はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

霧島国際音楽祭へ

2010-08-05 22:46:09 | アカショウビンのつぶやき
 鹿児島の夏は、霧島国際音楽祭で始まる。
 
明日は、「能舞台で聴く<四季>とチェロの響き」コンサートに行ってきます。

能舞台でクラシックを聴く……って、どんな響きなのだろう。
曲目は、ヴィヴァルディの四季とドヴォルザークのチェロ協奏曲。
2曲とも、ポピュラーな曲なので、肩を張らずに楽しめそう。



室内楽が好きだった夫は、気に入ったプログラムを選んでは、大学在学中の子供たちの帰省に合わせ、霧島国際音楽祭に行くのが夏の一番の楽しみだった。
当時は霧島のホテルで開催されていたので、コンサートを楽しみ温泉に入り、親子でテニスに興じる。と言うのがおきまりのコース。

待ちに待った<みやまコンセール>開館の翌年に、彼は旅立ってしまったので、残念ながら、みやまコンセールには一度行ったきりだった…。

彼の最期は、リスニングルームにベッドを入れ、好きな音楽に囲まれて旅立ったが、今もどこかで聴いているのだろうか…。


霧島国際音楽祭も当時とは様変わり…。

メイン会場は<みやまコンセール>だが、鹿児島市や地方の町、教会コンサート、かがり火コンサート、管の祭典、ワンコインコンサートと盛りだくさんのコンサートが続き、8月8日のファイナルコンサートで幕を閉じる。


今年の音楽祭は私にとって記念すべきコンサートとなりそう。
コミュニティーFMで放送した番組が取り持つ縁で、番組出演者・卓也くんと、チェリストの堤剛氏とのご対面が叶うことになった。本当に夢のような話。

いよいよ明日に迫った。
私まで興奮気味ですが、行って参ります。

「苦い思い出」

2010-08-05 22:43:41 | 岩国エッセイサロンより
2010年8月 2日 (月)

   岩国市  会 員   檜原 冨美枝

 「アーン、アーン。なんで起こしてくれんじゃったん」。二男は泣き叫んだ。今年こそは完全無欠を決めていたらしいが、親の不注意で遅れ、近くの小学校の校庭ではすでにラジオ体操が高らかに鳴り響いていた。

 子供心にも初日が大事と考えていたのだろう。家族8人の朝食の準備に追われて、気が付けば約束の時間を過ぎていた。いくら謝っても聞き入れない。大切な子供心を踏みにじった親の責任は重い。

 ついに祖父母の提案で、動物園行きの約束をし、何とかことなきを得た。50年前の夏の日の暑い思い出。
  (2010.08.01 毎日新聞「はがき随筆」掲載 岩国エッセイサロンより転載

消えぬ記憶

2010-08-05 22:28:11 | ペン&ぺん
 女の人の手を、必死に握りしめた。
 首までつかる泥流の中、片腕で電柱を抱いていた。水の深さは、彼女の身長を超えていた。息をとめて潜水するようにして、より高台にある電柱を目指す。「行くよ」と声をかけながら。
 流れは急だ。所によっては、渦を巻いている。見上げると、マンション3階のベランダから手招きする人がいる。「こっち、こっちへ」。助けようと叫ぶ声。
1993年8月6日。世に言う8・6水害である。
   ◇
 その日の夕刻。甲突川近くの食堂にいた。店には、そこそこ客がいた。
 甲突川氾濫の知らせが入り、店外へ避難することに。店の人の誘導で外に出ようとするが、ドアが開かない。すでに雨水が押し寄せ、ドアの外から水圧がかかっていたからだ。
 何人か力を合わせて、ようやくドアが開く。店内にどっと水が流れ込む。女性客の悲鳴。押し流されるテーブル。記憶は断片的だが、一つ一つは奇妙なほど鮮明だ。
 一気に水かさが増し、ひたすら避難すべき場所を探す。ちょうど大久保利通の像のあるあたり。そこが、わずかに土地が高く、避難した人であふれた。みな表情を失い、ずぶぬれだった。疲れ切って途方に暮れていた。
    ◇
 以上は、深夜、帰宅途中のタクシーの中で、運転手さんから聞いた体験談である。
 鹿児島支局が入っている鹿児島市西千石町のビルにも、8・6水害を示すものがある。1階駐車場の壁。そこに「H5・8・6」と書かれ、浸水した雨水の高さを示す赤いラインが引いてある。地面から56㌢。私のひざ上が水につかる位置だ。
 今年も8月6日が近づく。赤い線は、すでに薄く、所々消えかけたようにも見える。しかし、被害に遭った人たちの記憶は消えない。
 鹿児島支局長・馬原浩 2010/8/4 毎日新聞掲載

嬉しい雨

2010-08-05 17:42:14 | はがき随筆
 雨がやんだのを見計らってホームセンターに行った。買い物を済ませ、外へ出ようとしたら急にまた雨がザーッと降ってきた。傘も持たず、両手には、荷物をたくさん抱えている。走るに走れない……。困っているとホームセンターの女性の従業員の方が傘を一本差し出して「どうぞ使ってください。車まで荷物も持ちますよ」と笑顔。私のさした傘を受け取るとお辞儀をしながら「お気を付けて」。私も「ありがとうございました」とお礼。
 今流行のコンビニのマニュアル挨拶とは違う温かみを感じて嬉しかった。
  垂水市 宮下 康(51) 2010/8/5 毎日新聞鹿児島版掲載

夫婦モミの木

2010-08-05 17:31:15 | はがき随筆
 抜けるような青い空。やっと梅雨明けらしい。青い田んぼが広がる。旧家の庭に2本のモミの木が、寄り添い、背伸びをしている。青空に映えて本当に美しい。優に35㍍はあるだろう大木である。
 その2本のモミの木を「夫婦(めおと)モミの木」と呼び、私たち夫婦も、散歩の途中、元気をもらっている。モミの木も、この地に生を受けて何百年になるのだろう。私も、この地区に、ひとかたならぬお世話になり、57年目になる。この地域に育った多くの青少年たちを「頑張れ」と優しく静かに見送ってくれたことだろう。「将来に、幸あれ」と。
  伊佐市 宮園続(79) 2010/8/4 毎日新聞鹿児島版掲載