駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『CH/FF』マイ初日雑感、からの東京五輪閉会式について。~散発的宝塚日記

2021年08月09日 | 日記
 こんな状況ではありますが、友会で15列目どセンターというとても観やすい良席(と言ってもこの劇場はどこでもそれなりに観やすく快適で、本当に素晴らしい客席設計だと思っています)が当たったこともあり、自分なりに万全の心構えをして、三連休中日の8月8日に日帰り遠征ダブル観劇をしてきました。ゆりちゃん、ひとこのお誕生日だったそうですね、おめでとうございました。
 私は『CAT'S EYE』世代の人間で、これは連載開始当時とてもお洒落に感じられて、衝撃を受けたものでした。ただ個人的にはそこまでハマらなかったのか、コミックスを持っていたことはなかった記憶です。この頃、父が職場の休憩室で回し読みされ終わった週刊少年漫画誌4誌を発売日から数日遅れで家にもらって帰ってきてくれていたので、それで読んでいたんだと思います。なので『シティーハンター』の方は基本的なキャラ設定や世界観を知識として知っているのみで、アニメもほぼ見たことがないと思います。有名な主題歌に関しても知識としてしか知らないです。ただ私は、音楽全般に疎い自覚はありますがTMネットワークにはハマっていた若かりし時期がありまして、確か女子大生時代に友達とコンサートにお洒落して行って(ワンレンボディコンで前髪を立ち上げていた時代です)、でも履いていったハイヒールが不慣れで痛くて、結局脱いで裸足でほぼオールスタンディングでコンサート中踊り続けていた記憶が鮮明に残っています。バブルだなあ、青春だなあ(笑)。
 電子無料キャンペーンで(というか厳密には無料で全話ガンガン読める形式ではなかったのですが)コミックスのアタマ2巻分くらいは読みました。あとはこちらで予習させていただいて、まあ個人的には咲ひらお披露目のお祝いができればいいよね、という感じでのんきに出かけてきました。私は雪組だとりさひまりみちる夢白ちゃんを観るのに夢中で、最近ではそこにともかも加わって大忙しなのですが、今の月組みたいにとにかく真ん中が好きとか宙組みたいに全組子が我が子に思えるホーム感みたいなものはないので、あくまでお客さん気分で気楽なのでした。ヨシマサのことをあまり信頼していないのでその点は心配でしたが、暴れるにしても愛情がないとできないものなので…初日レポートツイートからなんとなくのノリは察せられるものの、さて自分はどう感じるかな、とまずはなるべくフラットな気持ちで観たつもりです。

 …で。まあ聞きしに勝る全部乗せで、まあでも組子の顔がたくさん見えて楽しいっちゃ楽しい、かな。逆に原作漫画のディープなファンだと、解釈違いや「そこをそうまとめるのはおかしい」という指摘がありそうですね。でも物語序盤に死んでしまうはずの槇村役のあやなちゃんにもちょいちょい出番が作られていたし、とにかく原作要素を生かす!という方向性で考えるというなら、これはこれでよかったのではないでしょうか。
 ストーリー自体も、別に特にたいしたことはしていないというのもあって(^^;)、原作ノー知識の観客でも各キャラクターの性格や設定やお話の展開はフツーにわかったかと思います。ただ、ドラマとしておもしろいと思えるかはやっぱり別で、私はキャラと組子の顔見世興行の方に走るのではなく、せっかくオリジナルエピソードっぽい事件も立てているのだからそれを生かしつつトップトリオの三角関係をメインにしてストーリーを組み立てて、もっとじっくり芝居してほしかったですけれどね。でもこれはもうコンセプトの考え方の違いなので、言ってもせんないことでしょう。今後はある程度は生徒が演技で埋めていったり、ファンが補完して観ていくものかなとも思います。私はあとはもう最低限の回数しか観なければいいだけのことなので(つまり取次を頼んでしまった分は観るけれど、東京の友会はそもそも申し込まなくてもいいや、もうチケットを足さなくていいやと判断したということです)、あとは組ファンががんばればいいし、今でも組ファンが喜んでいるならそれでいいんだろうと思っています
 やっぱり「Get Wild」のイントロはアガるし、そこからの総踊りでのプロローグは楽しいし、結局咲ちゃんがひとりでカッコつけながら銀橋を渡って歌うことになるのも味わい深かったです。ちょっと無理したセクシーさを感じないこともなかったけれど…あ、脚の長さはホント圧巻でした。
 ただ、「もっこり」を「ハッスル」に置き換えるという謎の変換が行われていましたが、そもそもこのキーワード自体が本当に必要だったのでしょうか? 女性に甘いとか弱いとかだらしがないとかナンパだとかチャラいだとかの表現って他にもいくらでもできるのに、これがないとこの主人公ではない、というこだわりがあるのだというなら、まあ仕方ないのかもしれませんが…としか私には言えませんが、男性器がどうこうって意識してるのは男性だけで、ほとんどの女性はどーでもいいと思ってると思いますよ。それでいうならそもそも原作のセレクトが間違っている、と私は思いますしね。女性主人公のものは男役主人公に変換しなければならない、という難しさはあるにせよ、精神性として宝塚歌劇と親和性があるのは少年漫画や青年漫画ではなく少女漫画であるのは明白だからです。直近の小田急フェミサイド事件などにも象徴されるように、この世界はまだまだ男性原理で動いていて女性は不当に虐げられ虐待され搾取され、あまつさえ女であるというだけの理由で殺傷されるのです。まだまだ女性のためだけのさまざまなものが必要だし、女性が普通に人間であることを訴え続けていかないと世の男性どもの脳には届かないようなのです。それなのに演者が女性だけのオリジナル・ミュージカルの劇団でまで少年漫画の2.5次元舞台をわざわざやってみせなければいけない理由が、私には正直わかりません。それとも後述する五輪閉会式同様、そうまで男社会に阿らないと存続すらできないというほどにこの劇団は無力だということなのでしょうか? 私は、ファンなだけにそんなはずはないと思いたいのですが、それは幻想にすぎないのでしょうか…
 今回の作品に関してフェミニズム、というか人権思想的に引っかかったのでどうしても言っておきたいことは、主人公同様にセクハラ男である教授にアキが尻を差し出し、酷評されてショックを受けるくだりだけは今からでもカットしてほしい、ということです。たとえ原作漫画にこのエピソードがあるのだとしても、今回の舞台に取り入れないことはできるはずなのですから。男は若い女の尻を触りたがるものだ、というのは原作漫画家並びに今回の脚本・演出家の考えなんだろうから(ノットオールメンなのは理解しています)、そしてこのキャラクターの個性・特徴の表現として必要だということなんだろうから、どうしてもやりたいというならやればいいです(個人的には、主人公に一回だけさせてヒロインにハンマーで殴られておしまい、にしておくのがベストだったと思う。何度も必要ないし他のキャラにもやらせる必要もなかったと思う)。だが若くない女は自ら男に尻を差し出す、というのは男の認知のゆがみだし、それで男に酷評されて女がショックを受ける、というのも同様です。女は男の評価を求めているはずだ、というのは男の認知のゆがみであり、女が求めている評価とはたとえば入試の点数が正しく評価されるとかのことであって、同じ点を取っても人数の問題で男を受からせ女は落とすようなことを男がしている時点でもう全然成立していないのです。男に尻を触られたがる女など存在しません。フィクションだとしてもこの女性キャラクターに対して、そして何より演じている生徒に対して、観ている女性観客に対して、まったくもって失礼であり冒涜です。ストーリー展開にまったく関係のない部分でもある。こういうことを、しかもギャグとして、令和の今、あえて再生産することの罪は重いです。原作は昭和末期だったとか舞台は平成初期の設定だとかは免罪符にはなりません。女性に対する人権侵害であり、害悪です。このことをヨシマサには、劇団には理解してもらいたいのです。ショーの大股開脚の振りが下品だとかなんとかいうより、ずっとロジカルでわかりやすいことのはずです。理解してください、勉強してください、改善してください。でないと男性自身も不幸になる、それはまた話を戻しますが先日の事件でも明白です。犯人の心理がちょっとでもわかる、とか感じているならそれはもう立派に病魔に侵されているのです。女性憎悪という病であり、女性が同じ人間だと思えないという認知のゆがみです。この男性の宿痾を認め、治していこうとしない限り、世の中は良くなっていきません。

 私は原作漫画を完走できていないので語る権利はないのですが、ところで香というキャラクターは結局のところこれでOKなのでしょうか。もちろん冴子とかも同様ですが。つまりいかにも少年漫画のヒロインっぽい、都合のいい女性像になってはいないのでしょうか。私自身は、こんなふうに男言葉でしゃべる女性って現実にはなかなか、というかほぼ存在しないけどね…と思いつつも、ひらめちゃんが好演していたので楽しく観られましたが、そもそも原作ファンの評価はどうなのかな、と思ったのです。
 私は今回の舞台のラストが、原作漫画の主人公とヒロインのハグというかキャッキャウフフみたいなイラストで終わったことになかなか感慨深いものを感じました。こんなにもマッチョでギャグでハードボイルドなアクション漫画だったにもかかわらず、このふたりが恋愛未満くらいのパートナーだったことがこの作品のキモではあったのでしょうか? でも、そういう評価軸での批評をあまり見たことがない気がするのです。ボーイッシュでいしじらしくてちょっとやきもち焼きで…みたいなのは、やはり都合のいいヒロイン像で、女性読者には幻想としか思えないものだったのかなあ? ひらめちゃん自身は、漫画っぽさも含めてさすがとても上手く演じていたと私は思ったんですけれどね。
 で、宝塚ファンとして観る限り、やはりこの作品は新トップコンビのお披露目本公演なのであり、男役のトップスターとトップ娘役のコンビというものは夫婦にも準えられるような、唯一無二の、神聖不可侵の(さまざまな事情でそうではないことも全然ありえる、と承知の上で)、一心同体の素晴らしいものだと考えられている、というかそう考えたいと希望を託されているわけです。実際には女性同士だし、この国は同性婚も認められていないし、そうでなくても彼女たちはあくまでビジネスパートナーであって恋愛関係にすらないのだろうし、現実には恋愛も結婚もそんなに理想的でも不変でも永続的なものではない、ということは百も承知で、それでもファンは、ことに女性は、トップコンビに理想の婚姻を、もっと言うと理想の「一対の人と人との美しい関係」を夢見て、重ねて観ているのです。だから咲ひらがラブラブした映像に、原作絵のラブラブしたふたりを重ねられてこの舞台を終えられると、もう「よかったね、これからもお幸せにね、応援するからね!」としか言えなくなるという、非常に卑怯な作戦を私は感じちゃったんですよね…イヤ実際にはそんな重い意図はなくて、たまたまな演出だったんだろうとは思うのですが。でも、「ふたりでこそのシティーハンター」というコンセプトが原作にあったんだとしたらけっこうすごいな?と私は思ったのでした。でも北条司ってそういうロマンチストっぽいところはちょっとあるよね、それは『キャッツアイ』からも十分窺えたもんね…そしてもしヨシマサにもそこをこそを評価するセンスがあるなら、なおさら他の部分をもっとがんばってほしいと思うのでした。
 ともあれ私はこのラスト一枚絵にけっこうねじ伏せられてしまった、というのがあるのでした。改めまして、お披露目おめでとうございました。

 そして『Fire Fever!』は、たいそう暑苦しいショーで楽しかったです。ちょっとクセのある主題歌がまたいい感じでした。
 プロローグで、娘役さんもサルエルパンツで男役と同じ振りをバリバリ踊るのが印象的でした。ひらめはさすがにもうちょっと露出しても…とは思ったかな。イヤ単に重そうで暑そうで…あと娘役の腰についてる弓の的みたいなのは何? 邪魔では? てか『ドリチェ』同様、フル出場だとホント人数多いし舞台が狭いですね。
 でもここでもあーさセンターのドン・ジョヴァンニ場面が、そもそも意図というかコンセプトがよくわからないというのもありますが、オチににわさんのプリマドンナを使うのがホント意味不明でした。男役のギャグ女装を笑うのって、もう時代に逆行しているのではないでしょうか。というかだいたいこれは何を笑わせているつもりなの? 異性装? 同性愛? それってそのものズバリの差別では?
 そもそも宝塚歌劇って、よく知らない男どもからは、女のくせに男の格好なんかして気持ち悪い、やってる方も周りのファンもみんなレズビアンなんだろ?とか思われてるんですよ? それに対してどういう理論武装をしているつもりなんですか?
 そもそも男役というものが性の越境をしているのに、髭の男性がドレスを着ていたからってなんだというのでしょう? 彼の性自認が女性で男性としてのドン・ジョヴァンニを愛しているならそれは同性愛ですらなく、単なる異性愛にすぎません。もちろん好かれたからといってこちらも好きにならなくてはいけないことはありません、それは異性だというだけでナンパされ迷惑に思ったことがある大半の女性が言いたいことでもあります。でも誠意を持って告白されたなら「ありがとう、でもごめんね」と応対するのが同じく大人の誠意というものでは? あーさに悲鳴上げさせて逃げ出させるって、ナニ?
 ちょうど先日『ノバ・ボサ・ノバ』50周年特番がスカステで放送されましたが、小さい娘役が禿げ鬘被ってでっかい男役がドレス着て組んで踊るシーンや女性だけの秘密クラブであるクラブ・バーバとかの意味がその革新性が、全然理解されていないしそこからまったく進歩していないんだなと痛感させられて、ホント絶望的な気分になります…思い出しましたが『CH』で叶ゆうりが『ルパン三世』のときの不二子ちゃんのお衣装で出てくる場面も、原作にあるゲイバーの店員によるツケ回収みたいな場面なんでしょうが、観ていてホントいたたまれませんでした。そもそもの不二子が単なるお色気キャラとしてしか認識されていないんだな、ということまで露呈していて最悪です。かつ「ブスにブスって言われた!」みたいな台詞を生徒に言わせるのとか、ホント耐えがたい! 即刻やめていただきたいです。ルッキズムは宝塚歌劇においてはかなり根深い問題ですし、トランスジェンダーを嘲笑することは立派な人権侵害です。もうもう単純に不愉快でした。他者を尊重することができない人にエンタメとか無理だよ…

 まああとは男役のスーツも娘役のスパニッシュも中詰めも71人ロケットも火の鳥の総踊りもフィナーレ前の新公学年スター場面もフィナーレも、総じてよかったです。ちょっと帽子が多くて、二階席からだとスターの顔がほぼほぼ見えなさそうで、そこは残念でしたけれどね。
 デュエダンもお衣装はものすごく手が込んでいて素敵でしたが、平澤先生の振りはちょっと情感がなさすぎたかな…もっとしっとりゆったりした振りでもよかったと思いました。でもこのふたりはホントなんでもできるバランスのいいコンビだと思うので、今後いろいろやってみてくれるといいなと期待が高まりました。咲ひらの対等感がいい、というツイートは散見された気がしますよね。ひらめちゃんは三歩下がって…みたいなのもできるし、咲ちゃんと並んでも立てるし、なんなら前に出て「私が咲さんを守ります!」みたいなのもできそうだし、ひとり残っての後詰めもしっかり務めてくれそうです。そもそもデュエダンに大階段を並んで降りてきたのがよかったですもんね! 正直私はひらめの組替えとトップ娘役就任に「ひらめでいいなら誰でもいいのでは…」と一瞬思わなかったわけではないのですが、それはこれから彼女がバンバン払拭していってくれるということなのでしょう。
 プログラムはあーさまでであとは学年順で、先日あがちんバウ発表がありましたが、あやなと同サイズ写真で三番手位置に置くのはとりあえず今回は見送ったか、という印象。まあここに今度はそらが来て三番手になるんでしょうからね…あやなとあがちんはショーではシンメで踊ることが多いですが、そりゃあやなの方がスマートで上手いなと思いつつ、あがちんが一生懸命にかつ熱く楽しげに踊るのについ目を惹かれる、ってのはあるなと個人的には感じました。まあでもここは好みの差もあるし、まだまだデリケートなところでしょう。芝居でもあみちゃんが盛り返してきて見えたし、でもはいちゃんもかりあんもよかったし、このあたりも楽しみです。『ほんまほ』で抜擢の華世くんも引き続き起用されていましたしね。あとやっぱすわっちが上手くて頼れるんだよねー。ショーのあすくんの歌のところはもともとはじゅんこさん予定だったのでしょうか? すわっちでもよかったのでは…それか有栖ちゃんとかの方がバランスがよかった気がしました。だってなんで?ってなるじゃん、今までもそんな歌手枠起用されてこなかったでしょう?
 ともあれ、まだまだ暑い中での公演になるので、体調管理に気をつけて、無事に公演していってください。あ、ひまりにお手紙書かねば…(^^)新公も楽しみにしています。

 そして、幕間に「やっぱ閉会式出るらしいよ」とお友達からLINEをもらったりしていたのですが、リアルタイムではのぞみで帰京中で、Twitterのネット記事を見るのみでした。今朝、BSPの再放送で国歌斉唱のところのみ見ました。
 私は今回の東京五輪に関しては、国内でも東京に決まったことがまず反対でしたし(東京都民としてフツーにメイワクでした。どうしても日本に来るというのなら福岡がいい、それなら観光がてら出かけてもいい、とか個人的には考えていました)、その後も招致賄賂疑惑とかがいろいろ出てきたりして本当にイヤで、そこにこのコロナ禍で本当に本当に開催中止にしてほしいと願っていました。震災復興の進んでなさも医療の逼迫具合も水際対策の失敗もバブルのなってなさも本当に何もかもがダメすぎだと思いましたし、ここへきて具合が悪くなっても入院もできない、自宅で死ねと言われるにいたって本当に絶望しました。
 別に測定器とかついていないから意味ないけど、意地でも視聴率に貢献してやるものかと思ってテレビ中継もスポーツニュースもまったく見ませんでしたし、新聞のスポーツ欄も飛ばして読んでいました。まったく支持していませんし、やってよかったとも思わない。障害者差別と言われる危険を冒してでも、今からでもパラリンピックからでも中止にすべきだと考えています。もっと先にやらなくちゃいけないことがもっとずっとたくさんあるはずです。
 それでも今回、私が予定どおりに遠征し観劇したのは、そりゃ公演がやっているからでチケットが取ってあったからです。今週末には月組東京千秋楽が迫っています。もちろんチケットが取れている回は万難を排して劇場に向かうつもりです。
 でももちろん、本当なら、十分な補償の上で、あらゆる劇団がすべての公演を一斉に中止し、すべての企業はエッセンシャルワークを除いて完全にリモートにし、学校の授業なども同様にすべきだと考えています。システムがないとか機材が足りないとか言っている場合ではありません。一昨年の暮れに武漢で騒ぎが起きてからどれだけの時間があったと思っているのでしょう。予算は繰り越しだかなんだかが30兆円あるとかなんとか言われていませんでしたっけ? とにかく溜め込んであるお金をなんでも使ってしっかり補償し、一時的にせよできる限りすべてをストップさせて、その間にワクチンを端からガンガン接種させて、とにかく感染を押さえ込んじゃわないといろいろムリなんです。それは改憲などせずとも現行の法律で十分に可能なはずです。なのに政府は補償をただ出し渋っていて、結局有効な手当てはほぼ何もしていない…現状の、補償もせずお願いベースで、ちょっとだけ中途半端に止めるズルズルしたやり方は、本当に最悪の手だと思います。私はこんな政府に自分も大事な人々も殺されたくありません。
 私たちにはすべて「健康で文化的な最低限度の生活」を送る権利がありますが、順番はあくまで「健康で文化的」なのであって、まず生きていて健康でなければ文化を楽しむも何もあったもんじゃないのです。人はパンのみにて生くるにあらず、とは言いますがまずはパンです。なのにパンとサーカスどころかパンを与えずサーカスのみやらかすのが現行の政府なのです。ホント絶望的な気分になります。
 閉会式にタカラジェンヌが出る、という「週刊文春」のすっぱ抜き記事が出た時点では、「でもガセでしょ? 劇団はそこまで馬鹿じゃないでしょ?」と思っていました。公演がストップされ、何もかもが一端棚上げにされ、チケットの払い戻しだのなんだのと大変な作業を強いられたのではないのですか? 恐ろしいまでの経済的損失を負担させられたのでは? 生徒とスタッフと観客の生命を危険にさせたプレッシャーを背負わされたのでは? みんな忘れちゃったの?
 そして政府も、不要不急の外出や県をまたいでの移動はやめろと言ったその口で、兵庫県から東京まで生徒を引っ張り出したのか? どれだけ厚顔無恥になれるのか?
 そりゃ母体はデカい企業です。政権と、というかぶっちゃけ自民党とそりゃ密接なつながりがあるんでしょうよ。依頼されたら断れない、とかなのか、応じて恩を売りたい、とかなのか、宣伝やイメージアップになると計算した、とかなのか…でも、それだけの効果がありましたか? 本当に? ソロを取ったこっちゃん以外誰もアップにならず、生徒名のテロップが出ることもなかったのに? 劇団に関するくわしい説明すらされなかったのに?
 たとえ生徒が全員ワクチン接種済みだったとしても、ワクチンでは感染を完全に防げないことは立証されているじゃないですか。罹りにくくなるかも、罹っても重症化しなくなるかも、のレベルなんでしょう? 彼女たちは今たまたま公演中じゃないだけで、すでにお稽古中だし次の公演も発表されていて、その主役級を努めるメンツばかりです。休演・代役では済まされないかもしれませんし、何より罹患して発症したら命に関わるかもしれない、治っても後遺症が残るかもしれないのです。肺や喉に負担がかかったら、歌い踊るのが仕事の彼女たちの将来はどうなるのでしょう?
 もちろんそういうリスクも十分に計算してそれでも決行した、のかもしれませんが、ではそのメリットってなんですか? 軟弱な女性観客にやいやい言われようと、ちょっとばかりファンが減ってチケットの売れ行きが鈍ろうと、そんなことは別に痛くも痒くもなくて、この先も政府中枢の爺たちに重用されればその方が最終的に有益だし儲かる、ということですか? 本当に? 生徒、ひいては社員を全然大事にしない企業だというメッセージをこんなにも明確に発してしまったというのに?
 贔屓を人質に取られているようなものだからファンは文句は言っても実際には離れられない、というのは確かにあることです。私だって五輪中継のように「もう絶対見ない」とは、宝塚歌劇に関しては言えません。でもだからいいだろってことじゃないですよね。不信感を持ちながらのおつきあいなんて、いつか限界を迎えます。そしてそれは意外に早いはずです。
 五輪に関しては本当にいろいろなことが不透明で、たとえば事前に公式で告知されなかったこともそうですし、今後公式になんらかの発表があるのかとか、たとえばスカステニュースなんかで取り上げるのかどうかも謎です。まして細かい経緯とか契約とか報酬とか見返りとか、そういったことは一切明かされないことでしょう。お茶会などがないこともあって、生徒自身ももちろん語らないことでしょう。「すごい! 名誉だ!」みたいに浮かれているOGのツイートやインスタ投稿もたくさんありましたが、みんな本当に本気でそう思ってるの? 単純に怖くないの? とその脳天気さが本当に疑問です。
 政府との癒着は、その政府が悪事に突き進んだときにつきあわされることになることでもあります。第二次世界大戦時に、上演が中止され劇場が接収される前に、戦意高揚の軍国劇を作らされた恐怖と屈辱を、劇団はもう忘れてしまったのでしょうか? 長いものには巻かれろで仕方なかったんだ、同じことがあればまた同じことをするよ、という表明なのでしょうか?
 独立し自由でないと、人は良きものを作れないはずです。私たちファンのチケット代だけでは、その独立と自由は賄えない、と判断されてしまったということなのでしょうか。それはあまりにも悲しいです…でもそれも女性の収入が不当に低いせいなのかもしれないのです。先の事件の女性憎悪といい、性差別の社会構造には本当に問題が多く、このままでは未来なぞとうてい望めません。遠からず崩壊し破綻し滅亡しますよ?
 閉会式において、清く正しく美しい、若い女性としてのタカラジェンヌの存在しか求められていなかったっぽいのも苦痛です。もちろん歌を捧げるという神聖な行為は巫女の神事のようなものに通じるのかもしれないけれど、そういうのも未通の乙女に限るとかなんとかの、しょーもない男性視点の性差別を感じます。国歌を美しく歌う技量のある芸の人…と認定されての舞台だと思えないところがつらい。
 あと、未婚女性に限るとは人権侵害では…とすら言われていて、五輪が理想とする多様性からはほど遠い団体なんですけど、いいの?とも思いました。某老人は聖火リレーの最終走者に「純粋な日本人男性」を希望したそうですが、同じノリで若く美しい理想的な日本人女性として呼ばれたのかもしれないと思うと反吐が出そうです。タカラジェンヌといえばむしろ金髪がデフォルトですが、わざわざ黒髪に染め直させたのにも悔し涙が出そうです。「おとめ」用の撮影でもそうだから、という問題ではありません。あれは黒紋付だからでしょう。華やかな着物で出る式典などでは、マラソンや競馬の花束贈呈式なんかでも、みんな金髪のままじゃないですか。もともと地毛の色が明るい人だって最近の若者では増えています。なのにあえて「純粋な日本人」に見えるよう細工させたのではないのですか? 姑息だし、情けないです。
 また、人選も謎だし並び順も学年順や成績順、組順でないところが謎でした。男役と娘役を交互に立たせたかったのかな? できてないけど…あと対外的にそんな差異なんか全然わからなくて意味ないけど。人選はタカスペメンバー、つまり新公主演メンツかなとも思いましたが、でもはるこがいません。はるこを入れると最上級生になっちゃうから? でも先日の激震の星組退団者メンバーに彼女の名はありませんでした。肩叩きされていない、起用される予定があるということなら何故こういう場には呼ばれないの?(同じく同期で新公主演経験がなくただ技量だけで残っているにしては別格スターっぽくもあるみっきぃの扱いとか、ホントなんなんだ?)
 もっと晴れがましく思いたかった、誇らしく思いたかったですよファンだって。でも、ムリ。これじゃ、無理。残念ながら、汚点です。今後、変な政府に変に利用されないよう、改めて注視していくしかない、としか言えません。万博アンバサダーとかも今すぐやめてくれ。てかそもそも万博も返上してくれ。
 せめて彼女たちが、変なおっさんら関係者との宴会につきあわされたりすることなく、直行直帰でさっさとおうちに帰れて、お着物は洗濯か消毒に出して自分たちもお風呂で綺麗に洗い清めて、ゆっくりたくさん寝て、また今日からのお稽古に元気に出ていてくれますように…!

 まずは雪組と月組が無事に完走し、宙組が無事に東京にやってこれますように。全ツも博多座も無事催行されますように。みんなが元気で健康でハッピーでいられますように。国民の義務をきちんと負い、だからこそ国家からきちんと保護を受けられますように。不当な差別をされたり、何かを奪われたりしませんように。
 祈るだけでなく、声を上げていきたいです。劇団にも投書しようと思います。きちんと考えてみてもらいたいので。たとえもうやってるよと言われようと、改めてもう一度ちゃんと考えてみて、と改めて訴えたいので。
 そして引き続き自分自身も、まずは感染予防対策に努め、何かあったとき用にスポーツドリンクや非常食や解熱剤の買い置きはして、お友達たちと生存確認連絡をマメに取りつつ、この未曾有の時代を生き抜きたいと思います。行ける選挙には必ず行って、国会中継も見守り、政治を監視します。私と私を愛し私が愛する人々の命と暮らしを、なんとか守りたいのです。成人の義務をがんばって果たしますから、政府が義務を果たさないというなら退陣してくれ。あと税金納めるのやめさせてくれ。ホント未来に希望が持てなくて嫌になります…でも、負けないぞ!
 毎度勝手な言い種で、お目汚しを失礼いたしました。また加筆修正するかもしれませんが、これが現時点での私の思うところです。












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4 コメント

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その後、ニュースになりませんね… (まろやかさんへ)
2021-08-16 14:49:04
コメントありがとうございました。
その後、スカステニュースでもやはりやりませんね。
公式サイトにも報告が上がりません。
「歌劇」の歌劇団日誌にはいずれ出るのでしょうか…
国の行事なのでいろいろコードが違うのかもしれませんが、
なんでそんな言いなりにさせられなきゃいけないの…?と不信感でいっぱいです。

劇団にも雪組感想含めて、短くまとめてお手紙出しましたが、届いているのでしょうか…
ファンとして、引き続き注視していきたく思います。

●駒子●
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大変失礼いたしました (とおやまさんへ)
2021-08-16 14:45:55
コメントありがとうござてました、大劇場でバッタリできず残念でした。
また、大変失礼いたしました。
私程度のお客でも、あすくんが歌える人であることは知っているつもりです。
今までの扱いの方がおかしかったのだ、これくらい起用されて当然だ、というのが
本当のところかと思います。
死からの再生、総踊り…ってショーではよくある場面ですが、
今回はなかなかアイディアもあって素敵な場面になっていたと思いました。
次に観るときにはまたさらに良くなっているんだろうなー、楽しみです。
トップスターさんに合わせて、組のカラーや演目のタイプが変わり、
その中で組子にもさらに活躍の場が広げられるといいですよね、
本当に楽しみです。

●駒子●
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Unknown (まろやか)
2021-08-15 04:15:25
企業としての態度、五輪と宝塚に関してはこれくらい突っ込んでガシガシ言わないと駄目だ!そーだそーだ!とタブレットの前で拳を振り上げるほど全文賛成です。 この件、オフィシャルでの扱いが薄いのが、よけい態度がハッキリしない感じで気持ち悪いですね。
返信する
あす君について (とおやま)
2021-08-11 14:09:36
私も8月7日、8日と3公演続けて大劇場観劇しました。
あのショーの中で私は、語り部のあす君の歌に最も心を動かされました。
あす君は歌の人ですよ。ある程度年数を重ねた組ファンの間ではそう認知されていると思うのですが、
雪組に興味のない人に「なんであの人が歌うの?」と思われる存在と知って、愕然としました。
考えてみれば、確かに近年本公演で目立つ場面で歌わせてもらったことはあまりなく、ショーでは少人数口の歌手に入れてもらうのがせいぜいでしたからねえ。
この数年では『Gato Bonito!!』のシンガプーラ猫の場面で、無駄に難しくてパッとしない曲を早口で歌わされてたくらいかなあ…。
下級生時代は、ロミジュリの「エメ」の影デュエットとか中日公演『Shining Rhythm!』のロケットボーイとかで耳目を集めましたが、
雪組はミュージカル作品が少なくて、新公でビッグソングを歌う機会もなく(唯一のロミジュリ新公では愛でしたし)残念でした。
歌う力はあるのに、人事上のバランスからか『Bow Singing Workshop』にも『New Wave』にもNZMにも振り分けされなかったため、
1曲まるっと歌わせてもらう機会が本当に少なかったんだなあとしみじみ考えさせられました。
私は、じゅんこさんが歌う予定だった役をあす君が担って本当に良かったと思っています。
繊細な表現が求められる場面だと思うのですが、十分に任を果たしていたし、回を重ねてもっと良くなるはず。
今作で、咲ちゃんの雪組はダンスの組にするという意図を感じましたので、ぜひこの先ももっと歌う場面を貰えるよう願っています。
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