はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

奥穂高岳へ

2010-08-26 12:12:16 | 女の気持ち/男の気持ち
 十数年前、上高地を旅した。河童橋から見た残雪輝く穂高連峰は美しい風景画として強く脳裏に残った。観光客の中に重いザックを背負った登山者もいたが、山登りに何の興味もなかった私には、ただの行きずりの人でしかなかった。
 ところが定年後、人生は想定外の方向へ動き、今年私はその行きずりの人となって、日本で3番目に高い奥穂高岳を目指していた。
 テレビや写真で何度も見た涸沢カールを目の前にして足がすくむ。吊尾根の上は果てしなく青い天空。深呼吸をし、雪渓を踏みしめ、これから登る岩の峰を仰いだ。
 6年前の私は近くの里山に息切れし、1年たっても久住山にも登れなかった。何がそうさせたのか、夫の足手まといになりながら、私の山歩きは続いた。毎日のウォーキングも欠かさず、3年目には体重8㌔減。持病の腰痛も消えた。九州の山々を中心に歩き、山数は400座を超えた。
 中高年の登山事故が報じられると、「私はどうか」と振り返る。万全の準備、体力の範囲内、この鉄則を守り、ここまでやってきた。
 「今年こそ、あの山へ登ろう」と心に決め、春からトレーニングをし、山岳保険にも入った。
 そして夢はかなった。
 久住山にさえ登れなかった私。その同じ私が、3090㍍の岩の峰に今、確かに立っている。
 ゆっくり喜びがわいてきた。
  福岡市 吉次美穂香(66)2010/8/26 毎日新聞の気持ち欄掲載

硫黄島遺骨 収集早く

2010-08-26 12:10:20 | 岩国エッセイサロンより
2010年8月26日 (木)

岩国市   会 員   横山 恵子

 8月は原爆の日、終戦の日と、まさに祈りの月だ。14日付の夕刊I面の硫黄島ルポ「漆黒の地下壕いまだ眠る1万の遺骨」を読み、ええっ戦後65年もたつのに1万人もの遺骨か眠っておられるのかとショックを受けた。

 日本兵が立てこもった硫黄島の地下壕は、わずかな時間でも人間が耐えられるとは思えない場所。そこで約2万人の日本兵が命を落とし、今も1万人以上が遺骨のまま眠る・・・。その地を、この7月、遺族たちが訪れて黙々と収集を続け、遺骨や目用品などを次々と運び出したという。

 4歳で死別した父親に思いをはせる人の「わたしの願いはこの島で安らかに眠っていただくことではない。水もない灼熱の地で戦い、まだ熱い壕の中で眠っているご遺体を一刻も早く本土にお連れしたい」との言葉に目頭が熱くなった。

 その思いを一日も早くかなえてあげてほしい。お国のためと戦い、家族を思いつつなくなられた人たちや遺族の無念さを思う時、戦争のない平和な世の中をつくっていくのが、私たちの役目だと思う。

  (2010.08.26 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載

月遅れの七夕に

2010-08-26 11:47:54 | はがき随筆
 夏休みで遊びに来ていた孫と月遅れの七夕を飾った。ご機嫌で七夕の歌をうたっていた孫が「きゃっ」と跳びのいた。
 そこには不要なブロックが積んであった。そのブロックにセミの幼虫が羽化の途中で力尽きていた。地表からわずか20㌢ほどの高さ。やっとの思いで、はい出るや羽化が始まったのか。殻から半身がのけぞり出て、まだ縮こまったままのうす緑色の羽。「お空をとびたかったよね」。こわごわ見ていた孫が言った。「くうちゃんは元気で大人になってね」「うん、大きくなってお嫁さんになる」
 孫の願いが短冊に揺れる。
  出水市 清水昌子(57) 2010/8/26 毎日新聞鹿児島版掲載 写真はフォトライブラリ