映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

妖精たちの森(1971年)

2017-02-06 | 【よ】



 とある田舎の屋敷ブライ邸に暮らすフローラとマイルズの幼い姉弟は、両親がおらず、家庭教師のジェスル先生が母親代わりに彼らの面倒を見ていた。

 姉弟はジェスル先生に懐いていたが、姉弟がもっと慕っていたのが馬番(庭師?)のクイント(マーロン・ブランド)という中年の男だった。粗野で下品だが、ユーモアがあり遊び相手になってくれるクイントは、姉弟にとっては面白い存在だったのだ。

 姉弟は、クイントとジェスル先生が特別な関係にあり、愛し合っていることを知っていた。そして、クイントが発したある言葉に触発された姉弟は、クイントとジェスル先生の思いを遂げさせてあげようと、ある行動に出るのだが、、、、。

 あのヘンリー・ジェイムズの名作「ねじの回転」の前日譚を映像化した作品。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 前回の記事『回転』の前日譚。といっても、フローラとマイルズは、『回転』では兄妹だったのが、本作では姉弟になっています。しかも、『回転』よりはちょっと年上な感じです。B級っぽいけど、まあまあ楽しめる作品でした。


◆これなら化けて出たくもなる、ってもんでしょ。

 正直、「ねじの回転」を読んだとき、“なんで、クイントとジェスル先生が幽霊になって屋敷を彷徨っているのか?”というのが最大の疑問でした。古いお屋敷のこと、先祖の霊が彷徨っているというのならまだしも、ついこないだ死んだ使用人たちの霊が彷徨っている、、、。なんかヘンじゃない? と感じたのです。

 だからこそ、あれは幽霊ではなく、ギテンスの妄想だという説が有力になるわけですが、本作のようなエピソードがあれば、彼らが本物の幽霊だったというのも十分アリだと思うわけで、私としては、前回の記事に書いたとおり、“本物の幽霊説”を望んでいるので、ちょっと嬉しくなってしまった!

 フローラとマイルズの姉弟が、クイントとジェスル先生に何をしたか? そう、子どもたちは、大人の男女を結ばせるためにあの世に送ってあげたのです。

 、、、つまり、子どもたち2人が大人2人を殺しちゃった、ってことです。何でそんなことをしたかというと、姉弟が「好きな人同士は、どうやったら会えるの?」とクイントに聞いたとき、クイントが「死んだら会えるさ」と答えたからです。

 姉弟は、クイントとジェスル先生が相思相愛にもかかわらず、ジェスル先生が屋敷を追われることになって、何かこう、上手く行かない状況にあることを察するのですね。それで、クイントにそんな質問をしたわけです。

 クイントの答えを聞いた姉弟は、それなら、あの世で好きなだけ2人を逢わせてあげよう、と純粋に(?)考えた。そして、、、。

 でもまあ、殺された方にしてみりゃ、なんのこっちゃ??なわけで、クイントだってまさかこんな展開になるとは想像だにしていなかったでしょう。だから、死後、化けて出てきた、、、。理にかなった展開ではないですか。

 やっぱり、あの「ねじの回転」での幽霊は、ガヴァネスの妄想などではなく、本当の幽霊だったのです!!
 

◆クイントとジェスル先生は、、、

 とまあ、幽霊がどーのこーの、というのは、本作では何も関係ありませんので、本作についての感想を書かなくては。

 「ねじの回転」にあった通り、クイントとジェスル先生はアブノーマルなセックスを楽しむ関係だったんですが、それを、しっかり映像化しています。下品で粗野なクイントを、中年太りしかかっているマーロン・ブランドが好演、、、というか何というか、、、。ジェスル先生役のステファニー・ビーチャムを緊縛し、ヤリたい邦題のクイント。中途半端なポルノですな、こりゃ。でも、ゼンゼン官能的ではない。むしろ、可笑しい。

 で、この様子を、外から窓越しに覗いているのが幼いマイルズ。しかも、マイルズ君、お姉さんのフローラに、ジェスル先生がされていたのと同じように緊縛を仕掛け、いたぶったりなんかして遊んでいる。メイドのグロースさんに「何やってるんですか!!」と聞かれて「セックスだよ!」なーんて答えちゃうこの姉弟、、、大丈夫か? いや、大丈夫じゃないんだけれど、、、。

 ジェスル先生も、初めは、イヤイヤという感じだったんですが、夜這いをかけつづけられ、遂にはクイントが忍んで来るのを全裸になって待つようにまでなってしまう! うーーん、これは、どーなんでしょうか。、、、まあ、原作のクイントは「従者」ですから、本作のクイントよりはもう少し学も品もあったはずで、それならば、ガヴァネスのジェスル先生と間違いが起きるのはあり得る話だと思われますが、ガチガチの階級社会だった当時、いくらジェスル先生が好きモノの女だったとしても、馬番とは“ナシ”だと思うんだよねぇ、私は。

 ましてや、本作のクイント=マーロン・ブランドは、あんまりにもヒドい。汚らしいというか、間違ってもコイツにだけは触れられたくない、的なデブったオッサンですよ? ただただ、キモい。

 これは、もう少し、クイントの描き方を考えるべきだったのでは? せめて、馬番か庭師かではなく、原作どおり「従者」にして、きちんとタキシード着ているシュッとした美青年にした方が良かったんじゃないかなぁ。美青年だけど、品がない顔、ってあるでしょう? そういう役者さんにした方が、本作は説得力も出ただろうし、もっと面白くなった気がするんですけれど、、、。

 まあ、、、でも、本作の見どころは、ほとんど、マーロン・ブランドとステファニー・ビーチャムのSMシーンと、姉弟が2人を殺しちゃう、ってところに尽きると言っても過言ではないでしょう。面白いけれど、正直、そんなに味わいがある作品とは言えないし、「ねじの回転」という前提があるからこそ楽しめる作品だと思います。本作を単体で見たら、ただのB級映画にしか見えなかったような気がします。


◆その他もろもろ

 マーロン・ブランドって、あんまし好きな俳優じゃないのですが、本作を見ても、やっぱりそれは変わりませんでした。オッサンになったからとか、中年太りしてるからとかではなく、若い頃の彼も苦手。イイ顔だとは思いますが、、、うーーーん、どうもこう、脳味噌も筋肉系みたいな印象で、、、。ただのイメージですよ、もちろん。そのイメージがどうしても苦手、ということです。

 多分、そんなイメージを強烈に抱いてしまったのは、『欲望という名の電車』のせいです。ヴィヴィアン・リー演じるブランチを徹底的に追い詰めるスタンレーが憎らしくて恐ろしかった。ブランチもイヤだな、と思わせる女だけど、スタンレーはそれ以上に嫌悪感を抱く男。

 本作でのクイントも、ちょっとスタンレーに通じるところがあるような。だから、余計にキモいと思ってしまったのかも。

 ステファニー・ビーチャムさんは、美しいし、身体もとってもキレイですが、顔がどこか小雪さんに似ていて、だんだん小雪にしか見えなくなってきて困りました。

 姉弟を演じたヴェルナ・ハーヴェイとクリストファー・エリスは、正直、あんまし可愛いと思えなかった。特に、フローラを演じたヴェルナちゃんの方。なんか不気味さを纏っており、本作でのフローラ役には合っていたのかも知れませんが、、、。

 まあ、美術や衣装も、どう見てもちょっとB級感が溢れていますけれども、「ねじの回転」を前提に見るのであれば、十分楽しめる一品です。


 




クイントの殺され方が結構エグいです。




 ★★ランキング参加中★★

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 回転(1961年) | トップ | 人魚伝説(1984年) »

コメントを投稿

【よ】」カテゴリの最新記事