〈http://toueironsetsu.web.fc2.com/QCao/QCao/cao48.htm〉
映画《セブンイヤーズ・イン・チベット》では、あのオーストリア人の登山隊員が僧侶たちを指揮して映画館の建設予定地を掘り起こしていると、ラマ僧たちがミミズを見つけて工事を放棄してしまうのだが、最後にミミズたちを一匹一匹注意深く手にのせて別の土地に移してようやくまた工事が再開されるというくだりがある。スクリーンでラマ僧たちが一列に並んでミミズを掌にのせてまじめに運んでいくシーンには笑ってしまうが、ラマ僧は、仏教哲学においては万物はみなすべて輪廻転生すると考えられていると説明している。この土地にいるミミズも前世においては自分の母であったかもしれないのだ。ならばどうして鉄鍬で掘り起こして死なせてよいものか。(「幸運な魚とミミズたち」)
The Economist の記事、また Uyghur American Association の記事を読んで、この曹氏のルポにある僧とミミズのエピソードを思いだす。ミミズを殺すのを肯んぜないと、「反革命」である。漢族にはそんな習慣も考え方もないからだ。自分たちにないから他人(他民族)にも認めない。彼らチベット僧はいまなら「分裂主義者」と呼ばれるところだろう。
漢族の新疆のウイグル人に対する態度も、同じ。漢族は一日に五回礼拝しない。だからウイグル人にも止めさせる。言うことを聴かないと「分裂主義者」である。反抗の仕方がすこし荒いと「テロリスト」に“昇級”させる。そして相手は「テロリスト」なのだから、ということは(そもそも自分が勝手に貼ったレッテルなのだが!)、力づくでおとなしくさせてもまったく問題ないはずだと、わけのわからない理屈が進む。
誇張でもなんでもない。本当にこんな程度だろう、事態は。私に言わせれば。単純といえば単純である。チベットでも新疆でも、現地の漢人の大方が異文化に無知・無理解・無同情というだけの話であるからだ。反対に、こんな簡単な状況を分からないほうがどうかしている。そう、私は思っている。よく言って善意の押し売りである。事態の責任を追うべきはいうまでもなく圧倒的に漢人(上は党・政府のお偉方から下は張三李四の老百姓まで)である。ただし私は、チベット人やウイグル人をまったき善人の被害者と言うつもりもない。
映画《セブンイヤーズ・イン・チベット》では、あのオーストリア人の登山隊員が僧侶たちを指揮して映画館の建設予定地を掘り起こしていると、ラマ僧たちがミミズを見つけて工事を放棄してしまうのだが、最後にミミズたちを一匹一匹注意深く手にのせて別の土地に移してようやくまた工事が再開されるというくだりがある。スクリーンでラマ僧たちが一列に並んでミミズを掌にのせてまじめに運んでいくシーンには笑ってしまうが、ラマ僧は、仏教哲学においては万物はみなすべて輪廻転生すると考えられていると説明している。この土地にいるミミズも前世においては自分の母であったかもしれないのだ。ならばどうして鉄鍬で掘り起こして死なせてよいものか。(「幸運な魚とミミズたち」)
The Economist の記事、また Uyghur American Association の記事を読んで、この曹氏のルポにある僧とミミズのエピソードを思いだす。ミミズを殺すのを肯んぜないと、「反革命」である。漢族にはそんな習慣も考え方もないからだ。自分たちにないから他人(他民族)にも認めない。彼らチベット僧はいまなら「分裂主義者」と呼ばれるところだろう。
漢族の新疆のウイグル人に対する態度も、同じ。漢族は一日に五回礼拝しない。だからウイグル人にも止めさせる。言うことを聴かないと「分裂主義者」である。反抗の仕方がすこし荒いと「テロリスト」に“昇級”させる。そして相手は「テロリスト」なのだから、ということは(そもそも自分が勝手に貼ったレッテルなのだが!)、力づくでおとなしくさせてもまったく問題ないはずだと、わけのわからない理屈が進む。
誇張でもなんでもない。本当にこんな程度だろう、事態は。私に言わせれば。単純といえば単純である。チベットでも新疆でも、現地の漢人の大方が異文化に無知・無理解・無同情というだけの話であるからだ。反対に、こんな簡単な状況を分からないほうがどうかしている。そう、私は思っている。よく言って善意の押し売りである。事態の責任を追うべきはいうまでもなく圧倒的に漢人(上は党・政府のお偉方から下は張三李四の老百姓まで)である。ただし私は、チベット人やウイグル人をまったき善人の被害者と言うつもりもない。