駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

アメリカン・バレエ・シアター『白鳥の湖』

2010年03月11日 | 観劇記/タイトルは行
 東京文化会館、2008年7月23日ソワレ。

 はるか昔のこと、美しいオデット姫(この日はジュリー・ケント)は悪魔フォン・ロットバルト(アイザック・スタッバスとデイヴィッド・ホールバーグ)に恐ろしい魔法をかけられてしまった。一方、ジークフリード王子(マルセロ・ゴメス)は21歳の誕生日を友人たちとともに祝っている。そこに現れた王妃(ジョージナ・パーキンソン)は石弓を贈り、翌日の夜に開かれる舞踏会で花嫁を選べと言う…振付/ケヴィン・マッケンジー、原振付/マリウス・プティパ、レフ・イワーノフ、音楽/ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー。ABTの芸術監督マッケンジーが2000年に発表した改訂版の日本初演。

 ロットバルトが異形の者としてと色悪役としてとのふたつの顔を持つのが特徴のようで、プロローグにオデットが誘惑されるくだりがあります。エンディングはどちらかというと悲劇で、ロットバルトの妨害の前にオデットもジークフリードも湖に身投げし、死後の世界で結ばれる、というものでした。
 舞踏会のシーンで各国の花嫁候補はおろか王妃までその魅力に屈させてしまうロットバルトはなかなかの見ものでしたが…

 なんか、まず、オデットがとても強くて、つい先日くたくたと柔らかく素敵だったマノンを観たダンサーとは思えませんでした…繊細さに欠けるというか…ジークフリードはなよなよもしていなくて素敵だったんですけれどねえ。
 オディールになるともちろんその強さはすばらしいのですが。しかしグラン・アダージョも黒鳥のパ・ド・ドゥも、有名な定番の振付からちょっと手が加えられていて、それもうーんだったかなあ。
 パ・ド・トロワに日本人ダンサーがいて、健闘していたのには好感を持ちました。

 ところでオディールというのはロットバルトの娘とされることが多いわけですが、ということはこの悪魔は自分の娘に似たオデットをみそめて魔法をかけて自分のものにしちゃうわけですね。娘が歳をとりすぎたってことなんでしょうか…って『sisters』?

 とりあえずは満足でしたが、またしばらく『白鳥』はいいかな…という気にもなってきました。
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新感線☆RX『五右衛門ロック』

2010年03月11日 | 観劇記/タイトルか行
 新宿コマ劇場、2008年7月22日ソワレ。

 沖のかもめにたずねてみれば、あれに見えるは海の果て、神秘のお宝「月生石」が山ほど眠るタタラ島。おっとそいつはおれのもんだとやってきたのは石川五右衛門(古田新太)、三条河原で釜茹でにされたはずの大悪党。さらにそのお宝を独り占めしようとついてきた真砂のお竜(松雪泰子)、五右衛門を捕らえようという役人岩倉左門字(江口洋介)も加わって…作/中島かずき、演出/いのうえひでのり、作詞/森雪之丞。劇団☆新感線の最初で最後の新宿コマ劇場公演になる音楽劇。

 閉館もやむなしという古い音響施設に大音量のロックはきつくて、アップテンポの歌は歌詞がほとんど聞き取れないというもったいないことになっていましたが、大きな舞台にわかりやすいおおらかなストーリーと暑苦しい殺陣、笑いという祝祭劇で、最後は観客総立ち、楽しい公演でした。あいかわらず長いけれどね。

 『キャバレー』が観られなかったことが悔しい松雪泰子は脚線美のすばらしさもさることながら、意外に歌えるんですねえ。色っぽかったしよかったです。キャラとしては完全にただの峰不二子でしたけれどね。
 生真面目な役人、けれどギター侍(^^)という江口洋介もこれまたよかった。最初は役不足?という感じもしましたが、ホッタル族の人々を救いにいこうとするあたりなど、なかなかどうして一番深い人間ドラマ部分を担当するキャラになっていたのかもしれません。
 古田新太はまあ、タイトルロールにして狂言回しなわけですが…石川五右衛門というのは忍者説もあって変装の達人ということになっているようですが、どろんぱと化けると大きさが変わるところが本当に馬鹿馬鹿しくておかしかったです。
 ドラマの主役はタタラの王クガイさまを演じた北大路欣也と、その息子でバラバの国に身を寄せているカルマ王子役の森山未来。森山くんが観たくて取ったようなチケットですが、まあその動きのすばらしかったこと! 堪能しました。ストレートプレイもミュージカルも観たことがありますが、こんなに歌って踊っていいるところを観たのは初めてだったような。バラードっぽい歌が多かったので歌詞が唯一きちんと聞き取れて聞かせてくれたのも高ポイント。タップは正直余計だろうと私なんかは思っちゃいましたが、そのダンス能力に裏打ちされた殺陣は本当に本当に美しくてすばらしかった!!
 キャラとしても、父親は事情があって自分の妻を手にかけたわけですが、それを誤解して「母の仇」と復讐に燃える若く青い王子、しかもバラバの将軍(橋本じゅん)とその夫人シュザク(濱田マリ)に操られていたという間抜けっぷりが本当に「正しい王子」という感じで私はもう萌え萌えでした。
 さらに無駄に元気だったのが死の商人ペドロ・モッカを演じた川平慈英。好きなんでしょうね、合っているんでしょうねー。

 「月生石」とは岩塩かつ中毒性があり意志を失わせるようになるという毒物ということになっています。そんなものが大量に眠る島タタラにもともと住み着いていたホッタル族はハストラルで非戦主義みたいな平和な民族ということになっています。中毒しているから温和になれるということなのか。そしてクガイが争いの元である月生石を島ごと沈めようとするとき、彼女たちは島と運命をともにすることを選びます。そこでないと生きられないから。そして遅かれ早かれいつかはみんな死ぬのだから…恐ろしい真実のような、シュールなような…

 ともあれクガイさまはそれはそれは素敵なのでした。お竜もほだされたほどに。五右衛門の元妻インガ(高田聖子)もまた惚れたように…

 五右衛門、女みんな奪われてるぞ? 主役なのにそんなんでいいんかいな…まあいいのか。

 当たり外れの大きい劇団ですが、今回は、今後も場所を選んで、もうちょっとスタイリッシュにすれば、別キャストでも再演が重ねていけるような、いい演目だと思いました。
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アメリカン・バレエ・シアター『オールスター・ガラ』

2010年03月11日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京文化会館、2008年7月17日ソワレ。

 久々にガラを観たので忘れていたのですが、ガラにはセットとか装置がないんですよねー。古典ものをやる時には魅力半減だなー。最初が大好きな『ラ・バヤデール』だったので余計にそう思いました。せっかく居並ぶ婚約式の招待客の娘たちがあの妖しげなインド風のお衣装を着ていてそれだけで素敵なのに…

 ま、でも気を取り直して。ガラはテクニックを見せるもの、という感覚もあるでしょうが、まずはっとさせられたのは、舞台には出ていないニキヤを思ってちょっと欝になるソロル(デイヴィッド・ホールバーグ)の芝居でした。でもバリアシオンは気持ちよいテクニックをスパット見せてくれて壮快で、ついつい一番乗りの拍手を送ってしまいました。ガムザッティはミシェル・ワイズ。王女様然としていてよかったです。

 続いては『マノン』の寝室のパ・ド・ドゥ。マスネの音楽がまたすばらしく、全幕を久々に観たくなりましたしCDが欲しくなりました。くたくたやわやわと踊るジュリー・ケントがすばらしい。そしてそれはもちろん強靭な筋力とバランスに支えられたものなのです。デ・グリューはマルセロ・ゴメス。

 『白鳥の湖』からは第2幕のグラン・アダージオ。群舞にそろえる気がないのかってくらいなのがさすがABTです。白い演目をここで観る気にはホントなれないなー。オデットはイリーナ・ドヴォロヴェンコ、ジークフリートはマキシム・ベロセルコフスキー。

 初めて観たのが『シナトラ組曲』、素敵でした。ABTの真髄はやはりこういうところにあるのかもしれません。振付はトワイラ・サープ。ボールルームダンスのような、ミュージカルダンスのような、でもやはりバレエのテクニックの、でもずっとホールドしているカップルの踊り。シナトラの歌のテープを使わなくても、生オケでもいいのになー。ルチアーナ・パリスとマルセロ・ゴメスでした。

 一幕ラストは『ドン・キ』のパ・ド・ドゥ。脚の素敵に立派で頭の小さい、今時とはちがうシルエットのダンサー、と思ったらニーナ・アナニアシヴィリでした。さすが。とてもえらそうなキトリで、バジルのホセ・マヌエル・カレーニョはアシストに徹している感じでした。予定されていたアンヘル・コレーラは怪我で来日中止。

 二幕は日本初演の『ラビット・アンド・ローグ』で、私はコンテンポラリーはほとんど観ないのでよくわからないのですが、音楽を見ているようでおもしろかったです。ずっとものすごくテンポが早くて急かされているようで、ダンサーは大変だろうなあ。でもこれがニューヨークな感覚なのかもしれません。
 堪能しました。
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『SISTERS』

2010年03月11日 | 観劇記/タイトルさ行
 パルコ劇場、2008年7月10日ソワレ。

 時は現在、場所はうらぶれたホテル。新婚旅行を終えたばかりの馨(松たか子)は、夫の信助(田中哲司)に連れられて、信助の従兄(中村まこと)が経営するホテルを訪れる。そこには小説家の礼二(吉田鋼太郎)とその娘の美鳥(鈴木杏)が、もう何年も住み込んでいた…作・演出/長塚圭史。全一幕。

 途中までは、あまりに陰惨というか希望のなさそうな筋書きと設定と展開とに、「このままオチがないんだったらもうこの作家の芝居は観るまい、不快なだけだ」とか考えていたのですが、やはりオチはあったのでした。希望はなさそうだ、という絶望感、その悲劇の重さ、というオチが、きちんと。何も解決されないことが訴えるもの、というものが確かに舞台にはあるのでした。

 タイトルロールは、女たち、にも妻たち、にも、娘たち、にすらなれなかった、させてもらえなかった女ふたりです。その関係、存在は確かに「姉妹」としか表現しようがない。その皮肉、その恐ろしさ。
 子供は親にきちんと子供として育ててもらえなければ、「子供」になれないし、そのまま成長して「大人」にもなれないし、だから男とか女とか夫とか妻とかに成長していけないのです。そんなスポイルをしてはいけないのです、親は。なのにそうとしか生きられない、困った人間というものが、確かに存在してしまう。その恐ろしさ。
 馨は、隠して、無視して、なかったことにして、黙って、そして信助に愛してもらえたのに。それでもその愛は届かないのです。信助が呼びかける声に答える馨の最後のセリフは、かつて父親への命令の呼びかけに答えたときの声音と同じであったろうからです。
 愛はいつでもあるのに、巡り会えるものなのに、受け止められないよう育てられてしまう子供がいる、という悲劇。男は、人間は、弱いものだから、という、静かな、肯定的な、絶望。
 そんなものがある舞台でした。

 だからどうとか、それはいけないとか、そういうことは言っていない。私はどちらかといえばそういう、結論とか志があるものの方が好きで、ただ現象を描いて見せただけのようなものには冷たいのですが、それでもこの舞台の重さには、この舞台が訴える事実の重さには、肯かざるをえませんでした。
 舞台らしい空間の使い方やラストの演出なんかが素敵だったのはもちろん高ポイント。役者もみんなすばらしかったです。
 しかしどれだけ親にスポイルされたという思いがあれば、こんな芝居を思いつくのだろうかこの劇作家は…しかも彼は「父の息子」だがこれは「父の娘たち」の話なのだ。ううーむ、不思議だ…
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