出版社による紹介。
現代史研究というものは、機密また秘匿ほかの理由でアクセスできない資料が(一資料においても重要な個所は)、多くて、立論のそれも核心部が推測に基づかざるをえなくなることが多いようだ。それは、たえず腰だめを強制されているようなものであって、書き手もだろうが、読む方もどこまで安心して身を預けて議論の階段を上っていいのか、それをたえず測っていなければならず、ひどく辛い。この書も、そこからは自由ではない。
(岩波書店 1996年12月)
現代史研究というものは、機密また秘匿ほかの理由でアクセスできない資料が(一資料においても重要な個所は)、多くて、立論のそれも核心部が推測に基づかざるをえなくなることが多いようだ。それは、たえず腰だめを強制されているようなものであって、書き手もだろうが、読む方もどこまで安心して身を預けて議論の階段を上っていいのか、それをたえず測っていなければならず、ひどく辛い。この書も、そこからは自由ではない。
(岩波書店 1996年12月)