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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

曹長青著 珠玲訳 「中国人に語ろう、われらチベット人の苦難を 亡命チベット人居住区を訪ねて(1)」 から

2011年11月15日 | 抜き書き
 〈http://toueironsetsu.web.fc2.com/QCao/QCao/cao48.htm

 映画《セブンイヤーズ・イン・チベット》では、あのオーストリア人の登山隊員が僧侶たちを指揮して映画館の建設予定地を掘り起こしていると、ラマ僧たちがミミズを見つけて工事を放棄してしまうのだが、最後にミミズたちを一匹一匹注意深く手にのせて別の土地に移してようやくまた工事が再開されるというくだりがある。スクリーンでラマ僧たちが一列に並んでミミズを掌にのせてまじめに運んでいくシーンには笑ってしまうが、ラマ僧は、仏教哲学においては万物はみなすべて輪廻転生すると考えられていると説明している。この土地にいるミミズも前世においては自分の母であったかもしれないのだ。ならばどうして鉄鍬で掘り起こして死なせてよいものか。(「幸運な魚とミミズたち」)

 The Economist の記事、また Uyghur American Association の記事を読んで、この曹氏のルポにある僧とミミズのエピソードを思いだす。ミミズを殺すのを肯んぜないと、「反革命」である。漢族にはそんな習慣も考え方もないからだ。自分たちにないから他人(他民族)にも認めない。彼らチベット僧はいまなら「分裂主義者」と呼ばれるところだろう。
 漢族の新疆のウイグル人に対する態度も、同じ。漢族は一日に五回礼拝しない。だからウイグル人にも止めさせる。言うことを聴かないと「分裂主義者」である。反抗の仕方がすこし荒いと「テロリスト」に“昇級”させる。そして相手は「テロリスト」なのだから、ということは(そもそも自分が勝手に貼ったレッテルなのだが!)、力づくでおとなしくさせてもまったく問題ないはずだと、わけのわからない理屈が進む。
 誇張でもなんでもない。本当にこんな程度だろう、事態は。私に言わせれば。単純といえば単純である。チベットでも新疆でも、現地の漢人の大方が異文化に無知・無理解・無同情というだけの話であるからだ。反対に、こんな簡単な状況を分からないほうがどうかしている。そう、私は思っている。よく言って善意の押し売りである。事態の責任を追うべきはいうまでもなく圧倒的に漢人(上は党・政府のお偉方から下は張三李四の老百姓まで)である。ただし私は、チベット人やウイグル人をまったき善人の被害者と言うつもりもない。

山口瑞鳳 『チベット』下 から

2011年09月22日 | 抜き書き
 2011年08月20日「中村元 『中村元選集』 2 「シナ人の思惟方法」」より続き。

 〔・・・・・・〕実体的時間を考察しない点は中観哲学史に見られる重大な欠陥と言うべきかもしれない。 (「第四章 チベットの宗教」「改革派の仏教」 本書297頁)

 そうですよね! 
 大分前のことになるが、ある中堅方のチベット研究者に、チベット仏教の「因明」の因(縁)果とアリストテレス以来の「形式論理学」の因果性はどう違うのかたずねたところ、「わからない」という返事だったので、自分で調べることにしたのだった。三支作法の「因」(因の三相)が、すくなくともよくあげられる山と煙の例では、質料因ばかりで動作因がない――つまり時間の観念がない――のはなぜなのかわからなかったことが、そもそもの発端だった。まだぜんぜんわからないが。

(東京大学出版会 1988年3月初版 1994年3月4刷)

「『中国の台頭、他の新興国に自信を与え伝統回帰を促す』―香港紙社説」 を読んで

2011年09月01日 | 地域研究
▲「レコードチャイナ」2011-09-01 06:02:14、翻訳・編集/AA。
 〈http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=53979

 まずはガリレオ以前の中世へレッツゴー! とりあえずは先哲のおられる春秋時代へ、国家体制としては前漢武帝の御代!!  しかし最終的にめざすは周公の居ます紀元前11世紀だ!!!
 ・・・というところであるか。
 文明(伝統)が断絶していないところは、伝統回帰となるとその発生の時点へストレートに戻ろうとするからおそろしい。イスラム復興(原理運動)がムハンマド生存時の時代に戻ろうとする(紀元6-7世紀への回帰)のもまたしかり。いったん途切れた文明は、書物を通じての復興だから皮膚感覚として失われていて、復興の時点での社会意識や個々人の心性(テクノロジーを含む)によって読みかえられている。ギリシア・ローマ文明がその良い例だ。キリスト教のファンダメンタリズムは、近代文明を知った上での拒絶である。そして、イスラム文明はさておき(これから勉強したいと考えている、ビンドゥー文明も同じ)とともに、中国文明(儒教・道教・中国仏教そして毛沢東思想)は、キリスト教文明と違って、過去において一度もまともに西洋近代と対決したことがない。なにもかも清朝と中華民国のせいにしてそれをひっくり返しただけだ。

 驚異的に馬鹿らしい(同時に空恐ろしい)ので、下に全文を掲げておく。

 2011年8月29日、香港紙・文匯報は社説で「近年の中国の台頭は、正常な歴史への回帰だ。中国は世界人口の5分の1を抱えている。歴史は長く、文化は深く、大国にならない理由がない。中国の台頭はほかの新興国家に自信を与え、自らの民族的伝統への回帰と、自身の特色と優位性の再発見を促すだろう」と述べた。中信網が伝えた。主な内容は次の通り。
 世界経済の先行きが不透明な中、外貨準備高を順調に増やしている中国は、世界経済成長の最大の貢献者といえよう。中国は昨年、日本を抜き世界第2位の経済大国となった。経済規模は改革開放前の100倍を超えた。急速な経済成長が国際社会の注目を集めたことは、非常に正常なことで、驚くべきことではない。かつて欧米列強の前に屈したこともあったが、中国は一貫して事実上の“大国”だった。今回の復活までこれほど時間がかかったのは、歴史的にはむしろ意外なことといえよう。
 中国の変化は、世界権力の再分配につながる。中国の指導者は現在、伝統と知恵を生かし、“平和的な台頭”の実現を目指している。いかに国際社会に入り込み、大国として大国と付き合い、変革に対する圧力を緩和するか。これらは全世界が共通して直面する課題だろう。もしかしたらカギはG8(主要国首脳会議)が握っているかもしれない。互いに忍耐をもって妥協を重ねることで、中国や新興国は満足を得られる。同時にそれは世界の新秩序の出現を意味するのだ。

大林太良編 『民族の世界史』  6 「東南アジアの民族と歴史」

2011年08月21日 | 地域研究
 インドシナで、中国式の科挙制度に基づく儒教国家体制を取ったベトナムを除き、残りの歴代王朝国家はインド式の国家体制だったという説明を、これまでに読んだ概説書でいくどか見た。ならばインド式の国家体制とはなにか。この本に簡潔な定義があった。(ただしこの本では「インド化」という言葉づかいになっている。)

 私は東南アジアの「インド化」というのは、正確にはグプタ文化の受容を意味するものと考えている。グプタ文化の受容にともなって、扶南国では王の名前が「・・・・・・ヴァルマン」といった形のサンスクリット名になった。この慣習は長く後世まで続いた。また扶南国ではシヴァ教のほかに大乗仏教もさかんに行われ、のちに中国に仏教が伝えられるさいの重要な基地となった。 (生田滋「第Ⅲ章 国家の形成と高文化」、本書172頁)

 グプタ文化とはグプタ朝(西暦320年-520年)時代に形成された、「古代インド文明の中核をなす」(同上)ものとされる。
 ではグプタ文化とは具体的には如何なる内容か。

 グプタ文化の特色はバラモンの宗教と文化が尊重されたことであって、サンスクリットが公用語とされ、四姓のなかでもバラモンだけがとくに重視される一方、他の三姓の間にはまだ階級意識の形成が明確でないし、後世のようなカースト制度もまだ確立していなかった。また宗教的な面ではシヴァ神の信仰(シヴァ教)が重要とされる一方、大乗仏教も並行してさかんに行なわれ、『マヌの法典』や『アルタシャストラ』のような政治的・社会的規範が重要視されていた。 (同上)

 グプタ文化のこうした特長は、そのまま東南アジアで受け入れられたインド文明の特長といってもよい。 (同上)

 以下は余談。「第Ⅰ章 東南アジアの自然・人種・言語」(高谷好一/尾本恵市/三谷恭之)を読んで。
 ベトナム語がオーストロアジア語族というのはあるいはそうかもしれないとは思えるが、しかし、ベトナム語が本来持たなかった声調はタイ語からの影響によるという説明は納得できない。紀元前2世紀末から紀元10世紀前半まで約1,000年にわたり直轄支配され、さらにはそれ以後もたえずそこから移民が流入してきていた(王家がその出身だったこともある。莫朝〈1527年-1677年〉)中国の、漢語の影響と考えるほうが自然だし当然でもないのだろうか。しかしそれを漢語ではなくタイ語とするのはむろん学問的根拠があってのことであろうから、素人にもわかるように、簡単にでもその根拠を示してほしかった。それがなくて結論だけではちょっと受け入れがたい。オーストロアジア語族という結論もまた同じく。
 
(山川出版社 1984年5月)

中村元 『中村元選集』 2 「シナ人の思惟方法」

2011年08月20日 | 人文科学
 2011年04月30日「中村元 『決定版 中村元選集』 2 「シナ人の思惟方法 東洋人の思惟方法Ⅱ」 その2」より続き。

 ネットの古本屋で注文したら、決定版ではなくて旧版のほうだった。しかし論旨の大きな骨格にほとんど差はない。
 「第三節 抽象的思惟の未発達 〔四〕インド論理学の畸形的受容」(45-53頁)から以下摘約。

 1)中国語(古代漢語)に訳出されたインド仏教の因明(論理学)関連の経典および書籍はほんの数種で、しかも入門書程度のものばかりだった。本格的な研究書は一冊も訳されていない。しかもその注釈は、論旨を理解していない、単なる語句の意味の説明か、生半可な理解による根拠のない敷衍だったりする。その好例が慈恩大師窺規(玄奘の弟子)の『因明入正理論疏』である(中国にはじめて体系だったインド論理学の書をもたらしかつ漢語に訳出してその研究の機運を築いたのは玄奘である)。彼は三支作法(西洋の三段論法にほぼ相当する)の何たるかがわかっておらず、その三支(=三段)を構成するそれぞれの命題が論理的にどう関連しているのかがまったく理解できていなかった。その結果、「原因(質量因もしくは形相因)は結果の中にあることもあり、ないこともある、そもそもそれは原因ではないかもしれない、結果ではないかもしれない」などと無意味な調子だけの美文を「同品定有性(媒概念不周延のルール)」の“注釈”としてかきしるしている。それどころか、窺規は、三支作法の三が、この論法が宗・因・喩の三命題から成るからであることすら理解できておらず、因と喩の下部分類であるところの同喩と異喩で三と思っていた。そもそも師匠で鼻祖の玄奘すら因明についてよく理解できていなかったらしい。彼は――ことさらに西洋の三段論法の概念と用語を用いて説明するとすれば――、大前提・小前提(宗・因)と結論(喩)の区別がついていなかった。だから、相手の同意していない自分の主張を平気で前提としてもってくるようなことをした。

 2)その一方で、中国仏教においては、知識の根拠やその妥当性について追究したインド論理学における認識論関連の書籍がまったく翻訳されていない。インド論理学を大成させたダルマキールティ(玄奘のすぐ後の人)は、人間の知識の成立する根拠を感覚と思惟(推理)のみとした。ところが中国の仏教僧は、ダルマキールティの論理学関連の著作をまったく翻訳・研究しなかった。この点に関し、インドの因明学者と中国の因明学者の決定的な違いは、中国の因明学者は、経典も経典たるだけの理由で根拠として数えたことである。経典に書いてあることはそれが経典にかいてあるかゆえに権威でありそれだけで真であり正であるという尚古主義のゆえである。

 内容の理解度については、いまだあまり自信がない。
 これら2点の問題に関して、中国研究界では誰かこれまで研究しているのだろうか。なぜ経典に書いていることはすべて真であり正しいのかという質問に答えられないであろう彼らの頭脳は、思考停止しているし、論理的でもない(権威に訴える論証)。思考停止していて論理的でないから権威に訴える論証を正当な論証として見なすのか、それとももともと権威に訴える論証を認める思考形式をしているから、結果として思考停止しているし論理的でもないのか。現今の中国人(漢人)の思考様式にもこの奇形的な思惟がいまだしばしば見られることを考えるとき、これは興味ある課題と思える。

(春秋社 1961年12月第1刷 1978年6月第11刷)

「ウィキペディア」「チベット料理」項を見る

2011年08月02日 | 地域研究

 〈http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E6%96%99%E7%90%86
 
 「ウィキペディア」はいっときに比べたら主観的すぎる記述が少なくなった。それはそのかわり、脇が固くなって、野放図さというか面白味が減じたということでもあるけれど。概してずいぶん水準が上がって、論文などにも使える――またはそのとば口として引用文献欄を利用できる――ようになったと思う。私も、随分仕事でつかわせてもらった。そうして利用させてもらって書いた私のブログの記事が、今度は「ウィキペディア」の関係項目欄で反映されていくのを見るのは面はゆくもある。
 「チベット料理」欄は、それとは関係ない。こんな項目はあるかな、と思って試しに字を打ち込んでみたら見事あったので驚いた次第である。10年余り前、チベット関係の勉強と翻訳をしていたときに、チベット人の日常を知りたくなって、衣食住すべてをできるだけ調べた時期があった。日本人むけにアレンジしていないチベット料理の店があると聞いて食べに行きもした。ツァンパ、バレ、トゥクパ、テントゥク、モモ、ジャ、全て試した。そこで食べたツァンパは、バターで練ったはったい粉のニョッキという感じであった。ジャ(バター茶)は、美味しかった。ただ、全体的に、チベット料理というのは味が淡泊というか、香辛料があまりつかわれていないのかな、すこし食い足りないなという印象を抱いた。だが今回、「ウィキペディア」の「チベット料理」項を見て、やはりそうかと納得した。(以前の「ウィキペディア」は、少なくとも私の知るかぎり、声(価値評価と毀誉褒貶)ばかり高くてこのような中身の充実性に乏しかったような気がする。どうだろう。)
 いますぐではないが、「今後のやるべきこと」の優先順位の何番目かに、チベット亡命政府と学堂のあるダラムサラへ行って、チベット仏教のある分野についての研究をする」というテーマがあるので(くわしくいうとまたパクられるので詳細は伏せる)、そろそろまたチベットについて勉強を再開しようかなと思っている。チベット語は、現地で学ぶことにする。南方熊楠や井筒俊彦のような天分のない私には、日本に居るいまの状況下では、英・露・中・古代漢語の維持で精一杯だから。

 追記。あまり関係ない話だが、某酒屋チェーンで売っているチベットのビール(正確には発泡酒)はうまい。夏バテ気味の時に Coors Lite のような軽い味と、それから基本的にホップの効いたビールが好みの人には、うまいと思う。

「『子供っぽく愚かしい』=中国政府を酷評-ダライ・ラマ」 を読んで

2011年07月23日 | 思考の断片
▲「時事ドットコム」2011/07/23-14:44。(全)
 〈http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011072300171

  【ワシントン時事】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は23日までに、米誌ローリング・ストーンとのインタビューで、自身を「悪魔」や「法衣を着たオオカミ」に例えた中国政府について、「子供っぽくて非常に愚かしい」と批判した。
 ダライ・ラマは、中国政府がダライ・ラマの悪評を広めようとして、こうした表現を使っていると指摘。ただ、「実際には赤恥をかいている」と述べるとともに、「誰も彼らを信じていない」と切り捨てた。


 理由を示さないから。いきなり「お前のかあちゃんデベソ」では、「子供っぽい」といわれても仕方がない。さらに、私に言わせれば、理由をよう示せないから。だから「非常におろかしい」。たしかにこれは、愚かしいでしょう? “ならぬ事はならぬものです”。会津藩か。“お先師がいいやったから”。薩摩藩か。
 ただし、自分が愚かしいことを承知していないから赤恥をかいていることも分からないというほか、分かっていても、利害関係も信義の関係もなにもない赤の他人になにをどうおもわれようと勝手、別に信用などしてもらわくても結構、というところもあると思う。

「中国:ダライ・ラマの分離活動を非難…チベット主席」 から

2011年05月21日 | 抜き書き
▲「毎日jp」2011年5月19日20時40分、北京・米村耕一。(全)
 〈http://mainichi.jp/select/world/news/20110520k0000m030058000c.html

 中国チベット自治区のバイマ・チリン主席は19日記者会見し、チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世が3月に政治活動からの引退を表明したことについて「引退後に何をするかは、チベットにある程度の影響を与える」と認めた上で「(中国からチベットを)分離させる活動をやめ、仏教に集中するならばチベットには良いことだ」と強調した。 (太字は引用者)

 学習能力に欠けている人

梶山雄一ほか著 『講座大乗仏教』 9 「認識論と論理学」

2011年04月28日 | 人文科学
 著者は、梶山雄一・桂紹隆・戸崎宏正・赤松明彦・御牧克己・宮坂宥勝・川崎信定・長崎法潤の各氏。

 ダルマキールティの認識論と論理学(因明)について学ぶ。

 それでは、かれ〔ダルマキールティ〕が認めた、論理的必然性を確定する根拠とは何か。かれはそれを実在における関係のうちに求めた。「同一関係」〔チベット語略。以下同じ〕と「因果関係」〔略〕がそれである。この両者は、あわせて「実在の本質〔略〕を介する結合関係」〔略〕といわれている。というのも、前者の「同一関係」は、「AがBの本質〔原文傍点、以下同じ〕そのもの〔略〕であること」であり、後者の「因果関係」は、「A(結果)の本質はB(原因)から生じるということ」だからにほかならない。 (赤松明彦「Ⅳ ダルマキールティの論理学」本書186頁)

 しかし、さらにこう尋ねたらどうであろうか。「そのような、同一関係とか因果関係とかいったものは、いかにして認識されるのか、何によって確証されるのか。それらは経験によって知られるものなのか、それとも先験的な原理なのか」と。ダルマキールティの論理学の主題は、推理論においてはこの点にしぼられることになる。 (同、188頁)
 
 後者については、その重要性がわかる。
 だが前者については、よくわからない。「同一関係」においてはまだしも、「因果関係」においては、原因と結果のあいだの関係には時間的経過――原因が前にあり結果は後という――は考慮されているのだろうか。こういう安易な当てはめはよくないが、アリストテレスの四原因説でいえば、この「因果関係」における「原因」は、もっぱら「質料因」だけを意味するようにも思えるけれど、どうなのだろう。
  
(春秋社 1984年7月)

Georges B.J. Dreyfus 『Recognizing reality』

2011年04月27日 | 人文科学
 副題「Dharmakīrti's philosophy and its Tibetan interpretations」。
 西洋人が西洋人の思考形式(西洋論理学)でインド人・チベット人の思考形式(仏教論理学)を分節し、できるだけ肉薄し、理解しようとしたという印象。文句なしの力作であり、知識は該博、思考は周密だが、終始隔靴掻痒の違和感が繞きまとう。

(Delhi : Sri Satguru Publications, 1st Indian ed., 1997)