goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

鎌田茂雄 『中国仏教史』

2011年04月26日 | 東洋史
 因明(仏教における論理学・認識論)のことが殆ど出てこない(241頁にそれを題とする法相宗関連の書名のみ見える)。中国仏教では法相宗以外、本当に因明をまったく研究もしなければ学びもしなかったのか。まさか。

(岩波書店 1978年9月)

中村元 『決定版 中村元選集』 2 「シナ人の思惟方法 東洋人の思惟方法Ⅱ」

2011年04月25日 | 人文科学
 漢訳仏典から見る限り、歴代の中国人(著者の用語に従えばシナ人)は、本来、名詞の“複数形”と“その他”をどちらも「・・・等」と表現し、その区別をすくなくとも言語上では十分に行うことができなかったという。サンスクリット語を漢訳するにおよんで「この両者が別の意味であるということを、はじめて自覚するにいたった」(「第3章 抽象的思惟の未発達」本書52頁)。
 
 シナの仏教学者たちは、「牛ども」というような場合の「等」を「向内等」といい、「牛ども馬ども羊ども」を「牛等」という場合の「等」を「向外等」と呼んでいる。しかしそれは仏教学者たちのあいだだけで区別されていたにとどまり、一般シナ民衆の思惟方法に論理的厳密性をあたえることには、ついに成功しなかった。 (同上)

 これは現代中国でもそうで、普通話(共通語)で名詞に「等」をつけると、それがその前にある名詞の複数という意味なのか、それともその他の意味なのか判然としない場合が多い。
 さらにおそらくそれに関連することだが、「包括」という言葉が、「・・・はその内容として例えば・・・を含む」という用法と、「・・・は・・・から構成される」と、二つの用法がある。それがどちらの意味で使われているかは、字面からではわからない。語られている話題や事情についての背景の知識がないと分からないのである。これは英語でいえば include と consist of が一語で示されているようなものである。このふたつは全く違うことがらなのだが。
 このことに関連して、吉川幸次郎氏は、中国人(たとえば清代の考証学者)が何かの例を列挙するのは、思いつくままにこれ、あれ、またそれもと挙げているだけであり、その対象となる何かが全体としていったいいくつの事例から成るのかについてはあまり考えないようだという旨述べたことがある(『中国文学対談』「中国文学の世界性」。桑原武夫氏との対談)。
 さらに中村氏の言を引く。

 〔シナ人は〕自然と一体になり、人間を宇宙自然の一部とみなす陶酔的な感情が支配的であるので、自然を人間に対立的なものと見なしてそれを実験的に観察する精神が弱かった。古来シナ人は宇宙自然の事象を陰陽の二原理で説明する傾向が歴史的に根強いが、それはもろもろの事象をほしいままに陰または陽に配当しているのであって、自然科学的な基礎にもとづいているのではない。だから易学は、自然科学を発達させなかった。そうしてこの点がシナが近代世界において遅れをとったもっとも大きな理由である。中華人民共和国の指導者たちはこの点を賢明に見抜いていて、遅れをとりかえすべく懸命になっていると思われる。 (「第11章 自然の本性の尊重」本書315-316頁)

 私は、少なくとも江沢民氏は見抜いていなかったと思う。あるいは、見抜いていないふりをして、同じく見抜いていない保守派の支持を得て、得つづけるためにそのふりを続け、あまつさえ国民全部が見抜けなくなる方向へ国家あげての宣伝(“愛国主義”という名の無批判な伝統回帰・讃美)を行ったと思っている。ある中国人の友人が、長い目で見て江沢民は中国の歴史上「正面人物」に入れられない可能性がわりあい高いと言っていた(つまり「反面人物」になりかねないということだ)。言った本人はそういう意味ではなかったと思うが、今にして考えると、こういう見方からでも十分に通る意見だと思う。

 それにしてもおかしなことは、上に引いた中村氏の観点は、結論として私のそれとほぼ同じなのだが、私が言うと僻論愚論扱いとなることだ。櫻井よしこ/北村稔編『中国はなぜ「軍拡」「膨張」「恫喝」をやめないのか その侵略的構造を解明する』その他が出版されると、私が中国人だけを未開・異質扱いしている、為にする反中言説だとか民族派に媚びているとかという批判が来たが、そういう人たちは、中村氏や吉川氏にも同じ批判を向ける(あるいは過去に向けた)のだろうか。もしそうであるなら、私は何もいうことはない。

(春秋社 1988年12月)

「Christian worshippers 'detained' in China」 を読んで

2011年04月12日 | 思考の断片
▲「Aljazeera.net」Last Modified: 10 Apr 2011 11:52; Source: Agencies.
 〈http://english.aljazeera.net/news/asia-pacific/2011/04/2011410105621371604.html

  Police officials in China have arrested dozens of Christian worshippers from an unregistered church when they tried to pray outdoors, a rights group said.

 問題は、中国のキリスト教がなぜこれほど弾圧されるのかということだ。新疆ウイグル自治区のイスラム教、チベット自治区(およびいわゆる大チベット地域、さらに内モンゴル自治区の)チベット仏教と同じといわれればそうだが、中国内地でここまで迫害される宗教はほかにあるのだろうか。法輪功のように淫祀邪教=カルトと認定されたものは別である。中国のキリスト教派(プロテスタント)のなかにはカルト扱いされているものもあるらしいが、しかしそれ以外の中国におけるキリスト教徒は、キリスト教徒であるという理由だけで迫害されているのである(米国国務省 International Religious Freedom Report 2008)。内村鑑三不敬事件と比較してみるのは妥当か否か。
 上述 International Religious Freedom Report 2008 では、キリスト教にかぎらず国家組織に属さない宗教団体を中国政府が厳しく取り締まるわけは、今日ではイデオロギー的な見地からではなく、国家の承認なく人民が集まると良からぬことを企てて社会秩序を乱すかもしれないからという現実的な懸念だとしている。つまり保険のための迫害と弾圧ということである。形式論理の未発達な中国式思惟においては、これで完璧で非の打ち所のない正当な理屈たりえるだろう。この見方もまた正しいと思われる。もっとも相手の実態を見ずに一般論で理屈を進めるところ、実用的ではあっても現実的とはちょっと異なるかとも思うが。
 ちなみにこの International Religious Freedom Report 2008 には中国のイスラム教派のなかでカルト扱いされているセクトについての言及はない。存在するものの何らかの理由で言及されていないのか、そもそも存在しないと見なされているのかはわからない。

「チベット自治区主席、農奴解放記念日でテレビ談話」 から

2011年03月28日 | 抜き書き
▲「CRI Online(日本語)」2011-03-27 21:57:14、翻訳:Yan、吉田。(部分)
 〈http://jp1.chinabroadcast.cn/881/2011/03/27/147s172617.htm

 パドマチンレ主席はまた、ダライラマ一派が民族、宗教、人権の仮面をかぶり、チベット独立を主張し、祖国を分裂しようとした反動的な立場を批判しました。

 この前段(注)については争うつもりはない。数値の正確さについてはともかく、一般庶民の経済状態については革命前より良くなっているのは確かだろうからだ。それに、身分としての農奴が存在しなくなったことは素直に評価すべきだろう。(同じ理由で、私はソビエト革命についても、社会制度としての身分制を打破廃止したことに関しては評価している。)

 。“パドマチンレ主席は談話の中で、「これまでの5年、チベットは中国の特色ある、チベットの特色ある発展の道を歩み、経済成長戦略を大々的に実施し、長蛇の発展を成し遂げた。去年、チベット自治区の国内総生産は507.5億元に達し、年平均12.4%の伸びとなっている。また、去年、チベットの農牧民の一人当たり純収入も2005年の二倍近くに増え、4318.7元に達した」と述べました。さらに、「チベットの社会保障システムは徐々に完備されてきており、全国においても率先して無料の義務教育と最低生活保障制度が整備された。予期寿命も67歳に延びた」と紹介しました。

 ただ、いつまでも経ってもダライラマへの見方を変えないところ、漢人風に泥むと自分の頭でものを考えられなくなることがよく分かる実例である。疑問を持たず、持っても突き詰めず、結局権威者から与えられた公式見解を繰り返すことしかできなくなる。むかしのチベット人はおしなべて、個人の境涯・資質や受けた教育の程度による差はあれ、チベット仏教の精密な思考に大なり小なり平素から親しんでいたせいで、中国人(漢人)は頭が悪い、因果も知らない、と笑っていたと聞くのだが。

「インド警察当局、カルマパの金銭疑惑を無根とした模様」 から

2011年02月27日 | 抜き書き
▲「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」2011年2月11日 インド ニューデリー 、ニュース元:Associated Press。(部分)
 〈http://www.tibethouse.jp/news_release/2011/110222_karmapa.html

 2011年02月11日「『亡命チベット代表者議会によるカルマパ猊下についての声明』 を読む」より続き。

 先週〔2月第1週〕金曜日、インドの警察当局は、北インドの本拠地で先月135万ドルの現金が発見されたかどで捜査中だった、チベット仏教第三の指導者の嫌疑を晴らした模様。
 プレス・トラスト・オブ・インディア通信社によれば、ヒマチャル・プラデシュ州のラジワント・サンドゥ事務次官は、カルマパ猊下の僧院で捜査中に発見された現金は、信徒からの布施であったと述べた。また同次官は、カルマパ猊下は僧院の財務管理関与しておらず、この金銭の出所とは関わりがないとも述べた。
 同通信社は次官が「カルマパ猊下は敬愛するべき仏教指導者であり、州政府は仏教の宗教領域に干渉する意図はない」と述べたと報道した。サンドゥ次官の直接のコメントは得られなかった。


 一応一件落着のようだ。しばらく考えていたが、結局よく納得がいかない。何か“大人の事情”でもあるのかと疑いたくなる。

ロシアの仏教

2011年02月03日 | 抜き書き
▲「ИТАР-ТАСС」03.02.2011, 02.24、「Буддисты встречают Новый год по лунному календарю」(部分)
 〈http://www.itar-tass.com/level2.html?NewsID=15917448&PageNum=0

  УЛАН-УДЭ, 3 февраля. /ИТАР-ТАСС/. Буддисты России сегодня встречают Новый год по лунному /восточному/ календарю. О приходе Года беловатого зайца объявил сегодня на рассвете в Иволгинском дацане - резиденции Буддийской традиционной Сангхи /церкви/ России - ее глава Пандито Хамбо лама Дамба Аюшеев.

 ロシア連邦ブリヤート共和国にあるイヴォルギンスキー・ダツァンで信徒が祝う旧正月。ロシアの仏教は基本的にチベット仏教だと考えていいのだろう。アグワン・ドルジェフもブリャート人だった。

「В Туве началась программа празднования Шагаа」 から

2011年02月01日 | 抜き書き
▲「ИТАР-ТАСС」31.01.2011, 07.18。(部分)
 〈http://www.itar-tass.com/level2.html?NewsID=15906151&PageNum=0

 正月(旧正月)を祝うトゥヴァ共和国。

  Отметим, что более 50 проц. из 313 тыс. жителей республики считают себя буддистами.

 人口(313,000人)の半数が自身を仏教徒として認識している由。おそらくその殆どがチベット仏教徒だろう。

「新たな日中摩擦 鉄道技術“盗用”の中国が各国に売り込み攻勢(1/2ページ)」 を読んで

2010年11月23日 | 思考の断片
▲「msn 産経ニュース」2010.11.22 19:35、ワシントン=古森義久。(部分)
 〈http://sankei.jp.msn.com/world/china/101122/chn1011221935001-n1.htm

 中国の国有企業が日本の高速鉄道技術を基礎に日本製より速度の高い高速列車を作り、中国独自の製品として諸外国に売り込もうとしていることについて、日本側から「約束違反」との抗議が起き、新たな日中摩擦となりつつある。米紙ウォールストリート・ジャーナルが18日、報じた。

 中国の伝統に知的所有権の概念はない。何かをマスターすれば(あるいは手に入れれば)、それは自分のものなのである。ただ、それだけでは他人のものは俺のもの、そして(うっかりしていると)俺のものは他人のものの範疇を出ない。しかしそのうえに何かを付け加えることが出来れば、もはや非の打ちどころなくおのれ独自のものとなる。試みに歴代の訓詁学者・考証学者の作業(さくぎょう)を見よ。彼らが出典を明示するのは、古典だけである。(ついでに言えば、朱子学・陽明学など、もっとひどい。理学というのは基本的に仏教と道教からのパクリでできあがっている。)
 伝統中国の知識人で、他人のものは俺のものという考え方を拒否して、まったくの独創部分だけが自分のものと称するに足るという考え方を持っていたのは、私が確実に言える限り、黄宗羲と顧炎武だけである。とくに顧炎武については、他人の著作を読んでいて自分と同じ意見や観点を見いだすと、ただちに自分の手稿から該当箇所を抹消したといわれる()ほど、自他のオリジナリティーの区別に対し徹底して潔癖だった。こうして残った部分が、たとえば彼の死後出版された『日知録』である。(この顧の中国人離れした潔癖さがどこから来たのかを考えるのは興味ある問題である。)

 出典失念ス。後デ探スコト。

『イスラーム 世界宗教の教えとその文明』

2010年09月23日 | 人文科学
 先日、兵庫佐用へ彼岸参りの帰りにJR三宮駅で途中下車、神戸モスクを訪れて見学。その際にこのパンフレットをいただいて帰ってきた。 
 神戸モスクのウェブサイトの紹介に「日本最古の」とあって「日本最初の」ではないことが引っかかっていたが、このパンフレットを見て疑問氷解。

 日本への〔イスラームの〕伝来は、仏教やキリスト教と比べると新しく、名古屋に最初のモスクができたのが昭和6年(1931年、現存せず)、東京にモスクが建てられたのは昭和13年(1938年)のことでした。 (「イスラーム世界と日本」 本書2頁)

 神戸より前、名古屋のモスクが、日本最初だったのだ。
 そして昭和10年(1935年)建築の神戸モスクは東京のモスク(東京ジャーミィ)より古く、つまり「日本に現存する最古のモスク」(神戸モスクHP「神戸モスクの歴史」)ということになる。納得。
 
(イスラーム文化センター 2005年7月第2版)

「ダライ・ラマ法王、中国人とツイッターで質疑応答」 から

2010年08月14日 | 抜き書き
▲「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」2010年8月2日、翻訳者:小池美和。(部分)
 〈http://www.tibethouse.jp/news_release/2010/100810_twitter.html

■質問10:
猊下はチベットに定住している中国人とその第二世代のことをどのようにお考えでしょうか。猊下がおっしゃる「名実を伴う自治」によって彼らが周辺的な立場に追いやられる可能性はないのでしょうか。チベットにいる中国人はこのことが心配で猊下と亡命チベット政権に対立的な立場をとっていると思うのですが……。

■ダライ・ラマ法王:
チベットは自治地域です。チベット人の自治地域においてチベット人のほうが少数であっては困ります。それが回避されるなら、我々の兄弟姉妹である中国人のみなさんがどれだけ大勢定住されようと、我々は諸手を挙げて賛成します。とりわけ、チベットの宗教や文化に関心を持っておられる方々は歓迎されるでしょう。

いつも申し上げていることですが、中国のみなさんは身体の滋養となる美味しい食事を作ることができ、我々チベット人は精神の滋養となる仏教の教えを提供することができます。ですから、なんの心配もなくうまくやっていけると思います。

中国人の中には、チベット仏教は悪しき宗教でチベット人は汚らしいと言ってチベット人を軽蔑する人がいます。そのような人にとっては、彼らが汚いとする場所に住むのは意味のないことですから、きれいな場所へ戻られたらよいのです。

チベット人の大部分はチベット仏教の実践者であり、チベット仏教は人種差別について論及していません。古代のチベットでは、大僧院の僧院長の多くがモンゴル人でしたし、中国人も経典を学んでいました。様々な人種で構成されていましたが、人種差別はありませんでした。同様に、中国人のみなさんも僧院で宗教的研鑽を積まれたならば、チベットの僧院長やラマになれるかもしれません。モンゴル人であれ、中国人であれ、チベット人であれ、なんら違いはないのです。

 ダライ・ラマのチベット自治運動とウイグル独立運動(たとえば東トルキスタン共和国亡命政府)との決定的な違いは、おそらくここにある。2010年01月11日〈『東トルキスタン共和国憲法』を読む」補足〉参照。