
今日はkameyaさん教室だったんだけど、何を勘違いしたんだか、時間を間違えて・・・遅刻しちゃうと思ったのね。ただ何とか数分遅れで到着した・・・と
思ったら、何か様子が違ってて・・・棟梁が玄関から出て来て判ったのね。あっ、1時間間違えて早く来ちゃった・・・。ただ頼まれていた表札を持って来る
のを忘れたんで、取りに帰って・・・まっ、それでも普通に間に合って。朝から何やってんだかっ・・・ってなスタート。ではまず棟梁から。
例えばガラスタイルの部分のバック。1枚で複雑な形を入れるのと、どんな形でも良いし、何枚そこに入れても良いって言うのでは、見栄えが大きく変わるのね。
前者の場合、1枚で複雑な形だから、失敗が大きく付きまとうのね。だから当然相当な技術が必要なのね。その腕でも1回で成功するとは限らないのね。
そこまでしてのパーツを入れると、目地が無い分、その色が濃く映る事になるのね。では後者はと言うと、どんな形でも良いのだから、誰でも入れられる。
そう狙って切ったって言うパーツでは無いから、正確に言うと割ったなのね。必然では無く偶然で。ただその数の分、目地の数が増えるのね。では文字で
説明すると、例えば狙って切った1枚パーツが緑だったとすると、前者はその色のまま、緑になる。しかし何でも良いから入れただけなら、緑、目地の色、緑
目地の色、緑、目地の色・・・と言った具合に目地の色が大きく出てしまうのね。そんな違いがある事を踏まえて、どちらも入れられる棟梁が、どう入れる
のか?は、内容次第になるのね。まぁ棟梁なら、かなり意地だけで入れようとするだろうけれどね。ではラパンさん。
葉っぱを見る限り、切る事に相当慣れていると思うのね。しかも理由は簡単で、それは楽譜、レシピ、図面側の、こうするってはっきりした指針がある時
には、その通りに・・・って正解に向かって行く事に長けているのね。しかも葉っぱを1cmタイルで切るとなると、恐らく誰もがこう切るだろうな・・・
って決まっているから、何も考えずに進めるのね。問題は何も考えずには進めない部分。幅広い花びらの場合、その中をどう切る?って言うのは、その人その人
の自由なのね。だからこれが正解って言うのは無いのね。ただ厄介なのは、何でも良いのか?となると、完全に不正解があるのね。では何が不正解か?
となるんだけれど、それはこの3人なら判るのね。それが感じる・・・なのね。何となく変・・・ってな表現でね。要するに変だと感じる事までは理解しているのね。
ではそこで何が変なのか?と掘り下げると良いんだけれど、世の中のお教室の大半はこうして・・・って教室なのね。だからそっち側の指導の場合、お稽古的になるから、永遠に、ここが終わると、次はどうすれば良いですか?となる。
またそこが終わると、次は・・・となる。それは考えなくて良い事を意味するのね。それでは永遠にオリジナルを作る側には行けないのね。考えるって言う
事は、その人その人の感じ方で違うのね。でも何か変って言う事をみんなが感じると、それは個性では無く、もしかしたら未熟なのかも知れないのね。
例えば右から光が当たっているのか?左なのか?はその人の考え方になるのね。それを今の新作のたんぽぽで説明したように、1色なら綺麗に切ればほぼ誰が
切っても一緒だと思うのね。でも広いスペースは思い切り個性が出るのね。色も形も変えられるから、大きく差が出るのね。ただ広いスペースは・・・って、
だけでも無く、狭いなら狭いながらの難しさがあって、下絵を見て、ここに葉脈があって・・・ここがしおれててとか、ちょっとシミみたいな部分があって・・
と良く見て作ろうとする癖を付けた分、良く見てしまうのね。確かに合っているんだけれど、そもそもこの絵自体が小さいのね。だから本物のようには、
仕上がらないのね。だからデフォルメって言う簡素化させるような方法を取らないと、この線、この線って入れて行くと、入らないパーツが出て来るのね。
だから何が大事で、どれを削って・・・って考えないと、見えた所全部を入れようとすると、大事な色部分から入れないと、影から入れると入らなくなる。
でもそれを考える・・・その考えるって事が苦手って場合、全く進まなくなっちゃうのね。そうすると、この位は進むと思っていたのに、こんなに進まなかった・・・って気持ちになると、何か調子が悪いとか、気が乗らない・・・。
ってこんな表現になるものなのね。ただちゃんと理由はあって、何か?とか、気が・・・ってもうほとんど答えを自分で言っちゃっているのね。
ラパンさんはここが試練だろうね・・・ここを乗り切れば、ひとまず立て直せるが、ここを解決しないで進めようとすると、進んだだけで満足は行かない。
まぁ誰もが通る、大作のハードルみたいなものだから・・・。そしてりょうさん。
逆にりょうさんの場合は、花1つ取っても、十分過ぎる位に実物よりも大きい花だから、本物よりも葉脈をリアルに作れるのね。だからその絵に無い線を想像で描き足して、その通りに流れを作るって事が出来るのね。
線をいくらでも足せるし、場合に寄っては、切らずに入るなんて事もある。全くラパンさんとは違う悩みなのね。方や線を減らす、方や線を増やす。
そんな違いがある中、りょうさんの悩みは、すぐに丸くする癖なのね。花びらの先端のような、グネグネとしたラインを1枚で完結してモコモコさせちゃうのね。完全に思い込みなんだけれどね。まぁしかし、こうした三者三様の悩みは
みんなが通る道なんで、必ず大作を作れば足止めを食らう難関なのね。棟梁位になれば、全て通って来た話なんだけれど、そもそも棟梁は器用で出来てしまう側にいるのね。
じゃ出来た人が出来ない人へのアドバイスをするとなると、言葉で伝える難しさがあって、切って見せたくなったり、伝わらないジレンマになるのね。
それは出来ちゃうからなのね。出来ない側になった事が無いから。自分が普通に出来ちゃった事は、普通だから、何で判んないかなぁ〜ってなりがちなのね
・・・でも、それを言葉で伝えられるようになると、相当繊細に伝えようとするものなのね・・・これをさー、こうして、サッとか、パッとかシュってさー
みたいにね。これを上手い人同士の会話で、とても繊細とは言えないのね。だからいちいち、それを伝えようとすると面倒臭いものなのね。でも棟梁はそれ
に慣れると、繊細さが手に入るのね。まぁみんなその人その人の指導になるから、サンプル教室とは訳が違うのね。そんなこんなでアトリエに戻って
プチッとたんぽぽ。