はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

平和への祈り

2010-08-07 16:23:26 | アカショウビンのつぶやき
このページは長崎市在住おたくささまのおたくさ日記からお借りしました。
被爆後65年、戦争を知らない世代が多くなりました。
地球上から核兵器をなくすために、私たちがその悲惨さを語り継いでいかねばなりません。



1945年8月9日午前11時2分。
長崎は原子爆弾の投下をうけ、一瞬にして焼け野が原となりました。
戦後65年経っても被爆地の思いは届かず、核の脅威は広がるばかりです。
長崎から、“おたくさ”の思いを画像に込めました。
ご自由にお持ち帰りいただき、
多くの人に平和への関心を広めていただければ嬉しいです。m(__)m



平和祈念像

平和祈念像は被爆10周年にあたる1955年8月に完成しました。
垂直に伸ばした右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っています。
長崎の平和運動のシンボルとなっています。
(2010年)





平和の泉

水を求めながら亡くなった原爆被爆者の冥福を祈って、
1969年につくられました。
碑文には
『のどが乾いてたまりませんでした 
水には油のようなものが一面にういていました 
どうしても水がほしくてとうとうのみました』
と刻まれています。
噴水の形が変わるのは、平和の象徴とされる鳩の羽ばたきと、
「鶴の港」と称される『長崎港』をイメージしているそうです。
(2010年

退職記念に貰った似顔絵(副題;「よ」さんの似顔絵)

2010-08-07 16:07:31 | 岩国エッセイサロンより
2010年8月 6日 (金)

   岩国市 会 員   山本 一

7年前、二度目の東京勤務の時に定年退職を迎えた。岩国から妻を呼び寄せ、単身マンションの片付けをした後、横浜のランドマークタワーへ食事に行った。

展望台には似顔絵のコーナーがあり、数人の絵描きさんがいた。妻が学生風の小柄な女性に「主人の退職記念です」と言ってお願いした。似顔絵を描いてもらったのは、後にも先にもこれが初めてである。

今、その似顔絵は書斎のど真ん中にかかっている。肩を寄せ合い花束を持っていて、何だか気恥ずかしい。妻の大きなほくろやたれた目、私の糸を引いたような細い目など、よくこんなに特徴をつかんで描けるものだと感心する。いかにも仲が良さそうな、温かい感じの絵だ。「夫婦はこうあって欲しい」という作者のメッセージが感じられて、とても気に入っている。けんかしても、この絵を見ると仲直りできそうだ。

あの時の絵描きさんは、今どうしておられるのだろうか。「5年間の東京・横浜生活、おつかれさまでした!」と書いてあり「よ」というサインがしてある。「よ」さん、心のこもった絵を描いていただき、ありがとうございました。

  (2010.08.06 朝日新聞「声」掲載)岩国エッセイサロンより転載

「初体験」

2010-08-07 16:01:43 | 岩国エッセイサロンより
2010年8月 7日 (土)

岩国市  会 員   林 治子

動物病院で外耳炎ですかと聞く。診断の結果、そうではないと言われ、ホッとした。体重を量ることになった。柴犬のくせに用心深い。体重計に乗るかどうか心配。怖いのか、いくら引っ張っても動こうとしない。とうとう大声で「早う乗らんね」と一喝した。ビクッとして怖々と足を乗せた。やれやれ。

えっ、よく見ると右後ろ脚一本で踏ん張っているではないか。体重計が動くのを心配でストッパーをかけているつもりらしい。しっぽを握って引っ張り上げ、やっと乗せた。みんなの笑い声と拍手。得意そうな顔に変わっていた。
 (2010.08.07 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

「はんぶんこ」

2010-08-07 15:57:40 | 岩国エッセイサロンより
岩国市  会 員   吉岡 賢一

丹精して育てた収穫目前のスイカが何者かに襲われ、ほとんど食い荒らされた。初めての苦い経験だった。それから1週間、2番なりのスイカがまた大きくなりはじめている。

スイカ泥棒の鋭いつめや牙から守るため、金網で円筒を作り、その中に実と茎を入れてフタをした。全く罪のない青いスイカが、まるで罪人扱いだ。ここまでやっても、いったん味をしめた彼ら、次はどんな手を使って襲ってくるのか。

 おいしいものを食べたいのは、お互い様だ。少しだけでいい、孫にも味わわせてやってくれ。
 (2010.08.06 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載