書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「東トルキスタン」と「ウイグリスタン」の呼称の意味するところの違いその他

2011年09月01日 | 地域研究
 過去の自分の読書メモから。

 1) 東トルキスタンとウイグリスタンの意味するところの違い。

 いわゆる現在中国で新疆ウイグル自治区と呼ばれている地域を、“東トルキスタン”と呼ぶか“ウイグルスタン”と呼ぶかの選択は、その独立志向のウイグル人が、汎テュルク主義に立って周囲の同族国家と連帯しつつ運動を進めていくか(前者)、カザフスタン、キルギスタン(クルグズスタン)、ウスベキスタン、トルクメニスタン、そしてテュルク系ではなくペルシア系であるタジク人のタジキスタンも含め、それぞれがそうであり或いはそうであるよう目指しているように、自らもまたウイグル人によるウイグル人のための国民国家樹立を目指すか(後者)の立場の選択に関わってくるのだという。
(→2011年01月23日、Colin Mackerras/Michael Clarke 編 『China, Xinjiang and Central Asia』

 2) そもそも「東トルキスタン」とは何か、どこを指すのか。

   South of the T'ien Shan Lay Eastern Turkestan, or Little Bukharia. This was composed of a north-eastern zone, which had formerly been known as Uighuristan, and a much larger south-western zone, the Tarim basin, called Altishahr or Kashgaria, although both terms - Altishahr and Kashgaria - have sometimes been used to designate the whole of Eastern Turkestan. In these two areas, Uighuristan and Altishahr the inhabitants were almost exclusively Turki-speaking.  (Joseph Fletcher, 'Ch'ing Inner Asia c. 1800', p. 69)

 (日本語訳)
 天山の南には東トルキスタン、あるいは小ブハーリアが広がっていた。この地は、かつてウイグリスタンとして知られた北東部と、それよりもさらに大きい南西部、アルティシャフルまたはカシュガリアと呼ばれるタリム盆地から成るが、アルティシャフルまたはカシュガリアというこれら二つの呼称は、東トルキスタン全体を指す語として用いられることもしばしばあった。これら二つの地域〔かつてのウイグリスタンとアルティシャフル(カシュガリア)〕においては、住民はそのほとんどがテュルク語話者であった。

 言葉を足してもうすこし敷衍して言えば、こういうことである。

・東トルキスタンは天山以南を指し、それ以北(ジュンガリア)は歴史的には含まない。
・天山以南の東トルキスタンは二部分に別れ、比較的小規模な東北部分は過去(16世紀まで)ウイグリスタンと呼ばれたこともある地域(トゥルファン盆地一帯)と、それよりも大きな残りの西南部(タリム盆地・アルティシャフルまたはカシュガリア)とに別れる。
・アルティシャフルまたはカシュガリアの呼称で東トルキスタン全体を意味することもある。
・東トルキスタンに住んでいるのは圧倒的にテュルク系諸民族であるが、すべてではない。

 原文、時制が基本的に過去なのは、乾隆帝による征服(18世紀半ば)直後にかかる記述のため。 
(→2010年01月26日『The Cambridge History of China』 Vol. 10 から)

 基本的な知識を押さえてから大きな口は叩こうね、ボク。恥をかきたくないなら。それから、「ウイグリスタン」などと言っているカハルマン氏には、新疆ウイグル自治区の4分の1しか要らんのかと言いたい。どいつもこいつもいい加減な奴らが。