『講座仏教思想』2「認識論・論理学」(理想社 1974年6月)、189-241頁。
北川氏によれば、ディグナーガ以後の新因明の三支作法と形式論理学の三段論法は、三部分からなるという外見が似ているだけで、内実は全く違う論証式であるという。前者はものを直接あつかい、後者は名辞という概念の上に立ちその外延を扱うという根本的な構想の差。つかり、前者が「AにはBが存する」と言うのに対し、後者は「AはBである」と述べるのである。
とすればであるが、中国にも『墨子』のような、三段論法や三支作法のようなアリストテレスの形式論理思考の伝統があったと唱えた清末民初の梁啓超や胡適の主張は、まったく意味をなさないことになる。もっとも彼らの『墨子』の論理学部分の理解が孫詒譲の学説の受け売りであり、その孫の『墨子』のテキスト解釈に疑問がある時点で、すでにこの言説は成立しないのであるが。(呉毓江の『墨子校注』でも問題はそのままに残っており結局解決されていない)
ところで中国に因明をもたらした玄奘三蔵の弟子で漢語で『因明入正理論疏』を著した慈恩大師窺規は、三支作法を基本的なところで理解できていなかった。彼は、「原因(質料因)は結果の中にあることもあり、ないこともある、そもそもそれは原因ではないかもしれない、結果ではないかもしれない」などと、無意味な調子だけの美文を、「同品定有性(媒概念不周延のルール)」の“注釈”としてかきしるしている。それどころか彼は、三支作法の三が、この論法が宗・因・喩の三命題から成るからであることすら理解できておらず、因と喩の下部分類であるところの同喩と異喩で三と思っていた。これはなぜだろう。窺規の個人的な資質の問題であるのか、あるいはそれ以上の理由があるのか。
それに関連して事実して在るのは、中国仏教においては、知識の根拠やその妥当性について追究したインド論理学における認識論関連の書籍がまったく翻訳されていない事である。
インド論理学を大成させたダルマキールティ(玄奘のすぐ後の人)は、人間の知識の成立する根拠を感覚と思惟(推理)のみとした。ところが中国の仏教僧は、ダルマキールティの論理学関連の著作をまったく翻訳・研究しなかった。
この点に関し、インドの因明学者と中国の因明学者の決定的な違いは、中国の因明学者は、経典も経典たるだけの理由で根拠として数えた点である。中村元氏は、この違いの由ってきたるところを、経典に書いてあることはそれが経典にかいてあるかゆえに権威でありそれだけで真であり正であるという中国人の尚古主義のゆえであるとする(『中村元選集』2「シナ人の思惟方法」春秋社、1961年12月)。
北川氏によれば、ディグナーガ以後の新因明の三支作法と形式論理学の三段論法は、三部分からなるという外見が似ているだけで、内実は全く違う論証式であるという。前者はものを直接あつかい、後者は名辞という概念の上に立ちその外延を扱うという根本的な構想の差。つかり、前者が「AにはBが存する」と言うのに対し、後者は「AはBである」と述べるのである。
とすればであるが、中国にも『墨子』のような、三段論法や三支作法のようなアリストテレスの形式論理思考の伝統があったと唱えた清末民初の梁啓超や胡適の主張は、まったく意味をなさないことになる。もっとも彼らの『墨子』の論理学部分の理解が孫詒譲の学説の受け売りであり、その孫の『墨子』のテキスト解釈に疑問がある時点で、すでにこの言説は成立しないのであるが。(呉毓江の『墨子校注』でも問題はそのままに残っており結局解決されていない)
ところで中国に因明をもたらした玄奘三蔵の弟子で漢語で『因明入正理論疏』を著した慈恩大師窺規は、三支作法を基本的なところで理解できていなかった。彼は、「原因(質料因)は結果の中にあることもあり、ないこともある、そもそもそれは原因ではないかもしれない、結果ではないかもしれない」などと、無意味な調子だけの美文を、「同品定有性(媒概念不周延のルール)」の“注釈”としてかきしるしている。それどころか彼は、三支作法の三が、この論法が宗・因・喩の三命題から成るからであることすら理解できておらず、因と喩の下部分類であるところの同喩と異喩で三と思っていた。これはなぜだろう。窺規の個人的な資質の問題であるのか、あるいはそれ以上の理由があるのか。
それに関連して事実して在るのは、中国仏教においては、知識の根拠やその妥当性について追究したインド論理学における認識論関連の書籍がまったく翻訳されていない事である。
インド論理学を大成させたダルマキールティ(玄奘のすぐ後の人)は、人間の知識の成立する根拠を感覚と思惟(推理)のみとした。ところが中国の仏教僧は、ダルマキールティの論理学関連の著作をまったく翻訳・研究しなかった。
この点に関し、インドの因明学者と中国の因明学者の決定的な違いは、中国の因明学者は、経典も経典たるだけの理由で根拠として数えた点である。中村元氏は、この違いの由ってきたるところを、経典に書いてあることはそれが経典にかいてあるかゆえに権威でありそれだけで真であり正であるという中国人の尚古主義のゆえであるとする(『中村元選集』2「シナ人の思惟方法」春秋社、1961年12月)。