初めて克明に最初から最期まで読み通す。
結局「運動」の常として、当の「慰安婦」は――1940年半ば以降公文書で多用されるようになったのだから「」を付ける必要もないのだが――、ダシですか、と言う感想。問題が深刻だから「当事者」の「告白」はそのまま受け取れなどと、私の常識ではついてゆけない。「告白」の立証(あるいは真偽の判定)責任は日本国家の側にあるという主張にいたっては、ためにする政治的プロパガンダでなければ気が狂っているとしかおもえない。「性奴隷 sex slave」という用語は、代金を支払われていたのなら不適正である。「広義」のであるというなら、戦前の日本(軍)だけをねらい打ちにするのは不公平だ。歴史的史実としての学問的研究のほか、世間のそれは(中国や日本の“市民団体”や韓国のマスゴミの煽り記事を含めて)今後一切相手にするのはやめた。勝手にやってくれ。
(新潮社 1999年6月)