平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
緑茶の抗肥満と動脈硬化抑制機能(前)

静岡大学・読売新聞連続市民講座、「未来につなぐ、食と健康」の第3回、「機能性食品としての緑茶」という講座を聞きに行った。副題として「緑茶によるメタボリックシンドローム予防を中心として」で、緑茶成分の数ある生体調節機能の内、最新の研究から抗肥満作用と動脈硬化症発症抑制作用の話があった。講師は静岡大学農学部、応用生物化学科、生物機能化学講座の、茶山和敏准教授である。
緑茶には数え上げるにも大変なほど、たくさんの生体調節機能があることが、この30年の様々な方面からの研究で明らかになってきた。そのもっとも最近明らかになった機能に、抗肥満作用と動脈硬化症発症抑制作用がある。それが茶山准教授の目下の研究課題である。
最近注目を集めているメタボリックシンドローム(メタボ)の主要因、肥満の原因は、脂肪の取り過ぎと、車社会になって歩かなくなった運動不足が上げられる。だから肥満予防には、バランスの取れた食事と適度な運動が必要である。しかし、それとは別に、現在、緑茶に脂肪蓄積抑制作用があるということが判ってきた。緑茶を飲むことで肥満の抑制が出来るというのである。
緑茶の肥満予防作用については、マウスを使った実験で、餌に2%の緑茶を混ぜて与えたときが体重も減り、各種指数が顕著に改善されることがわかった。さらに緑茶の量を増やしても体重はさらに減るが、それは食欲が減って摂取量が減ったためで、緑茶の肥満予防作用とは別問題(例えばダイエットの問題)であることも解った。
次に、緑茶に含まれる成分のうち、何がその効果をもたらすのかをマウスを使って研究した。まず緑茶の中に比較的多く含まれている水溶性成分から、カテキン、カフェイン、テアニンを選び、それぞれ混合した飼料を与えて研究した。その結果、カテキンとカフェインの組み合わせ投与がもっとも強い肥満予防効果があることが解った。カテキン、カフェインそれぞれ単独では大きな効果が得られないという結果であった。
緑茶成分の肥満予防効果のメカニズムとしては、
1 腸における脂質吸収阻害。「黒ウーロン」はこの効果を強調する。
2 肝臓における脂質合成抑制および脂質分解促進。
3 脂肪細胞の増殖および脂肪蓄積抑制。
4 体内の熱産生機能の活性化。これはカフェインの機能として知られているが、カテキンがその機能を助け高める役割をしている。なおウーロン茶、紅茶では発酵段階でカテキンが重合し他のカテキンに化けてしまい、効果が失われるという。(動脈硬化症発症抑制作用については日を改める)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
凍霜害茶園の現状と草枯らし

今朝、会社へ行くのに、牧之原に登り菊川に下るコースで、凍霜害を受けた茶園の回復の様子を見ながら車を走らせた。防霜ファンの風の当たり具合で茶園に緑の黒いところと、新芽の萌黄色の部分が曲線模様を描いていて、まだまだ回復というにはほど遠いように見えた。80%の回復と報道ではあったが、牧之原を見る限りでは、まだ回復には時間がかかると思った。良いとこ取りの摘採をするにもまだ10日以上掛かるのではないかと見えた。牧之原のかなりの部分で茶農家は大打撃を受けているように思う。
県知事は、凍霜害の対策として、お茶の消費拡大のために、具体的な対策を発表した。その対策を聞いて、やはり知事の顔は商人の方を向いていて、直接被害を受けている茶農家の方へは向いていないと思った。もちろん、お茶の消費拡大がすすめば茶農家のために少しはなるであろうが、かゆい足を靴の上から掻いてあげるようなものである。それを4文字熟語で「隔靴掻痒」という。前知事も全く同じであったが、商人の声は知事に届くが、茶農家の声はほとんど知事には届いていない。どこに問題があるのであろう。知事の持つ情報網に農家の情報は入っていないのだろうか。
* * * * * * *
春になってどことも一斉に新芽を出している。土手や畦の雑草も元気に芽を出して花を咲かせたりにぎやかである。しかし雑草はある人にとってはやっかいな存在である。ムサシを散歩させていて、雑草がいっぱい生えた中に、不自然に枯れ色を見せている部分がある。草枯らしをかけたところである。ムサシを草枯らしの掛かったところには近づけるなと女房には言われているから、避けて通り過ぎるようにしている。といっても、かけたばかりのところはまだ枯れていないから、判らずにムサシが近付く場合もあるかもしれない。草枯らしにはかけたことが判るような色をつけることを、このブログで提案したこともあった。
草枯らしが生き物にどのような影響があるのか知らない。使っている人は影響はないと思って使っていると思う。ただ植物を枯らすものが動物に何にも影響がないとは考えにくい。直接毒性は無くても環境ホルモンのようなこともある。だから極力ムサシは近付けないようにしている。
雑草を刈ったり抜いたりせずに、枯らしてしまうから便利だとはいえ、すぐに稲を育てる田んぼの畦に草枯らしをかける農家の無神経さには首を傾げたくなる。草枯らしのかかった田んぼで出来たお米は、出来たら食べたくないと考えるのは自分だけでないと思う。おそらく、そのような農家は必要とあれば農薬を限度いっぱい使いそうだから余計に恐い。しかし一般消費者にはそのお米がどんな形で作られたのか、知る手立てはない。当家のお米は知り合いの農家から分けてもらっていて、安全なお米だと女房は言う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
一週間遅れの凍霜害報道

3月30日の凍霜害について、3月31日に「お茶の凍霜害に緘口令?」と題して書き込んだ。その凍霜害があったというニュースが、地方紙に6日朝刊、全国紙の地方版に7日朝刊で、ようやく報道された。一週間も経っての報道に違和感を持ったのは自分だけではないはずである。
静岡県にとって、お茶シーズン前の凍霜害がどれだけのニュースバリューがあるのか知らないが、少なくとも30日の凍霜害で大きな被害があったそうな、と一週間も経って報道されるような小さな問題ではない。記者が一歩静岡市の郊外へ出ればその被害を目にすることが出来るほどの被害である。JAの被害の取り纏めと今後の対策が出てきたという報道ならば、それは第一報ではなくて、第二報以降の報道であるべきだ。
靜岡県で新聞記者をしていて、この時期の霜に無頓着であるなら、止めてくれと言いたい。企業の提灯記事ならば一週間遅れようと二週間遅れようと何も問題はない。しかし、靜岡県最大の農産物で、65%の茶畑で被害が出ているという大変な被害である。しかし、一週間も経ってしまえば、そのまま放っておくところは少ないから、被害の現状を見ることはもはや出来なくなる。視察者が茶園に出向いても、お茶の芽がまだ出ていない茶園を目にするだけで、何が被害なのかわからないと思う。政治家が災害地を視察するのに、時間が経って復旧が進んでから行っても何の役にもたたない。
新聞記者が怠慢なのではなくて、こういう記事は業界の意向に逆らってまで記事にする価値がないとされた結果だと思う。業界の意向とは何か、少なくとも茶農家の意向ではないことは確かで、主にお茶の流通に絡んでいる業界団体であろう。新茶時期を前に、凍霜害を受けたことはマイナスイメージであるから、出来るだけセンセーショナルにならない報道にしたいのであろう。その中で報道を1週間遅らせるのは最も有効な手段である。
日本の真面目な新聞は嘘は書くことはないと皆んな信じている。実際に嘘を書いている新聞はないと思う。しかし、編集権というものを楯に取って、報道するしないの自由はあるから、それを操作すれば世論などいかようにも操ることができる。
真実を報道することは、業界団体にとってはマイナスであるが、消費者に対してはプラスかもしれない。生産者も真実を知ってもらいたいと考える人も多いであろう。報道機関によって対応がまちまちになるならば問題は少ないだろうが、こぞって右に倣えをされると、購読者はいよいよ、ごったな情報が飛び交っているネットの世界に、真実を求めて彷徨う以外に無くなる。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
お茶の凍霜害に緘口令?

靜岡県の30日の凍霜害はかなり広範囲のもので、大きな被害になったようだ。温度が低すぎて防霜ファンも効かなかったという。霜害というよりも凍害で、免れたのはスプリンクラーが回っていたところだけのようだ。もっともまだ芽が動いていなかった遅場地域は凍霜害の影響はないのだろう。
温暖化が進んだせいなのか、この10数年、年々お茶が早くなっている。かつては新茶といえば、「♪夏も近付く八十八夜‥‥」で5月の始めに店頭に出てくるものであったが、最近はどんどん早くなってきた。一つには茶園で防霜ファンが回ることで、お茶の芽だしが早くなったとも言われている。新茶の時期に販売される新茶はほんの一部で、ほかは一年間にわたって消費されるのだから、お茶がそんなに早く出来ても保管費用が掛かるだけである。それでも先を争って1日でも早く生産しようとするのは、荒茶が品質だけで価格決定されるのではなく、相場が日を追って下がっていくからである。その結果、昔ならこの時期の霜など影響がなかったものが、大被害を起こしてしまうようになった。
早場として有名な地域の茶園には行政やJAなど茶業関係者の視察がひっきりなしに来て、新芽の黄緑に染まっていた茶園が茶色に変じているありさまを見て帰ったという。30年振りの大凍霜害だという人もいる。
ところが本当に不思議なことであるが、これだけの大きな被害について、テレビや新聞、インターネットなど色々調べてみたが、この被害に触れたものが見事に一件も無かった。見逃したのかもしれないが、まるで、業界、マスコミ挙って緘口令が引かれているのではないかと疑われるほどである。
生産者はこれだけの被害が出ているのなら、もっと大々的に報道してもらって、世間の注目を受けて、国から激甚災害の対策を受ける必要があると思う。それでなくても事業仕分けに厳しい民主党政権では、世間的に注目を受けなければ、援助の手も差し伸べられないのではないかと危惧する。
どういう思惑からの緘口令なのか、さっぱり理解できない。値が上がることを恐れて、問屋側が口を閉ざそうとするならばわかるが、生産者側も口を閉ざすのが理解ができない。霜を受けた葉が混じるとお茶の商品価値は無くなる。霜を受けたお茶を黙って売ってしまえるほど、お茶の問屋はいい加減ではない。緘口令を引いてみても、情報は全国の茶業関係者の間を駆け巡っている。霜を受けたニュースが大々的に報道されると、新茶の商戦に水をぶっ掛けてしまうという思惑があるのであろうか。業界の近くにいながら昔から疑問に思ってきたことである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
今朝の霜が心配なお茶の産地

今朝、静岡県には霜注意報が出ていて冷え込んだ。広範囲に霜が降りたようだ。出掛けにご近所のMさんに会った。我が家の向かいの茶園の様子を見に来たようであった。霜柱が立っているという。冷え込みが予想以上で、大きな被害が出ていなければいいがと心配そうに言う。自宅の前の茶園は芽が2センチほど出ていて、昨日はすでに黄緑色の新芽の色に変わってきていたが、新芽が霜にやられて色を失いつつあった。防霜ファンが付いていないから、出ている新芽はおそらく助からないであろうと思った。一芽欠いてしばらく常温で置いて置いたら、写真のように茶色くなった。茶園全体がこうなってしまうと刈り落とすしかない。東側の茶園はまだ芽が出ていなかったから被害はなかったようだ。
車で少し走った茶園はスプリンクラーが作動して、茶園の表面を氷が覆っていて、全面見事に凍っていた。これだけ凍っていても、このまま水を掛け続けておけば、氷が溶けるが、新芽を傷めないで済む。スプリンクラーは防霜ファンよりも有効な霜対策である。

(霜にやられたお茶の新芽)
全県的にどのくらいの被害になったのだろう。特に早場の地域の被害が気になった。ほとんどの茶園には防霜ファンが付いているから被害を免れているところは多いと思う。
会社へ出て話題にしていて、新しいことを教わった。お茶の表面が凍るだけなら0度で新芽を駄目にすることはないが、日が当って氷が溶けて水になるとき周囲から熱を奪って、その低温で新芽が駄目になるというメカニズムであることは知っていた。日が当った面の新芽だけが駄目になった茶園なども、かつて見たことがある。ところがもっと気温が低くて氷付いてしまうと駄目になる。前者が霜害で後者が凍害で、合わせて凍霜害などと呼ばれる。
スプリンクラーの場合、一見氷が張り付いているようでも、水が次々に供給されて次々に氷が出来ていく状態であれば、氷が溶けるときに熱を奪うのとは真逆に、水が凍るときには周囲に熱を放出するため、周囲の氷は0度以下には下がらないから、新芽を駄目にすることもないという。凍害は霜で下りた水分が凍って、外気がさらに低いと氷が0度よりも低くなってしまうから、その時点で新芽の細胞を壊してしまうというメカニズムである。
朝になってスプリンクラーで水を掛け続けておれば、氷が溶けるときに熱を奪って0度より下がろうとするのを、掛ける水で防ぐことが出来る理屈である。だから、防霜ファンよりもスプリンクラーの方が凍霜害に有効であるといわれる。
明朝も霜注意報が出ていて、今朝ほどではないけれども冷え込むというから、大変心配である。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
急須を駆逐したのは誰?

関与しているお茶の産地問屋に新年の挨拶に行ったときの話である。
応接のテーブルにお茶関連の小冊子が置かれていた。その表の写真に針のように整形されたお茶が写っていた。こんなお茶はいま探しても無いよなあというと、手揉みでもしないと出来ないだろうという。注文すればお茶工場で作ってくれるだろうかと聞くと、もう今ではこんなお茶を作る技術がないだろう。昔のようなお茶は大量生産が利かないから、個人の小さな工場で作るしかないだろうという。我々が入社した頃は針のように整形されたお茶を示して、これが煎茶だと説明を受けた。
味と水色重視でお茶をどんどん深蒸にしてしまい、お茶は砕けて粉になってしまった。それが良いとされ、問屋さんも高く買った。どの工場も深蒸に切り替えて、みるみる昔のような浅蒸でお茶らしい形のあるお茶は駆逐されてしまった。
急須で深蒸のお茶を入れようとすると、急須の口から粉になった茶殻が出てきて、古い急須は全くつかえない。メッシュの細かい濾し網をつけた急須が出来たが、すぐに目詰まりして洗うにもなかなか手間が掛かり、急須離れを一気に進めてしまった。それでは、お茶はティパックの方が扱いやすいということになり、どうせお茶の葉を見なくて良いなら、いっそペットボトルの方が便利だという方向に進んでしまった。
その結果、単価の高いリーフ茶が売れなくなってきた。リーフ茶が売れない理由を、今時の若い人は横着になって急須を使わなくなったからという茶業者の言い分は、お茶を急須で飲みにくく変えてしまった茶業者の責任転嫁のような気がしてならない。
この話の中では消費者が深蒸のお茶を好んだという点をあえて論点から外している。だから、一方的な話に聞こえるだろう。反論も多いと思う。ただ、こういう見方もあるという意味で展開してみた。
ともあれ、どこかで昔のように針のように撚れたお茶が手に入らないであろうか。そんなお茶を即席ではなしに、急須でじっくりと時間を掛けて出して飲むと美味しいと思うのだが。
深蒸のお茶で出来ないことを思い出した。昔の人は、お茶の出がらしを撒いて掃き掃除をすると、ほこりが立たないでさわやかに出来ると、出がらしでさえ無駄にしなかった。お茶は香りも良く消臭殺菌効果もあって大変効果的である。ところが深蒸の砕けたお茶では畳や床を反って汚してしまう恐れがある。掃除機で掃除すればいらないというかもしれないが、掃除の後のさわやかさが違うような気がする。物を無駄にしなかった昔の人の知恵も今では生かせない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
お茶の花の花盛り

日曜日、散歩の途中、道端の茶畑に、白い花がびっしりと付いていた。近年、自宅近くの茶畑にはお茶の花がたくさん咲くようになった気がする。お茶はツバキ科の樹木だから、本来冬に花を咲かせる。白い茶花はツバキに似ているが、花びらはツバキほど大きくしっかりしていない。茶畑に咲いている花を見ると黄色いおしべばかり目立って、花びらのしっかりしたものを見つけるのは難しい。

(お茶の花)
花は子孫を残す手段で、樹勢が弱ってくると花を咲かせて実を付け、子孫を残そうとする。花を咲くような茶園は肥料不足で管理が悪く、樹勢が弱っている証拠であるといわれる。花を咲かせて実をつけると、そちらに樹勢をそがれて余計に元気が無くなる。茶農家にとっては来春の一番茶の生育に大きく影響するから、花が咲くのを良しとしない。おばあさんなどは恥ずかしいといって、花を取って回るという。花を取れば実はつかないから、そちらに栄養を持って行かれることはない。だから、来春の一番茶の生育にはプラスである。
本来、茶の木は休眠しているように見える冬場に養分をしっかりと根に蓄え、春に新芽を出す準備をしている。この時期に肥料不足を露呈してしまうのは何と言ってもまずい。しかし、過剰な肥料が土壌や地下水を汚染して問題になり、茶農家はたっぷりと肥料をやることが出来なくなっている。だから、花盛りの茶園も黙って見ているしかないのかもしれない。花を摘み取っていたおばあさんも、冬でもいろいろ忙しいから、そんな生産性の悪い仕事は出来なくなっている。
お茶の花をそのまま置けば、ツバキのような大きな実をつける。昔は子供たちが実を集め、買い取ってもらった。茶の実を絞った油が有用であったという。お茶の相場が下がって、茶農家が苦しんでいる現在、逆手を取って、油の用途開発を考え、茶の実を思い切り生産してみたらどうだろうか。お茶の葉にこれだけ有効成分があるのだから、お茶の実から取った油に有効成分が無いはずがない。健康食品、化粧品、薬用などいろんな用途に使えそうな気がする。自動車の燃料にする事だって不可能ではないではないか。生産する気になれば、即、ツバキ油の比ではないほど大量生産が出来ると思うのだが。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
負けるな!静岡県の茶業(下)

大きな転機はある日突然にやって来た。静岡県の茶園に施されている過大な肥料が茶の木が吸収しきれずに土壌を流れ、流水を汚染し地下水を汚すと、汚染されて生物が住めなくなって異常に透明な農業用溜池がテレビ画面に象徴的に映された。その一つの映像だけで環境庁の主導によって肥料の半減化が県内農家に急速に広められた。汚染について学問的な証明もなく、一方減肥しても茶の生産量は変わらないという、根拠のもう一つ不明な説明に、静岡県の茶農家は従った。減肥しなければ茶業が継続できなくなるとほとんど脅迫に近い話であった。
肥料を沢山もらって育ってきた茶樹がいきなり肥料を半減されて変化がないわけがない。年々、品質が落ちて生産量が減った。しかし茶農家は今年は雨が少なかったから、あるいは低温が続いたから、冬が暖か過ぎたから、等々、理屈にならない理由に半ば疑いながら納得させられてきた。もっと正直に肥料を減らせば品質は落ちる、生産量も減ると指導すれば、静岡県の茶農家ももっと工夫が出来たと思う。しかし真実を口にすることは静岡県ではタブーであり、陰ではともかく、公式の場所では語られることはなかった。
もともと肥料を沢山やっていなった他県では、肥料の規制は必要なかった。静岡の美味しいお茶は沢山肥料をやって作られた、いわばフォアグラのような部分があったのであろう。静岡県のお茶が美味しくなくなったとの声が聞こえ始めた。堅調な鹿児島県のお茶と比べて、静岡県の茶価は下落が続いた。そして今年は問屋さんの口から、静岡県のお茶は鹿児島県のお茶の価格を下げるために混ぜて使うといわれるまでになった。かつては鹿児島県のお茶がそんな風にいわれていたのだ。
比べて飲んだ人たちは声を揃えて鹿児島のお茶の方が美味しいと言い始めている。マラソンではるか先を走っていると思い悠々と走っていた静岡県の茶業は、あと3メートルの背後に鹿児島県の茶業が迫っていることを今もって気付いていない。気付きたくないから振り返ることも拒否しているのかもしれない。静岡県の行政、指導機関、農協、茶問屋、製茶工場、茶農家のそれぞれがそれぞれの思惑でバラバラに動いていて、静岡県の茶業を伸ばす役割を何ら果たせていない。静岡県のお茶が質、量ともに鹿児島県に抜かれて、水を空けられる未来を思い浮かべるのは、何にもましてつらい。“負けるな!静岡県の茶業”と言いたい。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
負けるな!静岡県の茶業(上)

昨日、今日と某銀行の役員の方とお茶の産地問屋の方に、それぞれ話す機会があった。どういう話からそうなったのか、日頃感じている、静岡県の茶業のことについて話題が向いた。そこで出た話と自分の思いを書込む。
かつては全国のお茶の生産高の半分は静岡県で生産されていると説明されていた。他県のお茶など、気にすることもなく、茶業を学びに静岡県に他県からたくさんの茶農家の方がやって来た。
しかし、今、静岡県のお茶の生産高は全国の40%あるかどうかになり、二番目の鹿児島県は30%を越えてきた。その地位が逆転するのも時間の問題だろうと予測されている。
戦後、鹿児島県では、もともと紅茶を作っていた歴史から、紅茶品種の茶の木で緑茶をつくるところから緑茶の生産がはじまった。様々な工夫をしてきたが、いい品質のお茶が出来るはずはなかった。白砂(シラス)土壌に覆われていた鹿児島の農地では米作りに適さず、せいぜいさつま芋を作ってデンプンを取るくらいにしか利用が出来なかった。しかしお茶作りには適していたから、お茶を農業の中心に置くことにした。以後、一貫して、県の行政、指導機関、農協、茶問屋、製茶工場、茶農家が一つのベクトルを持って茶業振興を図って来た。品質的に追いつかない間は茶園のインフラを整備、乗用型摘採機など機械化を進めて、安いお茶でも生産が維持できる体制を築いてきた。
一方静岡県では茶園をヤブキタ(お茶の最優良品種)に改植がほぼ終わり、良品質な緑茶を生産することに自信を持っていて、鹿児島県の話を聞いても、安いお茶を大量生産出来ても良いお茶は出来ないと、ライバルとも考えていなかった。
さらに時代が下って、鹿児島県では良質なお茶を作ることに努力を傾けた。緑茶の品種物の改植をどんどん進めた。ただし、静岡県のようにヤブキタ一辺倒にはしなかった。生産性を上げるためには、早稲(わせ)や晩生(おくて)を取り混ぜた方が良かった。ヤブキタに品種が揃っている方が扱いやすいという理由で、問屋筋からはヤブキタ以外の品種が割をくった時代もあり、鹿児島は春が早く、全国に先駆けて新茶が生産できる分、有利なだけだと思われた時代もあった。
品質的に負けていると認識していた鹿児島県の努力はさらに続いた。お茶が美味しくなると聞けば、芽の成長期に被覆をするという面倒な手間さえ厭わなかった。一方品質の高さと茶価の高さにあぐらをかいた静岡県の茶業に新しい工夫は生まれなかった。(後半に続く)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
日本文化のルーツ「茶の湯」

一昨日、生保会社の担当役員が挨拶に見えて、しばらくお茶の話題に話がはずんだ。
日本のお茶は800年前に栄西禅師によって中国からもたらされ、禅宗の伝播と合わせて最新文化として日本に広まった。そして鎌倉、室町、戦国、安土桃山、江戸と時代を経る間に、茶の湯の世界は日本的と思われている、あらゆる日本文化のルーツと言われている。
茶室の建築から発展した日本家屋の代名詞のような数奇屋作り、床の間の掛け物からはじまった日本画や書道、床の間の生け花から発展した華道、茶の湯の所作が元になった日本の礼儀作法、料理さえ茶の湯の時に出されたお茶請けが懐石料理のはじまりで、日本食のルーツとされている。もちろん美術品としての陶器の味わいは茶道具を愛でたところからはじまる。
戦国大名などは茶の湯の場で密談をして、物事を決めて、無駄な争いを回避したという。ということは、日本独特の文化である「根回し」も「談合」も茶の湯の席で始まったのかもしれないというのが、その場の「落ち」になった。
生保の担当役員の方は、今日はいい話を聞かせていただいた、こんな話を聞くのは初めてだと言って帰られた。そうだろう、「根回し」も「談合」も茶の湯の席ではじまったというのは、話をしながら思いついたことで、自分も初めて話す出任せである。そんな事実を確認したわけではない。しかし、いかにもありそうなことだと思う。
日本の会社習慣のルーツは武家社会だという。組織、役職、給料、年始回りの習慣もすべて武家社会の習慣を商家に持ち込んだものである。当然「根回し」も「談合」のような取引習慣も武家社会から出ているものであろう。その武家社会の習慣は多くのものがおそらく茶の湯の席から始まっている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ | 次ページ » |