駒子の備忘録

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『舞音』初日雑感

2015年11月17日 | 観劇記/タイトルま行
 宝塚歌劇月組『舞音/GOLDEN JAZZ』大劇場公演初日と、翌日マチネを観てきました。
 例によって例のごとく、ごくごく個人的な所感です&ネタバレ全開で語ります。未見の方はご留意ください。

 まず私は景子先生作品がわりと好きです。特にバウホール作品には佳作が多いと思っています。世代としてほぼほぼ同じだと思うので、「わー、わかるわー」って思いがこっぱずかしくなる部分も含めて、どちらかというと擁護派です。
 擁護派、なんて言い方になってしまうのはもちろん、苦手にしている観客も多いと聞いているからです。
 でも私だってたとえば『愛革』とか『ロスグロ』とかは散々こき下ろしましたけどね?
 今回に関しては、『マノン・レスコ―』をベトナムに置き換える企画だと聞いて、「ああ、『ラ・マン』とか流行ったもんね…」とまたまたこっぱずかしい思いもしつつ、個人的にはバレエ版も好きだし(感想はこちらこちらなど)、舞台をスペインに移したアサコとミホコの『マノン』も映像でしか観ていないのですが大好きなので、わりと期待して行きました。ちなみに原作小説はおそらく読んだことがない…と思うが定かではない、そんなレベルです。
 全編を通して松井るみの装置が素晴らしく、韓国ミュージカルの作曲家だというJoy Sonの楽曲も新鮮でドラマチックで、美しい舞台になっていたと思います。
 で、この美しい世界観の中で、愛をもてあそぶちゃぴマノンと、彼女におぼれて破滅するまさおシャルルのメロドラマに、甘くせつなく激しく萌えたかったんだけど…アレレ?
 少なくとも私は、マノンが死んじゃってかわいそう、みたいな幼稚な理由では泣けないのです。初日はつらかったなー…二日目にはもう補完・補正してまあまあ楽しく観られるようになってしまいましたけれどね。そんな時点での感想を、以下つらつら語ります。

 まず、この脚本が書かれたときに今の月組の体制が考慮されていたのかどうかという問題がありますが、作劇的に残念ながら番手ごまかしは続行中な感じで、これまでダブル二番手扱いだったカチャ、みやちゃんと今回正二番手に就任した形になる珠城さんの三人が三人とも、ドラマの主軸ときちんと絡めていなくて、結果的にドラマそのものが不発になった感じがします。
 カチャはまさおシャルルの親友役、みやちゃんは「もうひとりのシャルル」、珠城さんはちゃぴの兄、とポジションを分け合っていますが、ドラマに対してどうにもこうにも機能していないように見えました。というかこのお話が描きたかったドラマってなんなんだ?
 みやちゃんはシャルルの心情を踊るような役で、登場場面も多く、ラストも印象的で、儲け役だったかもしれません。でもドラマに深く関わっていたかというと何しろ幻というかイメージみたいな存在なので、そんなことはできようはずもありません。これでファンは嬉しいのかなあ?
 一方、カチャ演じるクリストフという役は、シャルルが本当のところ屈託を感じていたフランス貴族社会の象徴のような存在なのではないでしょうか。クリストフは貴族の子弟としてもきちんと義務をまっとうしていてフランス人女性を妻に迎えて家庭を営んでいて軍務もきっちりこなしていて、本来ならシャルルもそうなるはずだった、でもできなかった、ということなのでしょう。
 それにしても性格づけというか特徴づけというか、クリストフが人間としてどんな男なのかということがほとんど描かれていず、親切心から忠告しているのだとは思うのですがシャルルに対してやたらと頭ごなしに説教しているようにしか見えなくて、私にはどうにも嫌な男に見えました。というか正論ばかり言っているつまらない男に見える。これまたファンは嬉しくない気がします。カチャがまた、脚本に書かれているとおり、演出で指示されたとおりの芝居を四角四面にしているようにしか見えないんですよね。でもそれじゃ損だしもったいないと思います。もっと自分に引き寄せていいし、自分でキャラクターを作ってしまってもいいから、もっとナイスガイな親友役を作っちゃった方がいいんじゃないのかなあ。ここが魅力的になるとこの話はだいぶ違って見えるんじゃないかなあ。
 そして珠城さん演じるクオンですが、「金のためならなんでもする男」とされているのですが、私の珠城さん好きバイアスを別にしても、それってある程度当然のことじゃないのかなあ?と思えてしまうんですよね。というかクオンって別に極悪非道なこととか全然してないじゃん。嫌がる妹を金持ちに売り飛ばす女衒のようなヒモ兄、では全然ない。妹思いの良き兄だし、妹も兄を慕っています。
 彼らは了承済みで金持ちに寄生する生き方をしています。生きていくにはお金が必要なのは当然のことで、もちろんまっとうな人間なら自分で額に汗して働いて稼ぐわけですが、マノンの美貌が売れちゃうんだからそれを売って安楽を買うのは正直罪とは言いがたい(私は買春はともかく売春というのは厳密には犯罪とは言えないのではないかと考えているので)。彼らは子供の頃に裕福な暮らしをしていたので貧乏が何よりつらく、つらい思いをするのを避けるためにできることをしているにすぎません。
 もちろんシャルルの金が尽きたと見るとクオンがシャルルを賭博に誘って、金を稼がせそれを巻き上げようとするのはあくどいことです。密輸の片棒担がせることとかもね。でも現状、それにうかうか乗っちゃうシャルルがちょっと愚かに見えてしまっていると思います。
 さらにとしちゃんソンたちの民主化運動を利用しようとするのも、私にはいっそちょっとカッコいいなクオンとか思えてしまったんですよね。祖国とか理想の社会とか関係ない、インドシナもフランスも自分たちを助けてくれなかったんだからこっちだってそのために働いてやったりなんかしない、と嘯くクオンは潔くてカッコいい。ある種の正しい生き方だとさえ言えると思うのです。
 だからこのキャラクターは、珠城さんのいい人オーラを差っ引いても、物語上の悪役として機能していなくて、だからドラマの盛り上がりを作れていないのだと思うのです。だいたい、かなり早くに死んじゃうしね! ちなみに珠城さん自身はニンでなかろうこの「悪役」をギラギラとゲスにすごくがんばってやっていて、私は好感を持ちましたが甘いですかそうですか。ともあれ珠城さんをこの先さらに育てるためには「いい二番手役」をやることが絶対に必須なので、そういう役を与えてください作品を与えてください。ただ羽根背負わせりゃいいってことではないのです。

 というワケで周りのキャラクターが主役ふたりに上手く絡めていない中、では当のふたりが何をしているのかというと、これもかなり謎。マノンが「♪愛がなんなのか」わからない、みたいなことを歌う歌がありますが、愛が何かわかっていないのは景子先生なのでは…とすら思いました私。
 フランスのがんじがらめの貴族社会にちょっと息苦しさを感じていて、ベトナムに赴任してきたらちょっと開放的な気分になって、そこで出会った蠱惑的な美貌の踊り子マノンに一目惚れして、一夜を共にしたシャルル。でもマノンからしたら、父親と同じ髪の色、目の色をしたちょっと美形のフランス人に口説かれて嬉しくて一晩つきあっただけで、そんなことは今までにもたくさんあっただろうし、シャルルがこのまま一生自分の面倒を見てくれるのかと思えばそうではなくて明日には軍務に戻るとか言うので、だったら自分だって予定どおりせりちゃん李氏のところに行くわ、ってだけのことですよね。
 なのに勝手にキレてマノンを平手打ちするシャルルって、けっこう駄目な男に見えます…安易なDV演出は禁止、と言いたいよ。
 で、ちょっとミソつけたシャルルだけれど、その後は軍務もきちんと務めて優秀で、彼の足を引っ張りたい同僚にも隙を見せない。上司の娘で幼なじみのわかばカロリーヌとの婚約も予定どおり整いそうな運び。そこでマノンと再会して、聞こえよがしに高級娼婦呼ばわりするのはいいとして、私がわからないのはそのあとです。
 何故マノンがわざわざシャルルを追ってきて、傷ついたわとか愛がなんなのか教えてよとか言い募る展開になるの? マノンにとってこの時点のシャルルは、過去に一度だけ関係を持ったあまたいる男たちのひとりにすぎないじゃないですか。娼婦呼ばわりされてカチンときたかもしれないけれど、もう別に関係のない男だし、どう思われてたっていいじゃないですか。「そうですけど、何か?」って嘯いて、ノンシャランと生きていけばいいだけのことじゃないですか。今までだってそうしてきたはずじゃないですか。何故今回は違うの? そこに納得できるエピソードや台詞は何もなかったよ? マノンの行動は作者都合すぎて、まったく説得力がありません。
 またこの時点のシャルルが、一目惚れした女にあっさりフラれて逆恨みしているだけの男でしかないじゃないですか。このキャラクターの素敵なところが全然描かれていませんよね? まさおが、スターがやってるってだけではキャラクターは素敵にはならないのです、ちゃんと描いてあげないと。
 ふたりは別にまだちゃんとした恋も何もしていない。だってただ一夜を共にしただけだもん。すごーくセックスがよかったのかもしれないけれど、まさか景子先生にとって「真実の愛」ってそういうことなの? だからあんなにセックス・イメージのダンス場面ばっかり作るの?
 セクハラと言われようとあえて言いますが、景子たんちゃんと恋愛してる? というか別に実体験がまったくなくても物語としてきちんと構築できていればなんの問題もありませんが、この物語における、このふたりにとっての「真実の愛」って何? というかなんだと景子先生はしているの?
 それがさっぱり見えないから、観客はふたりのその後の逃避行(?)を応援する気になれなくて、物語を追っていく気がなくなって、集中力が保てなくて退屈してただ美しいシーンを眺めるだけ、みたいになっちゃうんですよ。だからスターが歌う大ナンバーのあとにもパラパラとしか拍手が湧かないんですよ。だって心が揺さぶられないんだもん。意味不明だから。
 初日の客席のあの空気をちゃんと感じた? 作家としてそれをどう思ってるの? 責任の所在は生徒にはありません。あくまで自分の名前で作品を発表している作家にこそあるのだと、私は考えています。猛省を促したいです。

 本当は、恋愛を描くことってものすごく難しいことなのです。恋愛ってものすごく個人的なことだし、相手のどこが好きだとかどこが他人と違うのか何故恋に落ちたのかとかって、当事者でも上手く説明できなかったりする。
 そういう本来はごくごく個人的な体験である恋愛を、物語の中で、みんなが共感できる、なんというか汎用性のある事象に描くのって、ものすごく難しいことだとわかっているつもりです。でもだからこそそこに工夫が必要なんじゃないですか。あるいは才能が必要なんじゃないですか。
 一目惚れから始まっても、そのあとよくあるパターンではキャラクターの孤独を理解してくれたのは相手だけだったとかなんとか、とにかくなんらかの理由付けをするじゃないですか。宝塚歌劇はトップコンビが恋に落ちるのがほぼ自明とはいえ、その手続きは物語としてやはり踏んでほしいのです。それが今回はできていないと私は思う。
 フランスとインドシナというふたつの国の狭間にいて、でも政治的にはあくまでノンポリでただ愛だけを求めたふたりが、始まりつつある内戦に巻き込まれるような形でひとりが命を落としひとりが生き残って終わる悲劇…というのはなかなかに劇的な趣向だったと思えるだけに、残念です。(ただこの点もホント言うと、オスカルみたいなとしちゃんたちの方がカッコよく見えてノンポリなシャルルが腰抜けに見えかねないという、恐ろしい危険をはらんでいるとは思うのですけれどね…)

 でも、そもそもの企画として「破滅するまさお(の美しさ)を見せたい」みたいな趣旨があったんだとしたら、別にマノンってシャルルを真実の意味では愛さないままでもよかったと思いますけれどね、個人的には。
 結局マノンには愛がなんなのか理解できないままで、裕福に暮らさせてくれれば相手は誰でもいいんだけどどうせなら若くて綺麗で優しい男の方がいいからシャルルといるだけで、シャルルの金が尽きそうになれば兄と一緒によその男のところにフラフラ行っちゃうし、シャルルが金を稼ぐために留守がちになれば寂しくてやっぱりフラフラよそに行っちゃうし、そんな駄目な女なんだけどシャルルは愛していて見切れなくて賭博だろうが軍紀を犯そうがマノンのために金を作ってはふたりで愛欲におぼれる日々を送り、ズルズルと駄目になっていく…というお話でもよかったと思うのです。そんなマノンのように気ままに生きてみたい、深く愛されてみたい…という願望は観客にも確かにあって、何も純愛とか真実の愛とかを見せてくれなくてもそれで十分酔えたと思うのです。それじゃ駄目だったのかな?
 私としては、今思いついたのですが、たとえとしてはあまり正確ではないのだけれど、たとえばパリに逃げて転落していったセルジュとジルベール(@竹宮惠子『風と木の詩』)みたいなドラマが見たかった気がしているのです。娼婦に入れあげて破滅する、ってそういうことですよね。いやセルジュとジルベールの間に確かに愛はあったんだけれど、でもではジルベールが最期に何を求めて結果的に馬車に飛び込むことになってしまったかと言えば、それはかつて安楽と庇護を与えてくれた別の男の幻ですからね? そういう、愛があっても負けることがあるということを描いた恐ろしい悲劇の物語ですからねこれは? いやそんなレベルの名作をここに求める気はないですがしかし、ね? それこそ景子先生が読んでないわけない作品なだけに、私はちょっと想起してしまったのでした。

 毎度エラそうな書きようで、ご不快に思われた方がいらっしゃったらすみません。
 全然違う見方で楽しく観ている方も多いのかもしれません。ラストはけっこうすすり泣きが客席から漏れ聞こえますからね。
 水を差すつもりはないのです、私はこれでは泣けなかった、もっと泣かせてほしかった、泣くよう作れるはずだということをただ言いたかっただけなのです。すみません。

 ところでまたトートツに思いついたのですが、景子先生のバウ作品5連続再演で全組でバウ・ワークショップって企画とか、どうですかね?
 『ハリラバ』『舞姫』『アンカレ』『オネーギン』『近松』その他まだまだありますよね? 『ロミジュリ』もイイ、もちろん『ラスパ』も。これは企画として楽しいと思うんだけれどなあ。
 WSって生徒の勉強に絶対なるし。景子先生のバウ作品には再演する価値のあるものが多いと本当に思うし。
 …と、ちょっとフォローのように提案してみるくらいには、私はこれでも景子先生のファンなのでした。ホラ、愛の反対は無関心だから! 愛があるからこそウダウダ言っちゃうんだから!!
 …と、ますますフォローめいてきたので今回はこのへんで。なんだかんだまだあと3回遠征するので(笑)、すぐ違うことを言い出したらすみません…
 どろん。




 
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