はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

前座

2010-08-16 18:59:07 | はがき随筆
 4年生の読み聞かせに野坂昭如さんの「火垂るの墓」を、と思いました。私が疎開児童として玉音放送を聞いたのも4年生時でした。
 直接話すことはためらわれるような記憶は、呼び出すことにも勇気がいる。
 しかし、それらは、私の中では決して消滅していないし、生きるための指針やエネルギーでさえある。であれば、次世代への参考として、蘇らせることはできないだろうか。
 それらを「お話し」に直接連動させることは、むずかしい。落とし穴もあるように思う。
  出水市 松尾繁(75) 2010/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載

「むかえ火の向こうで」

2010-08-16 17:39:13 | 岩国エッセイサロンより
2010年8月16日 (月)

岩国市   会 員  吉岡 賢一

 広島東洋カープをこよなく愛した父が亡くなって38年目の夏を迎えた。創設以来の熱烈なファンで、たる募金にも大いに協力し、球団を支えたのが自慢の一つだった。
 真空管ラジオに耳をくっつけるようにして実況を聞く。チャンスに打てなくて敗色濃厚になったり、電波事情でラジオの出が小さくなったりすると、壊れんばかりにラジオをたたいて八つ当たりもした。
 勝率3割を狙うのが精いっぱいの弱小球団に業を煮やしながらも野球はカープ一筋。絶対的な存在であった。
 勝てば自分の手柄のように喜び、負けたら一緒になって落ち込む。それでもまた次は必死に応援する。
 ファンというものは、ありがたいものだ。そんなファンに報いる活躍と結果をそろそろ残さなければ、本当にファンは遠のいてしまいそうだ。
 1975年初優勝の喜びも、それに続くカーフ第1期黄金時代も全く知らない父。迎え火をたいて歓迎しても、今年のカーブの成績を見たら「あのころと何も変わっちょん」と嘆くに違いない。ちなみ亡くなった73年は最下位だった。

  (2010.08.16 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載

もう限界ですね

2010-08-16 17:19:51 | はがき随筆
 膝関節のレントゲン写真を診ながら、先生が「もう限界ですネ、手術が必要です」。クールな声にうなづく。覚悟はしていても不安が走る。「手術は99㌫大丈夫です」。その一言でハッとして勇気をもらう。8年来の苦痛から解放され、元気になる希望だと心に言い聞かせる。妻の表情にも安堵感が見える。
 帰宅すると、雨に7回も散らされながら、そのたび花を咲き戻した庭のネムが満開に咲き乱れ、香りやさしく迎えてくれた。不意に、芭蕉の句『象潟や雨に西施(せいし)の合歓の花』が浮かぶ。
 このネムの強い生命力にあやかり、退院の日までと思う。
  鹿屋市 小幡晋一郎(77) 2010/8/15 毎日新聞鹿児島版掲載 写真はフォトライブラリより