映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

読まれなかった小説(2018年)

2020-01-07 | 【よ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv69534/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 作家志望のシナンは、大学卒業後トロイ遺跡近くの故郷へ戻り、処女小説出版を目指し奔走するが、相手にする人は誰もいなかった。

 引退間際の教師で競馬好きの父イドリスとシナンは相いれずにいる。父と同じ教師になりこの小さな町で平凡に生きることを受け入れられないシナンは、気が進まぬまま教員試験を受ける。

 交わらぬように見えた二人を結び付けたのは、誰にも読まれなかったシナンの小説だった。

=====ここまで。
 
 『雪の轍』(2015)のヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督による作品。


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 親子の相克モノは好きなので、終映間近ということもあり、元日早々見に行って参りました。ガラ空きかと思ったけど、意外に人が入っていました。


◆うだうだ映画

 『雪の轍』は未見で、その前の作品『スリー・モンキーズ』(2008)は見たことあるんだけれども、こう言っちゃナンだが、あんまし好きな作風ではなかった。だから、『雪の轍』も食指が動かなかったんだけど、本作は、あらすじを読んで、まぁ見てみよっかな、、、と。

 結論から言うと、やっぱし作風としては好きではないけれど、この映画自体はそれほど嫌いじゃないな~、という何とも中途半端な印象。

 多分、最終的に、父と息子がほんの少しだけ心が通い合ったからだと思う。ホント、終盤で一気に印象が好転した感じだった。それまでは、ひたすら、うだうだウダウダうだうだウダウダ、、、、メンドクサイ観念論の応酬で、正直なところ辟易しかけていたので。観念論をいろんな相手に仕掛けていたのは、主人公のシナンで、聞いていてだんだんムカついてくるというか、話の内容にというよりも、しつこすぎるシナンの性格がウザすぎて、、、。実際、シナンに絡まれた相手は軒並みキレてしまうんだが、あれじゃあ当たり前だわね、としか思えない。

 とはいえ、若い頃は頭でっかちで理屈が先に来てしまい、ああいう感じになってしまうのも、まあ、分からなくはないのよね。あそこまでしつこいのはどうかと思うが、若い人のああいう感じは、私は決して嫌いじゃないというか。自分にもそういう時期があったと思うし、多くの人が通る道なんじゃないかしらん、と思うわけ。

 それにしても、映画であんな禅問答みたいな会話を延々やられても、ハッキリ言ってげんなりしてくる。監督は、文学好きらしく文学映画みたいなのを目指している感じを受けるが、当たり前だが映画は文学じゃないから、もうちょっと違うアプローチをしてもいいんじゃないの?という気はする。まあ、これは好みの問題かも知れないけど。


◆運命を受け容れる、、、とは。

 原題は、シナンが書いた小説のタイトル「野生の梨の木」だそうだけど、邦題の『読まれなかった小説』ってのも結構良いなぁ、と思った。

 小説って、まあ、読まれてナンボというところがあるわけで。終盤、シナンがようやく書き上げて自費出版した小説も、母親は「本」になったことを喜んではしゃぐけれども、肝心の「読む」という行為には至らなかった。それどころか、シナンが兵役に行っている間に、あろうことか本の束を雨漏りかなんかで濡らしてしまってカビさせてしまう。これで、母親がどういう人かをよく表わしていて、この辺りから、私の気持ちもようやくポジティブになってきたんだけど……。

 それで、肝心の「読む」ということをしたのは、ただ1人、シナンが軽蔑していた父親イドリスだった、、、。つまり、タイトルは「読まれなかった」とあるけど、たった1人の人に「読まれて」いた。この逆説的なタイトルが、意外に効いている気がした。おそらく、シナン自身、一番小説を読んで欲しかったのは父親だったのだと、父親が読んでいたと知って初めて気付いたのではないかしらん。それまでは、小説が売れること=多くの人に読んでもらいたい、と思っていたのだろうが、一番読んで欲しい人のことは敢えて考えていなかったのだと思う。でも、父親は読んでくれていた! そうだ、自分はこの人に読んでもらいたかったんだ!! ……という感じだったのでは。

 このイドリスという父親が、なんとも不可解な人物なんだよねえ。小学校の先生で、バクチ好きで、山師で、、、というと、なんだかトンデモな感じがするんだが、パッと見は悪くなく、若い頃はイケメンだったと思わせる風貌で、別に暴力をふるうでもないし、のんだくれでもない。父親として、子どもたちのことをそれなりに愛しているし、飼い犬も可愛がるという、平凡な男だ。ただ、そのどうしようもなさが、ホントにどうしようもなくて、息子に軽蔑されるのも仕方がない。

 まあ、でも似たもの親子だなと。2人とも、永遠のモラトリアムというか。監督は、結局、息子は父親を継いで行く、という運命を描いたそうだが、まあ、そりゃこの父と子ならそうだろう、と。運命ってのはちょっと違うかな、という気がするけど。もっと、シナンが足掻きに足掻いて、何か不可抗力な出来事によって父親の下に戻らざるを得ない、、、とかなら運命かも知らんが、ただ悶々とモラトリアムして自分の理想どおりにならない、、、ってのは、運命なんて大層なものではなく、成り行きっていうんじゃないのかしらん?

 それも大いにアリだと思うから、私は、ラストでポジティブな印象を抱いたんだけど、監督のインタビューを読むと、“運命を受け容れる”ことが決してポジティブには語られていないのよね。「この映画は、受け入れ難いことだが、「運命に逆らえない」ことを、「罪悪感」によって知る青年の物語を、彼の周りにいる様々な人々の人間模様と共に、伝えようとしています」なんて言っている。

 シナンは受け容れ難いと思っているのか。まあ、監督が言ってるんだから、そうなんだろうけど、私にはそう見えなかった、ということ。父親が自分の書いた小説を読んでくれたことで、自分が書くことに対して意義を感じられ、もしかすると、この先、あの田舎に留まっていても良い小説を書く人になるかも知れない。そんな希望もアリじゃない? と思うんだけどな~。あまりにも脳天気すぎますかね。
 

 

 

 

 

 

トルコの田舎の風景と、バッハの音楽が、実に合っていて美しい。

 

 

 

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