駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

澄輝日記2

2014年12月21日 | 澄輝日記
 多分そのうちカテゴリーを作ると思いますが、とりあえず今のところは。

 みっちゃんのことは月組下級生時代から知ってましたし、上手いことはわかっていました。
 ただトップスターになるにはタイミングその他いろいろな要因が必要だとも思っていました。
 来るなら星か宙だろうし、宙かなとも思っていました。まぁ様よりベニーの方が劇団からの二番手スターとしての扱いがちゃんとしていることは歴然としていたからです。
 だから宙の次期トップスターがまぁ様だとあっさり発表されたときは、私は正直意外に思いましたし、なら逆にみっちゃんトップの目はもうなくなったのかな、とも思いました。でも星の次期トップスターがなかなか発表されず、どうもみっちゃんに決まったらしいよと噂が聞こえてくるにつれ、ならばベニーかゆりかのどちらかを星から出すのだろう、と思うようになりました。で、学年から考えて、まゆえり、みりだいみたいなことを三度宙でまぁベニとしてやるとは思えなかったので、べニーが月に行くか、ゆりかが花か宙に行くのかな、と思いました。そしてもしゆりかが宙に来るなるとカイちゃんをどこかに出すのだろうな、とも思っていました。で、そのあたりで想像が止まっていました。
 カイちゃんの行き先まで含めて実際に組替えが発表されたとき、だからそれは私としては想定内だったのだけれど、それでもやっぱり迫ってくるものがありましたし、心の準備が中途半端だったなと痛感するくらい動揺しました。組替えする当の生徒のファンも賢い人は想定していたでしょうが、それでもやっぱり現実となると動揺したことでしょう。そして送り出す側としても迎える側としても、組替えがない生徒とそのファンだって同じように動揺するのでした。
 でもやっぱり、組替えというのは基本的には栄転人事だと思うし、組の戦力として計算されているからこそ対象となるのだし、今回は妙な不可解さはなく、妥当なものだと私は思いました。
 チエちゃんの後任っていろいろタイヘンだと思うし、今のベニーでもやってやれないことはもちろんないと思うのだけれど、劇団としてはみっちゃんをどこかでトップスターにしてあげたかったのだろうし、ベニーには足踏みになっちゃうかもしれないけれどいい経験になるだろう、いつか必ず結実するだろうといい方に判断されたのだと思うのです。逆に言うとみっちゃんの後任としてトップが確定したのだ、とも私には思えました。タカスペを休演するほどの体調不良は心配ですが、体を大事にして、がんばってほしいと思っています。
 ゆりかは、チエちゃんからまこっちゃんへと続く星組伝統の一人っ子政策の流れの中できちんと扱いに応えてきた生え抜きの秘蔵っ子スターです。もはや三番手ではなくダブル二番手下席扱いでした。彼女はもう待たせられません。別の組で正二番手、そして次期トップへという時期に来ているスターです。だから星から出した。
 ともみんの卒業が発表されているので、だいもんが二番手スターとなるのであろう雪組を除いて、二番手スターが確立している組は他にありません。月組は89期のカチャみやダブル二番手の下に不動の三番手エースたまきち(94期)が控えていて、ここに92期のゆりかをつっこむとは思えない。なのでゆりかの行き先としては、89期のみりおがトップで93期のキキがいる花組か、88期のまぁ様がトップになるのに伴って89期のカイちゃんが二番手に上がるのであろう宙組、の二択だったでしょう。
 私はゆりかは花組でもおもしろかったと思います。あきちなゆりキキという並びは濃くて華やかで意外に花組っぽく染まりそうだなと思えました。ただそうやって囲んじゃうとみりおがいかにも小さく見えちゃうだろうし、毛色が変わって見えちゃうだろうな、とは思いました。それを嫌ったのか、宙の戦力補充が急務と判断されたか、ゆりかは宙に異動することになりました。
 そうしたら学年順でカイちゃんの下で三番手とすることは今までから扱いを下げることになります。かといってここまで上げて育ててきたカイちゃんの上でゆりかを二番手扱いするのもカイちゃんがかわいそうだ、だからカイちゃんを出す、そういうことだと思いました。
 行き先が花組だとみりカイ並びで次期トップの二番手、みたくなりますが、さすがにそこまでの準備はできているとは思えません。星組なら、現在の宙組三番手ポジションからみっちゃん、ベニーの下の三番手扱いですから、単なるスライドです。すでに単独バウ主演を果たしている恐るべき95期のまこっちゃんがいますが、さすがにまだ新公内ですし、カイちゃんの上に置くとは私には思えません。カイちゃんをスターとして残す意志があるからこその組替えだと思うし、だから想定内だし、納得なのです。
 宙組はまぁ様、ゆりか、愛ちゃんで綺麗なトップ3を作り、遅れていた新人育成にも本格的に手を着ける。やっとずんちゃんに新公主演をさせた、もっとバウでもショーでも若手を使っていくべきなのです。ゆうりちゃんがみっちゃんの相手役に呼ばれることがなかったので下級生娘役の扱いはまだまだ悪いままかもしれませんが、少なくとも男役はかなこまりなあきもルイマキセといるのだからもっともっと使っていかなきゃダメなんです。上級生も全然いないんだけど、脇の芝居ができるまっぷーやかける、さおがいてくれるからギリギリ成立する…でしょう。
 で。
 となるとあっきーなのですが。
 ともちんやマサコ、キタさんみたいな別格スターとして立てる存在感は正直ないと思うし、ちーちゃんのような熱さ、器用さも持っていない人だと思うので稽古場の裏番長みたく芝居を仕切っていくこともできなさそうだし、かといってダンスリーダーってタイプでもないと思うし…と、やっとはたと思い至ったんですね。
 本当に勝手なんだけれど、カイちゃんがいてくれれば、一緒になってわきゃわきゃ楽しくまぁ様を支えて、それこそまぁ様卒業までゆるゆるいてくれるかな、と漠然と思っていたのですよ。でもそのカイちゃんがいなくなる。ゆりかとは予科本科で知らない仲ではないだろうし、周りの組子との橋渡しを上手くしてあげてほしいなとか思うし、ゆりか本人とも仲良しだと嬉しいな、とか思うのだけれど…それでゆりかが組になじんで新体制がおちついたら…?とまで思い至ってやっと、私は怖くなったのでした。

 組替え発表があった日の夜、私は月組公演を観劇して、幕間にまぁ様担のお友達とカイちゃん担のお友達とに合流し、カイちゃん担の友と抱き合いました。というか私が勝手に抱きついて、彼女は「わははは」とおどけて笑ってくれたのだけれど、私の方が泣きそうででもお互い泣かなくて、でもそれはまだいろいろなことがテンパっていて消化できなくてとりあえずいろいろシャットダウンしていたところがあったからだと思うのです。
 その翌日、タカラヅカスカイステージ「Brilliant Dreams七海ひろき(personal)」のファーストランを見たあと、スカステの放送が終わる午前三時まで彼女と泣きながらライントークした夜を私は決して忘れることはないでしょう。そのときやっと思い至ったことが本当にいろいろあったのです。
 カイちゃんは大丈夫。カチャが組替えしてからの上げられっぷりに正直とまどいもあっただろうけど、ちゃんと応えてきて今に至っているんだし、路線スターって大変だろうけどやっぱり夢と希望に満ちあふれていて楽しいと思うのです。ひるがえってあっきーは、『NewWave!-宙-』の「主な出演者」(「主演」ではない。まっつバウはともかく、確かソノカのバウは「主演」じゃなかったでしたよね。それと同じだと思うし、他に何人か名前が挙げられなかったのはたまたまだと思う)になったのはいろいろあっての棚ボタだとしか私には思えず、抜擢とか路線になったというような見方は私には全然できません。新公主演を滑り込みで一度やっているとはいえ、彼女が路線スターとして扱われたことは一度もないと私は思うし、今もそうだし、一足先に卒業したちーちゃんのポジションがたまたま回ってきているにすぎないとしか思えません。
 でもそれでいいのか、このままでいいのか、もっと欲を出して何かするべきなのか、そもそもできることがあるのか、そういう正念場なのではないか、仲良くわちゃわちゃやっているだけではもうなんともならないと思われたからこその今の事態なのではないか…というようなことをつきつけられた夜でした。
 今、ベニーの休演に「生徒もファンも正念場」と語るツイートがありましたが、他人事ではないな、うちもだな、と思ったのです。

 で。
 なのに、当の番組は、あんななのでした。 
 撮影時にはカイちゃん自身はもう組替えを知らされていたのでしょうか。でも少なくとも企画時にはまだだったんじゃないかな、そして『WMW』つながりのこのメンバーでこの企画を、というのは以前からうっすら考えていたのではないかと思います。そして置き土産ということもなく、やり逃げということもなく、ただただやりたいように楽しくやってくれたのでしょう。ビバおたく!!!
 カイちゃんがブリドリをやると知ったとき、「パーソナルに呼んで!」と思いましたし、そうカイちゃん担のお友達にも言いました。いざ予告が出て企画内容を知って悶絶し、予告映像で『フットルース』のときの制服姿を見て悶絶し、月トクスペでさんざんたまきちに萌えてから帰宅してひとり晩酌を始め、正座こそしませんでしたがこたつに身を乗り出して放送を見守りました。
 もう本当にどこからつっこんでいいのかわかりませんでした。つらい。TLも大変な騒ぎでしたね。

 登場したときの「イェ~イ」みたいなゆるさはともかくとして、何故あんなにもカイちゃんのそば近くに立つのか? くっつきすぎやろ、邪魔やろ! さおの立ち位置が正しいよ?
 何故すぐ真横にあるカイちゃんの顔をあんなにも見つめてコメントするのか? 見づらいやろ! 見すぎやろ!
 目つぶって笑うの可愛すぎてつらい。開眼してキメるのらい。
「カイ先輩にイロイロ教えていただいて」
 やめて! こんな表記にするくらいイロイロ困った人たちが見てるのよそこにイロイロ見てしまうのよ、そんな言葉を不用意に発してはいけないのよ? 不用意でも、イロイロよくわかっていなくても、できてしまう男・澄輝さやと…(イヤ男役なだけで男ではないのだが! ナチュラルに「できる男」言うたわねカイちゃん!! イヤ意図はわかるのだが!!!)
 さおに「うそつき!」とつっこむ速さつらい。
 娘役ちゃんたちの制服姿に「見るだけでテンション上がる」とコメントしてカイちゃんに時間差で「チャラいね!」とつっこまれるのとかもホントつらい。リボンタイやネクタイだけでなく「髪型も(変えたんだよ)ね」ってサポートのコメント入れるのも仕事できすぎでつらい。台本をカイちゃんが書いたという説明をフォローというか仕切っちゃう感じなのもつらい。天然だけど仕事デキるのホントつらい。
 カイちゃんに「全国のあっきーファンの皆さん」と呼びかけられてテレビに向かってさらに身を乗り出した自分つらい。「私を褒めてください」って褒めるどころかお歳暮贈りたくてつらい。カイちゃんの関西弁萌えはいかにも地方出身者だなとか思っちゃうんだけど、ネイティブなのに関西弁台詞が棒読みというもしかしてさやと様芝居下手なんじゃ疑惑まで引き起こしかねない事態を作られてしまいつつも、ちょっと冷めてて斜に構えている転校生の上級生でも運動部というキャラをあっきーに振ってくれてカイちゃんありがとうつらい。
 相手役のしぃちゃんが美人すぎてつらい。このパートのドラマ収録から放送する編集が神すぎてつらい。だって時系列おかしいもんね? 準備や服装の順番から見て…
 演技指導に熱が入る七海監督がおもろすぎてつらい。小悪魔のリハに完全に顔背けて体が逃げてる澄輝先輩つらい。困り眉になりながら指導をハイハイ聞く先輩つらい。「あかん」ってつぶれるのつらい。「オッケーです!」って飛び込む七海監督のときめきMAX表情つらい。テレが一周してしょぼくれて見える先輩の背中つらい。
「カイさんに関西弁使えない」「なんでやねん」つらい。
 あっきーの肩と肘にしがみついてモニター覗き込むしぃちゃんが可愛すぎてつらい。何かにしがみつかないと耐えられないのはわかるけど、あと廊下が寒いのかもしれないけど、しっかと抱き合ってモニター見つめるカイあきつらい。足組んだまま抱き合ってるのもつらい。
 にまにましすぎているのであろう口元を両手で覆っちゃうのつらい。倒れ壊れるのつらい。
「おまえ誰の? 俺のやろ」つらい。
 昼休みに真ん中でモテてるのつらい。ここ何話してんのか聞きたすぎてつらい。あっきーの右手とカイちゃんの左手がくっついちゃってて一度外すと重ねないでは戻すところなくなっちゃって後ろに引いたりポケットに逃げたりしてるカイちゃんの手つらい。耳打ち話つらい。
 彼女を迎えにいって彼女の女友達に手を挙げて去る様子がチャラいつらい。肩の抱き方がナチュラルでつらい。リハの「入る? 入る?」って関西弁イントネーションつらい。自分のマフラー彼女に巻いてあげて左右の長さ整えてつないだ手を自分のポケットに入れたあとニッて笑うのつらい。
 外が寒いってのもあるんだろうけどカイちゃんのひっつき虫みたくなってコートひっかけたままモニター見てるのつらい。
「…なんかもう、疲れましたね」って本音で笑い取っちゃうのつらい。しゃべる前に息抜くように笑うのつらい。「一番心拍数が上がったのは男同士だよね」って水向けちゃうのつらい。てか誰がやろうって提案したのつらい!
 男女三人ずつのカップルをちゃんと入れ替えて全組み合わせを作ったのは素晴らしいと感心したんだけど、BL壁ドンでも全組み合わせとリバしてて素晴らしすぎてつらい。順番とかがまたたまらなく素晴らしくてつらい。カイちゃんの顔の上げ方とか傾け方とかが完璧すぎてつらい。
「カイさんとやる方が恥ずかしい」と笑いながらカイちゃんの肩を抱くあっきーつらい。ドラマ収録終えてもずっとアリサの肩抱きっぱだったカイちゃんもたいがいだったけどこのナチュラルさホントつらい。コーフンして手がグーになっちゃうカイちゃんが可愛すぎてつらい。壁ドンなのにドンじゃなくて「ぺたん」て音するのがまた可愛くてつらい。
 てか人差し指一本でカイちゃんの顎グイしちゃう澄輝先輩マジでつらい。「おまえもな」ってここは同級生設定なんですかね? 実際の学年はカイちゃんの方が上ですから「あんたもな」もアリでしたけどね、でもこの対等感がリバの極意でもありますよねやっぱわかってるんですかねつらい。
 あっきーに壁ドンするときにだけ逆の手をつかむカイちゃんつらい、その手を振り払う形で顎グイするあっきーホントつらい。
 「(男役同士は)まず顔近づけることないもんね?」とか言うけどアンタたち冒頭のひっつき方自覚ないのかつらい。
「おしまい」までたどりついたときの「これでやっと終わる…!」感ホントつらい。今回の再生でも生き残れた…!って毎回思う(笑)。てか本気出しすぎてこれ以上やべえってなって思ってごまかしテレ笑いに逃げる感じがホントーホントーにつらい!!!

 娘役同士の壁ドンもあればよかったのに、という意見も多かったようだけれど、百合発想まではなかったのかもしれないし、それこそスミレコードに引っかかるのかな、とも思いました。いうてもコレ全部女子同士だし立派な百合ですけどね?
 でもそもそも宝塚歌劇団は女性ばかりの団体だからこそ、「清く正しく美しく」で異性の影を見せないようにしているのはもちろん、女性同性愛も匂わせないよう細心の注意を払っているのではないでしょうか。男役同士の男性同性愛ふうBLはギャグですむ。彼女たちは実際には男性ではないからです。でもガチ百合はNGってことですよね、だって本当は女性同士なワケですからね。
 フェアリーですもんね。でも実際は異性愛も同性愛も普通にあるだろうけどね。
 あと、男役が男ではないように娘役も女ではないので、やはり上手なファンタジーとして百合を扱うことはあっていいと私個人は考えていますけれどね。
 とりあえず娘役だけのバウ公演とかやってくれないかなあ。吉田秋生の『櫻の園』とかが観たいけど、『若草物語』とかの翻案でもいいし、娘役5人くらいの90分のオリジナル芝居、とか書ける脚本家、外部で知ってますよどうですか?

 いやあしかしカイちゃんのこのおたくっぷりというか奇才は本当に貴重です。星組でもいいカップルを見つけて萌え倒してくださいね。勝手に心配していたよりずっとメンタルが強いタイプの生徒さんっぽいので、がっつり応援しますよ、のびのびがんばれ! そして大きくなってなんなら帰ってこい!! とりあえず星『NW!』はカイちゃんでやるんですよね劇団さん!!!
 そしてあっきーは…かつてちーちゃんが『風共』のお稽古場だったかな? それこそあっきーを泣かせるほど絞ったそうですが、それも愛あればこそ、期待しているからこそ、上積みがあると思うからこそしごくんだよね。ほやほやしていても、ゆるゆるしていても、たまたま周りがいなくなっちゃって居残った上級生になってしまっただけでも、こんなにフィーチャーしてもらってポジションが回ってきていて、飛躍のチャンスが来ているということなのかもしれませんよね。がんばろう。ファンもがんばるよ。
 とりあえずゆりかバウの二番手色悪役をやらせてください歌劇団さま! 絶対にいい仕事します、させます!! 飛躍します!!!
 まずは『NW!』でショースターっぷりを開花させよう! もっともっと歌えるし踊れると思うんですよ、今まで場を与えられてこなかっただけで。ガツガツいこう! きっと楽しいよ、見たことなかった景色が見られるよ!!
 宙組大劇場千秋楽の楽屋入りイベントで、テルのお神輿を担いだ先頭がカイあきでした。大空さんのお神輿担ぎには入れなかったあっきーが…! 感無量です。
 本当は、あたりまえだけど本人の人生だし、どんな選択や決断をしても絶対に支持して応援し続けるんです。本人が幸せならファンも嬉しい、それがこの世界だから。
 だから無理強いはしたくないし、もちろんできるものでもありません。でもまだまだできることがあると思うから、観てみたいものがたくさんあるから、それは伝え続けたい。そんなウザい応援を私は続けたいです、ごめんなさいね。
 うだうだしていた時期もあったけど、今となってはなるようになっただけにも思えるし、私は今本当に楽しくて幸せです。応援する生徒さんがいるって素晴らしい。その人が幸せなら私も幸せ、なんて思える相手が存在するなんて本当にありがたい。自分のこと以上に考えちゃう存在がいるだなんて本当にすごい。勝手に、一方的にだけれど、それでも。
 重くてなんぼが愛だよね。うん、きっと大丈夫。
 そんなことをとりとめもなく最近考えていて、一応書き付けておきたかったのでした。あくまで個人の日記です、重ね重ねすみません。






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『私はスター』

2014年12月13日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 赤坂RED/THEATER、2014年12月12日マチネ。

 公式のあらすじがないので説明しがたいのですが…東北のとある寂れた遊園地の、キャバレーと名づけられたステージでのお話。
 作・演出/山崎洋平。全一幕。

 ミュージカル、というよりは音楽劇、かな。作家は「江古田のガールズ」という劇団の人で、「ジェットラグ」というところのプロデュース公演だそうです。宝塚歌劇団を卒業した蓮水ゆうやの初舞台ということで、観に行ってきました。
 楽しかったです。小さい劇団でも演技がきちんとしていて芸達者な役者さんってたくさんいますよね。そんな中で主役としてちゃんと「スター力」を発揮していたちーちゃん、素敵でした。声は男役のままやんか、って感じだったし、18歳って言われたら私は舞台では18歳なんだと思うタイプなのでギャグとしてやや微妙に感じたりしましたが、まあ瑣末なことです。ちーちゃんで「I am what I am」が聞けるとか「キャバレー」が聞けるとか、思ってませんでしたからね!
 綾音らいらちゃんとかやっぱりすぐわかるし、らんまるのロケットの脚上げの高さときたら本気全開でした。
 話はなんてことないし、「レビューのショー」って日本語はどうなんだ、とか思いましたが、こういうエンターテインメントはもっとあっていいと思いましたので、がんばっていっていただきたいです。常に「私は肉で」の精神で!(笑)



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宝塚歌劇星組『アルカサル-王城-』

2014年12月11日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚バウホール、2014年12月6日マチネ。

 14世紀カスティリア王国に生まれたドン・ペドロ(麻央侑希)とエンリケ(十碧れいや)、ふたりの王子の物語。国王アルフォンソ11世(十輝いりす)は愛妾とその一族、そして彼女との間に生まれた子供たちを愛し、王妃と世子を軽んじていた。庶子でありながら厚遇を受けていたエンリケと、嫡子でありながら冷遇されていたドン・ペドロ。共に国王を父に持つにもかかわらず境遇の大きく異なるふたりは、やがて互いの覇権を賭けて争うことになる…
 原作/青池保子、脚本・演出/中村暁、作曲・編曲/西村耕次、鞍富真一。全2幕。十碧、麻央の初・ダブル・バウ主演作。

 93年に『メランコリック・ジゴロ/ラ・ノーバ!』を観て宝塚歌劇ファンになって以来今年で初めて、一年間のすべての演目を一度は生で観劇しました。今まで東上しないバウ作品は意外と見送ることが多かったのです。もちろん記念式典や大運動会、年末のタカラヅカスペシャルとかは行けてないのですが。
 最後までチケットが取れなくて大変だったのが星全ツ『風共』とこの『アルカサル』で、でも特にこちらは原作漫画のファンだったので、知人が一般発売でやっとチケットを取ってくれたときには小躍りしました。ポコちゃんの初主演、というのも見守りたかったですしね!
 その後チケットが意外とダブついていると聞いたりして、あらら…と思ったりしていましたが、初日の感想も私に聞こえてきたところでは上々で、楽しみに出かけました。
 が、残念ながら、私は失敗作だと思いました。漫画の舞台化として典型的な失敗例であり、直近で『伯爵令嬢』という成功例を観ていただけに悲しくなりました。青池先生は楽しんでおられたようですが、私は原作ファンとしても宝塚歌劇ファンとしても生徒のファンとしてもとても憤りました。
 同じ歴史もの、王の一代記ものとして(『アルカサル』は王の死まで描いていませんが…そもそもそこにも問題があったのでは…後述)、同じく大不評の宙組本公演『白夜の誓い』はそれでもまだ改訂すればなんとかなりそうな凡作である、というのが私の評価ですが、『アルカサル』は作り方から全とっかえしないとダメだと思いました。だから駄作以下なの、圏外なの、失敗作なの。
 そのことを以下、書きます。舞台をこれからご覧になる方、ご覧になっておもしろかったという方は読むのをお奨めしません。観てダメだったという方、こういう見方もあるのかと思える方は読んでいただけたら、そしてご意見がうかがえたら嬉しいです。
 観る予定がない方には、もちろん観ていただきたいです。生徒はみんながんばっていますし、発見もあります。観なきゃ語れません。私は今後も全公演必ず観ていきたいと思っています。そういう重いファンなのです。

 ところで私はこの演目はダブル主演とはいえどう配役するのだろう、とずっと思っていました。原作は確かに王とその庶兄との覇権争いの物語なのですが、その決着のつき方は物語としてはかなり微妙なものだからです。結局のところドン・ペドロは早世し、所詮庶子であるエンリケは正統な王になることはありませんでした。勝者のいない戦い、決着のつかない争いだったのです。
 原作はドン・ペドロを主人公に描かれていますが、タイトルロールは彼ではなく「王城」です。逆にエンリケを主役にして、ドン・ペドロと戦い、先に死なれ、それでも王冠を手にできなかった男の物語として描くこともできると思いました。最高のライバルにして永遠の親友、半分だけ血のつながった兄弟の物語…アリでしょ? てかダブル主演ってたとえばそういうことでしょ? 一方がただの悪役で敵役では、それは二番手の役回りであって主役じゃないでしょ?
 外見やイメージからすると確かにポコちゃんは金髪が似合う、漫画の作画でいうところの白髪の美形タイプかなと思えましたし、マオくんは確かに黒髪が似合う、野性的な感じが素敵なタイプの生徒さんかな、と思えました。
 でも私は、ポコちゃんのほうにこそ真ん中が似合うからりとした明るさ、おおらかさがあるなと思っていて、マオくんはむしろ悪役、仇役のときにこそ光る暗さや歪み、凄みが持ち味の人なんじゃないかなと思っていたのでした。
 とはいえ今までの劇団の扱いからするとマオくんのほうを押して彼を主役ドン・ペドロにするのだろうな、しかしそれで似合うのかな、ドン・ペドロというのも一見ただのジャンプ的に見えてけっこう難しい主人公像なんだけれどな、少女漫画でそうだしまして宝塚歌劇ではなおさら難しくなるはずなんだけどな…と、心配はしていました。
 それでも、似つかわしくなるようキャラクターや立ち位置を変えてくることはあるだろうし、ポコちゃんはエンリケもこなすだろうなと思っていたので、やっぱり単純に楽しみにしていました。
 原作の長い話をどう刈り取ってどうオチをつけるのかな、という不安はありましたが、ふたりの立場とキャラクターがしっかり描けて周りの人物とのエピソードでドラマが作れれば真ん中の戦争や政争は全部すっとばしたっていいんで、なんとでもなるだろう、と思っていました。原作ファンだってそんなに細かいところまで覚えていないしさ、スタートとゴール、テーマがちゃんとしていればいいのです。
 …と思っていたら、なんと原作の2巻までしかやらないと聞いて、さらにちょっと不安がつのったのでした。それって全然ふたりの争いの序盤の時点で、いろんなことがオチてない状態なんだけど、いいの? それでお話になるの? ふたりの皮肉で数奇な運命が描けるの?と思いました。
 しかしまあ、10巻ある原作小説の2巻までしか描かなくても、あれだけのキャラを立ててエピソードを入れてドラマを作ってちゃんとしたオチをつけた『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』という例もあるのだし…と、思いなおすことにしました。
 何より、初日の評判がけっこう良かったんですよね。まあ初日はファンが見に行くものだから点が甘い、ということはあるにしても、たとえば『白夜』の感想は初日からそらもうひどかったですよ? でももしかしたら宙組ファンは正直で星組ファンは優しすぎる、とかいうこともあるのかな、とまで考えるのは私の僻みでしょうか?
 もちろん、悪評を流すのは公演の集客に差し障るからファンならすべきではない、という考え方があるのもわかります。でも口をつぐむことがいいことばかりじゃないと思うのです。私は正直でありたいし、自分の感覚や言動にある種の責任は持つつもりです。愛情があるからこそ言いたくなるんだもん、箸棒で関心もないなら語ったりしません。
 私は、この作品は失敗作だと思いました。生徒に責任はまったくありません。脚本、演出、プロデュースの問題です。猛省を促したいです。だからまずここに書くし、余力があったら劇団に投書します。届くべきところに届かなかったとしても。

 プロローグはカッコよかったし、「♪王になれ、王であれ」と歌われる主題歌は勇壮で素敵でした。この時代の国王の座は世襲で継がれるものでしたが、王とは何か、王にふさわしいふるまいとは何か、王にふさわしい人物とは誰か、といったことも作品のテーマとしてあるべきだったと思うので、単純にいいなと思いました。
 続く場面もちょっとよかったんですよね。父王に疎まれて王宮から離れて寂しく暮らし、王宮の方角を眺めてたたずむ子役のドン・ペドロ(天乃きよら)が、短い暗転の間でマオくんのドン・ペドロに替わって、でもまったく同じ姿勢で王宮を眺めている…原作をそのまま再現しつつ舞台らしいギミックがあった、ときめきました。
 しかし、そこからがひどかった。とにかく原作のまんまなんです。
 原作漫画の台詞どおりの台詞を生徒にしゃべらせ、原作漫画のコマの中でキャラクターがやっている動きどおりに生徒を動かす。なんなの活人画なの? そして場面をコマ切れ、ブツ切れでただただつないでいく。暗転、暗転、また暗転。
 舞台って、芝居って、演劇って、そういうものじゃないでしょ? 原作漫画をただそのままやってどうするの? 漫画の舞台化ってそういうことじゃないでしょ? 原作のおもしろい要素を抜き出して、演劇として再構築するべきでしょ? 生徒がセンターで見得切って歌って踊ったらミュージカルになるってことではないのです。
 しかも、原作のドン・ペドロもエンリケもけっこう複雑な性格のキャラクターなのですが、舞台化にあたり、またダブル主演作化にあたり、取捨選択して整理して新たに特徴を付けキャラクターとして立てる…ということをいっさいしていません。だから観客には彼らの人となりがまったくわからないのです。
 しかもこの作家はもしかしたらスミレコードの意味をはき違えているのではないでしょうか? 国王の正室であるマリア王妃が産んだ嫡子がドン・ペドロであり、愛妾レオノーラが産んだエンリケやファドリケは非嫡出子、庶子にすぎず、どんなに国王に愛されていても正式には認められない存在なのだ、ということをもっときちんと説明しておかないと、主役ふたりの間に横たわる問題がなんなのか観客にはわかりづらいです。ヘンな遠慮をせず、もっと正妻だとか妾だとか嫡出だとか私生児だとかの言葉をバンバン使うべきなのです。それはこの世界のただのルールの説明にすぎず、別に女性の観客を傷つけません。だいたい女性は男性よりずっとルールを尊重するものですよ。
 でも舞台ではこのあたりの説明が甘く、かつキャラクターとして、ふたりがどんな性格のどんな人となりの人間なのかほとんど見せることができないまま、がさがさと話だけを展開させていってしまうので、観客はふたりのことを理解できないし好きにもなれず、ふたりの身になってお話を追うことができず、集中力が保てず、あげく退屈するのです。まして舞台が駆け足でつまらないんだからなおさらです。原作漫画のストーリーはあんなにおもしろいのに!!!
 ほとんど唯一おもしろかったのは、ドン・ペドロにマリア(妃海風)が愛妾として娶されるくだりではなかったでしょうか。あの場面は、ふうちゃんの演技が上手いから、というのもありますが、ふたりのキャラクターと感情の移り変わりがきちんと見えました。観客はそこにこそドラマを感じるのです。
 原作ではマリアが「初恋」の話を始めるのはドン・ペドロが彼女を襲っちゃってからですが、宝塚歌劇でもベッドシーンを見せることは多々ありますし、原作どおりに庭先で全裸で、なんてことにしなければいいだけなので、表現方法を工夫してちゃんとやってもよかったんじゃないでしょうかね。少なくとも性急なキス…とかくらいあってもよかったのではないかしらん。ロマンチックさが足りないわん。
 もう一箇所、私がドラマがあると感じられた場面は、やはりふうちゃん絡みですが、出産したマリアをドン・ペドロが見舞うくだりでした。
 ただここでも引っかかった点がありました。それはドン・ペドロに赤ん坊を抱かせたことです。このくだりの彼は愚かで困った男であり、それをそのまま宝塚歌劇でやることは得策ではないと思うのです。しかも役の中の人は未婚の女性であり、結婚したら退団しなければならないタカラジェンヌです。卒業して元・男役となっても結婚したり出産したりすれば人気が落ちるのが彼女たちの宿命です。そんな彼女に赤ん坊を抱かせる…私はデリカシーのなさを感じました。この場面は赤ん坊を登場させなくても成立する場面です。もっと神経を使って作ってほしいと思いましたし、スミレコードとはこういうときに発動させるべきものなのではないでしょうか。
 逆にドン・ペドロの多情を「恋狂い」とか言い換えるのは意味がないし、単純にわかりづらいと思いました。女狂いで十分であり、また必要があればプレイボーイを素敵に描くことはいくらでもできるはずなのです。そもそもドン・ペドロはホアナ(愛水せれ奈)に恋をしたわけではありません。彼にとって恋人はマリアひとりであり、ホアナはただの戯れの相手、狩りの対象にすぎません。彼はホアナと寝たいからブランシュ王妃(綺咲愛里)との結婚を無効にしてホアナと結婚式を挙げる茶番につきあったのであり、一度寝たら満足してすべてチャラにしたのです。なのに式を挙げたところでやめさせてどーする。それじゃ意味不明でしょ? だったらこのくだり、いりませんよ。このあたりが不明瞭だから、そのあとのマリアがキレる場面がワケわからなくなっちゃっていて、本当に残念です。
 このドン・ペドロの正妻となるブランシュ姫ですが、これも原作どおりにやっているだけなのですが、やはりここでドン・ペドロが嫌な奴に見えないよう、もっと細心の注意が必要だと思います。なぜなら宝塚歌劇は普通の演劇と違って、タカラジェンヌによって演じられるものであり、観客は物語を観るのと同等か下手したらそれ以上に演じ歌い踊る生徒を愛でに来ているからです。どんな理由があろうとなんの罪もない女性を一方的に忌み嫌う男は嫌な奴に見えるし、そうなるとそんな役の中の人である生徒も嫌に見えちゃうことがあるのです。悪役なら観客だって割り切れます、でもドン・ペドロは主役なのです。そんな目に生徒を遭わせてはいけません。
 またこのドン・ペドロがブランシュを嫌う理由が「母親に似ているから」で、これまた危険な領域にある問題です。「母親」や「妻」を否定するのは観客の大半が誰かの母であり妻である宝塚歌劇においてはタブーでしょう。たとえばブランシュをもっと、権高で意地悪でエキセントリックな悪女にしてしまって、だからドン・ペドロと夫婦としては相容れなかったのだ、とした方がよかったと思います。
 ドン・ペドロが母親のマリア王太后を嫌うのは彼女が権勢に執着し本当の意味で子供を愛さなかったことや、貞潔な寡婦であるべきなのに若い男を愛人に持ったことがあるからです。殺してやりたいほどに憎み嫌い、しかし女性、ことに母親に手を上げるわけにはいかない、だから代わりに愛人であるロハス(綾凰華)を斬り、母親の方は捕らえるだけですませたのです。なのに何故ロハスを殺さず、ふたりとも捕らえるだけにしたの? それじゃ理屈が通らないでしょ? どこになんの気を遣ってるの? ドン・ペドロを人を殺さない男にしたかったの? ロハスを無駄死にさせたくなかったの? 生徒を大事にするってそういうことじゃないよ?

 二番手娘役格に演じさせるべきキャラクターはむしろカタリナ(五條まりな)の方がよかったのではないでしょうか? フィナーレのダブル・デュエダンでエンリケとブランシュが組んで踊るのはいかにもヘンです。
 エンリケ側にこれといったドラマが作れていないので、ダブル主演としてしどころがなく、生徒がいかにも気の毒でした。この美しい妹への執着と偏愛は上手く扱えば萌え倍増だったのに…現状、エンリケはただ僻んでるだけの、芸なく策なくただただ恨み言のキメ台詞を吐いてはカッコつけて歌い踊るだけの薄ら寒い男になってしまっています。何度も言いますが、仮にも座付き作家なら生徒をそういう目に遭わせるべきではありません。
 ダブル主演作なんだから、ドン・ペドロとエンリケの間には原作以上にある種の友愛があったことにした方がよかったのではないか、と個人的には思います。原作でも、幼き日に出会って意外に仲良く一緒に遊んだり剣の稽古をしたりするくだりがありました。母親は違っていても男兄弟同士気が合うことはあるし、立場の違いという問題さえなければむしろ親友になれたかもしれない、くらいの関係にした方が、後の対立がよりドラマチックになったのではないでしょうか。
 また、ドン・ペドロは正妻の息子だったから王位を継ぎ、庶子にすぎなかったエンリケは王宮を追われたわけですが、せっかく主題歌で「王であれ」と歌っているんだから、王とは何か、王にふさわしいのはどちらか、というテーマをもっと出してもよかったと思います。戦争の上手さや政治的な手腕などではふたりは互角であり、ただ母親が正妃であったかどうかだけが彼らの明暗を分けた…とした方が、エンリケがよりかわいそうになり、結果的に株が上がるでしょう? それくらいしないとただの敵役であり、ダブル主演ではありません。タムドクと同じ日に生を受けたのに王になれなかったヨン・ホゲの悲哀を、エンリケにも演出してあげてくださいよ…
 この時代の結婚というものはそれほど強固なものなのですが、そのあたりの説明が甘いから、ラストの何がどうハッピーエンドなのかさっぱりわからず、観客はぽかんとしたまま下りる幕に仕方なく薄い拍手を送るだけになってしまっているのです。ドン・ペドロは正妃ブランシュを嫌って遠ざけ、幽閉し、マリアだけを愛しました。だからここでドン・ペドロにきちんと言わせないとダメなのです。今までもこれからもおまえだけを愛している、離婚なんて簡単にできないから難しいかもしれないが、それでもいつか必ず俺はおまえを俺の王妃にする、と。それに対してマリアには、愛で築いたお城があるから大丈夫、それが私たちの王城よ…みたいなことを応えさせると美しかったのではないでしょうか。そしてふたりっきりのラブシーンももちろんいいんだけれど、やはり宮廷に凱旋し、マリアを王妃のごとく、王である自分の正式なパートナーとして同伴し、家臣たちの歓呼に迎えられるドン・ペドロ、という華やかな絵面を見せるべきだったのではないでしょうか。それでやっと万々歳、なのです。エンリケが中途半端なままでかわいそうなんだけれどね。
 きちんとしたダブル主演作化を考えるなら、結末なんか原作から変えてしまって、ドン・ペドロとエンリケの一騎打ちとエンリケの死、とかにしたってよかったんですよ。ドン・ペドロの腕の中で死ぬエンリケ、という図に観客は紅涙を流したことでしょう。それか、最初に戻りますが、原作の真ん中をすべてすっ飛ばして、ドン・ペドロが死んでエンリケが勝ち残り、しかし王国は手に入らない…みたいな描き方でもよかったと思います。プログラムに言う「権力の持つはかなさ、滅んでゆく人間の痛ましさを描」くというならむしろこうではないの?
 それができていないのだから、やはり失敗作だと思うのでした。

 しかし生徒は忙しいスケジュールの中がんばっていましたし、経験として何ひとつ無駄なことはありません。コスチュームがよく映えて、アンサンブルも美しく、見応えがありました。
 マオくんはそんなワケで残念ながら私にはぴんと来ないのですが、タッパもあるしスタイルいいし、がんばっていっていただきたいと思います。
 ポコちゃんも、おそらく性格的にアグレッシブなタイプではないのでしょうが、より欲を出してがんばっていっていただきたいです。素敵でした。でももっと芝居できると思います。
 ふうちゃん、次期トップ娘役就任決定、本当におめでとう! よかったです。ヒロインに語り部までさせる本当にどうしようもない脚本・演出をひとりで支えるかのような歌、演技でしたよ。
 ヒロさんはそらさすがでした。まさこはお疲れ様でしたね、でもアルフォンソ王の出征とか病死とかのくだりも作品としてはいらなかったよ…だったら生徒を休ませてあげてください。
 発見だったのはエンリケの双子の弟ファドリケ役の飛河蘭くん! エンリケと似せた鬘がよく似合い、次男だからか生来かのんきで人がよい、兄を支え心配するよき弟、というキャラクターをきちんと表現できていましたし、歌がまた素晴らしかった! もっと活用してください!!
 コロちゃんドイちゃんしーらんみんな無駄遣い。マリア王太后の白妙なっちゃんは素晴らしかったけれど、やはり役のあり方としては疑問でした。
 ぺっちゃん、せっきーに夏樹くんももったいなかった…もっとしどころを作ってあげてくださいマジで…(涙)
 あーちゃんがまた的確に役を表現していたのだけれど、役のあり方が微妙なのでこれまたもったいなかったです。
 フィナーレは素敵でしたけれどね…馴染み深いお衣装でしたがね。

 演目としてはこれが今年の宝塚歌劇観劇のシメか…と思うと本当に残念です。演出家は本当に猛省していただきたいです。
 この作品がそれでも何かの礎なりなんなりになりますよう、祈っています…





 
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てがみ座『汽水域』

2014年12月03日 | 観劇記/タイトルか行
 シアタートラム、2014年12月1日ソワレ。

 海水と淡水が混じり合う場所、汽水域。フィリピンの河口でウナギの密漁をしていた少年は、自らのルーツを求めて日本へ向かう潮流に乗る。過去を問い直すことの根幹にはアイデンティティの探求が必ず含まれている。今の自分は何者なのか? 汽水域からアジアを見渡す、ある喪失の物語。
 脚本/長田育恵、演出/扇田拓也。全1幕。

 お友達に誘っていただいて出かけてきました。ミーハーな私が普段観る演目とはタイプが違っていて、最初の三分くらいはどうしようかと思いましたが、すぐに引き込まれ、集中して見入り、最後は号泣しました。
 物語はフィリピンの片田舎、海水と淡水が混ざり合う川岸のバランガイ(村)と、日本の横浜の、かつては日雇い労働者の街として栄え今は生活保護受給者の街と化した寿地区を交互に展開されます。誰が主人公でなんという名前でどんな人となりで、といったようなことがまったく明示されないまま進むので最初はとまどったのですが、そういったことは舞台から立ち上るようにすぐに見えてきます。照明がフィリピンの場面ではまろやかだったり日本の場面では裸電球を思わせる寒々しさだったりして、そして常に正面から役者に当てられたりはしていないので、顔もはっきり見えないのですが、でも人間って全身でその人間なんだし、そのキャラクターを全身で体現している役者の力量にうならされました。声がいい人がまた多くて、明晰ででもナチュラルで、膨大な台詞も綺麗に消化できました。
 フィリピンもドヤ街も現実の自分からは遠くて、主人公は日本とフィリピンのハーフなんだけれどその生い立ちも遠くて、でもそういう距離は問題ではないのでした。国と家族をめぐる物語、ということではたとえばごく最近観た『familia』と同じだったのですが(感想は千秋楽後に書きます)、あれもポルトガルという国とかヒロインの孤児という立場が自分からは遠かった。そしてあの舞台にはなかった普遍性がこの舞台にはあると思いました。
 国とか国家とかは人が作るものだけれど、その国や国家が人々の生活を脅かすことがある。そこで戦い抗い、もしかしたら敗れ去る人はみな、父と母のもとに生まれた人間です。今そばにいなくても、誰にでも家族はある。人はひとりでは生きていけないし、家族や社会が人を育てるのです。
 秋雄(箱田暁史)は悲しい夢を見てしまったのかもしれない。今の日本は彼の夢を叶えてあげられる国ではなかった。それでも彼はブローカーにお礼を言える人間だし、殺人を思い止まれる人間なのです。正確に言うと、彼が一線を越えるのを止めてくれる家族がいる人間なのです。
 彼は貧しかろうがなんだろうが、そういうことを教えてくれる家族のもとで育ったまっとうな人間だということです。その表現が本当に詩的で舞台演劇でしかできないもので、私はもうその美しさに爆泣きしてしまったのでした。
 ラスト、冬夜(橋本昭博)がたたずむ岸辺はもしかしたら彼岸と呼ぶべきものだったのかもしれません。でも彼の声はちゃんと兄の秋雄に届いている。「潮の香りだ」舞台に香りはありません、でも観客には確かに海が見えるのでした。もうもう爆泣き。
 太く、強く、凛々しく、美しい舞台でした。感動しました。私はナンパな演劇ファンだけれど、いい経験をさせていただいたなあ、と思いました。ありがとうございました。


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『シカゴ』宝塚歌劇100周年OGバージョン

2014年12月03日 | 観劇記/タイトルさ行
 梅田芸術劇場、2014年11月28日ソワレ。

 夜の街にジャズの音色が響き、マフィアが暗躍する1920年代、禁酒法時代のアメリカ・イリノイ州シカゴ。夫と浮気相手の妹を殺害した元ヴォードヴィルダンサーのヴェルマ・ケリー(この日は湖月わたる)が現われ、虚飾と退廃に満ちた魅惑的な世界に観客を引き込む。一方、ナイトクラブで働く人妻のロキシー・ハート(この日は朝海ひかる)が浮気相手に銃弾を放つ…
 作詞/フレッド・エッブ、作曲/ジョン・カンダー、脚本/フレッド・エッブ&ボブ・フォッシー、初演版演出・振付/ボブ・フォッシー。翻訳/常田景子、訳詞/森雪之丞。1975年初演、1996年リバイバル版初演の人気ミュージカルの宝塚歌劇団OGによる上演。全2幕。

 最近観たものだとこちらなど。
 今回はビリー(姿月あさと)はズンコでした。
 世界中で公演されるため、コンサート・バージョンとも言えるブラッシュアップを遂げている演目ですが、ユリちゃんやまりも始めアンサンブルも素晴らしく、スタイリッシュなダンスとステージングは堪能しました。
 歌唱は残念ながら弱かったかな。ママ・モートンのちあきしんはさすがでした。
 でもとても楽しいエンターテインメントに仕上がっているなと思いました。宝塚歌劇ファンだけでなく一般のミュージカル・ファン、映画しか観たことがない観客にも観ていただきたい演目だなと思いました。
 また、こういう試みは続けていってもいいのではないかなと思いました。「男役」はあくまで現役のものだとは思っていますが、でも男役でしか表現できないものがあり、現役生徒の舞台にはそぐわない演目がある、というのも事実だと思うので。
 興行としては成功しているようなので、うまくプロデュースしていっていただきたいです。
 もちろんその一方で、卒業生にはいつまでも宝塚歌劇の看板とファンに頼ることなく新たな仕事をしていっていただきたくもあるのですが、ね。

 しかしソノカがカッコよかったなー!
 私はタカラジェンヌは女性だからこそいいのだというスタンスで愛でてきたつもりであり、かつ残念ながらただのヘテロのモテない女なのですが、今回のソノカには男を見たなー! 男のソノカと一夜を共にしたい、と思った。こんなふうに考えたことが意外とないので(笑)けっこう動揺しました。悶えましたが楽しかったです!


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