書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

梅棹忠夫「文明の生態史観序説」(「中央公論」1957年2月号掲載)に加えられた批判のなかから2例

2008年06月01日 | 抜き書き
いいだもも 「文明の生態史観終説」
 (『大衆文化状況を超えるもの 文化と革命』、晶文社、1965年4月所収)

“敗戦直後の自己否定と物質的無力から日本肯定へ、この新しいナショナリズムの底流を梅棹史観はすくいあげ、分かりやすい図式にして見せたのです。(中略)生態史観が高度近代文明と言い換えているのは、言うまでもなく高度資本主義のことですが(そこでは今日のソ連やチェコでさえも低度前近代国家なのだ!)、日本資本主義の技術革新、高度成長は当時、小状況では「電化バカ」と「テレビ白痴」を生む程度にまではなり、その民衆の生活上昇価値感にピタリとマッチして、「生態史観」が、天皇制一元価値の崩壊、皇国史観の解体以来、歴史像を失っていた日本人の歴史意識をうまく吸いあげたのです。そのナショナリズム・デザインは、戦後状況に反映して、国粋主義的・反共的日本肯定ではなく、西欧主義的・反共的日本肯定というおもしろいオリエンタル・シック調です。” (同書117頁)

 「世界史の基本法則」教徒からの外在的批判。

竹内好 「二つのアジア史観 梅棹説と竹山説」
 (『竹内好評論集』第三巻「日本とアジア」、筑摩書房、1966年所収。もと「東京新聞」夕刊、1958年8月15-17日掲載)

“梅棹説のなかには反共に利用されるものが本来的にふくまれているからだ。” (同書75頁)
 
 敵を利することはたとえ本当のことであっても言ってはならないという、批判になっていない批判。