駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

ジェットラグ『罠』

2016年01月12日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 紀伊国屋ホール、2016年1月11日マチネ(千秋楽)。

 あるアパートの一室に、明日入籍を控えた男女が同棲していた。そこへ、男の友達だという女4人がやってきた。4人は結婚式で披露するサプライズの取材に訪れたと言い、男には秘密だと言う。女は初対面の女4人を招き入れるが…
 作・演出/山崎洋平。全1幕。

 どんなトラップが仕込まれた舞台なのかな…と、こちらも身構えて観るじゃないですか。そのせいもあるかもしれませんが、私はわりと最初のうちはノリきれなくて、けっこう困ってしまいました。
 このあらすじはプログラムにあるものを書き写したのですが、まずそんな設定だとわかりませんでしたしね。キタさんがひとり暮らししているアパートで、台本読んで歌の練習かなんかしているからミュージカル女優さんなのかな?くらい。椅子がふたつあるダイニングテーブルが出ていたけれど、同棲感はあまりなかったですし。だいたい、左薬指にした結婚指輪を外して投げ捨てるところから始まらなかったっけ? あとなんで音楽が「白鳥の湖」だったの?
 オープニングの曲が「キッスは目にして」だったのは「♪罠」という歌詞のためだと思いますが、宙組大劇場公演に通っている身としてはツボすぎました(^^;)。
 で、そのキタさん、部屋着だからどの程度の女優さんなのかよくわからないし、彼氏の女友達4人に踏み込まれてからも、お互い含むところがあるという芝居だから怪しげなのはわかるんだけど、私にはきらりの芝居がすっごくナチュラルに見えて、それからするとキタさんの芝居は浮いているようで、そういえば私、卒業後の彼女の舞台を初めて観るんだったわとかキタさんの芝居好きだったんだけど外の舞台だと違って見えるのかなーとか、けっこう邪念が浮かんでしまいました。
 何よりキタさんが、年下の男と結婚しようとしている女に見えなかったし、彼の浮気に怒って浮気相手たちを罠にかけるような女に見えなかったんだけど、なのでミスキャストなんじゃないかと思わなくもなかったんだけれど、でもそういうのも全部ひっくるめての「罠」でありギミックだったんだろうか…という気はしました。
 ストレート・プレイなんだけど突然ぶっこまれる歌謡シーンは、私は嫌いじゃなかったですけれどね(^^;)。
 サスペンスなのかコメディなのかギャグなのかシュールなのかリアルなのかよくわからず、でもまあまあ笑っているうちに、最後のオチにどかんとひっくり返された、という感じでした。
 まあでもこれでいいならなんでもありになっちゃうし、これで整合性があるのかどうかよくわからないし、やや卑怯な気もするオチでもあるとも思うのですが(たとえば『道玄坂綺譚』にはその先にさらに素晴らしい展開があったのだから)、これまた宙組担としては笑うしかないオチでもあるワケで、まあ楽しく観終えました。
 きらり、これからもお仕事していってくれるといいなー。そしてキタさんも、いつもおもしろい演目を選んでいるイメージなので、機会あればまた観ていきたいです。
 ジェットラグは『私はスター』を再演するとのこと。チラシにわざわざちーちゃんの名前を出すの、いいと思います。OGでもなんでも使って知られていかないと、こういう小さい劇団は運営がつらいはずなので。私みたいに釣られて出かける人が必ずいるはずなので。
 今年も外部もいろいろちゃんと観ていきたいと思っています。いい出会いに恵まれますように。




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『元禄港歌』

2016年01月12日 | 観劇記/タイトルか行
 シアターコクーン、2016年1月8日ソワレ。

 元禄のころ。播州のある富裕な港町では、陸へ上がった船乗りたちが宿や遊び場を求めて陽気に行き交っている。いつも町の若者を引き連れて羽振りを利かせている万次郎(高橋一生)は廻船問屋の大店・筑前屋の次男坊。今日も些細なことから揉み合いが始まり、五年ぶりに江戸の出店から戻った長男の信助(段田安則)が居合わせて弟を諌める。兄弟の母親である筑前屋の女将・お浜(新橋耐子)が現われて信助を出迎えるが、態度はどこかよそよそしい。そこへ、手引きの歌春(鈴木杏)を先頭に、座元の糸栄(市川猿之助)、初音(宮沢りえ)といった瞽女の一団が三味線の音とともに現われる。旅から旅に明け暮れながら、年に一度この地を訪れるのだったが…
 作/秋元松代、演出/蜷川幸雄、音楽/猪俣公章、劇中歌/美空ひばり、衣裳/辻村寿三郎。1972年にNHKで放送された秋元脚本のドラマ『北越誌』を、元禄の播州に移して舞台化。1980年初演。全2幕。

 メロドラマというよりは浪花節? ド演歌?? の世界でした。
 冒頭、大人数のモブをわあわあと出してこの舞台の世界観を作り上げ、お浜がこっくりゆったり台詞を話し出して、ハイこういう世界での物語なんですね、と定めてしまうのが、舞台ではあたりまえのことなのかもしれませんがいかにも見事でした。
 男女の話でもあり親子の話でもあるのかもしれませんが、私はやはりその裏というか底にある差別の視点、社会の話なんだな、ということにすごく圧倒されました。
 確かに信助はずっとなさぬ仲の母親の冷たい態度に耐えてきて、期待を押しつけるばかりの荒々しい父親の態度にも耐えてきて、久しぶりに帰郷してもすぐ「江戸に去ぬる」ばっかり言っていて、ずっとここではないどこかへ逃げ出したいと思っていた、気弱で優しい男なのでしょう。だから初音と知り合い愛し合い、万次郎に間違われる形で襲われて失明して、跡取り息子でなくなれて産みの親とも名乗り合えて彼女たちの一座に加われて、ハッピーエンドなのでしょう。
 でもその落差が、というか急激な転落ぶりが私には怖かった。だってこれは転落ですよね? 五体満足でなかったら一般社会の住民ではない、と自他みんなが認めていて平然としているその空気が、怖かった。今の自分が、まがりなりにも五体満足で、仕事もあるし住むところもあるし、社会の中でどちらかというと恵まれているのであろう場所にいると思えるだけに、その紙一枚感が恐ろしかったです。そうでないと幸せになれない信助が哀れだったし、そういうものを全部捨てても惜しくないと思える愛に出会えた信助をよかったねとも思うのですが…怖くて震えました。
 だって私は、私だったら万次郎の嫁になって筑前屋を盛り立てたい、一度は断られたその見合いの相手になりたい、とか都合のいい夢想に浸っちゃう人間なんですもん…
 夫がよそに産ませた子供を引き取って育て、自分がおなかを痛めて産んだ次男坊を猫かわいがりし、夫にチクチク嫌みを言い続けてきたお浜が、敵とも言える糸栄の手を取って信助の手を取らせるくだりには爆泣きしました。
 宮沢りえがしっとりはんなりいい感じ。鈴木杏がおきゃんでちょっとこまっしゃくれていていい感じ。大好き高橋一生のバカ坊ぶりが素敵でたまらん。
 しかしやはり女形が糸栄をやる意義と迫力、迫真ぶりに圧倒されました。
 濃い外部舞台始めになりました…


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