今日は居酒屋さんの看板を午前中に納品。思ったよりも渋滞していて、理想は10時半だったんだけど、11時少し回ってしまったのね。まぁそれでも一応午前中ではあったんだけどね・・・。そんなこんなで、車から作品を下ろしたのを見て、
思った以上に大きかったようで、まずは大きさにビックリされていたのね。それでいよいよじっくりご覧になると、やはり 生の作品の迫力を更に喜んで下さり、色んな質問をされたのね。まぁ制作秘話みたいな事・・・。それでも毎日の進行具合
は、必ず画像を送っていたので、犬もいるし、名前も入っている事も知っているから、生であるって事以外は新しい事は無いんだけれど、その生である事でしか味わえない事があるのね・・・それは光を当てる事なのね。
ただ何でも良い訳じゃ無くて、裸電球的なオレンジ色の光・・・本来モザイクって言うのは、そう見た方がよりお洒落に見えるのね。これを間違えて、例えば蛍光灯的な白い電気を当ててしまうと、ただ白っぽくなるだけなのね。
電気を付けた瞬間、わーって声を上げていたから、より気に入って頂けたようで・・・しかも毎日拝みます・・・って言うから、ここまでのリアクションはいつも有難く頂戴しているものであって、無事に納品したんだな・・・の実感が沸きます。
がしかし、拝むとなると、これを拝んでもご利益は何も無いし、そこまでのプレッシャーはお受けし兼ねます・・・と言ったんだけれど、そもそも俺ごときが作ったもの。作品の出来栄えに自信が無い訳では無いが、仏像でも無いし・・・。
それと、いつかそうなりたい・・・と目指してはいるが、まだ拝まれる程の器になっていない状態では、褒め過ぎである。そんな奴が作ったものでは、拝む程の価値は無いのね。やっぱり拝む位の価値になれば、拝観料が発生しないとね。
ただ、昔、病院のエントランスに壁画を作らせて頂いた時に、壁画の前で見知らぬ御婆さんが手を合わせていて、御婆さん何してんの?って声を掛けると、神々しいから病気を治して下さいって拝んでいるのよ・・・って言うのね。
だから御婆さんに、そんな事しても利かないよ・・・だってそれ俺が作ったんだから・・・何のご利益も無いし。本当に治したかったら早く先生の所に行った方が良いよ・・・って言うと、でも何か凄いから・・・って。だから、それは
有難う・・・って言ったんだけど、今日も同じ。凄いと褒められるのは、素直に有難うだけど、ご利益だの、拝むって言うのはどうなのかな?・・・まぁ100歩譲って、ご利益があれば良いなぁ・・・位は、そう思うのは勝手だけど、俺は看板
を頼まれたんであって、拝むってよりも見ますって感じならね。見るのを楽しみにします・・・位なんじゃ無いの?今の俺の立ち位置なら・・・。まぁでも、いつか本当にそうなりたい・・・とは思っているけれどね。
だって世界のモザイクなら、教会の壁画に頭を下げている人はいっぱいいるし、折角作っているし、それ相応の気迫や気力を持ってやっているし、何処に置かれても恥ずかしいようなものを作っている気持ちはサラサラないのね。
いつもたまたまここに置かれる事になっただけで、世界の美術館に置かれても遜色無い・・・そんな仕上がりで無いと、katsu作品とは言えない・・・と思っているんだけれどね。まぁ馬鹿な奴と思うのも勝手だし、もしかしたらそうかも・・
と思って下さる人は、いつかそうなった時、いつからそう思っていたか・・・を身の回りに自慢して欲しいものであるのね。まぁそれはそうと、気に入って頂けた事が何よりで、また1つkatsuを知って頂く爪痕作品が出来たのね。
また俺の作品が見知らぬ人に見て頂ける・・・それが楽しみである。そんな中、いつも思うのは、花魁が見受けされて行く・・・そんな気分になるのね。ここまで育てたんだけどね・・・旦那に認められて見受けの日かぁ・・・ってね。
そこの女将の気分なのね。そこの主人と言わないのは、行かせたくない・・・とは思わないから。どちらかと言うと、さっさと支度しなっ・・抜かりは無いかい?大事にされるんだよ・・・早くお行き・・・ってな別れかな?
本来なら、吉原をしゃなりしゃなりと出て行くんだろうが、情緒は無いが、車で右手に競馬場、左はビール工場ぉのあの道・・・滑走路みたい・・・ってあのね。そこを送って行ったのね・・・さようなら・・・って。
さて、そんなこんな気分は、帰り道でアトリエに着くまでには変えないとならないのね・・・しんみりな感じを何とか、いくぞーに変えないとならないのだからね。それを音楽で何とか気分転換を計って・・・さぁって時に、入院中の親父。
持って来て欲しいものがあるらしく、判った後で持ってくよ・・・と切ろうとすると、ボソッと母さんの事頼むって言うのね・・・色々あるだろうが、優しくしてやってくれ・・・って。何だかなぁ・・・折角気分転換したのに・・・。
例えばね、朝の納品の時は、ユーミンだったり、寂しさのバックミュージックなら、オフコースとかでも良いんだけど、そんな事を、ロックで払拭・・・みたいになると、貧乏人の応援歌的な浜田省吾さん的な、屈辱だのお金だのって歌詞で
今の自分から抜け出すみたいに現実に戻す行為をして、悔しかったらやれ・・・ってモードに切り替えたのに、何かささやかなこの人生とか、無縁坂とか、フォークソングになっちゃうと、また引き戻された感じになる・・・。
そんなこんなで病院と母の様子を見に行って・・・もう毎日の日課のようである。これでおしまい・・と切り替えるのに、何か良いものは・・・って探していると、GAYOでセッションって映画をやってて、おーこれこれとなる。
一度見た事があるから内容は知っているんだけど、そもそも画像があろうが無かろうが、ほぼ聞くだけなのね。目を余り奪われないように・・・ラジオ感覚で。そもそもほぼ全編に渡って罵声の映画なのね。良い感じに。
やめちまえだの、ヘボ野郎とか、ずーと言われ続けるのね。でも最後は血を流しながら笑うのね・・・やっぱそうじゃ無いと・・・そんな気分にならないと・・・陸前高田なんだから・・・楽しいだの、楽をしたいだの、そんなのはまだ。
嫌な思いをしないと・・・それでこの先どうする?どんな活路がある?光って何が見える・・・次の仕事はそんな話。