駒子の備忘録

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『クリプトグラム』

2013年11月24日 | 観劇記/タイトルか行
 シアタートラム、2013年11月20日マチネ。

 居間らしき空間、少年ジョン(この日は坂口湧久)、その母親ドニー(安田成美)、長年の家族の男友達デル(谷原章介)が登場する。夜になってもジョンの父、そしてドニーの夫であるロバートは帰らない。母と子は動揺し、デルは何かを知っているようではある…
 作/デイヴィッド・マメット、翻訳・演出/小川絵梨子、美術/二村周作。全一幕。

 いやあ、ナチュラルな会話を模したものなのかもしれませんが、「おちついてまずは人の話を聞け。そして聞かれたことにはきちんと答えろ」とつっこみたくなることが何度もありました。それができないから話は進まず、事態は変わらないのです。登場人物たちには事態を変える力がない。そういう人物たちが途方にくれる様を描いた演目なのでした。作者の自叙伝の要素が強い作品だそうですが、私はこんな生き方は怖くてできません。
 世界は、人生は、運命は優しいばかりではなく、むしろ常に牙をむいて襲ってくる怖ろしいもので、だからこそ準備や対抗手段が必要で、抗い多少なりともコントロールをもくろむ気概が生きるためには必要なのである、ということは私には自明のことのように思えます。
 だからなんの準備もしない人、立ち向かう用意をしない人やなんらかの手段を講じようともしない人が信じられません。なくてもどうにかなると信じていられるような、そんな強さは私にはない。そして彼らは、強いのではなく単に鈍感なだけなのかもしれないけれど、それで意外に人生を乗り切ってしまったりする。それこそそんな強さは私にはないと思えるのです。
 鈍感でいられる強さがない。だからビクビク準備する。でもドニーは何もしない人です。そして結局どうにもならずに子供に当たっている。ジョンは成長したらデルのような大人になるのでしょう。それは私には幸せなことにはとても思えないけれど、そうとしかならないお話なのでした。
 怖いわ、怖ろしいわ。
 ただ、デルからジョンに手渡されたナイフは象徴としてとても大きな意味があったと思います。なんらかのものを断ち切る手段としてなのか、父親の形見としてこの家族に囚われていくことを意味するものなのか、なんであれ。
 だからその重大さが゜もっとはっきり伝わるように演出してもらいたかったです。はっきり言って私にはそれが感じられず、「え? これで終わり??」と思ってしまいましたからね。
 この演出家は『OPUS/作品』がよかっただけにそこは残念でした。

 しかしこんな脈絡がない、というか進まない会話劇をこんな子役がよくもまあ暗記して演技できるものだと、それには感心してしまいました。


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