作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71497/
イタリア・ナポリの貧しい船乗りマーティン・エデン。ある日、住む世界の違うブルジョワ家庭の美少女エレナと出会ったことで人生観が180度変わり、文学を志すことに。必死の努力が実って作家デビューを果たし、小説も売れるようになるのだが……。
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆
チラシを一目見て、これは是非見たい、、、と思う映画って、1年で数本……いや、そんなにないかもね。本作の場合は、まさにそれ。公開の翌週に、ようやく見に行くことができました。
◆格差恋愛
前回の『ある画家の数奇な運命』と同じで、格差恋愛(いずれも女性がアッパー)が描かれている映画。……だけれども、本作の方が圧倒的に悲劇である。『ある画家~』のクルトは、成功後も名声を高めて、彼のモデルとなったゲルハルト・リヒターは88歳になった今も生きているけれど、本作の原作者ジャック・ロンドンが投影されたといわれる主人公マーティンは、ロンドン同様、ラストは自死してしまうのだから。ロンドンが亡くなったのは40歳。
原作は、アメリカが舞台だが、映画ではイタリア・ナポリに舞台を移し、現代に近い時代設定にしている様だ(時代については曖昧)。
序盤のマーティンがエレナに一目で心奪われるシーンから、小説家としてデビューを果たす中盤過ぎまでは見ている方も希望を感じて見ていられるのだが、終盤はもう、マーティンの心と同様、見ている方も坂を転げ落ちるように気持ちがドヨヨ~ンとなっていく。
エレナの棲むブルジョアな上流社会に這い上がりたいと必死に努力していた頃のマーティンは、小説家になって成功して金持ちになれば、バラ色の人生が待っている、と素直に信じていられたのだけれど、いざ、小説家になってみれば、そんな単純な話じゃなかったんだと痛感させられたんだろうねぇ。
どんなに小説家として教養を身に付けたところで、金を得たところで、自分は絶対にブルジョアにはなれないし、なりたくもなくなった。“教養のある人間=ブルジョア”ではないと気付いてしまったんだわね。独学で、しかも短期間で教養を身に付けたマーティンの目に、ブルジョア社会に棲む人々は、差別主義で通り一遍の教養しか持っていなくて、現実社会に向き合おうとしない軽薄な集団に見えたんだと思う。
エレナが、マーティンの書く小説に「生々しすぎる」と根本的に拒絶反応を示すのが、その象徴的なシーン。結局、エレナは、自分の棲む世界以外の世界を見ようとはしないのだ。マーティンには「教育が必要だ」などと言っていたくせに、自分は未知の世界を知ろうとしない。しかも、その未知の世界は、自分が愛している男が育ってきた環境なのにもかかわらず、だ。
そりゃマーティンが苛立つのもムリはない。エレナを自分が暮らす地域へ引っ張っていき、その劣悪な環境をこれでもかと見せつける。それでも、エレナは直視しようとしない。それどころか、マーティンが政治集会で演説したことで、社会主義者だと決め付けて決別の言葉を口にする。
マーティンは、社会主義者どころか、社会主義者を批判する演説をしたのだ。いっそ、社会主義者になれればまだマシだったかも。社会主義者の思想にも、マーティンは賛同できなかったのよね。自分の居場所がないわけ。
それでも、小説家として我が道を行く、、、と開き直れれば良かったのだけれど、切っ掛けがエレナへの憧れだったから、足下がぐらついて、根無し草みたいな感じになっちゃったのかな、、、と。成功を手にしたけれど満たされないのは、エレナに対する幻滅だけが理由ではないでしょう。これは、私の勝手な想像だが、社会の断絶に対し、自らの教養と小説だけでは太刀打ちできない、圧倒的な無力感みたいなものに押し潰されたんじゃないかしらね。超えられない壁に絶望した、というか。
生きる意味とか、人生とは……とかから脱却できれば、さらに小説家として良い作品が書けたかも知れないけれど。そうなるには、マーティンは情熱があり過ぎたし、真面目過ぎたんだろうな、、、。
荒れるマーティンの下に、エレナが「やり直したい」とすがってくるが、追い返す。マーティンとしては、半分はやり直した気持ちがあったんじゃないか、、、と感じた。けれど、やり直したところで上手く行かないのは分かるし、昔のようには彼女を愛せないのよね。そうして、泣きながら去って行く彼女を窓から見るマーティンの目に、若かりし頃……小説家を目指していた頃……の自分が颯爽と歩いている姿が映る、、、というシーンはラストへ向けての暗示。ここからはもう、悲劇しか待っていないと分かる、、、けど、分かるからこそ切ないし、見ていて辛くなる。
エンドマークで、頭を抱えてしまった映画は久しぶり。
◆エレナ、ドビュッシー、マリア、、、。
エレナがマーティンの前に初めて現れたときのシーンが印象的。マーティンにとって生まれて初めて見るような、高価な調度品や多くの書物が並ぶ手入れの行き届いた部屋に通され、その奥から出て来たのが、これまた生まれて初めて見るような上品で美しい少女のエレナ。しかもエレナはマーティンの前でピアノを弾くのだが、その姿を見ているマーティンはもう、すっかり魂を奪われた、、、という顔。
本作では、ドビュッシーの音楽がよく使われているのが意外。イタリアが舞台なのに、、、。あと、所々でマーティンの心象風景っぽいイメージ映像が挿入されるんだが、終盤の転げ落ちていくところで出てくる映像が、大きな帆船が沈没していくシーン。……これ、あまりにも直截的過ぎて、ちょっと引いたわ。
マーティンが、ナポリの義姉の家を追い出された後、郊外のある家に間借りすることになるんだけれど、その家の主である未亡人マリアがとても素敵な女性。貧しいが、子ども2人を育てながら、心豊かに生きている。マーティンの夢にも理解があって、彼が小説家として成功後に荒れているときも、彼女だけは彼の良き理解者であり続けた。
あとは、彼の才能を早くから見抜く老紳士ブリッセンデンが、私にはイマイチよく分からない存在だった。マーティンの理解者でありながら、彼の小説が評判になることにネガティブなことしか言わないし、政治集会にマーティンを連れて行ったのもこの人なんだが、その辺のやりとりが、私の理解力不足で、ちょっとピンとこなかった。しかも、この老紳士も、自死を選んでしまうんだよね。
◆その他もろもろ
チラシにインパクト大で映っていたルカ・マリネッリは、いかにもイタリア男って感じ。野性味溢れるその風貌は、マーティンにピッタリだったと思う。演技も巧く、前半は希望を持った元気な青年、後半は世に絶望した退廃的な色男、と見事に演じ分けていた。後半の方がセクシーだったなぁ。まあ、ちょっと顔が濃すぎて、私の好みではないが、作中でも“イイ男”という設定で、確かに彼ならイイ男でしょうよ。
エレナを演じたジェシカ・クレッシーは、エレナ同様、品のある美人。笑顔が可愛らしい。マーティンへの手紙文を、カメラ目線で語るシーンがあるんだけど、実に可愛らしくて、思わず笑ってしまった。
『ある画家~』の主人公クルトとマーティンの違いは何だろう、と考えたんだけれど、、、。まあ、もちろん本人の性格や思考を含め、色々な要素があるとは思うが、クルトは、“ひとかどの画家になり画家として生きる”ことが目的そのものだったけれど、マーティンの場合、小説家になるのは“アッパーに這い上がる”という目的を達成するための“手段”に過ぎなかった、、、この違いかなという気がする。もちろんどちらが良いとか悪いではない。ただ、もし、彼がクルトと同じように、物心ついたときから物書きになることを目的に生きていたら、、、現実世界の過酷さに絶望しても、死を選ぶことはなかったんじゃないか、と思うのだ。なぜなら、そういう人にとっては、書くことが救いであり自己解放であり、自由になれるからだ。
格差恋愛は、文学や映画の不朽のテーマですな。
この映画もなかなかド田舎では公開されず、本当にもどかしいです。お江戸はいいな~。
ジャック・ロンドンって存じ上げなかったのですが、波乱万丈で破滅的な人生っていかにも小説家っぽいですね。凡人でよかったと安心すると同時に、破滅するほどの才能や情熱に恵まれたかったな~と憧れもします。
ルカ・マリネッリ、「オールド・ガード」で初めて見たのですが、イケメンですね。ちょっと濃い目なところがいいかも。
私もジャックロンドン、名前は知ってたけど未読です(^^;
オールドガード、見てないんです。…てか、本作で初めてルカマリネッリ知りました。濃いイケメンですよね。
たけ子さんのレビュー楽しみにしております(^^)
実は今、広島にいるんです♪ …これからだ帰るんですけど(^^;
そして明日は通常業務、、、嗚呼(´∀`)