駒子の備忘録

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『MUSA』~韓流侃々諤々リターンズ7

2020年06月08日 | 日記
 2001年、キム・ソンス監督。チャン・ツィイー、チョン・ウソン、チュ・ジンモ。原題は『武士』。邦題はその韓国語読みをローマ字にしたもの、かな。

 これまた当時けっこう話題になったアクション大作かと思います。パッケージに記載がないんだけど、韓中合作映画とかなのかも。史実をもとにしたフィクション、ということですが、明を高麗の使節が訪れて、けれどスパイだとされて捕らえられ流刑になり、元の一行に出会い捕らわれた明の姫と出会い…というお話です(ざっくり(笑))。
 将軍と姫と奴隷、高麗と明と元、剣と槍と弓…美しい三角関係(?)がたくさん出てきます。
 国境もコロコロ変わるような、ひとつアジアやろ!と言いたいところで長く争い合ってきた三国の人々がみんないかにもなのが興味深いし、使節団の小さなパーティーの中でも文官と武官、武官の中でもおそらく首都から派遣されてきたエリートと任務に狩り出されただけの現地兵、さらに偶然行き合った僧侶とみんな立場がいろいろで、もちろん性格の違いもあってみんなが違うことを主張し、まとまらないことこの上ありません。だからこの世から戦争がなくならないのだな、とも思える。
 明のお姫さまは侍女でもない女を自分の身代わりに囮にしようとするし、馬にも乗れるくせに歩こうとせず輿を用意させます。お姫さまを崇め奉っていた現地の民も、事態が進むと和解のために姫の身柄を差し出そうとして、これまた玉をシンボルとして一致団結、なんて展開にはなかなかならない。それでも国を愛し仲間を愛し自分たちの誇りを捨てないためにも、男たちは戦い、姫は自害してでも戦いをやめさせようとする…
 私は、ラスト、戦いの最中に生まれた男児と姫だけが生き残り、あとはすべて死に絶えて、そこからまた新たな国を作っていくしかないのだ…みたいな恐ろしい世紀末黙示録みたいなオチまで考えました。民族とか、身分とかって、いったいなんなんだろう…などと考えてしまって。王が民のために良き政をし、民は王を頂点にまとまり、敵国と戦争となれば戦う…という構造はもちろんよくわかるのだけれど、そもそも隣国イコール敵国とは限らないわけで、たとえ民族その他が違おうともそんなに争わなきゃいいじゃん、とも思える。この物語も、発端はみんが高麗の使節を疑ったこと、そして元の国王の妹を奪ったことにあるようです。だから高麗の使節団は元に捕らわれていた明の姫を助けて名誉を回復しようとし、元は元で復讐のために明の姫をさらっていたのです。でもそもそもの原因は不信と邪淫にある。それを律せられなかったのか明の王よ…!と言いたい。そこからのこの、争いの連鎖の虚しさよ…!!
 ファンタジーとかではこうした王侯貴族と軍人の物語とかをドラマチックでロマンチックだとつい安易に取り上げがちですが、いろいろ突き詰めて考えないといけない問題があるよな、とも思ったりもしました。筋力や体力などの差異もあって女は男のようには戦えないし、しかし常に子袋として利用されたりもする。特に王侯貴族の女はそうです。でも平民だろうと男も女も命がなければ次の世代が残せず、滅びるしかないのです。もっと愛と信頼を根底に置くことはできないのか?
 将軍は姫を敬慕し、姫は自分を守ってくれた元奴隷の男に思慕を寄せ、男は死に際に主人を失ってからは誰にも呼ばれることがなかった自分の名前が姫の口から発せられるのを耳にして絶命するわけですが、それでよかったとか幸せだったとかはもちろん言えないわけで、ではどんな結末ならふさわしかったのかと問われれば答えはない。彼らはまず彼女の美貌に惹かれ、高嶺の花だからこそ惹かれた部分もありそうで、ほとんど恋愛以前のものだったし、あくまで「姫」という名前の存在を慕い守っていただけです。「姫」とは「王の娘」のことであり、彼らは彼女の先に「王」を見ているのであって、つまりは男同士の上下関係ありきのホモソーシャルの中の一要素にすぎず、そこに彼女自身の個性やキャラクターやアイデンティティはほぼ考慮されていない。これを総モテでいいよねとか、ロマンスのヒロインになれていいよねなんて、とても思えません。
 それでも彼女は姫として生きてくるしかなかったのだし、ほんの一瞬だけ城の外に出てみたくて、そこを敵国にさらわれた。普段は高飛車で自分が優遇されるのを当然と考えていて、けれど一朝事あれば自分が責任を取るのだという王族としての覚悟はちゃんとある。男たちの「そういう視線」にも慣れていたことでしょう。そんな彼女に、他にどんな生き方ができたと、できるというのでしょう。彼女がこのあと祖国に帰れたとして、どうせ父の命でどこかに嫁がされるだけなのです。そして息子を産めば役割は終わり、とされるのでしょう…それが幸せだとはとても言えない。けれど他にどうあればよかったとも言えない…
 ロマンスとしてはそのあたりですが、同じようにチュ・ジンモ演じる将軍がアイデンティティの確立に悩んでいることが窺えるあたりも私はおもしろかったです。エリート軍人なんだけれど、この人のゴールは勝利したり任務を完遂して都に凱旋して左うちわの栄耀栄華…じゃないんですよ、戦場で死ぬことなのです。父親も将軍職にいたらしく、副官はかつて父親にも仕えた男だという設定です。つまり彼は自分が二世だから、親の七光りで将軍になったのだと周りから思われていると思っているのです。だから手柄を立てたい、武人として尽力したい、証を立てたいのです。
 そんな彼に仕える副官は、部下がいるうちは上意下達を絶対としてきましたが、ふたりになると将軍の命に従わない場面も出てきます。それは将軍のためなのですが、それが将軍には伝わっていなかったりする…ホモソーシャルを批判した刀で返してアレですが、このあたりのドラマは激しくせつなくしんどく、シビれたのでした。チュ・ジンモの甘いマスクがまたキャラに似合うんだよー、武闘派だけど所詮お坊ちゃん、って感じが絶妙なのです。それからすると奴隷役のチョン・ウソンの方が確かにニンがもうちょっとハードボイルドだと思います。いい配役だなー。
 でもそれで言うとお姫さまはもっと女臭い美女でもよかったのかもしれません。対比というか、キャラとして。

 アクションは激しく美しく、映像も美しい、素敵な映画です。しかし虚しく、悲しい…さすがアン・ソンギがいいとこ持ってくよなー、というつっこみ以上に、重く暗いものが残されるのでした。でも、だからこそ、いい映画です。

 ところで「音声/字幕」選択欄の音声が「ハングル/日本語」となっていましたが、ここは「韓国語/日本語」が正しいから。ハングルってのは文字の名前だから。ひらがなとかカタカナとか漢字とかっアルファベットってのと同じものだから!


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