駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

ロン・ティボー国際音楽コンクール ガラ・コンサート

2010年03月25日 | 観劇記/クラシック・コンサート
 サントリーホール、2009年2月5日ソワレ。

 今年はヴァイオリン部門。2005年度第2位の南紫音をゲストにバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番、2008年度第5位入賞の長尾春花がドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲イ短調、第1位のシン・ヒョンスがプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番ニ短調を演奏。指揮は広上淳一、オケは東京フィルハーモニー交響楽団。

 CDで予習していきましたが、やはり生だと「こういう音楽だったのか」とまた感じ入るところがあります。
 楽曲として一番好きなのはドヴォルザークですが、ヴァイオリンは南紫音が素敵だったかな。
 赤いドレス、つややかな黒髪。
 長尾春花は白いドレスがちょっと子供っぽくて、なんか腰に悪そうなのけぞり方で演奏するのが気になりました。音も小さくてオケに埋もれそうでした。
 ショートカットに体の線にそってすとんと落ちるラインのターコイズブルーのドレス、背中が大きく開いてセクシーなんだけどカッコいい、宝塚歌劇の男役のようなシン・ヒョンスは、そのとおり凛々しい演奏でした。
 うん、ヴァイオリンもいいですね~!

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宝塚歌劇月組『夢の浮橋/Apasioknado!!』

2010年03月25日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 東京宝塚劇場、2009年1月21日マチネ。

 栄華を極めた光源氏が世を去って幾年…宮中では、今上帝の第三皇子・匂宮(瀬奈じゅん)と光源氏の末子・薫(霧矢大夢)が稀代の貴公子として評判になっていた。薫が宇治の大君を失って沈んでいるのを気にかけていた匂宮は、薫がその宇治に新たな女人を囲っていると聞いて、早速宇治へ向かう。その女人は大君の異母妹・浮舟(羽桜しずく)で、彼女に生き写しだった…脚本・演出/大野拓史、作曲・編曲/高橋城ほか。源氏物語千年紀頌と題し、『源氏物語』最終章『宇治十帖』を脚色。

 宇治編に関しては大和和紀『あさきゆめみし』での知識くらいしかなかったので、政争の部分があるとは知りませんでした。でもなかなかおもしろかったです。二の宮(遼河はるひ)、よかったなあ。
 下級生にまでたくさん役がついて、それもよかった公演です。月組は若手にタレントが多いし。代わりにキリヤンの出番が少ない感じがしてしまったのは寂しかったですが。
 しかしキリヤンの今回の変な発声はなんだったんだろう…私は違和感を感じました。
 アサコの水も滴る貴公子っぷりは文句なし。今最も乗っているトップスターと言っていいでしょう。
 『グレート・ギャツビー』のデイジー役を観たときには、この芝居心のなさはトップ娘役に据えてもらえなくて当然だと思ってしまった城咲あいは、今回は傀儡子の小宰相の君という役どころ。匂宮の姉・女一の宮(花瀬みずか)に雇われてプレイボーイの匂宮をこらしめる、ちょっとおきゃんなキャラクターで、匂宮に政治の世界で傀儡として生きていく未来を提示する役でもありましたが、今回はなかなかよかったです。明るく華やかで才気があるキャラクターを演じて十全でした。
 でも浮舟も悪くなかった。ううーむ、難しいですな。ショーでは完全にアサコの相手は城咲あいが務めていて、羽桜しずくはキリヤンの相手役でしたが、ラストのトップコンビのデュエットダンスはなく、代わりに中詰にキリヤンが女役に扮してアサコとがっつり踊るイレギュラーっぷりでした。

 でもやはり宝塚歌劇は、男役トップスターと娘役トップスターと二番手男役とで三角関係のメロドラマを演じてこそのもの、だと思うので、組の娘役トップは確定してほしいなあ。

 その歪みはもしかしたら今回の脚本にも現れていたかもしれません。
 もともと、女ひとりを挟んだ男ふたりの恋の鞘当というのは、本質的にはホモソーシャルである男同士が、愛し合う代わりに女を利用しているような面があると私は思っていますが、とにかく今回のお話も、ヒロインの恋の物語という面はかなり薄くなってしまっていると感じました。
 もちろん『源氏物語』には、女の幸せは最終的には男との愛とかこの世とかにはなくて、出家してしまうにこしたことはない、みたいな思想があるので、女の恋の成就を描くことは主眼ではないのかもしれませんが…

 しかし、ヒロインの浮舟が、自分を大君の身代わりとしてしか愛してくれない薫より、自分自身を見て愛してくれる匂宮を選ぶ、という部分の流れよりも、匂宮を東宮の座につけるため、現有力者の娘を彼の妻に迎えられるようにするために、彼から浮舟を遠ざけた薫、という部分の方が私には色濃く見えました。つまりこれは匂宮の政治的栄達のために働きかける薫の物語、薫の匂宮への愛の物語になってしまっているように私には見えてしまったのです。
 「宇治十帖に夢中」で「虜になった」脚本家が、「どのような箇所の虜になっ」て「誇大妄想者の解釈」をくりひろげたのか、は、実際の舞台を見てくれとのことでしたが、私はこのあたりのことかなーと思いました。
 それがいい悪いと言うことではなく、むしろ好みであったりしなくもないですが、でもやはりロマンスを求めて観劇に来るほとんどの観客に、この物語のドラマの核とはなんだったのかが実はあまり伝わっていないのではないかという危惧は感じたので、やはりまっすぐストレートにやるにこしたことはないよ、と思うのでした。

 ファナティック・ショーは藤井大介作・演出、作曲・編曲は青木朝子ほか。
 こちらはどストレートですばらしかった。やはりベタが一番です。
 総踊りのプロローグ、中詰、ロケット(ラインダンス)、黒燕尾の群舞、パレードは必須なのです。トップコンビのデュエットダンスとエトワールがなかったのは組の事情で仕方がありませんが、それ以外は本当によかった。若手スターの銀橋渡りとかもありましたしね。
 しかし、芝居に特出してもらった専科のベテラン三人を、ショーにも起用するのは苦しかったと私は思う。ソルさんが歌えるのは知っているし私も好きですが、萬あきらはほとんど妖怪にしか見えなかったし、悪いけどそこだけゲイバーのショーみたいに感じてしまいました…これは宝塚歌劇としては絶対に避けなくてはいけないイメージなので(向こうがどんなにあこがれ、近づいてこようとしていても)、気をつけてもらいたいものですけれどねえ…

 最後に。女一の宮は匂宮の同母姉なので、薫の初恋の相手というのはともかく、匂宮もまた特別の愛情を持っていた、というのは筆の滑りではないでしょうか。それとも原作にもそういう記述があるのかな? 異腹であれば兄弟でも結婚しちゃう時代のお話なので、感覚が現代と違うのはもちろんですが、なのでなおさら同腹に対してはタブーというか発想の埒外というのがあるはずかと思っていたのですが…
 でも、幼いころから一緒に育って、分け隔てなく幸せな子供時代、と記憶されるころのことでも、実は秘密があったのだ、というのは、ちょっとせつなくていじらしくてよかったですけれどね。
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『グッドナイト スリイプタイト』

2010年03月25日 | 観劇記/タイトルか行
 PARCO劇場、2008年12月25日マチネ。

 寝室。ふたつのベッドが並んでいる。部屋の主はふたり暮らしの夫婦。出会いから今日までおよそ30年間、時の移ろいとともに、ふたりと、ふたりのベッドの間の距離は、ゆるやかに、けれど確かに変わっていった…作・演出/三谷幸喜、出演/中井貴一、戸田恵子。全1幕、2時間のお芝居。

 よく出来ています。脚本がさすが上手い。開演前のアナウンスを生でしちゃったり、時間経過の息抜きに舞台に登場して笑いを誘っちゃったりしますが、三谷幸喜はやはりこういうタイプの舞台の脚本に真髄があると思います。
 最終盤で妻がふたつ年上の姐さん女房だったことがわかりますが、30年すると男のほうは確実に老け込み、女のほうは素敵なキャリアマダムになっている。ダンサーからペットシッター、英会話教師から画廊の経営とキャリアアップ?しながら、確実に自分の世界を広げ、一方でいつまでも子供っぽいままに自分の才能が通じる世界だけにいる夫を見限り、嫌いになったわけでも憎んでいるわけでもないけれど、でも離婚して家を出て行くことを選んだ、妻。そこには、子供に関するデリケートな問題があったことが大きく、子供代わりのペットが事故で亡くなったことが決定打となったのでしょう。それはとてもわかります。
 未練たらたら、というか今でも状況がよく理解できていない夫は、すがるように妻にまとわりつき、妻のベッドにたびたび腰掛けますが、そのとびに妻は自分の座る場所を変えて身体を離す。それもとてもよくわかります。
 「ぐっすりおやすみ、また明日」けれど明日はふたりでいない。
 そんな皮肉でもの悲しい、笑ってほろりと泣ける舞台でした。
 で、だから?という部分はもちろんなくはないのですけれどね。
 ふたりの役者はさすがに達者で過不足まったくナシ。すばらしいものです。
 リモコンで動くペットのリクガメもたいそう愛らしゅうございました。
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『愛と青春の宝塚』

2010年03月25日 | 観劇記/タイトルあ行
 新宿コマ劇場、2008年12月9日マチネ、16日マチネ。

 1939年、第二次世界大戦が始まった年。宝塚歌劇団は「清く正しく美しく」をモットーに、たくさんの観客を楽しませていた。リュータンこと嶺野白雪(紫吹淳、湖月わたるのダブルキャスト)は大型スターとして輝き、彼女に憧れて宝塚を受験する女子は後を絶たない。その年の入学試験で、天涯孤独の身で宝塚に生活の場を求めるタッチーこと橘伊吹(彩輝なお、貴城けい)、とにかく早くトップスターになりたいという野心家のトモこと星風鈴子(星奈優里、大鳥れい)、ひたすら無邪気にリュータンに心酔するベニこと紅花ほのか(紫城るい、映美くらら)が合格。日夜レッスンに励むが…原作・脚本・原詞/大石静、演出/鈴木裕美、作曲/三木たかし。2002年にテレビドラマとして放送されたもののミュージカル化。新宿コマ劇場ファイナル公演。

 女優陣は全員タカラジェンヌOG、というのはコンセプトとして正しいと思うのですが…そしてこの公演の観客はほとんど宝塚歌劇ファンだと思うのですが…きっといろいろ微妙に感じたこともあったことでしょう。
 というのは、まず幕開けのレビューシーンがきつい。お化粧が宝塚よりずっとナチュラルメイクだというのもあると思うし、卒業してから年月が経って体型的にきついことになっている人もいるというのもあるし、やはりあれは現役ならではのもの、あの舞台ならではの魔法がかけられていてこそのものなのかもしれません。あの顔もあの顔も懐かしい人ばかりなんだけれど、だからこそ気恥ずかしいのかもしれないし、なんかホント学芸会みたいでした。
 むしろ女優に転じてからの彼女たちの真髄は、ラストシーンの、もんぺ姿でのレビューシーンにこそあるのかもしれません。あれはすばらしかった。生きる喜びを表現する踊りとしてきちんと成立していました。その後のフィナーレ・ショー部分といい、基本的にダンスに関してはその後も舞台に出て研鑚を積んでいる人も多いわけで、まったく遜色ないかむしろ上手くなっているわけです。つまり宝塚っぽくないシーンこそ映えるわけですね。この皮肉な逆説!
 それからリュータンの私服のスカート姿の美しさ。現代では男役スターは私服でもほとんどパンツスーツ姿で、女の姿をファンの前どころか下級生に対しても見せることは少なくなっているようですが、このころは違っていたのでしょうしそれが自然だったのでしょう。
 舞台を降りれば男役トップスターもひとりの女、というか女優であり、スカートをはいた腰も脚も美しく胸も立派でセクシーなわけです。でもこの事実に当てられる観客はけっこう多いと思う。
 演出家の影山(石井一孝)とお芝居の練習をしているうちに彼に惚れちゃうくだりなんかは、完全に「女の子」になっていて、それはもう違和感を通り越して十分にいじらしくて微笑ましくていいんだけれど、そこにいたるまではけっこうお尻がむずむずしました。

 しかし男優陣は総じてすばらしかったですが、ことに石井一孝の存在感はこれまたある種すごすぎて、歌が上手くてすばらしいのはもちろんいいのですが、なんと言ってもその体の厚みというかが、要するに男役が作る男性キャラクターとはまったくちがう現実感を期せずしてかもし出してしまっているんですね。だからこれが宝塚の舞台ではないということを常に意識させられる。それが当然なんだけど、これまたとまどう人も多いと思うのですよ。加えて彼が完全な美形とかハンサムとか言い切れないところがまた微妙でねー…これまた宝塚歌劇ではありえないことですからね。
 速水中尉を演じた本間憲一が、ショーでのダンスはさすがなんだけれど、芝居ではとにかく背が低いことが気になるという点も、これまた微妙でした。でもだからこそ彼とタッチーとの恋にはリアリティがあったし、彼と影山先生との確執にも重みがあったし、そんな先生を振り向かせてしまうリュータンの愛、というものにも価値が出ましたねー。
 女性陣と並んで違和感がないのは実は佐藤アツコロだけで、それはやはり彼がジャニーズだからなんだと思うんですよね。そのアイドルとしてのあり方が共通だからだと思うのです。彼に手塚治虫を思わせる少年オサム役を当てたのは本当にすばらしいことだと思います。
 物語は「今の時代に宝塚歌劇は必要ない」なんて言ってしまう時代のほうこそが異常なのだ、ということを訴える流れになっていて、よく出来ていて感動的です。各キャラクターもとてもよく造形されていました。
 どうしても最初に観た時の印象が強い、ということもあると思いますが、ワタル・サエコ・ユリちゃん・エミクラちゃんのほうが役としてはよかったかなー。特にサエコは現役の時はどうも苦手に感じていたのですが、退団後の舞台はいつも好印象を得ている気がします…何故だ…

 物語の主人公はむしろタッチーであり(キャストのポジションゆえか、リュータンにかなり重きを置かれた作りになってはいますが)、男役とか宝塚のあり方に疑問を捨てきれない、だけど才能はあふれるほどにある、というキャラクターは実はとてもよくいそうだと思うんですよね。カシゲちゃんは普通にしていても美人というか美女ですが、サエコの美貌というのはとても宝塚的で、一般にはバランスが悪くてとても美人だとは言い難い顔立ちだと思う。そこが余計にタッチーぽいと思いました。カシゲちゃんはモブに埋もれていたけれど、サエコはどこにいてもわかりましたもん。
 ユリちゃんは、ひいき。でも元男役でとにかく早くトップになりたくて優等生を貫いて…というトモのキャラクターはなんかぴったりでした。
 エミクラちゃんもファニーフェイスのキュートなタイプだったので、はっちゃけたコメディリリーフはニンでした。ルイちゃんも悪くはなかったですけれどね。
 リカちゃんは声を枯らしてしまっていたし、演技がちょっとオーバーだったかなあ。あと顔がやっぱり現代的すぎるのかも。ワタルの方が歌も聴きやすく芝居もナチュラルで、「昭和の大トップスター」という感じも出せていたと思います。
 でもとにかく楽しく観ました。長かったけどね!
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