駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇星組『アルカサル-王城-』

2014年12月11日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚バウホール、2014年12月6日マチネ。

 14世紀カスティリア王国に生まれたドン・ペドロ(麻央侑希)とエンリケ(十碧れいや)、ふたりの王子の物語。国王アルフォンソ11世(十輝いりす)は愛妾とその一族、そして彼女との間に生まれた子供たちを愛し、王妃と世子を軽んじていた。庶子でありながら厚遇を受けていたエンリケと、嫡子でありながら冷遇されていたドン・ペドロ。共に国王を父に持つにもかかわらず境遇の大きく異なるふたりは、やがて互いの覇権を賭けて争うことになる…
 原作/青池保子、脚本・演出/中村暁、作曲・編曲/西村耕次、鞍富真一。全2幕。十碧、麻央の初・ダブル・バウ主演作。

 93年に『メランコリック・ジゴロ/ラ・ノーバ!』を観て宝塚歌劇ファンになって以来今年で初めて、一年間のすべての演目を一度は生で観劇しました。今まで東上しないバウ作品は意外と見送ることが多かったのです。もちろん記念式典や大運動会、年末のタカラヅカスペシャルとかは行けてないのですが。
 最後までチケットが取れなくて大変だったのが星全ツ『風共』とこの『アルカサル』で、でも特にこちらは原作漫画のファンだったので、知人が一般発売でやっとチケットを取ってくれたときには小躍りしました。ポコちゃんの初主演、というのも見守りたかったですしね!
 その後チケットが意外とダブついていると聞いたりして、あらら…と思ったりしていましたが、初日の感想も私に聞こえてきたところでは上々で、楽しみに出かけました。
 が、残念ながら、私は失敗作だと思いました。漫画の舞台化として典型的な失敗例であり、直近で『伯爵令嬢』という成功例を観ていただけに悲しくなりました。青池先生は楽しんでおられたようですが、私は原作ファンとしても宝塚歌劇ファンとしても生徒のファンとしてもとても憤りました。
 同じ歴史もの、王の一代記ものとして(『アルカサル』は王の死まで描いていませんが…そもそもそこにも問題があったのでは…後述)、同じく大不評の宙組本公演『白夜の誓い』はそれでもまだ改訂すればなんとかなりそうな凡作である、というのが私の評価ですが、『アルカサル』は作り方から全とっかえしないとダメだと思いました。だから駄作以下なの、圏外なの、失敗作なの。
 そのことを以下、書きます。舞台をこれからご覧になる方、ご覧になっておもしろかったという方は読むのをお奨めしません。観てダメだったという方、こういう見方もあるのかと思える方は読んでいただけたら、そしてご意見がうかがえたら嬉しいです。
 観る予定がない方には、もちろん観ていただきたいです。生徒はみんながんばっていますし、発見もあります。観なきゃ語れません。私は今後も全公演必ず観ていきたいと思っています。そういう重いファンなのです。

 ところで私はこの演目はダブル主演とはいえどう配役するのだろう、とずっと思っていました。原作は確かに王とその庶兄との覇権争いの物語なのですが、その決着のつき方は物語としてはかなり微妙なものだからです。結局のところドン・ペドロは早世し、所詮庶子であるエンリケは正統な王になることはありませんでした。勝者のいない戦い、決着のつかない争いだったのです。
 原作はドン・ペドロを主人公に描かれていますが、タイトルロールは彼ではなく「王城」です。逆にエンリケを主役にして、ドン・ペドロと戦い、先に死なれ、それでも王冠を手にできなかった男の物語として描くこともできると思いました。最高のライバルにして永遠の親友、半分だけ血のつながった兄弟の物語…アリでしょ? てかダブル主演ってたとえばそういうことでしょ? 一方がただの悪役で敵役では、それは二番手の役回りであって主役じゃないでしょ?
 外見やイメージからすると確かにポコちゃんは金髪が似合う、漫画の作画でいうところの白髪の美形タイプかなと思えましたし、マオくんは確かに黒髪が似合う、野性的な感じが素敵なタイプの生徒さんかな、と思えました。
 でも私は、ポコちゃんのほうにこそ真ん中が似合うからりとした明るさ、おおらかさがあるなと思っていて、マオくんはむしろ悪役、仇役のときにこそ光る暗さや歪み、凄みが持ち味の人なんじゃないかなと思っていたのでした。
 とはいえ今までの劇団の扱いからするとマオくんのほうを押して彼を主役ドン・ペドロにするのだろうな、しかしそれで似合うのかな、ドン・ペドロというのも一見ただのジャンプ的に見えてけっこう難しい主人公像なんだけれどな、少女漫画でそうだしまして宝塚歌劇ではなおさら難しくなるはずなんだけどな…と、心配はしていました。
 それでも、似つかわしくなるようキャラクターや立ち位置を変えてくることはあるだろうし、ポコちゃんはエンリケもこなすだろうなと思っていたので、やっぱり単純に楽しみにしていました。
 原作の長い話をどう刈り取ってどうオチをつけるのかな、という不安はありましたが、ふたりの立場とキャラクターがしっかり描けて周りの人物とのエピソードでドラマが作れれば真ん中の戦争や政争は全部すっとばしたっていいんで、なんとでもなるだろう、と思っていました。原作ファンだってそんなに細かいところまで覚えていないしさ、スタートとゴール、テーマがちゃんとしていればいいのです。
 …と思っていたら、なんと原作の2巻までしかやらないと聞いて、さらにちょっと不安がつのったのでした。それって全然ふたりの争いの序盤の時点で、いろんなことがオチてない状態なんだけど、いいの? それでお話になるの? ふたりの皮肉で数奇な運命が描けるの?と思いました。
 しかしまあ、10巻ある原作小説の2巻までしか描かなくても、あれだけのキャラを立ててエピソードを入れてドラマを作ってちゃんとしたオチをつけた『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』という例もあるのだし…と、思いなおすことにしました。
 何より、初日の評判がけっこう良かったんですよね。まあ初日はファンが見に行くものだから点が甘い、ということはあるにしても、たとえば『白夜』の感想は初日からそらもうひどかったですよ? でももしかしたら宙組ファンは正直で星組ファンは優しすぎる、とかいうこともあるのかな、とまで考えるのは私の僻みでしょうか?
 もちろん、悪評を流すのは公演の集客に差し障るからファンならすべきではない、という考え方があるのもわかります。でも口をつぐむことがいいことばかりじゃないと思うのです。私は正直でありたいし、自分の感覚や言動にある種の責任は持つつもりです。愛情があるからこそ言いたくなるんだもん、箸棒で関心もないなら語ったりしません。
 私は、この作品は失敗作だと思いました。生徒に責任はまったくありません。脚本、演出、プロデュースの問題です。猛省を促したいです。だからまずここに書くし、余力があったら劇団に投書します。届くべきところに届かなかったとしても。

 プロローグはカッコよかったし、「♪王になれ、王であれ」と歌われる主題歌は勇壮で素敵でした。この時代の国王の座は世襲で継がれるものでしたが、王とは何か、王にふさわしいふるまいとは何か、王にふさわしい人物とは誰か、といったことも作品のテーマとしてあるべきだったと思うので、単純にいいなと思いました。
 続く場面もちょっとよかったんですよね。父王に疎まれて王宮から離れて寂しく暮らし、王宮の方角を眺めてたたずむ子役のドン・ペドロ(天乃きよら)が、短い暗転の間でマオくんのドン・ペドロに替わって、でもまったく同じ姿勢で王宮を眺めている…原作をそのまま再現しつつ舞台らしいギミックがあった、ときめきました。
 しかし、そこからがひどかった。とにかく原作のまんまなんです。
 原作漫画の台詞どおりの台詞を生徒にしゃべらせ、原作漫画のコマの中でキャラクターがやっている動きどおりに生徒を動かす。なんなの活人画なの? そして場面をコマ切れ、ブツ切れでただただつないでいく。暗転、暗転、また暗転。
 舞台って、芝居って、演劇って、そういうものじゃないでしょ? 原作漫画をただそのままやってどうするの? 漫画の舞台化ってそういうことじゃないでしょ? 原作のおもしろい要素を抜き出して、演劇として再構築するべきでしょ? 生徒がセンターで見得切って歌って踊ったらミュージカルになるってことではないのです。
 しかも、原作のドン・ペドロもエンリケもけっこう複雑な性格のキャラクターなのですが、舞台化にあたり、またダブル主演作化にあたり、取捨選択して整理して新たに特徴を付けキャラクターとして立てる…ということをいっさいしていません。だから観客には彼らの人となりがまったくわからないのです。
 しかもこの作家はもしかしたらスミレコードの意味をはき違えているのではないでしょうか? 国王の正室であるマリア王妃が産んだ嫡子がドン・ペドロであり、愛妾レオノーラが産んだエンリケやファドリケは非嫡出子、庶子にすぎず、どんなに国王に愛されていても正式には認められない存在なのだ、ということをもっときちんと説明しておかないと、主役ふたりの間に横たわる問題がなんなのか観客にはわかりづらいです。ヘンな遠慮をせず、もっと正妻だとか妾だとか嫡出だとか私生児だとかの言葉をバンバン使うべきなのです。それはこの世界のただのルールの説明にすぎず、別に女性の観客を傷つけません。だいたい女性は男性よりずっとルールを尊重するものですよ。
 でも舞台ではこのあたりの説明が甘く、かつキャラクターとして、ふたりがどんな性格のどんな人となりの人間なのかほとんど見せることができないまま、がさがさと話だけを展開させていってしまうので、観客はふたりのことを理解できないし好きにもなれず、ふたりの身になってお話を追うことができず、集中力が保てず、あげく退屈するのです。まして舞台が駆け足でつまらないんだからなおさらです。原作漫画のストーリーはあんなにおもしろいのに!!!
 ほとんど唯一おもしろかったのは、ドン・ペドロにマリア(妃海風)が愛妾として娶されるくだりではなかったでしょうか。あの場面は、ふうちゃんの演技が上手いから、というのもありますが、ふたりのキャラクターと感情の移り変わりがきちんと見えました。観客はそこにこそドラマを感じるのです。
 原作ではマリアが「初恋」の話を始めるのはドン・ペドロが彼女を襲っちゃってからですが、宝塚歌劇でもベッドシーンを見せることは多々ありますし、原作どおりに庭先で全裸で、なんてことにしなければいいだけなので、表現方法を工夫してちゃんとやってもよかったんじゃないでしょうかね。少なくとも性急なキス…とかくらいあってもよかったのではないかしらん。ロマンチックさが足りないわん。
 もう一箇所、私がドラマがあると感じられた場面は、やはりふうちゃん絡みですが、出産したマリアをドン・ペドロが見舞うくだりでした。
 ただここでも引っかかった点がありました。それはドン・ペドロに赤ん坊を抱かせたことです。このくだりの彼は愚かで困った男であり、それをそのまま宝塚歌劇でやることは得策ではないと思うのです。しかも役の中の人は未婚の女性であり、結婚したら退団しなければならないタカラジェンヌです。卒業して元・男役となっても結婚したり出産したりすれば人気が落ちるのが彼女たちの宿命です。そんな彼女に赤ん坊を抱かせる…私はデリカシーのなさを感じました。この場面は赤ん坊を登場させなくても成立する場面です。もっと神経を使って作ってほしいと思いましたし、スミレコードとはこういうときに発動させるべきものなのではないでしょうか。
 逆にドン・ペドロの多情を「恋狂い」とか言い換えるのは意味がないし、単純にわかりづらいと思いました。女狂いで十分であり、また必要があればプレイボーイを素敵に描くことはいくらでもできるはずなのです。そもそもドン・ペドロはホアナ(愛水せれ奈)に恋をしたわけではありません。彼にとって恋人はマリアひとりであり、ホアナはただの戯れの相手、狩りの対象にすぎません。彼はホアナと寝たいからブランシュ王妃(綺咲愛里)との結婚を無効にしてホアナと結婚式を挙げる茶番につきあったのであり、一度寝たら満足してすべてチャラにしたのです。なのに式を挙げたところでやめさせてどーする。それじゃ意味不明でしょ? だったらこのくだり、いりませんよ。このあたりが不明瞭だから、そのあとのマリアがキレる場面がワケわからなくなっちゃっていて、本当に残念です。
 このドン・ペドロの正妻となるブランシュ姫ですが、これも原作どおりにやっているだけなのですが、やはりここでドン・ペドロが嫌な奴に見えないよう、もっと細心の注意が必要だと思います。なぜなら宝塚歌劇は普通の演劇と違って、タカラジェンヌによって演じられるものであり、観客は物語を観るのと同等か下手したらそれ以上に演じ歌い踊る生徒を愛でに来ているからです。どんな理由があろうとなんの罪もない女性を一方的に忌み嫌う男は嫌な奴に見えるし、そうなるとそんな役の中の人である生徒も嫌に見えちゃうことがあるのです。悪役なら観客だって割り切れます、でもドン・ペドロは主役なのです。そんな目に生徒を遭わせてはいけません。
 またこのドン・ペドロがブランシュを嫌う理由が「母親に似ているから」で、これまた危険な領域にある問題です。「母親」や「妻」を否定するのは観客の大半が誰かの母であり妻である宝塚歌劇においてはタブーでしょう。たとえばブランシュをもっと、権高で意地悪でエキセントリックな悪女にしてしまって、だからドン・ペドロと夫婦としては相容れなかったのだ、とした方がよかったと思います。
 ドン・ペドロが母親のマリア王太后を嫌うのは彼女が権勢に執着し本当の意味で子供を愛さなかったことや、貞潔な寡婦であるべきなのに若い男を愛人に持ったことがあるからです。殺してやりたいほどに憎み嫌い、しかし女性、ことに母親に手を上げるわけにはいかない、だから代わりに愛人であるロハス(綾凰華)を斬り、母親の方は捕らえるだけですませたのです。なのに何故ロハスを殺さず、ふたりとも捕らえるだけにしたの? それじゃ理屈が通らないでしょ? どこになんの気を遣ってるの? ドン・ペドロを人を殺さない男にしたかったの? ロハスを無駄死にさせたくなかったの? 生徒を大事にするってそういうことじゃないよ?

 二番手娘役格に演じさせるべきキャラクターはむしろカタリナ(五條まりな)の方がよかったのではないでしょうか? フィナーレのダブル・デュエダンでエンリケとブランシュが組んで踊るのはいかにもヘンです。
 エンリケ側にこれといったドラマが作れていないので、ダブル主演としてしどころがなく、生徒がいかにも気の毒でした。この美しい妹への執着と偏愛は上手く扱えば萌え倍増だったのに…現状、エンリケはただ僻んでるだけの、芸なく策なくただただ恨み言のキメ台詞を吐いてはカッコつけて歌い踊るだけの薄ら寒い男になってしまっています。何度も言いますが、仮にも座付き作家なら生徒をそういう目に遭わせるべきではありません。
 ダブル主演作なんだから、ドン・ペドロとエンリケの間には原作以上にある種の友愛があったことにした方がよかったのではないか、と個人的には思います。原作でも、幼き日に出会って意外に仲良く一緒に遊んだり剣の稽古をしたりするくだりがありました。母親は違っていても男兄弟同士気が合うことはあるし、立場の違いという問題さえなければむしろ親友になれたかもしれない、くらいの関係にした方が、後の対立がよりドラマチックになったのではないでしょうか。
 また、ドン・ペドロは正妻の息子だったから王位を継ぎ、庶子にすぎなかったエンリケは王宮を追われたわけですが、せっかく主題歌で「王であれ」と歌っているんだから、王とは何か、王にふさわしいのはどちらか、というテーマをもっと出してもよかったと思います。戦争の上手さや政治的な手腕などではふたりは互角であり、ただ母親が正妃であったかどうかだけが彼らの明暗を分けた…とした方が、エンリケがよりかわいそうになり、結果的に株が上がるでしょう? それくらいしないとただの敵役であり、ダブル主演ではありません。タムドクと同じ日に生を受けたのに王になれなかったヨン・ホゲの悲哀を、エンリケにも演出してあげてくださいよ…
 この時代の結婚というものはそれほど強固なものなのですが、そのあたりの説明が甘いから、ラストの何がどうハッピーエンドなのかさっぱりわからず、観客はぽかんとしたまま下りる幕に仕方なく薄い拍手を送るだけになってしまっているのです。ドン・ペドロは正妃ブランシュを嫌って遠ざけ、幽閉し、マリアだけを愛しました。だからここでドン・ペドロにきちんと言わせないとダメなのです。今までもこれからもおまえだけを愛している、離婚なんて簡単にできないから難しいかもしれないが、それでもいつか必ず俺はおまえを俺の王妃にする、と。それに対してマリアには、愛で築いたお城があるから大丈夫、それが私たちの王城よ…みたいなことを応えさせると美しかったのではないでしょうか。そしてふたりっきりのラブシーンももちろんいいんだけれど、やはり宮廷に凱旋し、マリアを王妃のごとく、王である自分の正式なパートナーとして同伴し、家臣たちの歓呼に迎えられるドン・ペドロ、という華やかな絵面を見せるべきだったのではないでしょうか。それでやっと万々歳、なのです。エンリケが中途半端なままでかわいそうなんだけれどね。
 きちんとしたダブル主演作化を考えるなら、結末なんか原作から変えてしまって、ドン・ペドロとエンリケの一騎打ちとエンリケの死、とかにしたってよかったんですよ。ドン・ペドロの腕の中で死ぬエンリケ、という図に観客は紅涙を流したことでしょう。それか、最初に戻りますが、原作の真ん中をすべてすっ飛ばして、ドン・ペドロが死んでエンリケが勝ち残り、しかし王国は手に入らない…みたいな描き方でもよかったと思います。プログラムに言う「権力の持つはかなさ、滅んでゆく人間の痛ましさを描」くというならむしろこうではないの?
 それができていないのだから、やはり失敗作だと思うのでした。

 しかし生徒は忙しいスケジュールの中がんばっていましたし、経験として何ひとつ無駄なことはありません。コスチュームがよく映えて、アンサンブルも美しく、見応えがありました。
 マオくんはそんなワケで残念ながら私にはぴんと来ないのですが、タッパもあるしスタイルいいし、がんばっていっていただきたいと思います。
 ポコちゃんも、おそらく性格的にアグレッシブなタイプではないのでしょうが、より欲を出してがんばっていっていただきたいです。素敵でした。でももっと芝居できると思います。
 ふうちゃん、次期トップ娘役就任決定、本当におめでとう! よかったです。ヒロインに語り部までさせる本当にどうしようもない脚本・演出をひとりで支えるかのような歌、演技でしたよ。
 ヒロさんはそらさすがでした。まさこはお疲れ様でしたね、でもアルフォンソ王の出征とか病死とかのくだりも作品としてはいらなかったよ…だったら生徒を休ませてあげてください。
 発見だったのはエンリケの双子の弟ファドリケ役の飛河蘭くん! エンリケと似せた鬘がよく似合い、次男だからか生来かのんきで人がよい、兄を支え心配するよき弟、というキャラクターをきちんと表現できていましたし、歌がまた素晴らしかった! もっと活用してください!!
 コロちゃんドイちゃんしーらんみんな無駄遣い。マリア王太后の白妙なっちゃんは素晴らしかったけれど、やはり役のあり方としては疑問でした。
 ぺっちゃん、せっきーに夏樹くんももったいなかった…もっとしどころを作ってあげてくださいマジで…(涙)
 あーちゃんがまた的確に役を表現していたのだけれど、役のあり方が微妙なのでこれまたもったいなかったです。
 フィナーレは素敵でしたけれどね…馴染み深いお衣装でしたがね。

 演目としてはこれが今年の宝塚歌劇観劇のシメか…と思うと本当に残念です。演出家は本当に猛省していただきたいです。
 この作品がそれでも何かの礎なりなんなりになりますよう、祈っています…





 
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