書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

古賀勝次郎 『鑑の近代 「法の支配」をめぐる日本と中国』

2014年03月09日 | 東洋史
 畑違いの方の中国や中国思想の捉え方に(著者は経済学者・経済学博士)、ときに自身の盲点を突かれて面白い。
 ただ、いくつか疑問におもったこともある。知識量やその解釈の仕方にではなく、その上にたって氏が展開される論理にである。
 まず、天人相関思想が『管子』に法治主義の傾向、それも自然法的なそれを与えることになったのなら、同じく天人相関思想を大いに唱えた儒家の董仲舒にも同じ傾向が見られてよい筈ではないか。『管子』の天人相関思想を指摘して董仲舒の場合にはそれに触れないのは私から見れば不公平と感じられる。
 それから、氏の問題意識においては横井小楠と康有為をもうすこし重く扱う必要はないだろうか。前者がなぜキリスト教に強い関心を抱いたか、そして後者がなぜ孔子を神格化したのかを考えるべきでは。公羊学者だったからでは答えにならない。当時の公羊学者は彼のほかにもいたが、孔子の神格化まで踏み込んだのは彼だけだった。
 いったいに、中国儒教史における考証学から公羊学への転換あたりの情況についての考察が、やや通り一遍な気がする。

(春秋社 2014年1月)