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水木金土、四日間の奮闘



庭の真っ赤な花 2題
ハイビスカスとガーベラ

この水曜日から土曜日まで、4日連続の古文書講座、五講座をこなした。さすがに疲労で、今日の二講座の後、昼寝した。

4日間、五講座の内容は次の通りである。
 水曜日 まきのはら塾の「古文書解読を楽しむ」講座の講師。
   この日のテーマは、田沼意次の罪状を糾弾した文書である。意次で町お
   こしをしている牧之原市でこの文書はどうかと思ったが、まだ、途中で
   あるが、しっかり読み解くと、それら罪状がでっち上げであったことが
   判ると思う。
 木曜日 掛川図書館古文書講座へ出席、受講。
   年に10回のこの講座には、もう10数年通って受講している。郷土史
   が専門のK講師からは、今も講師として、いろいろ学ぶことが多い。
 金曜日 静岡、駿河古文書会の当番、発表。
   「遠州相良引渡一件」本多越中守から板倉佐渡守への所替の一件書類
   で、始めてから年二回平均で7年になるという。ほぼ自分が担当してき
   たが、今回で読み終えることになった。
   講座の中で、六つ時とか、五つ時とかいう時間が今の時間で何時になる
   のか、未だにすぐには思い浮かばないと話した。すると、ある方がこん
   な計算式を教えて下さった。
      (9-何どき)×2=現在のおよその時間
   五つ時なら、(9-5)×2で、8時となる。朝も夕も同じである。
   これは便利だ。
 土曜日午前 金谷宿大学の「古文書に親しむ(初心者)」講座の講師。
   講座の前にショックな話があった。受講者のO氏の奥さんという方が見
   えて、先月、O氏が亡くなられたと聞く。びっくりして、とっさにはお
   悔やみの言葉も出なかった。自転車の事故で亡くなられたという。古文
   書講座のファイルや、古文書の辞書も残っていて、古文書の勉強を楽し
   んでいらしたという。欠席の前回と今回の資料をどうされますと聞くと
   頂いて、仏壇に供えますと言われた。受講者の方が現役で亡くなられる
   のは、自分の講座では初めてのことである。残念!無念! 合掌。
 土曜日午後 金谷宿大学の「古文書に親しむ(経験者)」講座の講師。      
   「硯屋日記」を本格的に読み始めたが、それほど難しくないと思って読
   み進んでいくと、どう読むのか中々判断に迷う所が講座を進めるうちに
   出てきた。もっとしっかり読み解いて、講座に臨まなければならない。

読書:「罪人の刃 徒目付 久岡勘兵衛」 鈴木英治 著
読書:「一日署長」 大倉崇裕 著
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ブログを一週間休んだら

散歩道の真っ赤なカンナ

今朝、S氏から電話があり、「どうかしましたか?」と聞かれた。この一週間ブログを休んでいて、初めての反応だった。

今、解読している「慶應四年日録/徳元」が、思った以上に難解で、解読が滞っている。実は、この文書は解読された方がいて、先週、その解読文を手に入れたので、今、既読部分を読み直している。解読文同士を突き合わせてみると、なるほどと思う所が多いが、所々、違うだろうと思う所もある。それらを合わせて、ブログに上げた過去の解読文を修正しつゝある。

解読を先へ進められないので、ブログを休んだ。今まで17年、ほとんど毎日、休みなしだったので、ブログを休むと如何に楽かと、味をしめてしまった。そんなわけで、ついつい一週間休んでしまった。

特に体調が悪いわけではないので、御心配をかけたとすれば、申しわけなかったと思う。これからは、ちょくちょく休むと思いますが、悪しからず。

このブログ、60歳で始めて、今年は喜寿を迎えた。だんだん無理が利かなくなっていることも確かである。

この一週間の自分の活動を以下へ書き留めておく。

23日、静岡へ、駿河古文書会に出席した。「慶應四年日録/徳元」の解読文を入手した。

読書:「断絶 交代寄合伊那衆異聞 16」 佐伯泰英 著
読書:「トランパー 横浜みなとみらい署暴対係」 今野敏 著
読書:「逃れ者 素浪人稼業 3」 藤井邦夫 著
読書:「蔵法師 素浪人稼業 4」 藤井邦夫 著
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駿河古文書会に出席



静岡城北公園のヒトツバタゴの花

午後、静岡中央図書館で、駿河古文書会に参加した。そばの城北公園のヒトツバタゴの花が咲いて、木々が綿帽子を被ったように見える。今年は大分早いようだ。あいにく空は黄砂に覆われて青空がないので、青空をバックにとはいかないが、城北公園の春の名物になって、散策する人も多い。

古文書会では、色々と意見をいう先輩方いなくなって、黙っていると間違ったままで進んで行きそうで、思いついたことを出来るだけ発言するように心がけている。うるさい先輩と思われても、指摘をしなければならない。つらい役割ではあるが。

読書:「魔性 闇の西洋絵画史 2」 山田五郎 著
読書:「交易 交代寄合伊那衆異聞 13」 佐伯泰英 著
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まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座、今日より始める

庭の白のフリージアにハナアブ

午後、まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座の初日で出掛けた。今年は昨年より一人減の11人での講座となる。16人定員の部屋では、ちょうどこの位がやりやすい。「面白古文書」は山内宗堂の書簡を選んだが、難解すぎて初回講座には向かなかったかもしれない。メインのテキストは「大磯村差出帳」にした。講座、三回くらいは掛るだろう。その後の為に、何か面白そうな教材を探して来なければならない。

明日は黄砂がひどくなりそうと報道している。故郷の時は、黄砂は春の風物詩だったことを思い出す。コロナ、花粉が峠を越したと思ったら、次は黄砂、当分マスクは外せそうにない。先日、図書館にマスクを忘れ、無しで入ってみた。窓口で予約の本を借り出すだけの短時間であったが、違和感や罪悪感がいっぱいで、まだしばらくはマスクが外せないと思った。

今日は疲れてしまったので、これ位で終わる。
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明けましておめでとうございます


令和5年の年賀状

明けましておめでとうございます。今年も「かさぶた日録」、よろしくお付き合いお願いします。

今年の年賀状の図柄は、静岡県榛原郡川根本町、徳山浅間神社の鳥居杉である。(夫婦杉とも呼ばれるらしい)
詳しくは、2021-09-04 の当ブログ参照のこと。

この神社に伝わる「徳山の盆踊」は国の重要無形民俗文化財に指定されており、昨年11月30日には、「風流踊」の一つとして、ユネスコ無形文化遺産にも登録された。
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山椒の実るころ


山椒の佃煮

もう50年以上前、故郷でこの季節になると、山家の叔母さんから毎年のように、山椒の佃煮が送られてきた。今ほど食べ物が豊富でない時代、刺激の強い山椒を、子供の自分たちも平気で食べていた。

20年以前、その味を思い出して、自分で作って食べてみたいと思い、近くの山でたくさんの山椒の実を採ってきた。女房に見せると、もっと早く、やわらかい内に採ってこないと、ここまで堅くなると佃煮にも出来ないと言われた。確か、7月か8月くらいになっていたのではなかったか。やむなく、すべて裏の畑に捨てた。

ところが、気付くと、捨てた山椒の実から、幾つも芽をだしていた。当時は、とげのあるものを残すわけにはいかないと、芽が小さい内に抜き取っていたのだが、それをすり抜けて、柿の木の下に山椒の木が大きくなり、季節には香りのよい新芽を出し、実を付けるようになった。こうなっては、切ってしまうのも、もったいない気がして、今では随分立派な雑木になった。

ここまで来れば、季節を待って実を収穫し、念願の山椒の佃煮を作ってみようと思ったけれど、何年か、気付いた時には収穫時期を逸していて、今に至った。一週間ほど前、女房がもう実っていたから採ってきたと、ボールの中の山椒の実を見せた。指先で潰してみると、中の種まで潰れる。これなら出来そうだ。

作り方はネットで調べ、意外と簡単に写真のように山椒の佃煮が出来た。一つまみ口に入れると、女房は「からい!」と言った。「からい」には、塩からいと、トウガラシの辛いの二種類があって、自分の故郷ではどちらも「からい」と言い、区別しなかった。ところが静岡では、「からい」は唐辛子の辛さで、塩は「塩からい」と区別して表現するようだ。つまり、女房は山椒の味を、唐辛子の辛さの表現で言葉にした。

唐辛子の辛味は「カプサイシン」に代表される辛味成分による。しかし、山椒の実には「カプサイシン」は唐辛子の1/200しか含まれていない。明らかに「からい」は違うと思う。山椒の実にはサンショオールやキサントキシンがたくさん含まれていて、一種の麻酔のようなもので、痺れるように感じるのだという。したがって、自分はその味の表現する言葉を知らない。いずれにしても、大量に採れば身体に良くないが、山椒の佃煮を食べるくらいなら、返って身体によい成分も多いと聞く。

今日午後、駿河古文書会に出掛けた。今日は発表担当に当り、講義に入る前の枕にそんな話を簡単にした。自分の50数年を、こんな短く話したわけである。

実際には、山椒の実だけではきつすぎるので、この後、ちりめんじゃこを買ってきて、加えて煮直した。お茶漬けに載せてわさわさと食べると、しびれもそれほど残らずに、最高に旨い。

読書:「金貸し権兵衛 鶴亀横丁の風来坊 2」 鳥羽亮 著

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新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

「かさぶた日録」ご覧いただき、ありがとうございます。

 

年の初めの三寅参りです。


島田市大代、ジャンボ干支の寅

老舗のジャンボ干支は風格さえ感じられる。何といっても島田市民遺産だから。


掛川市倉真のVサインの寅

今年初めて参加、末っ子には茶目っ気がある。


粟ヶ岳山頂の太っちょの寅

こちらは世界農業遺産の茶草場農法の真っ只中の粟ヶ岳。造形がぎこちないのは、他の二つが柔らかい稲わらを使っているのに対して、茶草場のカヤで造られているからである。

去年はいずれもコロナで出来なかったから、今年は皆んな力が入っている。

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菜の花と、「彙軌本紀」と


(大東図書館前の菜の花)

テレビのニュースで知って、一昨日、掛川市大東図書館前の菜の花を見に行った。延々と黄色い野原が拡がって、見ものであった。しかし、よく観察すると、この色目は、菜の花でもアブラナではないように思えた。黄色にやや青味かかって見えるのは、同じ菜の花でも、カラシナだろう。葉っぱもアブラナのように厚ぼったくない。カラシナは大代川の土手で野生化したものをよく見るから、お馴染みである。もちろん、どちらにしても菜の花と呼んで、間違いではない。

自由に摘んで帰ってよいと、看板に書かれていた。アブラナもカラシナも花芽を食用に出来るが、カラシナの方が食べやすい。少し頂こうかと思ったが、これから見に来る人も多いだろうから、止めにした。

土曜日の今日、今月だけ一週間遅れの金谷宿「古文書に親しむ」講座の日である。今年度、最後となった。一時はどうなるかと心配したが、10回と回数は減ったが、無事実施出来たことはありがたい。

朝は弱いが、9時半にはみんくるに行く。やや出席者の到着が遅れた。聞けば、バイパスが渋滞で遅れたという。家山の桜も満開で、「門出」も人であふれているという。明日は天気が崩れるようで、人出が今日に集中したのであろう。コロナ下で心配な人出だが、耐えてきた人々の気持ちを考えると、無理はないとも思える。これでまた陽性者が増えるだろうなあ。うっとうしい話だが、当面は今の暮らしを続けて行かねばならないと覚悟した。

午前、午後、二つ講座をこなして、4時間しゃべり続け、やはりさすがに疲れた。「彙軌本紀」の解読は、今日はパスである。それにしても、「彙軌本紀」という本、何が書きたいのか、今もって理解できない。「いき(粋)」という言葉が、江戸時代にどのように考えられていたのかが知れると思ったのが、江戸における「いき(粋)」のシチュエーションがちりばめられているだけで、脈絡がない。しかも、江戸では常識だったことが、一つ一つ難解で、解読してゆかねばならない。全く注だらけで、途中で止めたくなった。そこで、今日は一日解読をお休みにした。体制の立て直しである。
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新年あけましておめでとうございます

(静岡浅間神社、丑年パネル)


あけましておめでとうございます。
「かさぶた日録」ごらんいただき、ありがとうございます。
コロナ禍を早期に克服し、今年も良い年になりますように、お祈りします。
今年も、よろしくお願いします。


ステイホームが続き、古文書解読に明け暮れる日が続いています。江戸時代は色々と面白く、退屈はしませんが、もっと外で活動できる日々に、早く戻りたいと思います。

今年は「大代の干支」もコロナ禍のためか、中止になり、写真もありません。掲げた写真は、暮に撮ってきた静岡浅間神社の正月のパネルです。
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愛犬ムサシ逝く

(晩年のムサシ)

今朝11時15分、愛犬ムサシが死んだ。享年16歳と10ヶ月。

昨年後半から段々に弱って、散歩にも出かけられなくなり、その内、自分では起きられなくなり、頑張って生きて来たが、17歳に2ヶ月残して、力尽きた。体重は9キロほどあったものが、4キロを切るまでに減っていた。毛皮で目立たなかったが、触るとあばら骨や背骨の存在が判った。人間の年齢では80代半ばから90近い年齢で、最後は食事も喉を通らなくなっていた。

今朝、女房に起されて、ムサシが痙攣しているという。もう長くはないと思った。掛川の娘(元の飼い主)を呼び、娘が来るまでは、細いながら息をしていた。小康状態と見えて、娘が一度掛川に帰った。そして、まだ家に着かないうちに、逝ってしまった。少し目を離したすきに静かに逝った。周りで声が聞こえる間は頑張っていたが、静かになって、まあ、この辺りで良いかと感じたのかもしれない。大往生であった。

女房がムサシが息をしていないというので、見に行くと、確かにすでに息はなく、全身弛緩の体で、尿と宿便をわずかに漏らしていた。汚れを奇麗にするなど、女房が調える内にも、硬直化が進み、一時間ほどで身体がすっかり硬直してしまった。

呆然とする女房に代わり、再度駆け付けた、掛川の娘があちこちに電話して、段取りを整えてくれた。夕方には動物病院から花束が届いた。火葬を頼んだ業者が夜になって来たので、掛川の娘と孫三人、息子と我等夫婦で見送った。

といっても、車に火葬設備があって、一時間余で、自宅駐車場で火葬が済んでしまった。煙など、全く出ないのだと聞く。今は、小さな骨壺に入って、ムサシの最晩年の生活の場であった、ダイニングキッチンの隅に納まっている。あわただしくも、あっけない一日であった。願わくば、ずっと外出もままならず面倒を見てきた女房が、ペットロスにならないことを祈るばかりである。


(こんなに小さくなった)


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午后に、駿遠の考古学と歴史講座に出席した。

読書:「お伊勢まいり 新・御宿かわせみ6」 平岩弓枝 著
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