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柿上猿麻呂の「花、菜園、旅」の週刊フォトニュース

自宅や菜園で栽培している花や、植物園などで撮影した花の写真を週単位で紹介

第912号 昭和生まれの老翁の面白話。第53話「友人2軒目の家に引っ越す」今週の一花「ジュズサンゴ‘絣(かすり)’」

2024年10月24日 17時34分39秒 | お知らせ

昭和生まれの老翁の面白話。第53話「友人2軒目の家に引っ越す」

友人が引っ越しをした。彼はそれほど多くもない収入から、爪に火を灯すような質素な生活をしながら2軒目の家を建てた。1軒目の家は貸家にするそうでした。引っ越しは業者を頼まず、自分で少しずつ車に乗せて運びました。その折に傍らにいる一人っ子の小学生の息子に「この家は俺が死んだらお前のものだ。引っ越し先の家も俺が死んだらお前のものだ。車も俺が死んだらお前のものだ。このゲーム機も俺が死んだらお前のものだ」といちいち言いながら荷物を運び出していた。彼はここまでいろいろなものを買い集めたのを息子に自慢したかったのでしょう。すると息子が言った「お父さん、いつ死ぬの?」

今週の一花 ジュズサンゴ‘絣(かすり)

 ジュズサンゴ ‘絣(かすり)’

 

 


第911号 昭和生まれの老翁の面白話。第52話「瀕死の人に酒を飲ませる」今週の一花「ジニア」

2024年10月17日 16時50分24秒 | お知らせ

昭和生まれの老翁の面白話。第52話 「瀕死の人に酒を飲ませる」

若いころ一緒に仕事をしたWさん。ある時、明日もわからない大病を患わっているという噂が仲間に広がりました。それを聞いた友人たちがこれは大変だ。生きている間に最後の酒を飲まして最後の別れをやろうと彼を戸板に乗せて池袋の安酒場に連れて行きました。「さあ、この世の最後の酒を飲め」とすすめました。ところが残念なことに彼は酒を一滴も飲めない人だったのです。早とちりの誰かが良かれとしたことですが瀕死の人に酒場で末期の酒を飲ませるとはどういう神経をしているのかとよくわからん。彼は今も元気に仕事しています。

今週の一花 ジニア「ヒャクニチソウ」

 ジニア「ヒャクニチソウ」


第910号 昭和生まれの老翁の面白話。第51話「不愛想な女医」今週の一花「アセロラ」

2024年10月10日 15時01分48秒 | お知らせ

昭和生まれの老翁の面白話。第51話 「無愛想な女医」

小生は糖尿の検査で3か月に1回都内の大病院の代謝内科に通っています。血液検査ではHbA1cが7.3。食前血糖値が140前後。担当は女医で、診察室に入っても挨拶をするくらいで印刷機から出るデーターを取り渡してくれるだけで、自分はコンピュータのデーターを見て、こちらの顔を見ることはありません。私は渡されたデーターを見て「数値が上がった下がった」と言います。医者は無言です。医者に何かコメントは無いですかと言うと「無い」との返事です。「糖尿は治らないですやね」と言うと「治らない」との返事です。そして「あなたは年なので何を食べてもよい。食事制限しなくてもよい」とコンピュータの画面を見たまま言います。治療のことで話し込むことはありません。待ち時間20分、治療時間5分たらずです。本当に愛想の悪い医者です。

先日、10年ぶりに昔、一緒に仕事をした女性が来て久しぶりに会食をしました。その折の会話で小生がかかっている女医が「愛想が悪く、何も病気について話さない」と文句話言うと彼女は「それはいいことじゃない。もし、医者から癌かもしれないとか、脳溢血や心筋梗塞に注意しろとか、予防のためにアレしろ、コレしろとかアレをしてはいけない、コレをしてはいけないと言われる方がよっぽど問題だよ。何もあなたに危惧するところがないから話すことがないのよ」とのことでした。なるほどそのような考え方もあるなと女医の無愛想を納得しました。

今種の一花 アセロラ

 アセロラの花と実


909号 昭和生まれの老翁の面白話。第50話  「妻は失せ物探しの名人」今週の一花「ギンスジツユクサ」

2024年10月04日 10時18分24秒 | お知らせ

昭和生まれの老翁の面白話。第50話 「妻は失せ物探しの名人」

室内ではメガネ、財布、携帯電話、補聴器、庭ではスコップ、剪定バサミ、ノコギリなどをいつも探しています。今、手元にあったものがなくなるのです。小生はどうも白い物の上に白い物の上に置き、黒い物を黒い物の上に置く癖があるようで、探し出すのに苦労します。妻に「〇〇が見当たらい」と言うと必死で探してくれます。そして必ず探し出してくれます。それで、何かを失ったときは自分では探さないで妻に「〇〇が無くなった」とだけ言います。彼女は推理小説やTVのサスペンスが好きで、物を探すのは名人です。そこで私は妻に「1,000万円を探してくれ」と言いますと「最初から無い物は探せません」とつれない返事です。小生が「へそくりはないか?」と言うと妻は「今日の食べ物にも事欠くのに、へそくりなんか出来るわけないでしょう」とのことです。その通り。残念ながら妻は山内一豊の妻ではなかった。

今週の一花 ギンスジツユクサ

 ギンスジツユクサ。ツユクサの斑入り種。


908号 昭和生まれの老翁の面白話。第49話 「寮生②」今週の一花 グロリオサ ‘ファイヤーバード’ 

2024年09月26日 15時24分52秒 | お知らせ

昭和生まれの老翁の面白話。第49話 「寮生」②」

その頃の三業地は治安が悪く、金もない学生が足しげく遊びに行くところではありませんでした。彼は三業地にたむろする不良どもに言いがかりをつけ、相手が歯向かってくるのを足腰が立たないほどコテンパにやっつけるのが趣味だそうです。彼が言うのには「腕試し」と言っていました。小生は不良どもは警察に被害を訴えるわけにもいかず、泣き寝入りだったろうと思うと、痛快なことだ、もっとやれと思いました。小生が「ところで君は何段なのだ」と聞いたところ彼は「無段」と言いました。「なんで段を取らないのか?」と聞くと彼は「空手は段を取ると凶器とみなされる。そうすると池袋でグレた野郎どもを懲らしめることができなくなる」とのことでした。細身で神経質だったO君は悪を憎む熱血漢でした。いや、ただの趣味だったのかな?

今週の一花 グロリオサ ‘ファイヤーバード’

 グロリオサ ‘ファイヤーバード’ 


907号 昭和生まれの老翁の面白話。第48話 「寮生①」今週の一花 トルコギキョウ ‘ジェリー’ 

2024年09月19日 17時15分57秒 | お知らせ

昭和生まれの老翁の面白話。第48話 「寮生①」

学生時代県営の学生寮から大学に通っていました。大学に通う県出身者で男ばかりの100名ほどでした。寮生の通う大学は東京大学から下は名も知らない大学まで様々でした。東大に通うk君は3年性の時に司法試験に合格しました。多くの寮生はまともに学校に行かなくて、良くてアルバイト、普段は昼間からマージャンをやっているものが多かったです。こんな雑多な悪環境で良くも合格したものだと感心しました。こいつはよほど真面目で頭の良いやつだなと思いました。

ある大学の空手部に所属するO君がいました。彼は夜な夜な池袋西口付近に有った三業地(料理屋、待合、芸妓屋の3業が集まった地域)に出かけました。つづく。

今週の一花 トルコギキョウ ‘ジェリー’

 トルコギキョウ ‘ジェリー’

 


906号 昭和生まれの老翁の面白話。第47話 「国鉄石山駅の楽しい思いで②」今週の一花 「リコリス インカルナータ」」 

2024年09月12日 11時08分27秒 | お知らせ

昭和生まれの老翁の面白話。第47話 「国鉄石山駅の楽しい思いで②」

しかし、小父さんはニコニコと優しく笑っていました。汽車に近づくと小父さんは降りてきてひょいと僕と友人を機関車に抱っこをして助手席に乗せてくれました。そして蒸気機関車はシュッシュ、シュッシュポッポーとゆっくりと工場の門まで走って行きました。機関士がポッポーと汽笛を鳴らしたのは僕たちへのサービスでした。およそ500mほどで工場の大きなアーチ状の門の前で運転手は僕たちを降ろしてバイバイの手を振って工場の構内に入っていきました。僕たちも機関車が見えなくなるまで手を振って見送りました。今ではこのようなことをすると大問題になることでしょう。まだ、名も知らぬ大人と子供が笑顔で遊べるおおらかな時代でした。今も人生で一番楽しかった思い出です。誘ってくれた友達と運転していた小父さんに大感謝です。友達は今頃どうしているかと思い出します。今も電車に乗って旅をしているのかな。電車の運転手になっているのかな。

その頃は石山駅に北口は無かったのですが今は北口ができ、にぎやかな様です。私たちが楽しんだ工場への引っ込み線はありません。

今週の一花 「リコリス インカルナータ」 

リコリス インカルナータ。


905号 昭和生まれの老翁の面白話。第46話 「国鉄石山駅の楽しい思いで①」今週の一花 「ヒメサルスベリ」 

2024年09月05日 16時27分17秒 | お知らせ

昭和生まれの老翁の面白話。第46話 「国鉄石山駅の楽しい思いで①」 

小学校34年のころだと思う。国鉄東海道本線(今のJR)に石山駅がある。鉄道に乗るのが大好きな友達がいた。その頃はまだ電化されてなく蒸気機関車だった。瀬田駅も無かった。彼は小遣いがたまると石山駅から隣駅の草津駅まで汽車に乗り、帰ってくるのが最大の楽しみにしていた。僕も彼に誘われて一緒に出掛けたことがある。汽車が瀬田川を渡る時、開け放された汽車の窓から流れ込む蒸気機関車の煙と心地よい川風の混じった匂いを今も時々懐かしく思いだす。

彼に誘われて石山駅に遊びに行ったことがあった。彼はそこに素晴らしい秘密の遊び場?を持っていた。それは石山駅から日本電気硝子だと思う工場に部品や製品を運ぶ、貨物専用の引っ込み線があった。引き込み線は石山駅から大きな弧を描くような単線でした。そこには動輪が1個の小型の蒸気機関車があり、金の線の入った運転手帽子をかぶった小父さんが運転をしていました。線路際の草原で出入りする蒸気機関車を飽きずに見ていると機関車が僕たちの前で止まりました。小父さんは手招きして僕たちを呼びました。一瞬、怒られるのではないかと思い、逃げようとした。              続く                                

今週の一花 ヒメサルスベリ

 ヒメサルスベリ。小型の鉢でもたくさんの花が咲く。


904号 昭和生まれの老翁の面白話。第45話 「比叡山延暦寺の宿坊から夜道を一人で下る②」今週の一花「オトギリソウ」

2024年08月30日 08時41分17秒 | お知らせ

昭和生まれの老翁の面白話。第45話 「比叡山延暦寺の宿坊から夜道を一人で下る②」

下山道の周りは手入れの行き届いた杉の高木の森で、幅40cmほどで修験者や山林作業者が頻繁に歩いているような道でそれほど荒れていたり、急坂ではありませんでした。左右に笹が生い茂っていました。その日は満月で雲一つなく。山道を明るく照らしていました。しかし、出発したものの京阪電車の終電に間に合うか気がせき、小走りで下山しました。杉林の間に見える明るい満月は踊るようにどこまでも小生を追いかけてきました。山道が二股に分かれているところがあり、少し思案しましたがやや坂が急に下る右の道を選びました。どんどん下った所は残念ながら河原になっていました。仕方がないので今来た道を上り帰り、二股の所で左の道に行くことにしました。

しばらく行くと粗末な作業小屋がありました。そこを覗くと月光で白々と光る骸骨が2個ありました。ギョッとしてよく見るとそれは山の作業員が置いていったヘルメットでした。それからも小走りで下り、その頃好きだった女の子の名前を大声で「K子ちゃん~」と叫びながら下りました。どんどん下っていくと墓地がありました。その頃はまだ土葬がありました。火の玉のようなものがきれいにピカピカと光っていました。よく見ると磨かれた墓石が月光を反射していたのです。この墓地に着いたことでようやく人里につながる道だと安堵しました。夜中の墓地を見てほっとしたことは初めてでした。どれくらい山中をさまよったかわかりませんが1時間くらいのように思いましたが、下りとは言え標高差682mを1時間で下るのは無理かも

今週の一花 オトギリソウ

 オトギリソウ


903号 昭和生まれの老翁の面白話。第44話 「比叡山延暦寺の宿坊から夜道を一人だ下る①」今週の一花「熱帯香りミニスイレン‘ドウベン’」

2024年08月22日 11時45分50秒 | お知らせ

昭和生まれの老翁の面白話。第44話。「比叡山延暦寺の宿坊から夜道を一人で下る①」

高校の友人にM君がいた。彼は学科の物理が大好きで、物理の分厚い問題集500問を毎日解いていた。彼が言うのには「解答できなかったのは2問だけだった」と言ったので驚きました。小生の場合は解答できるのは2問くらいの難問集です。

彼はある宮大工の息子で中学生の家庭教師をしていました。息子は遊んでばかりでなかなか勉強に身が入らないのを父親が心配しました。それで夏休みの1ケ月を息子のために伝手がある比叡山延暦寺の宿坊を借りました。ここなら山の中で遊びに行くところがないので勉強がはかどるだろうとのことでした。そしてM君がつききりで勉強の面倒を見てくれとのことでました。M君は破格の授業料をもらったそうです。しかし、彼は「朝から晩まで中学生相手に山中の宿坊にいるのは飽きる。やることは中学生相手にキャッチボールしかない。それで小生に「遊びに来ないか」という誘いがありました。小生はケーブルカー(標高差567mで日本一)で宿坊に様子を見に出かけました。今は宿坊は高級ホテルのようですがその当時は普通のお寺でした。小生は一日いたのですが夕方に「何もすることもなく飽きた。歩いて山を下る」と言いました。M君は「もうケーブルカーは終電がないよ。一人で山を下るのは危ない。泊っていけ。徹夜で囲碁でも打とう」と言ってくれました。小生は少々無謀と思ったが「今夜は満月で明るい大丈夫だ」と肝試しのつもりで下山しました。山の地形からおおよその道は分かっていました。(※ 比叡山の標高は約848m。麓の京阪電車の駅のある坂本が約166m。標高差682m) 続く

今週の一花 熱帯香りミニスイレン ‘ドウベン’

 熱帯香りミニスイレン‘ドウベン’