書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

森本忠夫 『マクロ経営学から見た太平洋戦争』

2005年11月25日 | 経済
 勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争』(本日欄)が、この本の批判に耐えられるかどうかも、かなり疑問である。
 この書はもと『魔性の歴史 マクロ経営学から見た太平洋戦争』(文藝春秋 1985年2月)で、同書について丸谷才一/木村尚三郎/山崎正和『「鼎談書評」固い本やわらかい本』(→2005年9月10日「今週のコメントしない本」)に行き届いた評価があるから、興味のある方はそちらを参照してほしい。「評さるる人も人、評する人も人」の言がまさに相応しい内容。是非。

(PHP研究所版 2005年8月)
 
▲「多維網」2005年11月22日、「中美峰會談及靖國神社問題日本媒體稱不尋常」(同日付「中國青年報」からの転載) 
 →http://www2.chinesenewsnet.com/MainNews/Forums/BackStage/2005_11_21_17_6_42_264.html

 A級戦犯のAを“一番罪が重い”の意味だと思っている中国人がかなりいる。だがこのAは罪状が「極東国際軍事裁判所条例」(原文英語)の第5条のa項で定めた「平和に対する罪」に該当するという意味にすぎない。
 こんなことを言う人間は、要するに東京裁判について何も知らないのである。60年近く経っていまだにこの有様である。その知的怠惰さは驚くほかはない(この“怠惰”のなかには、知らないのに知ったかぶりで大口を叩く臆面のなさという意味も含む)。
 そして国外、例えば米国やあるいは日本に何年いても、物知らずはやはり物知らずのままで変わらないこと(だからそのまま転載するのであろう)にも驚き、かつ呆れるばかりである。

▲「多維網」2005年11月24日、王希哲「中國海外民運怎樣尋找新的杠杆﹖」
 →http://www2.chinesenewsnet.com/MainNews/Opinion/2005_11_23_16_36_54_476.html

 日本人は、漠然とではあるが、民主主義は民族主義や国家主権を超越する価値だと考える。中国人は、民主主義者といえども結局は、民主主義は民族主義や国家主権――すなわちナショナリズム――を超越しない価値だと考える。おそらく今日、日本人と中国人の対話を困難にしている最大の原因は、ここにある。

▲内田樹「内田樹の研究室」
 →http://blog.tatsuru.com/

1.2005年11月25日、「『責任を取る』という生き方」 

 私も、“「もし、この件について自分にも責任があるとしたら、それは何か」という問い”が思考のオプションにない人間がよく解らない。
 解っているのはそういう人間とは会話が成立しないということだ。

2.2005年11月17日、「動物園の平和を嘉す」

 憲法改正の是非について、この人の意見は結論としては、私のそれとほぼ正反対である(→2005年11月1日司馬遼太郎『歴史と風土』欄参照)。
 だがこの人が結論に至るまでの思考に、首肯するところが、かなりある。
 できないところも、もちろん多い。とくに以下のくだりなどはそうだ。

“不登校や引きこもりやニートは「銃後の守り」という勤労義務への重大な違背とみなされ、厳しい社会的指弾を受けることになり、尻を蹴飛ばされて勤労動員される。
 「産めよ増やせよ」と厚労省は叫びたて、結婚率は急上昇し、出産育児は国民の義務を履行する行為としておおいに奨励される。
 家庭でも学校でも地域社会でも企業でも、「目上の人間の命令」に従うことの重要性が全社会的な合意を得て承認される。
 家父長権は復活し、学校での体罰が許され、でれでれしている青少年は街のおっさんから「この非国民!」とすれ違いざまに張り倒されるようになる。
 だって、指揮系統を無視するような兵士は戦場では射殺されて当然だからである”

 憲法九条(第二項)を改正すれば必ずこうなるという内田氏の断言には、何の確たる根拠もない。
 改憲すればあの戦前にそのまま逆戻りという論法は、この問題において外的状況が不可欠に関連する側面についていっさい言わないことも含めて、典型的な護憲派の――あるいは冷戦時代の“平和主義勢力”の――主張そのままである。
 ちなみに私は、まずこうはならないだろうと思っている。私が改憲に賛成する理由には、じつはこの判断もある。だが私はこんなことを改憲支持の論拠として正面きって書いたりはしない。証拠がなければ誰かと議論しても水掛論にしかならないからだ。
 『ためらいの倫理学』(→2002年10月27日)のファンとしては落胆してしまう。借り物でない、自らの肉声で語って欲しい。あなたはこんな馬鹿ではないはずだから。