4月25日(土)は大雨で茨城に帰るのをあきらめ、会社で仕事をしました。翌日、朝早く茨城に帰りました。
朝からやや寒いながらもよく晴れていました。ニワトリに餌をやらなければならないと、急いで鳥小屋に行くと、鳥小屋の周りをものすごい数の虫が飛んでいました。「ウワーこれは何だ!」一瞬、ニワトリが死んでハエがたかっているのかと思いました。しかし、虫たちがだんだんと梅の木の下に集まっていきます。覗いてよく見ると日本ミツバチでした。分蜂したものがそこに集まっていたのです。「シメタ!」と思いました。
日本ミツバチは我が家の壁面の裏に巣を作っています。このハチの蜜は壁を壊さないと採れないのであきらめていますが、いつかは分蜂するだろうと新しい巣箱を作っておきました。
まず、家に戻り、帽子とビニール袋を頭からかぶり、虫取りを網を持ち、巣箱に蜂蜜を塗り、底に板を敷き、おそるおそる網ですくって巣箱に入れました。しかし、ビニール袋をかぶっての作業はやりにくく、どこに女王蜂が居るかわかりません。そこでビニール袋を脱ぎ捨て、軍手をして、手で直接ミツバチをすくって箱に入れました。頭の周りはワンワンワンとハチだらけです。それでも幸いにも刺されることはありませんでした。
巣箱をそのままにしておき、小1時間ほどして見に行くと梅の木にはハチは一匹も居ません。「逃げられたかな」と思い巣箱の中を覗くとハチ達は一塊になっていました。「ニホンミツバチ捕獲成功!」と心の中で叫びました。
巣箱を直射日光の当たらない木陰に移し、巣箱にふたをして、底に板切れでハチの出入り口を作りました。観察しているとハチが出たり入ったりしています。日本ミツバチは気に入らないとすぐに逃亡すると言われています。ハチが出て行くばかりでは「まずいな」と思いましたが、入るハチもいるので一安心しました。この群れは4日ほど巣箱にいるので、逃亡はしないだろうと思っています。
しかし、ニホンミツバチ騒動はこれで終わりではないのです。
4月29日(昭和の日)、この日も朝からよく晴れて暖かい日でした。花の写真を撮ろうとして、芝生の庭に行くと、また、大量の虫が飛んでいました。今度は、すぐにミツバチだとわかりました。26日に獲ったミツバチが「逃げたか?」と慌てて巣箱に行くとハチ達は穏やかに出入りをしていました。飛んでいるのは新しい分蜂した群れだとわかりました。どこに集まるだろうと見ていると裏の林のコナラの木の5、6メートルの高さの所に群がりました。
今度は高い所なので困りました。「焦るな」と心に言い聞かせて、まず園芸支柱をつなぎあわせて長い虫取り網を作りました。しかし、2群も分蜂することを想定していないので獲ったハチを入れる巣箱を用意して居ません。困ったなと思い、何か巣箱になるものがないかと探すと土管がありました。これを木陰に移動して巣箱にすることにしました。高い脚立を使わないと捕虫網だけではハチの群れに届きません。コナラの下はササ薮で足場が悪いので転落する危険があります。仕事が忙しいので妻も息子も東京におり私一人です。「まあ落ち着け」と思い、脚立から転落した時危険なので鉛筆など尖ったものをポケットから出し、緊急連絡用の携帯電話を持ちました。脚立を上がり捕虫網をハチの群れに近づけました。何とか届きますが捕虫網が長いのでふらふらとして不安定でなかなかうまくいきません。それでも2,3度ハチをすくって土管に入れました。4度目に脚立からついに転落しました。最初から危険を想定していたので大事には至りませんでした。5度、6度とやっていると「痛ててて」ついにオデコを一発刺されてしまいました。土管に入れたたハチはすぐに皆逃げてしまいました。
これは失敗かなとあきらめかけた時、ハチがいっせいに飛び出し、天空がハチだらけになってしまいました。女王蜂が群れを荒らされるのを嫌って、場所を変えようとしたらしいのです。どこか、遠くに行ってしまうのかと見ていると今度は庭のヤマブドウの幹に集まりはじめました。今度は地上20センチの所でした。「これでいただき」と思いましたが、しかし、重い土管をここまで運ぶのは大変です。何か巣箱になるものはないかと探すと都合の良いことに、寄せ植えの徳原先生が作った撮影台を発見、少し小さいがこれを巣箱にすることにしました。
巣箱に蜂蜜を塗って、後は前の群れと同じようにハチを移動させました。女王蜂が巣箱に入ったと見えて、後のハチたちもゾロゾロと自動的に巣箱に入りました。
短期間に2群もニホンミツバチをゲットできたのはラッキーでした。逃亡しないように願っています。
最初の群れをA群、後をB群と名づけました。
4月228日(火)はカツラの花の撮影をしようと筑波実験植物園に出かけました。途中でレンゲ畑を発見。筑波山をバックに撮影しました。関東北部でレンゲ畑を見るのは珍しいことです。
カツラは残念ながら花は終わり小さな実になっていました。
帰りに腹が減ったので、遅い昼飯を食おうと思って、ラーメン店の駐車場に入れようとした時に歩道脇に小さなピンクの花がたくさん咲いているのを見つけました。一瞬、マンテマだなと思いました。マンテマは以前、富山の雨晴海岸と滋賀県の野洲川の川原で見て以来久しぶりで、こんな所で出会えるとは懐かしいなと思いました。
車を降りてよく見てみると記憶しているマンテマと様子が少し違います。多少ガッカリしました。写真を撮り図鑑を見ても、マンテマかマンテマモドキなのか良くわかりません。マンテマのような気もするのですがピンクの地と白の覆輪がはっきりしません。
今年も私が卒業した滋賀県立膳所(ぜぜ)高校から同窓会のタブロイド新聞「JUNGIDO」(遵義堂)が送られてきました。それに今年の主要大学合格者人数の報告がありました。主な大学合格者数を抜粋すると「京都大学45名、大阪大学42名、東京大学7名、そのほか国立、公立多数。私立では立命館大学273名、同志社大学102名、早稲田大学22名、慶応大学7名、そのほか私大多数」でした。私が卒業した日本大学にはたったの1名でした。私は芸術学部写真科卒ですが、日芸も最近は作家、コメンテータ、芸能人などたくさん活躍する人が出てきました。しかし、膳所高校では日大はあまり主要な大学と思っていないフシがあります。
膳所高校は田舎の滋賀県立高校ですが大学入学率は高く、公立では関西でトップクラスではないかと思っています。私は学業最下位入学、最下位卒業ですが、それでも心の隅で膳所高卒を誇りに思っています。あまり学風は好きではありませんが。