…初っ端の「星に願いを」が、みっちゃんがどんなに素敵に歌ってくれても脳内で『NW!宙』のあっきーの歌声に変換されちゃうよ~、から始まって、あまりの夢々しさに気恥ずかしくなり一瞬どうしようかと身悶えしましたが、そのうち一周回ってすっかり楽しくなりました(^^;)。
 なんと言ってもふうちゃんが素晴らしい! 段々スカートには夢しかない!!
 というか、トップ就任時は、「みっちゃん、ふうちゃんを相手役に選んでくれてありがとう」みたいに思っていたのですが(どこから目線だ)、もしかしてみっちゃんの方が果報者で、相手役がふうちゃんであることの恩恵を受けているのでは?とすら、今回思いました。
 ふうちゃんは上手いし歌も上手だけれど、ちょっとファニーフェイスだし性格的には典型的な娘役ではないんだろうなと思われましたが、みっちゃんに可愛がってもらってどんどん可愛くなっているし、本人がすごく努力して、綺麗で可愛いくて娘役らしい娘役であろうとしているんですよね。それが見えて、かつ嫌味に見えたりわざとらしく思えたりはしなくて、ただただいじらしい。そしてその可愛いスキルが組む相手役をとても素敵に見せていると思いました。
 てか人魚姫は泣いたね! 物語が見えたね!! レリゴーももちろん素晴らしかったよね!!!
 そんなディズニー・プリンセスがⅡ幕ではザッツ・宝塚淑女になって始まるのも素晴らしい。楽しく手拍子しました。私は「カルナバル・ド・タカラヅカ」だけが初耳だったかな?
 みっちゃんの『雨唄』リナ・ラモント再びも楽しかったです。サービスとしてもアドリブ・トークコーナーとしてもアリだと思いました。
 しかしかいちゃんの「幸せの鐘の鳴る日」って…号泣。「愛の巡礼」は一昨年の全ツより断然うまくなってるし、まさこセンターの薔薇タンの迫力はものすごいし(人数が違うんだけどあっきーの立ち居地で踊る生徒をついつい見ようとする自分に笑いました)、「うたかたの恋」ってかいちゃん出てなかったじゃん!とつっこみつつまたうるうるして「世界に求む」って…なんなの宙担への罠なのご祝儀なの???
 かと思えばみっちゃんの『THE SECOND LIFE』とかね! 『薔薇の封印』とかね!! 「ENDLESS DREAM」とかね!!! ファンはたまりませんよね。
 「かわらぬ思い」にも震えました。まっつが歌ったときも「上手っ!」と仰天しましたけどね。イヤ私はヤンさんの歌声を未だ愛していますけれどね。
 振り付けが違うんだけれどちゃんとイメージが踏襲されている『ノバ・ボサ・ノバ』もとてもよかったです。「シナーマン」の歌手は音咲いつきくん? マグコンかなんかやった生徒さんでしたっけ、素晴らしかったですね!!
 ぽこちゃんとかも一曲もらっていて嬉しかったけれど、まさこの歌とかはもっと減らして、もっと歌える下級生を使ってもよかったのでは…とはちょっと思ったかなー(^^;)。
 峰里ちゃんもいいんだけど、可愛いスキルはまだまだあいーりの方がありますね。歌もよくなってきているしね。峰里ちゃんはもっと場数踏んだら表情が柔らかくなるでしょう。期待しています。
 あとゆあちゃんね! 素晴らしかったね!! 可愛い、綺麗! 嬉しくなりました。
 これまたお正月公演にふさわしい、華やかな舞台でよかったと思います。しかしこうなると、バウでのコンサートは何をやるんだろう…? すごいコンビだなあ、みちふう!



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宙『シェイクスピアイズ』初日雑感

2016年01月05日 | 澄輝日記
 新年あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。自分のための備忘録と言いつつも読んでくださる方がいるのは嬉しくて、今年もせっせと書きたいと思っています。ホント書かないとアタマの整理ができないタチなものでして…更新はマイペースになるかと思いますが、おつきあいいただけましたら幸いです。

 さて、宝塚歌劇ファン歴22年半にして初めて、いわゆるムラ(私は恥ずかしくてこの言葉がうまく使えないのですが、他に言いようがない)で年越しをし、大劇場公演元日初日を観劇しました。拝賀式入り待ちから鏡開きも回れまして、振る舞い酒をいただき、生田藤井両先生の出待ちをする形になって(笑)、うっかりお店難民になりそうになりながらも何とかごはん屋さんに入れてお友達たちとの打ち上げまで、楽しい元日になりました。
 今年も良い一年となりそうです。健やかに朗らかに、日々悔いなく楽しく過ごしたいです!

 というワケで宝塚歌劇宙組『Shakespeare/HOT EYES!!』を元日初日から四回連続観劇して帰京しました。以下、毎度のごとく現時点での、ごく個人的な感想です。ネタバレ全開かつけっこう詳細に語るモードなので、未見の方はこのブロックまでにして、あとはご観劇後にまた読みにいらしてくださいませ。
 ちなみに、ハードルを下げて臨むつもりで、それでも暴れるつもりでいました(^^;)。だってダメなものはダメだもん、例えばまだそこまであっきーにハマっていなかったからとはいえ『WMW』のダメさ加減が見逃せなかった私ですよ? 『春の雪』とかはよかったけれど、あれは生田先生がすばらしかったのではなく三島由紀夫がすばらしかったのだ、というお友達の名言もあり、今回も全然信じきれないでいた私なのでした。定期購読しているので年内に届いた「歌劇」の座談会も、かなりふわっとしたことしか語られていなかったし…
 でもね、本当に意外に、思ったよりずっと良かったんですよ。思ったより良くて、でも暴れる、という事態も想定していたのですが(^^;)、大丈夫だったんですよ。というかフツーに佳作だと思うんですよ、まあこの表現がどうかって問題はありますが。
 でも、しょうもない偉人伝でも、たわいなさすぎる子供だましの「ファミリー・ミュージカル」でもありませんでした。ちゃんとしていました。
 おそらくこれが他組の演目で、組ファンが「えー、ちょっと…」とかテレてみせていたとしても、私は「えー、別に、フツーにおもしろいじゃん」とか言って楽しくリピートしていたレベルだと思うのです。これまた表現としていかがかとは思いますが。でも自組だともうこれが贔屓目なのかなんなのかよくわかりません。少なくとも『王家』よりリピートがラク、楽しいと思えると思う…という低レベルな比較にならざるをえないところが悲しいのですが。あ、でも『舞音』よりは100倍おもしろいな…(東京公演をまだ観ていないので、一応小声)
 ダメだ何やりたいのか全然わかんない箸にも棒にもかからなくて直しようがない!みたいな作品では全然ない。というか現時点でいくつか台詞を直したいな足したいな、という箇所があるくらいで、あとはもうきれいにできているんじゃないかと私には思えたのでした。
 私の目が愛で曇っていて甘くなっているのか、私にはもうちょっとこの事態が意外すぎてうまく判断ができません…暴れられればある意味簡単だったのに(笑)。
 でもまぁ様ウィル18ちゃい(24歳になっても「24ちゃい」でしたね)は可愛くてキラキラしていてチャーミングで、でも悩める天才というほどしかつめらしくなく、いうなればモテモテで総受けで若いしちょっと流されちゃったんだけどいろいろあってなんとなかってハッピーエンドで未来へGO!というストーリーになっているので、主人公が魅力的に描けていてキャラクターとドラマとストーリーがちゃんとあって作品としてオチていて、まずまずちゃんとしていたと思うのです。いかに普段我々がこの基本的なポイントすら欠けたものを見せられているかって話でもあるんですけれどね。
 というワケでみなさん、多分大丈夫です、ゼヒ劇場に足をお運びください! チケットあるようなので!!(^^;)でも多分損はしませんよ、何しろ観ないと語れないんですからね! ご覧になったらご意見お聞かせください、コメントお待ちしています!!
 自分の意見に珍しくちょっと自信のない私に、指針をください!(笑)

 というわけで、没後ちょうど400年、おそらく世界で最も数多く上演される、今の数え方で37の戯曲を残した、でもその生涯の詳細な伝記や記録はほぼ残されていない、「劇聖」ウィリアム・シェイクスピアの、半生というほどでもないな、ごく一時期を描いた、オリジナル・ミュージカルです。
 定説となった伝記がないから下手な偉人伝にならずにすんだのかもしれませんが、生田先生はわりと素直にウィルを造形していると思いました。ちょっと夢見がちな、ロマンティストな青年、くらいな。私は作家が書く作家ものの作品、しかも書けるの書けないのといったモチーフにはまったくと言っていいほど興味が持てない、みたいなことを年末の別記事に書きましたが、なので初日はえーちょっとその流れやめてーとか思いながらヒヤヒヤ観ていたのですが、どうしてどうしてまっとうなところにおちつき、作家特有の自己陶酔とか自己憐憫とかもちょろっと透けては見えますがまあその程度の自意識過剰は見逃そう、くらいの、実にさわやかな仕上がりになっているように思えたのでした。
 単なるスランプとか才能の枯渇への恐怖が云々、みたいなのってホントに作家自身にしか興味がないネタだと思うのですよ。周りの人にとってはどうでもいいモチーフなの。でも書きたがる作家が多いんだよね。
 この作品は、ウィルが書けなくなる原因をそういうところには置いていません。それだけで私の評価はかなり高くなる、というちょっと意外な事態になったのでした。生田くん、いつか呑もう(笑)。

 幕開きはペストの流行でどんよりしたロンドン。だからこそヤケクソめいた活気にあふれ、日常を忘れさせてくれる演劇が支持されている街。そこでシェイクスピアの新作『ロミオとジュリエット』が上演される。ストラットフォードから出てきたアン(実咲凜音)と息子ハムネット(遙羽らら。激カワ! 子役だけどいい仕事していました)が、ロンドンと往復しながら劇作に励む夫ウィリアム(朝夏まなと)を久々に訪ねてきます。
 ここでアンを迎えるベン(星吹彩翔)には名乗らせてほしいなあ。彼は一座の役者ではないようで、設定としては劇作家らしいのでウィルとはおそらく先輩後輩になるんだろうけれど、説明が特にないんですよね。エピソードを削られてしまったのかもしれないけれど、とにかく主要キャラクターの名前は早めに提示してくれないと、生徒を知ってるファンなら「モンチがやっている役」と把握できますが、そうでない観客には名前がないと役として捉えきれないので、あとでまた出てきても「これ誰だっけ?」ってなっちゃうんですよ生田くん、要修正。
 さて、舞台を観たアンは、『ロミジュリ』の台詞に自分たちの出会いが重ねられて描かれていることに驚きます。
 コマのリチャード(沙央くらま。悔しいけどいい仕事してました。でもこの役も名前が出るのが遅い!)演じるロミオの台詞を引き取って、まぁ様ウィルが語り出す…上手い。ベタでわかりやすすぎてでもちょっとニクくて、結局私はこういう演出が好きなんですよねー。普段いかにこういう定番すらできていない作品を見せられることが多いか以下同文。
 そこから舞台は6年前のストラットフォードへ。町は五月祭にわいているけれど、ウィルは家族の無理解に苦しめられています。このあたりはベタすぎて、せめて台詞なりにもうちょっと工夫やオリジナリティ、輝きやセンスが欲しいのだけれど、まあ目をつぶるか…父親ジョン(松風輝。いい仕事してました。ホントはこんな老け役ばっかりなのも申し訳ないのだが、上手いし職人の期だからなー…)に何を書いているのか聞かれて、ウィルが「台詞だよ」とだけ答えるのはややわかりづらく感じたので、「芝居の台詞だよ」とした方がいいかもしれません。シェイクスピアは詩人でもあり、言葉にこだわりがあった人ではあったのだろうけれど、「台詞を書きたい」っていうのは普通の人にとってはちょっとぴんとこない。「芝居を書きたい、劇を作りたい」の方がわかりやすいと思うのです。
 家を飛び出し森に逃げ込んだウィルは、同じく弟から家のために意に添わぬ相手と五月祭で踊るよう強要されて逃げてきたアンと出会います。アンは史実でもウィルより8歳も年上だったのだし、ここでも行き遅れ扱いされる台詞があるのだからそれを踏襲した設定となっているのでしょう。なのでみりおんにはもうちょっと大人っぽい、賢げな作りにしてほしかったんだけどなー個人的には。だって妖精や魔女をこのアンは信じていないんでしょう? なのに見たことはないけど感じる、みたいなことを言っちゃうウィルに話を合わせているうちに信じられるような気になってきて、それで恋が芽生えるんじゃん。そういう台詞になってるじゃん、そういう流れじゃん。だからなんかカマトトに見える今の役作りは違うと思うんだよなー…
 それはともかく、執筆に行き詰っていたウィルが、アンとのふれあいの中で心が動きインスピレーションが喚起され、言葉が自然と紡がれるようになる…というのは、これまたベタですが素敵な流れだと思いました。そう、私は創作とは個人の頭の中だけのただの妄想とは違うと考えているのです。周りの人々とのつきあいや社会での暮らしの中で動かされた心が、ある種の才能ある人の手にかかると物語に変化し作品に昇華するのだ、と考えているのです。引きこもってただ自己満足のためにこねくり回すような空想とは本質的に違うと思っているし、孤高の天才が天から得たものだけで魔法のように無から生み出すものでもないと思っているのです。だから私にはこの展開がとても嬉しかった。
 アンは未だ上演されたことのないウィルの芝居を個人的な役者として演じてみせ、ウィルはそこからさらにイメージを得て芝居を仕上げ、アンの励ましの元にがんばる決意をする…美しい。実際には演じるというよりは詩を朗読するような形になっていましたが、物語の最後にアンがもう一度女優をやる場面を効かせるためにも、ここはもっと演じている感じにした方がいいと個人的には思います。
 さてしかし、アンには死んだ父の残した農地を守るために嫁がなければならないパリスという男がいたのでした。これに扮するのは我らがあっきー、後述。 
 いろいろあってウィルは街の有力者の不興を買って追放となり、追っ手から逃げた先でアンと『ロミジュリ』ばりの逢瀬を果たします。初日にここに客席から笑いがこぼれたのは、『ロミジュリ』を何度も観ている今の宝塚ファンからしたらここがちょっとただの出来の悪いパロディにしか見えなかったからですよね(その前のアンが木から落ちるところでの笑いも『エリザ』のパロディに見えたからだと思う)。まあもちろん、ここのまぁ様のキラキラ18ちゃいっぷりが可愛くて微笑ましかったということもあるかとは思うのですが。二日目11時の回からは笑われなくなって安心しました。ここはむしろニヤニヤすべきところです。
 アンを追い立てるのは乳母ではなく弟(瑠風輝。ロバート・アーミン演じるバーソロミュー、の場面ですが、アンの弟がバーソロミューという名前なのか? 『ロミジュリ』にキャピユレット側の若者やジュリエットの親戚の男などとしてこの名前のキャラクターがいるのか? 後述)で、アンにウィルの追放を告げて立ち去りますが、ちょっと中途半端に見えたので、「姉さんはパリスと結婚するんだからね!」とか捨て台詞っぽいものを足したかったです。
 ウィルは演劇愛好家のエリザベス1世女王(美穂圭子。いい仕事をありがとうございます…)におもねるべく劇団を立ち上げたいと思っていたジョージ・ケアリー(真風涼帆)の目に留まり、ロンドンに出ること、彼のために芝居を書くこと、アンと結婚できることへの道が開かれていきます。そうして彼の書く芝居は民衆の支持を得ていく…
 妻ベス(伶美うらら。今回のザッツ二番手娘役扱いはショーともどもとにかくすばらしい、正しい。歌わせないことも含めて、こう使わなくっちゃこの人は!)の助言もあって、ジョージはウィルの「言葉の魔力」を民衆の扇動と自分の権力掌握のために生かそうと考えるようになる…
 そんなこととはつゆ知らず、ロンドンに出てきたアンとハムネットと、家族水入らずの時を楽しむウィル。だが父親が金の無心に来たりして…ここもベタで工夫が特にないところがなんなんだけれど、それよりウィルが職業差別しているように見えかねないところはちょっと修正したい。彼は父親が従事する革手袋職人という仕事を低く見ているわけではないはずなのですよ、ただ自分には向かないし他にやりたいことがあるから継ぎたくないと思っているだけなはずなのです。ジョンは好きでこの仕事をやっているのだろうし、誇りも持って働いていたでしょう。腕もよかったのかもしれません、たとえ酒のために借金まみれだったのだとしても。ウィルはわかっているからこそ、のちに父のために女王に紋章を願い出たはずなのです。ジョンが母親が寂しがってるから帰郷してやってくれ、と言うのもごく普通の、かつ真実の願いなのだから、ウィルの方が変に意固地になりすぎているように見せない方がいいと思います。少なくとも「嫉妬」という言葉は唐突すぎると思いました。
 ウィルは父親を冷たくあしらいますが、父親が執着した、家に紋章をもらい準貴族階級であるジェントリになること(ということではないのかな? わかりやすくするために「ジェントルマンになる」としたのならかえってわかりづらいことになっている気がしました)を女王との謁見の際に申し出ます。しかしそれは女王の廷臣セシル親子(凛城きらと天玲美音。ロバートか背むしみたいなのは史実なのかな? 別に忠実にやらなくとも、とも思いましたが…)に阻まれます。ジョージは彼らと政治的に対立しているのでした。
 ジョージの盟友で、ウィルの作品への理解もあるのがサウサンプトン伯ヘンリー・リズリー(愛月ひかる。私はすごくすごーく良かったと思っています。私が愛ちゃんをわりと好きだということを差し置いても、正しい役作りだったと思うので。三番手として気持ちよく上げられている、というか正当に扱われているのもいい)とエセックス伯ロバート・デヴルー(桜木みなと。リズリーに対して武闘派、という設定のはずなのですが、持ち味がノーブルすぎて剣を持っているくらいじゃそうは見えない…私はずんちゃんのスター性をものすごく買っているのだけれど、今くらいからもうちょっと引き出しを増やしてくれないと、後がつらいよとは激しく言いたい。がんばれ!)で、彼らはウィルをさらなる欲望に目覚めさせようと妖しい世界に誘います。
 「ダーク・レイディ」エミリア(星風まどか)の使い方がまた心配されていたワケですが、演目発表時にあったウィルと彼女との秘めた恋云々みたいなのはなくなっていて、よかったと思います。シェイクスピアは彼女をはじめ多くの女性と浮名を流し彼女たちからインスピレーションを得ていたのだ、故に家庭はあまり幸せではなかった、とする説もあるそうですが、この作品はそうはしませんでした。それでいいと思いましたし、進撃のまどかの使い方としても超正しかったと思います。お衣装はちょっと普通すぎたかもしれませんが、ワンポイントでものすごい印象を残しました。私は早すぎるとは思いません、かつてこれくらいの役付きをした新進娘役なんてたくさんいましたし、まどかは立派にやれていました。期待!
 彼女の魔力によって欲望が解放された世界でのもと、という設定で、愛ずん長椅子しなだれかかりとかゆうりまどか絡み合いとかをぶっこんでくる生田先生を嫌いになれない自分が憎いです。他組でだったら、そういうあからさまなホイホイみたいなのはいらないんだよ!と暴れていたと思うのです。だがこれは楽しい…甘くてすみません…
 ウィルは書きたいものを書くのだけれど、書く場所を与えてくれるスポンサーとしてのジョージ、そして題材やテーマを提案してくれる今でいうプロデューサーみたいな存在としてのジョージが必要でもあるのですよね。このあたりの生田先生の作家観も自分と合致していて、私の評価ポイントなのでした。
 民衆の支持を集めて、ウィルはどんどん人気劇作家になっていくけれど、その作品はジョージの指示のもとどんどん政治的になっていく。忙しくて家に帰らないことも多く、家族との距離ができていく。なのにリチャードに慰められるアンを見て、ウィルはアンの浮気を疑い逆上する…スピーディーかつ自然です。ウィルが好きすぎてアンの浮気を疑わせるような耳打ちしちゃうジョージがたまらん(笑)。まあこのあたりは『オセロー』とかを踏まえているんでしょうけれどね。
 このくだりでウィルがリチャードに言う「あんなに言っても僕の言葉は届かなかったのに」みたいな台詞は、それ以前にウィルがそんなふうにリチャードと会話するシーンがないのでおかしいと思いました。何か場面がカットされたのかな? 確かに本当は、もうちょっとウィルがリチャードやポープ(澄輝さやと)ら役者たちと親しくしている場面が欲しいところなんですよね。
 アンは家を出てストラットフォードに戻りますが、ウィルはその置き手紙にすら長く気づかない始末。そして父親からハムネットの死を伝えられる…
 一方でセシルたちは劇場を閉鎖し、ウィルやジョージたちを国家反逆の罪で告発します。ここでサウサンプトンたちがウィルをかばうのはちょっと唐突ではあるんだけれど、彼らがウィルを、政治的に利用しようとしていただけでなく本当に彼の才能や作品の価値を買っていたのだ、とするのは爽やかだし正しいと思うんですよね。愛ずんというスターがやる役だからただの悪役にしない方がいい、というのももちろんありますが、私はこの健やかさが好きです。
 で、賭けで白黒つけようぜ!となる展開もまたベタですが、そこからラストの大岡裁きでハッピーエンド決着、というベタベタな流れが私は実は嫌いではないのです。ここが実は一番の勝因かなあ。駄目な人はこのザツさ、急なノリの方向転換、まとまりのなさや風呂敷畳みきれてない感が駄目なんじゃないかと推察されます。しつこいようですが他組なら私もそう感じて暴れたかも。でもなあ…ホントちょっと笑っちゃったんですよね微笑ましくておもしろすぎて。いつかうっかり泣きかねない気がするんですよね…よくできていると思うのです。
 夫を持たない女王も感動させるような「夫婦愛の物語」を書き上げる、しかもジョージたちも役者として手伝わせる。成功すれば恩赦、ダメならロンドン塔送り。それがウィルに与えられた課題でした。
 アイアンメイデンの連呼はいただけなかったですねー、あんなに何度も繰り返すんじゃなくてそれが何か説明しないと。拷問道具の名前とか仕組みとかは常識じゃないんだよ生田くん。だが「イケメン」云々のギャグはいいと思う。寒い笑いに厳しい私ですが、甘いですかね…
 アンとハムネットを失って打ちひしがれた今のウィルにはそんな作品なんて書ける気がしません。劇場が閉鎖されたので一座も解散し自棄酒中。でもここでリチャードが実にいいことを言うのでした。
 作家を作品世界の神として扱うことは多いけれど、「世界は劇場、人はみな役者」という世界観の中で、劇作家の役なんだから芝居を書け、として作家を世界の中に入れてくる発想は、私は見事だと思いました。やる気を取り戻すウィル、再結成を祝って呑み集う仲間たち、いいミュージカル・シーンです。
 しかしパトロン、劇作家、役者(ここにも「観客」と足したかった)が揃っても、それで芝居ができるとは限りません。作家が作品を書くのに必要なものがひとつ足りないからです。このときのウィルにとってはそれはつまりアン、愛です。愛する人を喜ばせたい、彼女に一番に読んでもらいたい、そんなシンプルな想いから創作意欲というものは生まれるものなのです。現実の世界で愛によって心が動かされてこそ物語が生まれる、この考え方が私は好きです。やはり生田くんいつか呑もう!(笑)
 リチャードとジョージがアンを呼び寄せ、アンは「舞台を観るだけ」と言ってウィルには会わず、でもかつてウィルが作ってくれたドレスを着て劇場に現われます。天覧に緊張したヒロイン役者が気絶する中、舞台の幕は開き、ジョージたちもなんとか役者をやりおおせる…
 初日に、シェイクスピアと肩を並べろとは言いませんが生田先生が書く台詞が全体的にあまりに凡庸で、センスや輝きや引っ掛かりがないなーと思いながら観ていて、唯一いいなと思ったのがジョージの「おまえは俺をいつも奮い立たせる」だったのですが(主にヤラしい意味でニヤリとしましたすみません)、まさかこんなリプライズが仕込まれているとは思いもしませんでした。何度も言いますが寒い笑いには厳しい私ですが、これはよかったと思います。フツーにウケました。緊張して右手と右足が一緒に出ちゃうジョージとか、女役で声を裏返させちゃうリズリーとかも、ベタベタだけど素直に笑えました。
 舞台の主役はウィル自身が演じ、いわゆる『冬物語』の、妻の不貞を疑って死なせてしまった王を途中まで演じて終えますが、ヒロイン役者の代理で妻の彫像に扮していたアンが動き出し、メタ演劇みたいになって物語をハッピーエンドに誘います。ベタですねー、でもよかった。
 私は人の親にはなっていないので真の意味で理解できていないかもしれませんが、子供を失うというのは当時のことでも夫婦には重い問題で、簡単には乗り越えられることではないのでしょう。でもふたりで許し合えるのなら乗り越えられる…例えば戦争とか、もっと広いことにも響くような歌詞で、感動的でした。
 リチャードがそのまま「時」の役として彼らのその後の歴史をちょっと語ったりするのも、洒落た構成だと思いました。歴史的にはこの後の世にいろいろあるんだけれど、ひとまず今はこれにて、というハッピーエンド。意志あるところに道は開ける、Will in the World。美しい。綺麗なラストシーンでした。

 なので生田先生、悪くないんじゃないのかなー。この先もがんばってほしいなー。タイトルには工夫が欲しいのと(こだわっているらしいサブタイトルなんかどうでもいい、大事なのはメインタイトルです)、秀才系の人にありがちなんだけれどリスペクトというより若干のパクリ感、少なくともデジャブがあるのをなんとかして、よりオリジナリティあふれる作品を創作していっていただければと思っています。
 ちょっとねー、冒頭とか『スカピン』か?と思ったし、女王のテーマソングやラストシーンは『1789』か?と思ってしまったのですよ…がんばれ!!!

 最後に、あっきー演じるトマス・ポープがアンの求婚者パリスになり、かける演じるジェームズ(風馬翔)がルーシーになり『ロミジュリ』でいうところの大公にもなっている(そしてもえこアーミンがバーソロミューになっている)、ストラットフォードの五月祭場面について。
 ウィルとアンの出会いがのちに『ロミジュリ』になる、だからこの五月祭は仮面舞踏会にあたる。その回想場面に、現在のロンドンで『ロミジュリ』を演じている一座の役者たちがスライドする形でまざる…おもしろい趣向です。そしてウィルがロミオに、アンがジュリエットになる。
 でも、りくケンプ(蒼羽りく)とそらヘミング(和希そら)、そしてもえこアーミンは途中で着替えるんですよね。それでベンヴォーリオとマーキューシオとバーソロミューになっている。というかそれは『ロミジュリ』での役名で、回想の中ではウィルの友人たちでありアンの弟なワケです。彼らとしての名前は出ません。そして舞台のある種のお約束として、衣装が変わるから違う人に見える。
 だからパリスも名前を出さないか、かけるが大公にあたるルーシーにスライドしているように、別の名前を与えられるべきだったんですよ。パリスだけが『ロミジュリ』の役名とアンの求婚者で同名になってしまっている、かつあっきーとかけるだけが着替えていない。だから混乱するんです、同じ人なの? それとも二役ってことなの?と。
 しかもポープもジェームズも、この時点で名前が提示されていません。だから中の人(つまり生徒)がわかる人でも、「あっきーがやっているパリスって人とかけるがやってるルーシーって人は、ストラットフォードではウィルと対立していたのに、一緒にロンドンに出てきてのちに役者になったってことなの?」ってなっちゃうんですよ。それじゃせっかくのこのギミックが台無しなのです。生田くん、わかる?
 「歌劇」の座談会で生田先生は、一座の役者であるあっきーポープがを、彼がただ『ロミジュリ』で、かつ回想場面でパリスを演じているだけでなく、素のポープ自身もちょっとバリスに通じるところのある、ネアカでテンションの高いキャラクターとして書いている、と語っているのですが(「ネアカ」って言葉、久々に聞いたよね…)、せめて全然違う性格を振っているならまだしも、わざわざ似せているから余計に混同されて、せっかくのおもしろい着想が生かされていない事態になっちゃってるんですよ!
 あっきーを愛でてくれているのはありがたい、しかし当の本人も演じるのに混乱するようでは困るのですよ。ちゃんと理屈を通してください、お手紙しますね。

***

 一方、ダイナミック・ショー『HOT EYES!!』の作・演出は藤井大介先生。大階段全場使用が話題の作品です。
 結論から言うと、それが成功していたとはちょっと思えませんでした。ショーにおける大階段の使用の変遷に関してはたとえばこちら
 私は様式美好きなので、よっぽどの斬新なコンセプトがない限り、ショーにはプロローグ、中詰め、ロケットとデュエットダンスと大階段での群舞とパレードのフィナーレが必ずあってほしい派です。
 映像でしか見ていませんが、33年前に全場で大階段を使用した『オペラ・トロピカル』は、大階段云々以上に構成が斬新で、見事なショーだったと私は思っています。残念ながら今回それはとても超えられなかったと思います。
 いわゆるお立ち台みたいなものが据えられっぱなしで、大階段をそのまままるっと全面使った場面はひとつもありませんし、幕が下りていて階段が見えない時間も意外と長い。階段がただ平場を狭くしているだけにすら見えるような気がするのです。高低差を生かす振り付けはありますが、それならセリでいい気もしました。
 大階段は全面使ってこそ、あの広い中で余白を生かしつつフォーメーションを変えるからこそおもしろいのであって、単にやたらと昇り降りするのを見せられても危なっかしくてヒヤヒヤするだけなのでした。
 平場が狭い分、宙組のショーにしては生徒が銀橋に出たり客席下りすることも多く、それはそれで嬉しいのですが、それくらい他組のショーなら普通だろう、と冷静に考えれば思うのです。少なくとも銀橋への生徒のこの程度の出し方は1年前にはしていてほしかった。でも『フェニタカ』のときには、「宙組のショーに客席下りがあるなんて…!」ということだけで感動して喜んでいたのです我々は(本公演では10年だか11年ぶりだかだったんですよね?)。どんだけ不遇なんだ宙組ファン…
 ま、組子が楽しそうに踊りまくっていて、新調のお衣装もたくさんあって、よかったねえ楽しいねえと喜んでしまう部分もあるんですけれどね。でも、もっとちゃんと、常に上を、より良いものを目指していっていただきたい、とこちらとしても求めたいので、まず「とりあえずダイスケ休め」とだけは言いたいです。
 細かい萌えポイントその他は、またいずれねちねち語らせていただくか、観劇のたびにツイッターで垂れ流すと思います。そちらもおつきあいいただければ助かります。

 最後に、残念な点をひとつだけ。みりおんに、かのちゃん並みに拍手が入っていませんでした…
 初日はこちらも何がどう来るかわからないから、ライトが当たっただけでそれが誰であろうと拍手を入れるし、音楽が止まってもそれで終わりかわからないから拍手が入れきれず固まる…とか、いろいろあるじゃないですか。でも二日目マチネからは手拍子含めもうまとまってくるものです。それが組ファンだしリピーターです。
 冒頭の、あおいちゃんときゃのんのセリ上がりには拍手が入らなくなりました。私は入れてもいいと思うけれど、でもまあ確かに今回このふたりとすっしぃさん、てんれーの四人はスター枠ではなく管理職組なんだと思うので、なくてもいいっちゃいいのでしょう。そのあと本舞台のみりおんにライトが当たってショー本体が始まるところには、さすがにちゃんと拍手が入っています。
 でもそのあと、みりおんが下手お立ち台に再登場してライトがちゃんと当たるときに、拍手が入らないんだよね…ハイここから最初のデュエダンですね!ってところなんだけどね…
 中詰めの「天使のウィンク」にも手拍子が入らないんだよね…銀橋に出てからの後半はかろうじて入る回もありましたが。
 いわゆるジャガー場面(Mysterious EYESからLoving EYES)のとっぱしにみりおんが下手花道から登場するときにも、拍手がない。
 Dark EYESでゆりかが同じように下手花道から登場したときも、初日は拍手がなかったんじゃないかな。でもそれはこれから銀橋に出て歌うなりなんなりしたときにライトが当たるなり帽子を取って顔を見せるなりの振りがあるかもしれないから、そこに向けて拍手を待ったんですよね。でもそれがなく、そのままゆるりと歌い出す振り付けだとわかった、だから次の日からはもう登場時に拍手が入るようになりました。そういうことだと思うのです。
 みりおんに関しても同じはずなのに、でもこちらは拍手が入らないままなんですよね…
 正直、私はみりおんが苦手です。上手いと思う、でも可愛げがなく見える気がする。何よりぶっちゃけ飽きました。『エリザベート』での卒業発表を待っています。彼女なら外でだって全然活躍できると思うし、相手役が変わった方がまぁ様のトップ寿命が延びていいとも考えています。
 それはあくまで私の考えで、周りの空気がどうなのかは知りません。でもとりあえず今の宙組のトップ娘役は彼女なのであり、私は様式美を愛していることもあってスターさんの登場時には拍手を入れるとか「フッ」って掛け声が入ったら拍手するとかロケットの脚上げから手拍子するとかは必ずしたい派、するべきだと考えている派なのです。
 だから…ええ…実際私が拍手を切れていないんだから、ここで書くのは卑怯なのかもしれませんが…まあ誰かが切ったら自然と続くと思うので次はムキになってでもやろうかなと思っていますが…やはりあれはあえて拍手を入れないという選択をしているんだろうな、そういう空気が充満しているんだろうなと感じられて、気持ちがわかるだけに余計に心が冷えたし、でもええかっこしいと思われても無理にでも入れたいです次は。入れるべきだと思うから。スターを尊重し敬意を払うべきだと思っているから。
 まずは今週末、がんばります。重いファンですみません…



コメント (7)
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