シアター・ドラマシティ、2021年7月13日16時。
東京芸術劇場プレイハウス、7月22日15時半。
絢爛たる江戸文化が花開いた頃。神田稲荷町のなめくじ長屋に、細石蔵之介(轟悠)と名乗るひとりの男が暮らしていた。実は蔵之介は、近江蒲生郡安土を納める佐々木家当主の次男で名を佐々木高久といったが、13のときに突然容赦なく廃嫡され、それ以来素性を隠してこの長屋でよろず指導を商いとして細々と生きていたのだ。室町幕府設立の立役者でありながら文化芸能に通じ「婆娑羅大名」と呼ばれた佐々木道誉の子孫である高久は、長屋で暮らす者たちから親しみを込めて「石さん」「石先生」と呼ばれる人気者になっていたが…
作・演出/植田紳爾、作曲・編曲・録音音楽指揮/吉田優子、振付/山村友五郎、花柳壽輔。85年初舞台、同年月組に配属され、88年雪組に組替え。97年より雪組トップスター、2002年専科異動、03年に理事就任、20年より特別顧問、本年10月1日をもって卒業する、轟悠の退団公演。全2幕。
私が宝塚歌劇を観始めた頃のイシちゃんは、雪組3番手スターさんでした。いや、ダブル2番手の下席って感じだったかな? トップ就任の頃はちょっと離れ気味だったので、あまり生で観ていませんが、ここ十数年はひととおり観ています。
特出するときも主演しないといいんじゃないのかなあ…とか思ったことはありましたが、終身在団するものとばかり思っていたので、卒業発表は意外でした。でも、ご本人もそれなりに思うところがあったのでしょう。今は、お疲れ様でした、と言いたいです。
しかしそれはそれとして、この演目自体には私は激しくあきれ、退屈しました。コロナの影響で芸劇公演が中止になることもありえるのでは、とギリギリにドラマシティを足したのですが、「コレを複数回観るのか…」とちょっと気が遠くなりましたもんね…
お祭り場面を入れてのショーアップとかはとても素敵なんですよ。とにかくイシちゃんにフィーチャーした、ベタな時代劇みたいなオープニングも、組子との涙の別れを重ねるラストの演出も悪くない。
でも、まず1幕のメインストーリーになる長崎から来た中国人姉弟(小桜ほのか、稀惺かずと)の仇討ちの展開が、ザルすぎませんかね? 親が商売仇に闇討ちされた、ってことらしいんですけど、(「日本人が闇討ちなんて」という、外国人ならやるってことかよそれって差別では、という台詞の問題点はここではとりあえずおきます)闇討ちなのに何故真犯人がわかるんだとか、親の側に殺されるだけの理由があったのではないのかとか、一方の話だけ聞いてもう一方を悪だと決めつけていいのかとか、相手の顔しかわからないのに江戸の町を探して歩いているだけで何故見つけられたんだとか、証拠ったって当事者が言い立ててるだけでホントに証拠の意味あんのかとか、巻き添えで殺される阿部さま(天華えま)の家族から今度は恨まれるんじゃないかとか、この頃の仇討ちは通常の犯罪とは違ってOKとされていたのかもしれないけれどどこにも届け出たりせず勝手に実行していいんかいなとか、五貫屋(美稀千種)にだって家族もあろうにとか、何より親の仇とはいえ子供ふたりに実際に人殺しなんかさせて教育上いいもんかいなとか、私はとにかくいちいち引っかかりました。時代もの、世話ものとしてはベタであたりまえのことなのかもしれないですけれど、現代の観客に見せるものなんだし、もう少していねいに台詞とかでフォローしてくれてもいいと思うんですけど…いわゆる警察とか裁判とかにあたるものをすっ飛ばして、また復讐の虚しさなんかを説くこともなく、悪人成敗してヤッター!ハッハッハ!で幕が下りたので、私は心底びっくりしましたよ…これでいいのか!? いいわきゃないんじゃないの!?!?
さらに2幕はストーリーというほどのものはもうほとんどなくて、一度は蔵之介を廃嫡した佐々木家が跡取り息子が死んだというので帰ってこいと言ってきて、家臣たちにもかき口説かれて江戸を去ることにする…というだけの展開なのですが、まあ芝居として芸がないこと甚だしい。1幕で彦佐(汝鳥伶)がこのあたりの設定を語る場面もそうですが、イシちゃんはただ突っ立っていてゆうちゃんさんはただ座っているだけ、2幕も家臣が3人に増えただけでやっていることはほぼ同じ。紙芝居か、朗読か! なんか事情がいろいろ語られていた気もしますが、正直耳が滑って全然アタマに入りませんでした。芝居にも芸がないけれど、そもそも台詞に、脚本に芸がないんです。言葉に含蓄がない、だから届いてこない。
それは、ヒロイン・お鈴(音波みのり)との喧嘩ップル場面の台詞や瓦版売りの権六(極美慎)の台詞なんかもそうで、特にはるこはとても達者でとてもよくやっていましたが、それにしても台詞が雑でザルでおもしろい掛け合いになっていないから観ていてとても痛々しい。権六の口上にしても同様です、いくらかりんたんが大奮闘したってアレをおもしろく見せられるわけないよ…ファンとしては泣けてきて仕方ありませんでした。
最後だからこそ、ごくシンプルな、観ていて楽しい、痛快娯楽エンタメをやりたかった、みたいな意図はわかりますよ。でもそれは雑でザルな作りでいいってことじゃない、むしろより緻密で繊細な作劇が必要になるんですよ。ショルダータイトルの「戯作」が泣きますよ、植Gは腐っても植Gでやっぱりおもしろくないんだな、と痛感しました…今後も、大昔の大作の再演とかならまだアリなのかもしれませんが、でもホントもういいよ引退しようよ…と申し訳ありませんが思ってしまいました。
ファンの方々が大満足で涙、涙で楽しく観ているなら、失礼いたしました。あと、組子には本当に勉強になっているんだろうから、それはもう最後まで食らいついて一生懸命学んで、今後の芸に生かしていってください。
俺たちのルリハナカが子役も芸者役も素敵だったことには満足です。でも『マノン』で水乃ゆりちゃんのお役をやらせた方がハマったのでは、とも思ったかな…
あとは子役ばっかりで正直なんとも…稀惺くんも抜擢ですが、このお役ではなんとも…ぴーの青天は美しかったですね。あとホントはるこのヒロインっぷりがとてもよかった、それにつきます。まあ相手役はゆうちゃんさんでしたけどね(笑)。
イシちゃんはこのあとDSやってご卒業、かな? スカステの特番くらいはあるのかしら…大劇場の大階段を降りることもなくセレモニーもなく、それが本人の希望なんでしょうけれど寂しくはありますね。でもこれでやっとゆっくり、タモマミノルに合流できるのかな。
そのダンディさ、ストイックさはやはり生徒たちの規範になり、劇団を支えてきたことでしょう。本当に長らくお疲れ様でした。
東京芸術劇場プレイハウス、7月22日15時半。
絢爛たる江戸文化が花開いた頃。神田稲荷町のなめくじ長屋に、細石蔵之介(轟悠)と名乗るひとりの男が暮らしていた。実は蔵之介は、近江蒲生郡安土を納める佐々木家当主の次男で名を佐々木高久といったが、13のときに突然容赦なく廃嫡され、それ以来素性を隠してこの長屋でよろず指導を商いとして細々と生きていたのだ。室町幕府設立の立役者でありながら文化芸能に通じ「婆娑羅大名」と呼ばれた佐々木道誉の子孫である高久は、長屋で暮らす者たちから親しみを込めて「石さん」「石先生」と呼ばれる人気者になっていたが…
作・演出/植田紳爾、作曲・編曲・録音音楽指揮/吉田優子、振付/山村友五郎、花柳壽輔。85年初舞台、同年月組に配属され、88年雪組に組替え。97年より雪組トップスター、2002年専科異動、03年に理事就任、20年より特別顧問、本年10月1日をもって卒業する、轟悠の退団公演。全2幕。
私が宝塚歌劇を観始めた頃のイシちゃんは、雪組3番手スターさんでした。いや、ダブル2番手の下席って感じだったかな? トップ就任の頃はちょっと離れ気味だったので、あまり生で観ていませんが、ここ十数年はひととおり観ています。
特出するときも主演しないといいんじゃないのかなあ…とか思ったことはありましたが、終身在団するものとばかり思っていたので、卒業発表は意外でした。でも、ご本人もそれなりに思うところがあったのでしょう。今は、お疲れ様でした、と言いたいです。
しかしそれはそれとして、この演目自体には私は激しくあきれ、退屈しました。コロナの影響で芸劇公演が中止になることもありえるのでは、とギリギリにドラマシティを足したのですが、「コレを複数回観るのか…」とちょっと気が遠くなりましたもんね…
お祭り場面を入れてのショーアップとかはとても素敵なんですよ。とにかくイシちゃんにフィーチャーした、ベタな時代劇みたいなオープニングも、組子との涙の別れを重ねるラストの演出も悪くない。
でも、まず1幕のメインストーリーになる長崎から来た中国人姉弟(小桜ほのか、稀惺かずと)の仇討ちの展開が、ザルすぎませんかね? 親が商売仇に闇討ちされた、ってことらしいんですけど、(「日本人が闇討ちなんて」という、外国人ならやるってことかよそれって差別では、という台詞の問題点はここではとりあえずおきます)闇討ちなのに何故真犯人がわかるんだとか、親の側に殺されるだけの理由があったのではないのかとか、一方の話だけ聞いてもう一方を悪だと決めつけていいのかとか、相手の顔しかわからないのに江戸の町を探して歩いているだけで何故見つけられたんだとか、証拠ったって当事者が言い立ててるだけでホントに証拠の意味あんのかとか、巻き添えで殺される阿部さま(天華えま)の家族から今度は恨まれるんじゃないかとか、この頃の仇討ちは通常の犯罪とは違ってOKとされていたのかもしれないけれどどこにも届け出たりせず勝手に実行していいんかいなとか、五貫屋(美稀千種)にだって家族もあろうにとか、何より親の仇とはいえ子供ふたりに実際に人殺しなんかさせて教育上いいもんかいなとか、私はとにかくいちいち引っかかりました。時代もの、世話ものとしてはベタであたりまえのことなのかもしれないですけれど、現代の観客に見せるものなんだし、もう少していねいに台詞とかでフォローしてくれてもいいと思うんですけど…いわゆる警察とか裁判とかにあたるものをすっ飛ばして、また復讐の虚しさなんかを説くこともなく、悪人成敗してヤッター!ハッハッハ!で幕が下りたので、私は心底びっくりしましたよ…これでいいのか!? いいわきゃないんじゃないの!?!?
さらに2幕はストーリーというほどのものはもうほとんどなくて、一度は蔵之介を廃嫡した佐々木家が跡取り息子が死んだというので帰ってこいと言ってきて、家臣たちにもかき口説かれて江戸を去ることにする…というだけの展開なのですが、まあ芝居として芸がないこと甚だしい。1幕で彦佐(汝鳥伶)がこのあたりの設定を語る場面もそうですが、イシちゃんはただ突っ立っていてゆうちゃんさんはただ座っているだけ、2幕も家臣が3人に増えただけでやっていることはほぼ同じ。紙芝居か、朗読か! なんか事情がいろいろ語られていた気もしますが、正直耳が滑って全然アタマに入りませんでした。芝居にも芸がないけれど、そもそも台詞に、脚本に芸がないんです。言葉に含蓄がない、だから届いてこない。
それは、ヒロイン・お鈴(音波みのり)との喧嘩ップル場面の台詞や瓦版売りの権六(極美慎)の台詞なんかもそうで、特にはるこはとても達者でとてもよくやっていましたが、それにしても台詞が雑でザルでおもしろい掛け合いになっていないから観ていてとても痛々しい。権六の口上にしても同様です、いくらかりんたんが大奮闘したってアレをおもしろく見せられるわけないよ…ファンとしては泣けてきて仕方ありませんでした。
最後だからこそ、ごくシンプルな、観ていて楽しい、痛快娯楽エンタメをやりたかった、みたいな意図はわかりますよ。でもそれは雑でザルな作りでいいってことじゃない、むしろより緻密で繊細な作劇が必要になるんですよ。ショルダータイトルの「戯作」が泣きますよ、植Gは腐っても植Gでやっぱりおもしろくないんだな、と痛感しました…今後も、大昔の大作の再演とかならまだアリなのかもしれませんが、でもホントもういいよ引退しようよ…と申し訳ありませんが思ってしまいました。
ファンの方々が大満足で涙、涙で楽しく観ているなら、失礼いたしました。あと、組子には本当に勉強になっているんだろうから、それはもう最後まで食らいついて一生懸命学んで、今後の芸に生かしていってください。
俺たちのルリハナカが子役も芸者役も素敵だったことには満足です。でも『マノン』で水乃ゆりちゃんのお役をやらせた方がハマったのでは、とも思ったかな…
あとは子役ばっかりで正直なんとも…稀惺くんも抜擢ですが、このお役ではなんとも…ぴーの青天は美しかったですね。あとホントはるこのヒロインっぷりがとてもよかった、それにつきます。まあ相手役はゆうちゃんさんでしたけどね(笑)。
イシちゃんはこのあとDSやってご卒業、かな? スカステの特番くらいはあるのかしら…大劇場の大階段を降りることもなくセレモニーもなく、それが本人の希望なんでしょうけれど寂しくはありますね。でもこれでやっとゆっくり、タモマミノルに合流できるのかな。
そのダンディさ、ストイックさはやはり生徒たちの規範になり、劇団を支えてきたことでしょう。本当に長らくお疲れ様でした。
検索して読みにいらしていただけているんだろうなーと思っていました。
コメントありがとうございます!
私も、石先生が珍しく女の子も寺子屋に通わせているという設定には、
このキャラクターをそういう進歩的な人間として描こうとしているのだな、と
一瞬感心しかけたのですが、「女の話は長い」「そんなこと言うと問題に」のくだりで冷めました。
そもそもあの場面が、下級生の出番を作るためとはいえ無駄に長く、
「男の作る話は長い」と言ってやりたい出来でしたしね…
ここ、生徒さんがかなり早口で、台詞としてこんなことを言わされているのが嫌なんだろうな、とも感じました。
でも生徒は演出家に嫌とは言えないでしょう、ひどいことですよね…
人権意識の低さは本邦の宿痾だと思っていますが、改善していかなければならない問題です。
ファンだから、とか宝塚なんてお嬢さんの学芸会なんだから、とか甘やかさず、スルーせず、
しつこく指摘し続けていかないといけないと思います。
変だな、嫌だなと感じている観客はたくさんいるはずなので。まして生徒に嫌な思いをさせたくないので。
お互いがんばっていきましょう! ここでも怒り散らかしている記事、たくさんありますよ(^^;)。
また読みにいらしてください!
●駒子●
私もシアタードラマシティで観劇しており、途中までは「こういう感じのエンタメなのか~」と思っていたのですが、子供たちの喧嘩中のセリフ「私は女が嫌いなんだ」「女はなよなよしてて嫌なんだとよ」「女は話が長い」「そんなこと言うと大変なことになるから」「大変なことになるのは何百年も先のことさ」といったやり取りを聞いた時に頭が真っ白になってしまいました。
3回ほど見たのですが、そのシーンで笑いが起きていたこともショックでした。このシーンだけ見れば某政治家の失言を非難しているようにも取れなくもないのですが、その後、再度イシ先生がお鈴に向けて「女は話が長い」というシーンがあり、失言を肯定しているというか、あの問題を理解した上で戯曲に落とし込んでいると思えなくて…。
このシーンもですが、最後のイシ先生の「頑張れ、女の子」「男の子に負けるな」というセリフにも「女性が頑張ってないから差別を受けているのではなく、社会構造のせいなんですが!」と思ってしまって…
この作品に限らず宝塚の作品には「どうしてわざわざ女性の演者に男尊女卑の発言をさせたり、セクハラさせたりするの?」と思うことが多くて(でもそれに異を唱える声は少なくて、こんな私は頭のか大変なやつなのかと思って)モヤモヤしてしまいます…なんだか長文になってしまいすみません。
今後とも更新を楽しみにしています!