駒子の備忘録

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河原和音『先生!』~私のメガネくん論として~

2010年03月12日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名か行
●伊藤貢作● Kousaku Itoh(河原和音『先生!』/集英社マーガレットコミックス全20巻)
 余裕で、なんでもわかってて、何があっても平気に見えて。
「オレなんか好きになって/17歳から20歳位の女としていちばんいいときムダにするこたねえよ」

 南高校の社会科教師。26歳。秋生まれ。家族は両親と姉。背が高くて電柱のよう。競馬と野球と麻雀が趣味。愛煙家。自称女嫌い、年上好み。理想の女性は沢口靖子といいときのダイアナ妃。視力は裸眼で0.1ない。コーヒーは砂糖たくさん、ミルク1滴。通った高校は男子校。ひとりでものを考えたいときは河川敷に行く癖がある。愛車はスバル。

 いわゆる「彼女」というものについて、「いないよりはいた方がいいけど/面倒くさい」という考え方の持ち主だが、高校生のときには高校生なりの、大学生のときには大学生なりのつきあいをしてきた。新任教師のころは卒業直後の元教え子とつきあったこともあった。そして今、9歳年下の担任の生徒とつきあっている。自他ともに、生徒とつきあうようなタイプでないと認めていたのに。
 「女が「好きだ」と言うのを/信じてもいいと思ったのは島田が初めてだ」ったから…

 少女漫画でヒロインの相手役が眼鏡をかけていることはなかなか少ないが、かけていたとしてもそれは「メガネくん」ではない場合が多い。メガネくんには恋愛はあまり似つかわしくないからだ。
 伊藤先生は微妙なところだと思っていた。
 彼の眼鏡は、学生であるヒロインやその友人たちに対して大人であることの象徴だったろう。当初は眼鏡をズレ気味にかけていたし(「めがねっ子」の典型的表現である)、ラブラブしているときはけっこうするし、ちょいと怠惰なメガネ兄さん、の範疇だろうか、と思ってきた。だが、中盤以降の激動の展開で表れたその意外な不器用さ、真面目すぎなところが、やっぱりメガネくんなんじゃんこの人、という感じだ。

 ヒロインは親友に「真面目すぎでバカすぎで考えすぎ」とぐさぐさ突っ込まれているが、それは先生にも言えることなのだ。彼は自分がそして周りが思っているほど大人じゃないのだ。考えづらいことを考えないで適当にすませたり、考えたいように考えて強引に押し切ったりということが意外とできない人なのだ。

 彼はずっと恋人に後ろめたく感じ続けてきた。そのことを考えて考えて、そして、とうとう身を引いてしまう。そんな必要はないと、わかっていながら。そのままだと、ただただ自分が苦しいから。
 この脆弱さ、繊細さ、真面目さは、まさしくメガネくんだ!

 このあたりの展開では、私は内心叫びっぱなしだった。誰か彼にそれじゃイカンと言ってやってくれ! 逃げるな、目を覚ませ、戦えと言ってやってくれ!! 頼む!! と…
 いや、本当は、逃げてもいいのだ。かつて一度ヒロインも逃げた。そしてまた彼のところへ戻ったのだ。人は誰でも迷うものだし、女に一度は逃げることが許されたのだったら男にだって許されていいのだ。でも多分、彼は逃げていても楽にはならない。苦しさは変わらないか、むしろ増すだろう。ヒロインもそうだった。端で見ている我々にはそれがもうわかっているのだ。そして我々は(ってみんなにしちゃうが)彼が好きだから、つらそうな彼を見ているのがつらいのだ。幸せでいてほしいのだ!

 もちろん、物語的に、どんな紆余曲折があろうと最後には大団円になるであろうことはわかっていたが、それでもなお、心配だった。ああ、こんなにも私の心を締め付けるなんて、悪い男だぜメガネくんってヤツぁ!!

 そして、作品はきれいに、美しく、大団円を迎えて完結した。伊藤先生もまた立派なメガネくんとして卒業していった。満足、満足。胸に残るは彼の面影だけである。
 恋人のどこが特別なのかと聞かれて、「普通だと思うけどな」と答えて浮かべる笑み(すでにこの時点で心情的には恋敵の位置に立っている相手を、微笑ませることができるほどの笑みなのだ)。
 どうしたらいいか考えるために、あるいは何も考えないために、勤務をサボって出かけた河川敷で浮かべる茫漠とした無表情。
「ただのサボリ」
 と答えるときの寂しい笑み。
 自分の意気地のなさを笑う苦笑い。
「きちんと別れよう」
 と告げたときの、むしろ自分の心の方が壊れてしまっている、冷たい瞳。
 自分の本音が見えるように活を入れてくれた相手に対して浮かべた感謝の笑み。そしてそのあとすぐ眼鏡をかけるところ。
 照れ笑いして鼻をこする仕草。
 失くしたら耐えられないもの、それを失う怖さを思い返すときの恐怖と痛恨。
 珍しく顔を赤らめたりして言う「好きだよ」。
 心配してくれた人に見せる謝罪と感謝の笑み。
「寒いな」
 なんてあたりまえのことを言うときの優しい笑顔。
 心ない言葉で生徒を傷つける教師に向ける冷たい怒りの視線。
 もしかしたら受験に合格した本人よりもうれしそうな、満面の笑顔。
 照れもせずすごくきれいに笑って言う「ほんとだ」の、最後の笑顔…ああ、うっとり。メガネくんよ永遠なれ!


「伊藤先生 俺は今まであんたのことを/スカしてて人の心を持ってない嫌な男だと思ってました!!」
 すごい言われようの伊藤先生だが、意外と男友達は多そうなのである。先生自身はどうでもいいと思っているかもしれないが。
 思えば単行本最終巻に収録された番外編の『先生14』もなかなかに興味深い。こういう中坊時代を経て、男子校で多くの友達にわいわい囲まれる高校生になる彼があったのだなあと、しみじみと想う。そして、運命なんてつまらない言葉は使いたくないけれど、そんなような出会いがめぐってきたのだなあと。そして、こんなふうに友人にも恵まれた?今がある。
 彼のこれからの人生の幸福を私は願ってやまない。(2003.11.11)

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河原和音『先生!』

2010年03月12日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名か行
 集英社マーガレットコミックス全20巻

 高2の響は、親友の千草に頼まれたラブレターを間違えて伊藤先生の下駄箱に入れてしまう。今まで恋をしたことがなかった響だが、女嫌いでクールだけれどけっこう話のわかる先生に惹かれていく。そしてある日告白するが、あっさりとフラれてしまい…めまぐるしき青春の日々。

 読みはじめたきっかけをまったく覚えていませんが、漫画読みとしての眼力を信頼する親友も「感覚が本物っぽいから好き」と評価した作品です。
 いくつになっても、相手がいくつでも、初めての恋でもそうじゃなくても、人を愛し人に愛されることは、幸せで不安でうれしくて悲しくて楽しくて苦しくてせつないものだよなあ、としみじみ思わせられる物語です。
 途中やや間延びした感がなくもないですが、無事大団円完結してくれてよかったよかった。物語の展開は定番中の定番で、なんら目新しいことをやっているわけではないけれど、立派な大王道正統派少女漫画です。

 本当は個人的にはもう少し端正な絵柄が好きなのですが、とにかく表情がいいので許してしまいます。ギャグシーンの筆で描いたような二頭身キャラがまた可愛いんです、瞳が目玉焼きみたいで。画面が少々煩雑なのは、今風のわりとパラリザックリ描く絵のせいもあるけど、台詞にやたらといろいろな書体の写植が使われているせいでもあって、これは担当編集者の責任なので、もうちょっとどうにかしてほしいところかな。まあ慣れますけどね。

 この作品について特筆したいのが次の二点。
 まず、響の親友のちいちゃんというキャラクターが実にうまく描かれていること。こういう性格の女の子を過不足なく描くことは難しいし、女友達というものを上手に描くこともすごく難しいし、女の子同士の薄ぼんやりした(笑)友情をうまく表現することもこれまた難しいと思うのです。これはその希有な成功例だと思います。
 もう一点は、単行本のおまけページで展開される「伊藤先生の悩み相談」というコーナー。読者から寄せられた恋愛相談に、物語の登場人物である伊藤先生が応じるというもの。もちろん、本当に答えるのは作者なのですが、これがすごい。

 何がすごいって、まず、いかにも伊藤先生が言いそうな回答になっていること。そしてその回答が、本当に鋭い人間観察に裏打ちされていること。しかも前向き。ヘンな甘えや妥協は許さず、自分にも相手にも人生にも、誠実に対峙することを求めているのです。そうでなければ人は幸せになんかなれないということを、作者は知っています。これはすごい。峻厳な人生観がうかがえます。いったいこの作者はどんな人なのでしょう。フリートークなどを読むとぽやぽやしたお人柄に思えますが、実は百戦錬磨の恋愛の達人だったり、過酷な半生を送ってきた人だったりするんだろうか…とか考えてしまうくらいです。

 完結に向けて最後の一年ほどは雑誌で追いかけてしまったんですが、懸念は終わり方でした。普通に考えれば物語の結末は、響が卒業してふたりが「先生と生徒」でなくなるところで終わり、だと思ってはいましたが、そこで安易に「結婚」とかを持ち出してほしくない、と考えていたのです。ひがんじゃって、と思います? でも、これだけ緻密に「想い」を描いてきた作品だからこそ、少女漫画のハッピーエンドの単純な具現としての結婚はしてほしくなかったのです。賢明な作者だから、世間一般で言われているのとはちがった意味で「恋愛と結婚は別である」というのは真実だということを理解してくれていると思いたかったのでした。
 少女漫画は、その上の世代が読むヤング・レディスコミックとちがって少女の夢の世界なんだから、夢々しく終わってもいい、終わるべきだという意見もあるかもしれませんが、結婚は社会制度なんだから、社会に出ていない「少女」には結婚する資格はないのだと私は思います。女の子はそこを誤解して育ち、男の子はそこを考えることすらしないで育つから、結婚に関する悲喜劇が後を絶たないのだと私は考えているのですけれどね。
 同モチーフの作品にくらもちふさこ『海の天辺』という佳品がありますが(こちらの主人公は女子中学生です!)、これもその観点から言うと結末だけが私的には瑕瑾なのでした。

 で、この作品ですが、「結婚」という言葉は確かに出てきたわけですが…伊藤先生のプロポーズ?の言葉が「俺は別に/おまえと結婚してもかまわないよ」ですよ!?
「別に」ですよ、「かまわない」ですよ!!??
 いや、シチュエーションからしても、また先生の性格からしても実に的確な言い回しなのですが、しかし!!
 いやー、身悶えしちゃいましたよ私。
 そして響の、悩んで悩んで出した答えのまたすばらしいこと!
 そしてそして最終話、卒業式の日の夜、誰もいなくなった教室で「2人の卒業式」をし、「卒業祝い」の指輪をもらって薬指にはめ、「結婚式みたい」と笑うという、超のつくベタ展開となったわけですが、私の懸念はきれいに裏切られ、「結婚」という言葉が出つつもそれはふたりが対等にスタートラインに立ったことを示しているのみという、実に満足するエンディングとなったのでした。よかったよかった。単行本収録時に描き足されたくだりも美しく、感動的でした。

 ちいちゃんたちのことは心配していませんが、また藤岡くんのこれからの幸多き人生を願ってやみませんがやはり心配していませんが、浩介と中島先生は気がかりです(やはり男性が年下でかつこの歳というのはシビアに考えて将来的な永続性としてはつらいのではないかと…)。ここらへんはさらに番外編を描く予定もあるようで、楽しみに見守りたいと思います。少女漫画っぽく甘々で終わったとしてもこちらは許してしまえる気がするのは何故だろう…

 最初は響が可愛くていじらしくて読んでいた作品だった気がするのですか、いつしか伊藤先生に萌え萌えになっていた私です。どんどん「メガネくん」になっていったしな! 先生の眼鏡は物語の当初はずれてかけられていて、優しさ・気弱さ・飄々とした感じを表現していましたが、いつの頃からかきっちりかけられるようになっていき、クールでオトナで嘘つきといったメンタリティを表現していくようになりました。そこが「萌え」(笑)。くわしくは事項メガネ欄に譲ります~。(2003.11.7)
コメント (2)
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