書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

B.L.ウォーフ著 池上嘉彦訳 『言語・思考・現実』

2014年01月01日 | 人文科学
 これも、前項と同じく過去の書評の再掲(2002年9月4日欄)。目的も同じ。

>引用開始

 人間は言語によって現実の世界を分節し言語によって経験をまとめる、したがって言語が違えば認識・思考・世界像も違うというのが言語的相対論である。ベンジャミン・リー・ウォーフ(1897-1941)はこのもっとも尖鋭な主張者であった。
 彼は、当時の言語学において暗黙の前提であったところの、西欧語を基準にした他言語の分析と評価を、真っ向から否定した。彼は、言語学の背景にある西洋的思考やその基礎にある文化は、単なる一価値体系にすぎず、なんら全人類に共通する価値ではないとしたのである。
 その証拠としてウォーフはポーピ語を挙げる。このネイティブ・アメリカンの言語においては「時間とか速度とか質料といった西欧社会で行われる様々の一般概念が、整然とした宇宙像を構成するのに何ら必要欠くべからざるものとされていない」(160頁)。
 “われわれはflash(きらめく)という動作が行われる場合もit(それ)とかlight(光)という動作主を立て、it flashed(きらめいた)とか a light flashed(光がきらめいた)と言わなくてはならない。しかし、きらめくことと光は同一のものである。ポーピ語ではきらめきはrehpi(きらめく、きらめきが起る)という単一の動詞で伝えられる” (185頁)
 “現代の科学は西欧の印欧語を強く反映しているが故に、われわれ自身が現によくやっている通り、状態と認める方がふさわしいと思われるような場合にも動作や力を認めるということをする” (185頁)
 “西欧文明は言語を通じて現実の予備的な分析を行ない、それを正そうとすることもなく、最終的なものであるかのごとくその分析に執着するのである” (186頁)
 ウォーフの主張を、当時の西欧中心主義的風潮への警鐘という目的で誇張されたものだとする意見がある。あるいは師のサピアならばそうかもしれないが、このような意見はまさに、西欧文明と価値に染まった人間が、「現実の予備的な分析を行ない、それを正そうとすることもなく、最終的なものであるかのごとくその分析に執着する」態度の現れでは無かろうか。
 ウォーフはそんな所に留まっていない。極北の地にまで達してしまっている。
 “印欧語やその他の多くの言語では、二つの部分から成り立つ文型にきわめて目立った地位が与えられている。この二つの部分はそれぞれ名詞と動詞という違った部類に基づいて構築され、それらの言語ではそれぞれに違った文法的な扱い方を受ける。(略)この区別は自然から由来するものではない。それはすべての言語は何らかの種類の構造を持たなくてはならないという事実から生じた結果であるに過ぎず、これらの言語ではたまたまこの種の構造を旨く利用するようになったということなのである。ギリシャ人、とりわけアリストテレスは、この対立を構成化し、理性の法則ということにしたのである。その時以来、この対立は、論理学では、主語と述語、行為者と行為、ものとものとの間の関係、対象とその属性、量、作用、といったさまざまな形で述べられてきた。そしてさらに文法に則って、これらの部類のもののうちの一つはそれだけで存在しうるが、動詞という部類は他の部類、すなわち「もの」の部類に属するものをひっかかりとしないと存在できないという考えが定着するようになった” (181頁)
  ウォーフは、西欧言語の世界像のもとである「ユークリッド的」もしくは「ニュートン的」空間認識は普遍性をもつものではないとした(138頁および142頁の注12)。さらに、“機械主義的な考え方(注・西欧の論理のこと)は、「平均人民」が日常西欧の言語を使う際に自然と使われる統語論の一つのタイプに過ぎず、それがアリストテレスと中世および現代における彼の信奉者によって固定化され強化されたものにほかならない”(174頁)と断定するのである。
 これはつまり、帰納と演繹は全人類に普遍的な思考形式ではないといっているに等しい。

>引用終わり

 基本的に、チョムスキーの意見と対立するところの、言語的相対論。

(講談社 1993年4月)

岡田英弘 『歴史とはなにか』 

2014年01月01日 | 世界史
 再読。
 以下は、2001年10月18日欄からの再掲である。

>引用開始

  「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」
  明快さが岡田氏の立論の顕著な特徴である。

 そして、こういった内容である歴史を成り立たせるものとして、氏は以下の条件を列挙する。

 1.直進する時間の観念
 2.時間を管理する技術(暦の存在とそれに基づく出来事の記録)
 3.文字
 4.因果律の観念

 である。ある文化・文明において、これら要因のうちどれかでも欠けていると、冒頭に挙げた意味の歴史は成立し得ないと氏はいう。
  この基準に照らして、氏は、その代表的存在としてインド文明(因果律の不在)とアメリカ文明(歴史を拒否することで成立した)を挙げる。イスラム文明もまた、時間の観念が特異なため、歴史が存在しないとするとともに 世界の文明で“歴史という文化”を生み出したのは地中海文明と中国文明だけであるとする。ただし、前者が時間の推移にともなう世界の変化を叙述するための歴史であったのに対し、後者は世界が不変であることを証明するためのものだった(正統な天子の支配のもとでは何事も変化しないはずだから)と、氏は注記する。
 ついで岡田氏がくりかえし強調される点は、科学は実験ができるが歴史はできないのである以上、「歴史は科学ではない」ということである(たとえば82頁で)。
 歴史を書くということは何であるか。それは、「一個人である歴史家が、他人の経験を利用しながら、それを自分の認識のフィルターをとおして、組み立てていくということ」(218頁)である。氏はさらにいう。歴史は文学であり、物語であり、歴史家は物語作者なのである、と。ただ、文学一般と歴史が異なるのは、文学には単なる創作は許されるが、歴史には許されないという点である。歴史家は、史料準拠という制約のなかで、“その史料を、明快な論理で、矛盾なく説明できる(84-85頁)”ことが求められているのであると、氏は釘をさす。
 そして、 「歴史家にとって大切なのは、いったいなにがほんとうに起こったのかを明らかにするために、史料の矛盾をつきつめていって、もっともありそうな、説得力のある解釈をつくりだすことだ」(152頁)。その解釈は、政治的立場や異なる文化をこえて通用する、万人が納得できる説明でなければならない。それが「よい歴史」である。「よい歴史」とは「普遍的な個人の立場」で、「史料のあらゆる情報を一貫した論理で解釈できる説明」である(220頁)。そしてそれは「その歴史家が他人の経験にどれくらい自分を投入できるか、ということにかかっている」(同上)のであり、ゆえに、「書く歴史家の人格の幅が広く大きいほど、「よりよい歴史」が書ける、ということになる」(221頁)。
 そのためには、どうすべきか。「(歴史家は)なるべくたくさんの経験を積まなくてはならない。いろいろな人と、気持ちを通い合わせることができた、と感じるような経験を、たくさん積み重ねなくてはいけない」(221頁)。その結果として得られるであろう「世界を包みこむような普遍的な知恵」、つまり“般若の智慧”がよき歴史家には必要なのであるというのが、岡田氏の結論である。 まさしくそのとおりであり、またそれしかないであろう。

付記

 手元にある哲学辞典では、因果の観念はインドで発生したと書かれている。それからすれば岡田氏の冒頭に挙げた4つの要素のうちのひとつ、因果律の観念がインドにないという主張はおかしいと思えるかも知れない。しかし、ここで氏は、ニュートンの『プリンキピア』以来の、“原因と結果との関係、形式的にはAという条件群の下に、Bという現象が必ず起こる、AがあってBが起こらないということはない、という関係づけの思考方式(山崎正一ほか編 『現代哲学事典』、講談社、73頁 「因果Ⅰ」の定義による)”の有無を言っておられるのであろう。これは、つまりは論理的思考のことである。 〔下線は再掲に際して今回追加したもの〕
 この氏の意見から思うのだが、中国文明もまた歴史が薄弱とはいえはすまいか。私のみるところ、中国語(古典・現代をとわず)には、すくなくともこの意味での因果律の観念がきわめて弱いと感じられるからだ。というより、論理的思考―とくに帰納的思考―が弱いと行ったほうがいいかもしれない。ある現象(結果)の原因、あるいはある結論の理由を述べる際に、原因や理由ではなくそれらの含まれる状況を漠然と紹介しているだけの場合がおおいという印象が拭えないのである。いかがなものであろうか。

>引用終わり

 「付記」の部分に関し、とくにその前段についてあらためて考えてみるための準備として、再度掲げた。
 
(文藝春秋 2001年2月)